灸エビデンス・ライブラリ
灸と自律神経(全2分冊) ① 自律神経とは何か。体表への熱は、どの道を通って臓器に届きうるのか 姉妹巻:灸と自律神経②
Moxibustion & Autonomic Nervous System ① — 基礎編・全14章

灸と自律神経①

自律神経とはどんな神経で、どう分類され、何をしているのか。
そして体表への温熱刺激は、どの経路を通って臓器に届きうるのか。

第1版 2026年8月 自律神経の解剖 / 伝達物質と受容体 / 臓器別作用 / 体性-自律神経反射 / 局所加温 / 未解決問題

3分で要点だけ

本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。

  1. 自律神経は「意識できない神経」ではない分類の基準は支配対象。骨格筋以外を支配する系である
  2. 汗腺・皮膚血管・副腎髄質に副交感神経の支配はない「副交感優位で手足が温まる」は生理学と整合しない
  3. 41℃では胃運動が動かなかった温度が反応の有無を決める(マウス・各群n=8)

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序章

熱は、心臓と胃と血管に別々に届く

灸が皮膚を温めたあと、身体の内側で何が起きるかを決めているのは、皮膚ではなく自律神経である。ところが「自律神経」という語は、臨床でも一般向けの説明でも、内容の定まらないまま使われやすい。本書は二分冊の①として、自律神経がどんな神経で、どう分類され、何をしているのかという基礎から始め、体表への温熱刺激がどの経路を通って臓器に届きうるのかまでを扱う。「自律神経が変わった」と言うために何をどう測るのか——指標の意味と限界——は②に収めた。

この部を読むと「自律神経が整う」という言い方の、どこが生理学と噛み合っていないかが分かるようになる。

00本書の読み方とエビデンスの階層

本書は「灸で自律神経が整う」ことを説明する本ではない。自律神経という言葉が指しているものを解剖と生理の水準で分解し、体表への熱刺激がそのどこに、どういう順序で届きうるのかを、原著の報告値だけでたどる本である。数値はすべて原著の報告値であり、編者が計算・推定した値は含まない。

0-1 この教材を貫く三つの問い

  1. 自律神経とはどの神経を指し、どういう基準で分類されるのか
  2. 交感神経と副交感神経は、臓器ごとに何をどう変えるのか
  3. 皮膚への温熱刺激は、どの経路を通れば臓器の機能を変えうるのか。そしてそれはどこまでヒトで確かめられているのか
本書が「示唆」を書くときの規約

本書は原著の報告値だけで構成する。報告値を超えて編者が可能性を述べる箇所は、1冊につき2件までとし、いずれも「考察」等のラベルを付けた囲みの中に置き、成立しない条件を併記する。囲みの外の本文に、報告されていない因果や機序を書かない。ラベルのない断定は、すべて原著の報告値か、原著の著者自身の結論である。

0-2 エビデンスの階層

本書に出てくる実験的知見は、すべて次のA〜Eのいずれかに属する。本文中では、動物実験とヒト実験を同じ書き方で並べない。各知見の直後に、対象(ヒト/マウス)と n を必ず記す。

表 0-1 本書で用いるエビデンス階層
階層デザイン本書での典型例主な弱点
A盲検化RCT/Cochraneレビュー本書には該当する知見がない(臨床エビデンスは②で扱う)
B健常者実験(客観指標)間接灸ST36の循環応答[14]、懸垂灸の指尖温[15]、もぐさ煙曝露[16]n が小さい。短時間観察
C動物実験(機序解明)灸様熱刺激の胃運動[12]、電気鍼の迷走-副腎軸[11]刺激条件がヒト臨床と異なる
D非盲検・単群前後比較鍼灸治療前後の皮膚電気抵抗[17]対照がない。季節・期待を分離できない
E実技者の実測報告・症例報告(非査読)本書では数値の引用に用いていない査読なし
階層に入らない記述がある

第I部と第II部で述べる自律神経の解剖・生理・薬理は、個別の実験結果ではなく総説および教科書に記載された確立した知見である。これらは階層A〜Eの対象外として扱い、出典として総説[1][4][5][6][18]および査読を経た教科書項目[2][3][7]を示す。ここで確立しているのは「そういう解剖と生理がある」ということであって、「灸がそれを動かす」ことではない。両者を混同しないことが、本書を読むうえで最も重要である。

0-3 読むときに外してほしくない三つの区別

「解剖学的に成立しうる経路」と「実証された経路」
教科書に載っている経路が存在することと、灸がその経路を実際に駆動していることは、まったく別の主張である。本書は両者を必ず別の文で書く。
「動物で示された」と「ヒトで示された」
本書が扱う体性-自律神経反射の知見の大半は、動物実験と電気刺激に由来する。ヒトの灸で測られたものは限られる。該当箇所には対象と n を必ず添える。
「指標が動いた」と「臓器の機能が変わった」
心拍変動が変化したことと、心臓の自律神経支配が変化したことは同義ではない。この区別は②の主題であり、本書では第11章・第12章で予告的に扱う。

0-4 姉妹巻および既刊との関係

本書は自律神経の構造と経路を扱う。灸のヒト実験で実際に測られた値と、その指標が何を意味し何を意味しないかは『灸と自律神経②』に収めた。皮膚での熱の受容(TRPチャネル・神経線維・脊髄後角)は『灸と神経生理学①』、脳と下行性調節および臨床エビデンスは『灸と神経生理学②』、灸の実測温度は『温度曲線』にある。重複を避けるため、それらの詳細は本書では繰り返さずリンクで接続する。

第I部

自律神経とは何か——構造

まず言葉を固定する。自律神経系はどこから出て、どこで乗り換え、何に届くのか。この部で扱うのは解剖である。灸はまだ出てこない。しかしここを飛ばすと、以降に出てくる「交感神経性の反応」「迷走神経性の反応」という語が、意味を持たないまま流れていく。

この部を読むと交感・副交感・腸管の三区分を支配対象と伝達物質から正しく定義できるようになる。

01定義——「意識できない神経」ではない

自律神経系は、骨格筋を除く身体のすべての部分の神経性制御を担う系である[1]。よく使われる「意識できない神経」という説明は、区別の軸を取り違えている。

1-1 定義

自律神経系(autonomic nervous system, ANS)は、交感神経系副交感神経系腸管神経系から構成され、骨格筋を除く身体各部の神経性制御を担う[1]。その主要な責務は、外部環境と内部環境の双方から加えられる撹乱に対して、全身の細胞・組織・臓器の生理学的な統合性を維持すること(恒常性の維持)である[1]

