3分で要点だけ
本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。
- 慢性骨盤痛または不妊の患者の35〜50%が子宮内膜症生殖年齢の女性一般の約10%に対し、鍼灸院に来る集団では事前確率が数倍高い
- ホットフラッシュの熱中性帯は0.0℃まで狭まっている発汗を始める体温と震えを始める体温が一致している。温熱刺激は誘発因になりうる
- 「灸で子宮の血流が増える」を支える測定がない腹部加温のヒトデータは男性の上腸間膜動脈、灸の子宮データはラットしかない
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訴えの名前を決めるまで、灸の話はできない
この巻は灸の効果を扱わない。扱うのは、目の前の訴えが何であるかと、どこからは自分の手を離すべきかである。効果量は第2巻『灸の臨床|婦人科② エビデンスと臨床判断』にまとめた。婦人科の訴えは、同じ「生理が重い」という言葉の下に、放置してよいものと、数年かけて臓器を壊していくものが同居している。まずそこを分ける。
この部を読むと効果の話に入る前に、訴えの名前を決める順序が身につく。
00この巻が扱わないこと
本書は臨床編の1冊目である。第I部から第II部で月経・不妊・更年期・冷えの病態と標準治療を確認し、第III部で灸の熱がどの経路で骨盤内に届きうるのかを基礎生理の側から見る。第IV部で安全性と連携の判断を置く。効果の話は一切しない。
0-1 二巻構成のどこを読んでいるのか
婦人科領域の灸は、月経困難症・PMS・不妊治療の補助・更年期症状という四つの主題に分かれる。それぞれについて「どの程度の根拠があるか」を知りたい読者は、本書ではなく第2巻へ進んでほしい。本書が答えるのは、その前段にある問いである。その訴えは原発性か続発性か。標準治療は何か。灸をすえてよい状態か。いつ医療機関へ回すか。
効果が示されている介入であっても、適応を誤れば有害になる。逆に、効果が不明な介入でも、適応と安全性の判断が正確なら臨床の場に置く余地はある。本書は後者の判断材料を作る巻である。
0-2 エビデンスの階層
本書の記述には、Cochrane レビューから動物実験まで性質の違う情報が混在する。混在させたまま並べると、読者は強さを取り違える。そこで全巻共通の階層を先に置く。
| 階層 | デザイン | 典型的な弱点 |
|---|---|---|
| A | 盲検化されたRCT/Cochraneレビュー | 本数が少ない。偽灸の妥当性 |
| B | 健常者を対象とした実験(客観指標) | n が小さい。短時間の観察 |
| C | 動物実験(機序の解明) | 刺激条件がヒト臨床と異なる |
| D | 非盲検RCT/単群前後比較 | 出版バイアスが大きい |
| E | 症例報告・実技者の実測報告(非査読) | 査読なし。ただし物理測定値は有用 |
0-3 この巻を貫く三つの問い
- この痛みは、子宮に病気がないことを前提にしてよいのか。
- この訴えは、灸で扱う対象なのか、それとも標準治療が確立している対象なのか。
- 灸の熱は、そもそも骨盤内の臓器に届くと言えるのか。
三つめは、婦人科の灸を語るときにほぼ必ず前提として置かれ、そしてほぼ必ず検証されない問いである。第III部で正面から扱う。答えは、読者の期待とは違う場所にある。
月経という周期
月経困難症を「痛み」として扱うと、器質疾患を見落とす。この部では月経周期の生理、原発性月経困難症の病態、続発性の原因疾患、そしてPMS/PMDDの診断要件を順に確認する。
この部を読むと同じ「生理が重い」を、原発性・続発性・PMSに分けて扱えるようになる。
01月経周期を動かしている軸
月経は、視床下部・下垂体・卵巣という三つの器官が閉じた輪をなして起こる現象である。灸が関与しうる場所を考えるには、まずこの輪のどこで何が決まっているのかを押さえる必要がある。
1-1 三つの器官と、二つのフィードバック
- 視床下部
- ゴナドトロピン放出ホルモン(GnRH)をパルス状に分泌する。パルスの頻度が下垂体からどのホルモンを出させるかを決める。
- 下垂体前葉
- GnRH を受けて卵胞刺激ホルモン(FSH)と黄体形成ホルモン(LH)を分泌する。
- 卵巣
- FSH・LH を受けて卵胞を育て、エストラジオールとプロゲステロンを分泌する。この二つが視床下部・下垂体に戻って分泌を調節する。
この輪は、大部分の期間は負のフィードバックで回っている。エストラジオールが増えると GnRH と LH の分泌が抑えられる。ところが排卵直前だけは向きが反転し、高濃度のエストラジオールが LH の大量放出(LHサージ)を引き起こす。同じホルモンが、濃度と持続時間によって抑制にも促進にも働く。この非線形性が、月経周期を「振動」として成立させている。
1-2 子宮内膜で起きていること
排卵後、黄体から分泌されるプロゲステロンが子宮内膜を分泌期に変える。妊娠が成立しなければ黄体は退縮し、プロゲステロンとエストラジオールが急落する。この急落が内膜の脱落を引き起こす。月経は、ホルモンが増えて起こる現象ではなく、支えていたホルモンが引かれて起こる現象である。
「ホルモンバランスを整える」という説明は、この輪のどこに介入するという意味なのかを述べていない。視床下部のパルス頻度なのか、卵巣の反応性なのか、内膜の受容能なのか。介入の場所を特定できない説明は、患者に何も伝えていない。本書は以降、必ず「どの指標が、どれだけ動いたか」の形で記述する。
02原発性月経困難症の病態
原発性