「意識できない」は定義ではない

自律神経系と体性神経系を分けているのは支配対象である。骨格筋を支配するのが体性運動神経、それ以外(心筋・平滑筋・腺)を支配するのが自律神経である[1]。意識できるかどうかは分類の基準ではない。心拍や発汗は意識にのぼるが随意には動かせず、呼吸運動は自律機能の側面を持ちながら呼吸筋が骨格筋であるため体性運動神経の支配を受ける。「自律神経=意識できない神経」という言い換えは、この境界を消してしまう。

1-2 二ニューロン構成

交感神経系・副交感神経系の遠心路は、いずれも2つのニューロンが直列につながる構成をとる[3]

節前ニューロン(preganglionic neuron)
細胞体が中枢神経系(脊髄または脳幹)にある。軸索は中枢を出て末梢の自律神経節に至り、そこで次のニューロンにシナプスする[3]
節後ニューロン(postganglionic neuron)
細胞体が末梢の神経節にある。軸索が標的組織(心筋・平滑筋・腺)に至る[3]

体性運動系はこれと異なり、脊髄前角の運動ニューロンが1本で骨格筋まで届く。自律神経系には必ず「乗り換え」がある。この乗り換えの場所が、次章で述べる交感と副交感の解剖学的な違いを生む。

臨床への翻訳

「自律神経を整える」という表現は、支配対象を特定しない限り検証できない主張になる。自律神経の標的は心臓・血管・汗腺・消化管・膀胱・瞳孔・腺と多岐にわたり、それぞれ別の出力経路を持つ(第5章)。施術記録に書くべきは「自律神経が整った」ではなく、「心拍数が◯bpmから◯bpmへ」「手掌の発汗が減った」という、支配対象と指標を特定した記述である。この習慣が、②で扱う指標の読み方に直結する。

02三つの区分と、その解剖学的な違い

交感・副交感・腸管の三区分は、機能ではなく解剖学的な起始と神経節の位置で区別される。「興奮の神経」「休息の神経」という機能的な言い換えは、この区分の根拠ではない。

2-1 起始

交感神経系=胸腰系
節前ニューロンの細胞体は、脊髄の側角(外側灰白柱)のT1からL2(またはL3)に位置する[1][3]
副交感神経系=頭仙系
節前線維は脳神経III・VII・IX・Xおよび仙髄S2〜S4から起こる[1][3]
腸管神経系
消化管は、それ自身の完全な神経系を進化させた唯一の臓器であり、この神経系は中枢神経系からの神経入力なしに完全に機能しうる[4]。腸管神経系は多数の小さな神経節が神経的な連続性を保って構成する二つの神経叢——筋層間神経叢と粘膜下神経叢——からなる[4]。一般に、筋層間神経叢は内容物の推進を担う筋運動の協調を、粘膜下神経叢は分泌と吸収を広く担う[4]

2-2 神経節の位置と線維の長さ

交感神経の節前線維は、標的から離れた場所にある神経節でシナプスする。その結果、節前線維が短く、節後線維が長い[2]。副交感神経では逆に、節前線維は標的の近傍または壁内の神経節でシナプスするため、節前線維が著しく長く、節後線維が短い[2]

表 2-1 交感神経系と副交感神経系の解剖学的比較[1][2][3]
項目交感神経系副交感神経系
別名胸腰系頭仙系
節前ニューロンの起始脊髄側角 T1〜L2(L3)脳神経 III・VII・IX・X、仙髄 S2〜S4
神経節の位置傍脊椎神経節(交感神経幹)・椎前神経節標的臓器の近傍または壁内
節前線維短い長い
節後線維長い短い

2-3 交感神経節の実際

傍脊椎神経節は交感神経幹に沿って並ぶ結節状の構造で、典型的には頸部3個・胸部12個・腰部4個・仙骨部5個である[2]。下頸神経節は第1胸神経節と癒合して星状神経節を形成することがある[2]。椎前神経節は標的臓器に近い位置にあり、腹腔神経節・大動脈腎神経節・上腸間膜神経節・下腸間膜神経節が含まれる[2]

節前線維は白交通枝を通って脊髄神経から交感神経幹へ入り、節後線維は灰白交通枝を通って脊髄神経へ戻る[2]。腹部・骨盤内臓を支配する節前線維は内臓神経として椎前神経節へ向かい、大内臓神経(T5〜T9)・小内臓神経(T10〜T11)・最小内臓神経(T12)・腰内臓神経(L1〜L2)に分けられる[2]

2-4 副交感神経節の実際

脳神経由来の副交感神経節は、支配する腺・筋によって次のように分かれる[2]

表 2-2 頭部の副交感神経節[2]
神経節由来する脳神経支配
毛様体神経節CN III(動眼神経)虹彩・毛様体筋
翼口蓋神経節CN VII(顔面神経)涙腺・鼻腺・口蓋腺・咽頭腺
顎下神経節CN VII(顔面神経)舌下腺・顎下腺
耳神経節CN IX(舌咽神経)耳下腺
腸管神経系を「第三の区分」と数えることについて

総説によって扱いが異なる。自律神経系を三部構成とする総説[1]でも、腸管神経系については「十分な理解には他の資料を参照されたい」として、交感・副交感とは別扱いにしている[1]。腸管神経系は感覚ニューロン・介在ニューロン・運動ニューロンを内蔵し、外来神経から切り離しても反射を成立させうる点で、他の二区分と性質が異なる[4]本書は腸管神経系を第三の区分として数えるが、交感・副交感と同列の「もう一本の遠心路」ではないことを併記する。

臨床への翻訳

交感神経の節前線維はT1〜L2から出る[1][3]。したがって仙骨部や下肢そのものに、交感神経の節前ニューロンは存在しない。「腰仙部に施灸して交感神経を直接抑える」という説明は、解剖学的に成立しない。刺激が脊髄を介して交感神経の出力を変えうるかどうかは別の問題であり、それを扱うのが第III部である。解剖の話と反射の話を混ぜないことが、説明の正確さを決める。

03伝達物質と受容体

「交感=アドレナリン、副交感=アセチルコリン」という覚え方は、節前線維と汗腺と副腎髄質の三箇所で破綻する。破綻する場所を知っておくことが、薬理と臨床の説明を誤らないための最短経路である。

3-1 節前線維はすべてコリン作動性

交感・副交感のいずれにおいても、節前ニューロンはアセチルコリン(ACh)を放出し、節後ニューロンのニコチン性受容体に結合する[3]。この点で両区分に違いはない。

3-2 節後線維で分かれる

副交感節後線維
AChを放出し、Gタンパク質共役型のムスカリン性受容体に結合する[3]
交感節後線維
主としてノルアドレナリンを放出し、アドレナリン受容体(α1・α2・β1・β2・β3)に結合する[3]

3-3 二つの例外

表 3-1 伝達物質と受容体の対応、および例外[3]
部位伝達物質受容体備考
節前線維(交感・副交感とも)アセチルコリンニコチン性両区分で共通
副交感節後線維アセチルコリンムスカリン性(M1〜M5)Gタンパク質共役型
交感節後線維(一般)ノルアドレナリンα1・α2・β1・β2・β3
汗腺アセチルコリンムスカリン性交感神経支配だがコリン作動性
副腎髄質(節前線維の)アセチルコリンクロム親和性細胞がアドレナリンを血中へ放出

汗腺は交感神経の支配を受けるが、節後線維はAChを放出しムスカリン性受容体に作用する(交感神経性コリン作動性線維)[3]。副腎髄質のクロム親和性細胞は節後ニューロンに相当する位置にあり、内臓神経(節前線維)のAChによって刺激され、アドレナリンを全身循環へ放出する[3]。すなわち副腎髄質の出力は神経線維ではなくホルモンとして全身に配られる。

3-4 血管の緊張は誰が決めているか

血管緊張については、副交感神経系は交感神経系ほどの制御を及ぼしていないと考えられている[3]。血管平滑筋の緊張度は、主として交感神経性血管収縮線維の活動レベルによって決まる。

臨床への翻訳

「灸で副交感が優位になって血管が広がる」という説明は、血管緊張の主たる制御が交感神経性であるという生理学と整合しない[3]。仮に施灸後に血流が増えたとしても、その経路として第一に考えるべきは「副交感神経の増加」ではなく、①交感神経性血管収縮の減弱、②局所性の血管拡張機序(第11章)である。結果が同じでも、機序が違えば、どこを測るべきかも、何を期待できるかも変わる。

04臓器ごとに何が起きるか

交感神経と副交感神経は、臓器ごとに具体的な作用を持つ。ここで重要なのは一覧を暗記することではなく、「拮抗」という枠組みで説明できない臓器が確かに存在することを把握することである。

4-1 交感神経の活性化で起きること

交感神経の活性化は、心拍数と心収縮力・瞳孔散大・気管支拡張・筋への血流・代謝・糖産生・脂肪分解を増加させ、消化管運動・尿量・排尿筋収縮を減少させる[3]

4-2 副交感神経の活性化で起きること

副交感神経の活性化は、心拍数と心収縮力を低下させ、瞳孔を縮小させ、涙液・唾液分泌を増加させ、消化管運動を増加させ、グリコーゲン合成を促進し、性器の充血を可能にし、免疫機能を活性化する[3]

表 4-1 主な臓器における交感/副交感の作用[3]
臓器・機能交感神経の活性化副交感神経の活性化
心拍数・心収縮力増加低下
瞳孔散大縮小
気管支拡張(記載なし)
骨格筋への血流増加(記載なし)
消化管運動低下増加
涙腺・唾液腺(記載なし)分泌増加
糖代謝糖産生・脂肪分解の増加グリコーゲン合成の促進
尿量・排尿筋収縮低下(記載なし)
汗腺発汗(コリン作動性)支配なし
皮膚血管収縮(血管緊張の主たる制御)ほとんど制御していない
副腎髄質アドレナリン放出支配なし
「拮抗」で説明しきれないもの

汗腺・皮膚血管・副腎髄質は、実質的に交感神経の単独支配である[3]。これらの臓器では「副交感が優位になる」という記述そのものが成立しない。汗が減ったこと、手足が温かくなったことは、副交感神経の増加ではなく交感神経の活動低下として記述すべきである。

臨床への翻訳

患者への説明で「副交感が優位になって手足が温かくなります」と言うとき、その文は生理学的に成立していない。皮膚血管には副交感神経の意味のある支配がないからである[3]言えるのは「皮膚の血管を締めている交感神経の働きがゆるむと、手足の血流が増える」までである。ただし、灸によって実際にそれが起きるかどうかは別の問題であり、ヒトのデータでは逆向きの所見(施灸中の指尖温低下)も報告されている[15](第11章、および②)。

第II部

自律神経はどう働くか——機能

第I部で見たのは配線図である。しかし配線図は、どのスイッチが同時に入るかを教えてくれない。この部では、交感神経が全身一律に働く系ではないこと、そして自律神経が出力だけの系ではないことを扱う。この二点を落とすと、灸の自律神経応答を読み違える。

この部を読むと交感神経を一枚岩として扱わず、反射弓の構造から機能を説明できるようになる。

05交感神経は一枚岩ではない

「生命を脅かす危険に対して全身が一斉に反応する単一の系」という交感神経系の古い描像は、機能特異的な出力チャネルの配列というモデルに置き換わっている[5]

5-1 古い描像とその置き換え

実験技術の進歩により、交感神経系を「危険に対する迅速かつ攻撃的な反応を要する状況で全体的に活性化される一枚岩の実効器」とみなす初期の見方は、機能的に特異な多数の出力チャネルが並ぶ組織モデルに取って代わられた[5]。これらのチャネルは同時に活性化も抑制もされうるが、その組み合わせによって、行動を支え恒常性反射を媒介する自律神経活動のパターンが生じる[5]。この観点からは、防御反応は中枢自律神経ネットワークが取りうる多数の活性化状態のうちの一つにすぎない[5]

5-2 出力チャネルの種類

交感神経の遠心性チャネルは、標的細胞によって機能的に定義される[6]。ヒトでは微小神経電図、動物では従来の記録法によって、各型のニューロンが標的細胞に特徴的な発火パターンを示すことが明らかにされている[6]。この所見から、ニューロンを次のように名指すことが正当化される[6]

表 5-1 機能によって名指される交感神経ニューロン[6]
名称標的
筋血管収縮ニューロン骨格筋の血管
皮膚血管収縮ニューロン皮膚の血管
発汗運動ニューロン(sudomotor)汗腺
脂肪動員ニューロン(lipomotor)脂肪組織
心臓運動ニューロン(cardiomotor)心臓
分泌運動ニューロン(secretomotor)

これらの発火パターンは、末梢および中枢からの求心性入力によって開始される複数の反射と、呼吸・概日リズム・前脳で生成される指令などの中枢信号に結びついた反応に分解できる[6]。すなわち、「交感神経の活動」という単一の量は存在しない。

臨床への翻訳

「交感神経が上がった/下がった」という一語で施術の効果を記述することはできない。皮膚血管収縮ニューロンの活動と心臓運動ニューロンの活動は、同時に別方向へ動きうる[5][6]。②で扱うヒトの灸実験では、実際に「心拍数が低下した」という報告[14]と「指尖温が低下した(交感神経賦活と解釈された)」という報告[15]が併存する。これは矛盾ではなく、別々のチャネルを別々の指標で見ているためである。施術の記録では、どのチャネルを見たのかを指標名で残す。

06求心路と反射弓——圧受容器反射

自律神経系は出力だけの系ではない。入力があり、中枢があり、出力がある。反射弓の全体を見ないと、指標の変化がどこで起きたのかを特定できない。代表例として圧受容器反射を見る。

6-1 受容器の位置

動脈圧受容器は頸動脈洞大動脈弓に存在する[7]。低圧の容量受容器(心肺受容器)は心房・心室・肺血管系の内部に位置する[7]

6-2 求心路と中枢

頸動脈洞からの信号は頸動脈洞神経を経て舌咽神経(CN IX)へ、大動脈弓からのインパルスは迷走神経(CN X)の求心線維に沿って伝わる[7]。いずれの経路も延髄の孤束核(nucleus tractus solitarius, NTS)でシナプスする[7]。NTSは末梢血管系および心臓への交感神経出力を調節する[7]

6-3 負のフィードバックとしての動作

動脈圧が上昇すると圧受容器の発火が増加し、交感神経緊張が抑制されて血管拡張と心拍出量の低下が生じ、結果として血圧が下がる[7]。動脈圧が低下すると発火が減少し、NTSによる抑制が弱まって交感神経出力が増加し、血管収縮と心拍出量の上昇によって血圧が回復する[7]。これは血圧の恒常性を保つ負のフィードバックループである[7]

動脈圧受容器 頸動脈洞・大動脈弓 孤束核(NTS) 延髄 交感神経出力 血管・心臓へ 副交感神経出力 迷走神経を介して心臓へ CN IX CN X
図 6-1 圧受容器反射弓(模式図)。実測データに基づく図ではない。受容器の位置・求心性脳神経・中枢核・遠心路の対応関係を、出典[7]の記述に従って配置したものである。
臨床への翻訳

施術中に心拍数が下がったとき、それが①刺激による心臓自律神経の直接の変化なのか、②血圧が上がったことに対する圧受容器反射の二次的な結果なのかは、心拍だけを見ていても区別できない[7]。したがって、灸の自律神経効果を検討した研究を読むときは、血圧が同時に測られているかどうかを必ず確認する。血圧が測られていない研究の心拍変化は、機序の特定ができない。②で扱う研究の読み方は、この一点に多くを負っている。

第III部

体表への刺激が自律神経に届く道

ここからが本書の中核である。皮膚に加えられた刺激が、内臓の機能を変えうる経路を、体性-自律神経反射という枠組みで見る。決め手は三つ——反射中枢がどこにあるか、刺激部位がどこか、刺激強度がどれくらいか——である。以下の知見の大半は動物実験と電気刺激に由来する。ヒトの灸で確かめられた部分がどこまでかを、各章で明示する。

この部を読むと体表への刺激が臓器に届く経路を、部位と強度という二つの変数で語れるようになる。

07体性-自律神経反射の骨格

皮膚や筋への刺激が求心神経を興奮させ、その情報が中枢へ運ばれ、自律神経の遠心路に転送されて内臓機能に影響する。この一連を体性-自律神経反射という。

7-1 反射弓の構成

総説は、この経路を次のように記述している。「皮膚またはその下層の筋への刺激が求心神経の興奮をもたらす。感覚情報は中枢神経系へ運ばれ、そこで自律神経の遠心路へ転送され、内臓機能に影響する」[18]。この神経経路が「体性自律反射(somatoautonomic reflex)」として知られ、Satoとその共同研究者らによって半世紀以上にわたり系統的に研究されてきた[18]。その蓄積は328ページに及ぶ総説にまとめられている[10]

7-2 反射中枢はどこにあるか

反射中枢の所在は、刺激部位によって異なりうる。総説は、「腹部への強いつまみ刺激または電気刺激は——前肢や後肢への刺激ではなく——消化管の交感神経経路を駆動して運動を抑制しうる。それは分節性の脊髄反射と上脊髄性の回路の双方を介する」と記している[9]。続けて「一方、四肢への刺激は副交感神経性の反射を駆動しうる」とされる[9]

本書が書かないこと

「四肢からの反射は上脊髄性で、分節性の刺激は脊髄性と上脊髄性の双方を用いる」という整理は、鍼灸の文献でしばしば見かける。しかし本書が参照した総説[9]には、四肢求心線維からの反射が上脊髄性に限られるという明示的な記述を確認できなかった。そのため本書は、上の引用の範囲——腹部刺激が脊髄反射と上脊髄性回路の双方を介すること、四肢刺激が副交感神経性の反射を駆動しうること——にとどめる。

7-3 麻酔動物とヒトの差

この分野を読むうえで決定的な限界がある。総説は次のように明記している[18]

  1. Satoらの研究のほぼすべては麻酔動物で行われた。一方、患者は意識がある
  2. 患者における応答、あるいは治療的な体性刺激に続く事象は、麻酔動物で観察されたものと異なりうる
  3. 実際、患者と動物における応答が常に一致するわけではないことが次第に明らかになっており、その差異は臨床家にとって折り合いをつけることが難しかった
臨床への翻訳

体性-自律神経反射は、麻酔下の動物で確立した枠組みである[18]。麻酔は上位中枢からの下行性の影響を減らすため、覚醒下のヒトで同じ反射が同じ大きさで生じる保証はない。したがって、動物実験で示された部位依存性や強度依存性を、そのまま臨床の選穴根拠として患者に説明することはできない。これらは仮説を立てるための枠組みであり、ヒトでの検証はこれからである(第13章)。

この章と既刊の関係

体性-自律神経反射の総説的な整理は、既刊『灸と神経生理学②』第6章でも扱っている。本書は同じ枠組みを自律神経の側から見直し、第8章で灸様の熱刺激による検証、第9章で強度依存性を、それぞれ別の一次文献に基づいて扱う。

08部位が反応の向きを決める

同じ刺激でも、どこに入れたかによって内臓の反応が逆になる。これが体性-自律神経反射の最も重要な性質であり、灸様の熱刺激でも確かめられている(マウス、階層C)。

8-1 部位による向きの違い

総説では、刺激部位による応答の違いが次のように整理されている[9]

  1. 腹部への強い刺激または電気刺激は、消化管の交感神経経路を駆動して運動を抑制する。前肢・後肢への刺激ではこれが生じない[9]
  2. 四肢への刺激は、副交感神経性の反射を駆動しうる[9]

8-2 灸様熱刺激による検証

この枠組みを、針ではなく熱刺激で検証した研究がある[12](マウス)。熱痛閾値である43℃を基準に、41℃43℃45℃の局所灸様刺激を、ST36またはCV12へ180秒間与えている。対象はASIC3ノックアウトマウス、TRPV1ノックアウトマウス、および同系統の野生型C57BL/6マウス(各群 n = 8)である。胃運動は幽門内バルーンで連続測定された[12]

表 8-1 局所灸様刺激の温度・部位と胃運動の変化[12](マウス、各群 n = 8)
温度ST36(後肢)への刺激CV12(腹部)への刺激
41℃有意な影響なし有意な影響なし
43℃促進P < 0.05抑制P < 0.05
45℃促進P < 0.05抑制P < 0.05

受容体の関与については、野生型と比較して、TRPV1ノックアウトマウスではST36における促進効果とCV12における抑制効果がいずれも有意に減弱した(それぞれ P < 0.05P < 0.01)。一方、ASIC3ノックアウトマウスでは有意な変化は認められなかったP > 0.05[12]。著者らは、局所灸様刺激の温度とその効果のあいだに「強度-反応関係」が存在し、TRPV1受容体がこの調節に決定的な役割を果たすと結論している[12]

要点

この実験が示したのは二つである。①部位が反応の向きを決める(同じ温度・同じ時間でも、後肢では促進、腹部では抑制)。②温度が反応の有無を決める(41℃では、どちらの部位でも有意な変化がなかった)。ただしこれはマウスの実験であり、各群 n = 8 である。ヒトで部位を比較した灸の研究は見出せなかった(第13章)。

臨床への翻訳

「同じお灸だから同じ方向に効く」という前提は、動物実験の水準では否定されている[9][12]部位の選択は、刺激量の問題ではなく反応の向きの問題でありうる。消化器症状に対して足三里を用いる古典的な選穴は、この枠組みと整合する。逆に、同じ症状に腹部への施灸を行う場合、動物実験では逆向きの応答が生じている。ただしヒトでこれを比較した研究がないため、「腹部の灸は消化管運動を落とす」と患者に説明することはできない。言えるのは「部位によって反応の向きが変わりうるという前提で選穴を設計する」ところまでである。

09強度が経路を選ぶ

部位だけでなく、強度も経路を選ぶ。ただしこの枠組みを分子レベルまで示した研究は、灸ではなく電気鍼で行われている。本書はその区別を最後まで保つ。

9-1 強度による経路の分岐

総説では、刺激強度によって動員される反射経路が異なると整理されている。ST36への低強度電気刺激(0.5 mA)は迷走神経-副腎軸を駆動し、より高い強度(1〜3 mA)は脊髄の交感神経反射を活性化する[9]

9-2 分子レベルの検証

この強度依存性の解剖学的基盤を示したのが2021年の研究である[11](マウス)。要点は次のとおりである[11]

  1. PROKR2を発現する感覚ニューロンは、後肢の深部筋膜(骨膜など)を支配するが、腹部の筋膜(腹膜など)は支配しない
  2. 後肢ST36への低強度電気刺激は、このニューロンを介して迷走神経-副腎軸を駆動した。腹部ST25への刺激では駆動しなかった
  3. PROKR2発現感覚ニューロンを除去したマウスでは、低強度刺激は後脳の迷走神経遠心性ニューロンを活性化できず、副腎からのカテコールアミン放出も誘発できず、内毒素誘発性の全身性炎症の抑制も失われた
  4. 一方、両部位への高強度刺激(3.0 mA)による交感神経反射は、PROKR2発現ニューロンがなくても維持された
  5. ST36を通してPROKR2発現神経終末を光遺伝学的に刺激すると、迷走神経-副腎軸は駆動されたが、交感神経反射は駆動されなかった

著者らは、これを「経穴が特定の自律神経経路を駆動することの選択性と特異性に対する神経解剖学的基盤」と位置づけている[11]

この知見は灸のものではない

これは電気刺激による知見であり、灸の温熱刺激で同じ経路が動く直接の証拠ではない。「低強度で迷走神経-副腎軸、高強度で脊髄交感神経反射」という地図は、電気鍼で描かれたものである。本書はこれを「同じ体性入力の枠組みで考えられる」までにとどめ、「灸でも同じことが起こる」とは書かない。灸の強度(温度・時間・壮数)に、この地図がそのまま当てはまるかは示されていない。

臨床への翻訳

強度は「効き目の量」ではなく、経路の選択でありうる[9][11]。強くすれば同じ反応がより大きく出る、という比例関係を前提にした施術設計は、少なくとも電気鍼の実験結果とは合わない。ただし灸において「弱い刺激」「強い刺激」が電気刺激の 0.5 mA と 3.0 mA に相当するという対応づけは、どの研究でも示されていない。灸の強度設計にこの知見を直接持ち込むことはできない。

第IV部

灸という刺激の実体

ここまでは「体表への刺激」と抽象的に書いてきた。この部では、灸が実際に身体へ与えているものを分解する。温度はどこまで上がるのか。局所を温めること自体が何を起こすのか。そして灸は、熱だけの刺激なのか。

この部を読むと灸という刺激の実体を、温度・局所反応・熱以外の成分に分けて捉えられるようになる。

10灸の温度と、動きはじめる閾値

第8章の実験で最も重要な数字は、促進や抑制の大きさではなく、41℃では何も起きなかったという点である。温めれば自律神経が動く、という前提はここで崩れる。

10-1 閾値のある反応

マウスにおける局所灸様刺激の実験では、41℃の刺激はST36・CV12のいずれにおいても胃運動に有意な影響を与えなかった。43℃と45℃で初めて有意な変化が生じている[12]。この研究の温度設定は熱痛閾値である43℃を基準として組まれており[12]、41℃はその閾値を下回る温度である。

また、この効果はTRPV1ノックアウトマウスで有意に減弱し、ASIC3ノックアウトマウスでは変化しなかった[12]。すなわち、この反応を担っているのは酸感受性チャネルではなく温度感受性チャネルの側である。

10-2 ヒトの灸で到達している温度

ヒトを対象とした研究では、右下腿ST36への間接灸(紙管に艾と紙パルプの緩衝材を詰めたもの、5分間)において、皮膚温は施灸開始2分後に 45.3 ± 3.3℃ のピークに達したと報告されている[14](ヒト、n = 15、平均±SD)。同研究の対照条件(非燃焼)では 29.6 ± 1.4℃ であった[14]

この二つの数字を並べるときの注意

マウスの43℃はプローブによる制御された刺激温度であり、ヒトの 45.3℃ は間接灸による皮膚表面の到達温度である。測っているものが同じではない。「ヒトの灸は43℃を超えているから、マウスと同じ反応が起きているはずだ」とは書けない。言えるのは、両者が近い温度域にあるという観察までである。灸の種類ごとの実測温度と時間経過は、既刊『温度曲線』および『もぐさの特性』に収めた。

臨床への翻訳

「心地よく温かい」と「反応が起きる」は別の温度域にある可能性がある。マウスの実験では、痛覚閾値を下回る41℃で内臓応答は生じなかった[12]ただしこれは胃運動というアウトカムについてのマウスの結果であり、ヒトで温度を段階的に振って自律神経指標を測った研究は見出せなかった(第13章)。したがって「温かいだけの灸では効かない」と患者に説明することはできない。臨床で言えるのは、温度が反応の有無を左右しうる変数であるため、施灸温度と時間を記録に残す価値があるということである。

11局所加温そのものが皮膚で起こすこと

施灸部位が赤くなり、温かくなる。これは自律神経が変化した証拠ではない。皮膚を局所的に温めるという行為それ自体が、反射とは別の機序で血管を拡張させる。

11-1 二重の制御

皮膚血流の水準は、反射性の体温調節制御と、皮膚を直接温める/冷やすことによる影響の双方を受ける[13]。局所の温度変化は、それだけで皮膚を最大限に血管収縮させることも血管拡張させることもできる[13]

11-2 局所加温の時間経過

局所加温に対する皮膚血管の反応は、次の相をたどる[13]

第1相:軸索反射による一過性の血管拡張
局所加温はまず軸索反射を介した一過性の血管拡張を引き起こす[13]
第2相:プラトー相
これに続くプラトー相は、主として一酸化窒素(NO)による[13]
第3相:die-away 現象
プラトー相のあとには血管拡張のゆるやかな反転(die-away 現象)が続く。これは交感神経性血管収縮神経が保たれていることに依存する[13]

なお第1相・第2相のいずれも、交感神経伝達物質に支えられている[13]。すなわち局所機序と交感神経は無関係ではないが、局所加温による血流増加を「反射が起きた証拠」として扱うことはできない。

11-3 遠隔部の変化は何を意味するか

局所の変化が局所機序で説明できるとすれば、反射の存在を主張するには、刺激していない部位の変化を見る必要がある。健常者36名(男性27名、女性9名)に懸垂灸を行い赤外線カメラで指先温を測定した研究では、刺激部位の温度上昇と同時に指尖温が低下したと報告されている[15](ヒト、n = 36)。曲沢(PC3)群では施灸開始 21秒後 から低下が始まり 82秒間 持続し、労宮(PC8)群では 26秒後 から約 68秒間 持続した[15]。刺激点の温度変化と指先の温度変化のあいだには、いずれの群でも有意な負の相関が得られている(PC3群 r = −0.981、PC8群 r = −0.957、灰を除去したPC8群 r = −0.938、いずれも p < 0.05[15]

著者らはこれを「灸が交感神経系を賦活し、微小循環の減少を誘発しうる」と解釈している[15]ただしこの研究では交感神経活動が直接測定されておらず、温度変化の相関から推論された解釈である。本書はこの点を限界として明記する。この所見の詳細な検討は②で行う。

臨床への翻訳

施灸部位が赤くなり温かくなることは、自律神経が変化した証拠にはならない。局所加温それ自体が、軸索反射とNOによって血管拡張を起こすからである[13]。自律神経反射が起きたと言うためには、刺激していない部位の変化を見る必要がある。臨床の観察としては、施灸部位の発赤ではなく、対側の皮膚温、末梢の色調、心拍数といった離れた指標のほうが情報量が多い。なお、施灸中に手足の先が冷たくなる現象も報告されている[15]。患者がそれを訴えても、報告されている現象の範囲内である。

12灸は熱だけの刺激ではない

灸を「温熱刺激」と要約すると、実際に加えられている入力の一部が視野から消える。煙だけでも心拍変動は動く。

12-1 煙のみの曝露で測られた値

健常な若年成人55名を無作為に実験群28名と対照群27名に分け、実験群をもぐさの煙(2.5 ± 0.5 mg/m³)に25分間、1週間に2回曝露した研究がある[16](ヒト、n = 55)。心電図は曝露前・曝露中・曝露後に記録され、対照群は同様の環境で通常の室内空気に曝露された[16]

結果は次のとおりである[16]

  1. 1回目の曝露中および曝露後:すべてのパラメータの変化率または変化量について、群間に有意差は認められなかった
  2. 2回目の曝露中:心拍数の低下率、lnTP・lnHF・lnLF および RMSSD の増加率、PNN50 の増加が、対照群より実験群で有意に大きかった

著者らの結論は、「臨床で通常行われる25分間のもぐさ煙曝露に、心拍変動への有意な有害影響は認められなかった。データは、もぐさ煙への短時間曝露がヒトの自律神経機能に良い調節効果を持ちうることを示唆する。この所見の確認にはさらなる研究を要する」というものである[16]

この研究が教材に必要な理由

効果の有無ではなく、交絡の存在を示す点で重要である。灸のヒト実験において対照条件が「非燃焼の灸」であれば煙の効果は分離できるが、対照が「無処置」や「安静のみ」であれば、観察された自律神経指標の変化を熱の効果と呼ぶことはできない。研究を読むときに最初に確認するのは、対照条件が何であったかである。

12-2 熱と煙以外に加わっているもの

施灸の場面で身体に加わっている入力は、少なくとも次を含む。

  1. 皮膚への接触(艾・台座・施術者の手)
  2. 一定時間の体位の固定と安静
  3. 施術者の存在と、施術を受けるという状況
  4. 効果に対する期待

これらはいずれも、それ自体で自律神経の指標を動かしうる入力である。本書は、これらを分離した対照を置いた灸のヒト研究を見出せなかった(第13章)。

12-3 季節という交絡

施術前後の皮膚電気抵抗と皮膚温を測定した国内の研究では、季節によって変化の向きが逆になったことが報告されている[17](ヒト、n = 11、単群前後比較・階層D)。肩こりなどで通院する患者11名を対象に、3月から8月にかけて治療前後で皮膚電気抵抗・皮膚温・脈拍数・血圧・体温を測定したところ、原著は次のように報告している[17]

表 12-1 鍼灸治療前後の変化と季節[17](ヒト、n = 11、単群前後比較)
時期皮膚電気抵抗皮膚温
3月〜5月有意に減少(電流量が増加)有意に上昇
8月有意に増加(電流量が減少)下降傾向(原著の表現)

脈拍数は減少傾向を示し、血圧と体温には一定の傾向がみられなかったと報告されている[17]。著者は、鍼灸治療が季節に応じて皮膚交感神経系機能を変化させることが示唆されたと結論している[17]本研究は対照群を持たない単群前後比較であり、季節そのものの影響と治療の影響を分離していない。本書はこの点を限界として明記したうえで、「同じ手技でも測定時期によって観察される向きが変わりうる」という警告として引用する。

臨床への翻訳

施灸の前後で指標が変わったとき、その変化を「熱の効果」と呼ぶには、煙・接触・安静・期待・季節を分離した対照が要る[16][17]。臨床の現場でこの分離はできない。したがって施術者が記録として残せるのは「この条件下でこの指標がこう動いた」までであり、因果を主張する立場にはない。これは施術の価値を下げる話ではなく、記録の精度を上げる話である。条件(室温・季節・時刻・煙の有無・安静時間)を書き添えた記録は、後から読み返せる資料になる。

第V部

空白

本書は、灸と自律神経について現在たどれる経路を並べてきた。最後に、たどれなかった場所を明示する。空白を書かない教材は、読者に「全部わかっている」という誤った印象を残す。

この部を読むと自律神経と灸について何が定量されていないかを、具体的に挙げられるようになる。

13本書の範囲で見出せなかったこと

以下は、今回の調査範囲(英語・日本語・中国語圏、2026年8月時点)で該当する査読済みのヒト研究を見出せなかった項目である。「研究が存在しない」ことの証明ではなく、「本書の調査では到達できなかった」という報告である。

表 13-1 見出せなかった項目と、研究が進みにくい構造的理由
#見出せなかったもの進みにくい理由
1ヒトで施灸温度を段階的に変えて自律神経指標を測った研究閾値を超える温度は熱傷リスクを伴うため、倫理審査上、上限を高く設定しにくい
2ヒトで腹部と四肢を比較して自律神経応答の向きの違いを検証した研究動物では侵襲的に臓器活動を直接測れるが、ヒトでは代理指標しか使えず、逆向きの小さな変化を検出しにくい
3ヒトで施灸中の交感神経遠心性活動を微小神経電図で直接記録した研究微小神経電図は高度な技術を要し、実施できる施設が世界的に限られる[8]
4灸/非燃焼対照/煙のみ対照を並置した三群比較研究煙のみの条件で被験者に灸を受けたと信じさせることが難しく、盲検化が成立しにくい
5腸管神経系に対する灸の作用をヒトで測った研究腸管神経系の活動をヒトで非侵襲に測る確立した方法がない
6灸の強度(温度・時間・壮数)と電気刺激の強度(mA)の対応づけ物理量の次元が異なり、共通の尺度が存在しない

13-1 微小神経電図について

項目3に挙げた微小神経電図(microneurography)は、覚醒したヒトの末梢神経に経皮的に微小電極を刺入し、神経活動を直接記録する手法である[8]。筋交感神経活動(MSNA)と皮膚交感神経活動(SSNA)の記録により、筋および皮膚への交感神経出力の制御について多くの知見が得られてきた[8]。定量は主にバースト頻度(bursts/分)とバースト発生率(bursts/100心拍)に限られるが、単一線維記録の開発によってより詳細な情報が得られるようになっている[8]

この手法は「診断のために意図されたものではない」と原著は明記している[8]。しかし研究手法としては、代理指標では届かない交感神経出力そのものを見ることができる。灸と自律神経の研究において、これが使われた報告に本書は到達できなかった。ここが、この分野の最大の空白である。

空白の意味

本書が並べてきた経路——体性求心線維、脊髄性・上脊髄性の反射中枢、交感/副交感の遠心路、臓器の応答——は、いずれも解剖学的・生理学的に確立している[1][9]確立していないのは、灸がその経路をどれだけ、どの向きに駆動するかである。この区別を保つことが、本書の全体を通じての目的だった。②では、その「どれだけ」を測るための指標そのものを検討する。

演習

理解度チェック

本書の内容から10問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。設問はすべて本文に記載した報告値・記述に対応しており、各問には該当章へのリンクを付けました。自己確認のための演習であり、資格や技能を証明するものではありません。

第I部自律神経とは何か——構造3問
Q01 出典:第1章

自律神経系と体性神経系を分けている基準はどれか。

Q02 出典:第2章

交感神経系の節前ニューロンの細胞体はどこにあるか。

Q03 出典:第3章

自律神経の節前線維が放出する伝達物質はどれか。

第II部自律神経はどう働くか——機能2問
Q04 出典:第4章

交感神経の活性化で起きる変化として正しいのはどれか。

Q05 出典:第6章

圧受容器反射の求心路と中枢の組み合わせとして正しいのはどれか。

第III部体表への刺激が自律神経に届く道2問
Q06 出典:第7章

体性-自律神経反射とはどのような経路か。

Q07 出典:第9章

刺激の強度と、動員される反射経路の関係について整理されているのはどれか。

第IV部灸という刺激の実体2問
Q08 出典:第10章

マウスに局所の灸様刺激を与えて胃運動を測った実験で、もっとも重要な所見はどれか。

Q09 出典:第11章

施灸した部位が赤くなり温かくなったことから言えるのはどれか。

第V部空白1問
Q10 出典:第13章

灸と自律神経について、査読済みのヒト研究が見出せていないのはどれか。

解答ずみ 0 / 10
付録

引用文献

本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。すべての文献に到達可能なURLを付した。非査読の資料は本文中でその旨を明記した(本書では非査読資料からの数値引用は行っていない)。

  1. Wehrwein EA, Orer HS, Barman SM. Overview of the anatomy, physiology, and pharmacology of the autonomic nervous system. Compr Physiol. 2016;6(3):1239-1278. PMID: 27347892
  2. Waxenbaum JA, Reddy V, Das JM. Anatomy, autonomic nervous system. StatPearls. Treasure Island (FL): StatPearls Publishing; 最終更新 2025年12月1日. NBK539845
  3. LeBouef T, Yaker Z, Whited L. Physiology, autonomic nervous system. StatPearls. Treasure Island (FL): StatPearls Publishing; 最終更新 2023年5月1日. NBK538516
  4. Spencer NJ, Hu H. Enteric nervous system: sensory transduction, neural circuits and gastrointestinal motility. Nat Rev Gastroenterol Hepatol. 2020;17(6):338-351. PMC7474470
  5. Morrison SF. Differential control of sympathetic outflow. Am J Physiol Regul Integr Comp Physiol. 2001;281(3):R683-R698. PMID: 11506981
  6. Jänig W, Häbler HJ. Neurophysiological analysis of target-related sympathetic pathways—from animal to human: similarities and differences. Acta Physiol Scand. 2003;177(3):255-274. PMID: 12608996
  7. Armstrong M, Moore RA. Physiology, baroreceptors. StatPearls. Treasure Island (FL): StatPearls Publishing; 最終更新 2023年3月6日. NBK538172
  8. Macefield VG. Sympathetic microneurography. Handb Clin Neurol. 2013;117:353-364. PMID: 24095138
  9. Ma Q. Somato-autonomic reflexes of acupuncture. Med Acupunct. 2020;32(6):362-366. PMC7755849
  10. Sato A, Sato Y, Schmidt RF. The impact of somatosensory input on autonomic functions. Rev Physiol Biochem Pharmacol. 1997;130:1-328. PMID: 9019119
  11. Liu S, Wang Z, Su Y, Qi L, Yang W, Fu M, Jing X, Wang Y, Ma Q. A neuroanatomical basis for electroacupuncture to drive the vagal-adrenal axis. Nature. 2021;598(7882):641-645. PMID: 34646018
  12. Su YS, Xin JJ, Yang ZK, He W, Shi H, Wang XY, Hu L, Jing XH, Zhu B. Effects of different local moxibustion-like stimuli at Zusanli (ST36) and Zhongwan (CV12) on gastric motility and its underlying receptor mechanism. Evid Based Complement Alternat Med. 2015;2015:486963. PMID: 26246837
  13. Johnson JM, Kellogg DL Jr. Local thermal control of the human cutaneous circulation. J Appl Physiol (1985). 2010;109(4):1229-1238. PMID: 20522732
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  17. 小杉純子. 鍼灸治療が自律神経機能に及ぼす効果——皮膚電気抵抗・皮膚温等を指標とした検討. 全日本鍼灸学会雑誌. 2008;58(5):742-748. doi:10.3777/jjsam.58.742
  18. Uchida S, Kagitani F, Sato-Suzuki I. Somatoautonomic reflexes in acupuncture therapy: a review. Auton Neurosci. 2017;203:1-8. PMID: 27876359

灸と自律神経① 第1版 2026年8月19日発行
発行:合同会社YOMOGI BASE(灸エビデンス・ライブラリ)

本書の位置づけ。本書は『灸と自律神経』を読み進めやすい分量に分けた二分冊の①であり、自律神経系の解剖・分類・伝達物質・臓器別作用という基礎と、体表への温熱刺激が自律神経に届く経路を収める。灸のヒト実験で測られた値と、その指標が何を意味し何を意味しないか(測定法と解釈)は②に収めた。

数値の出所方針。本書に記載した数値は、すべて一次文献に記載された報告値をそのまま引用したものである。編者が計算・推定・丸めた値は含まない。平均±SD と 平均±SE は原著の表記どおりに記した(統一のための書き換えは行っていない)。実測波形でない図には「模式図」と明記した。

階層の扱い。第I部・第II部で述べる自律神経の解剖・生理・薬理は、個別の実験結果ではなく総説および査読を経た教科書項目に記載された確立した知見であり、エビデンス階層A〜Eの対象外として扱った。第III部以降の実験的知見には、対象(ヒト/マウス)と n を必ず併記した。

調査範囲。英語・日本語・中国語圏を対象に22クエリの検索を行い、一次・二次資料に到達したうえで本書に必要な18件を採用した(2026年8月19日時点)。到達できなかった数値は記載していない。中国語のみで英文抄録のない文献からは数値を引用していない。

本書の限界。本書が扱った体性-自律神経反射の知見の多くは、麻酔動物実験および電気刺激に由来する。灸の温熱刺激でヒトを対象に得られている定量データは、皮膚温・心拍数・心拍変動・皮膚電気抵抗に限られる。空白リストは第13章に掲げた。

発行と利益相反。本書の発行者は合同会社YOMOGI BASEである。同社はよもぎ・お灸に関連する商品を扱う事業者であり、この利害関係を開示したうえで、本書では特定の商品・サービス・銘柄に一切言及せず、効能をうたわない編集方針を採っている。文献の選定・数値の引用・空白の明示は、事業上の利害と独立して行った。自社および自社関係者による発信は、査読の有無にかかわらず出典として用いない。

ご利用にあたって。本書は教育・研究目的の学術情報であり、個々の患者に対する診断・治療方針を示すものではない。臨床判断は、施術者自身の責任において、患者の状態と関連法規に基づいて行われたい。

改版履歴。2026年8月19日 第1版発行。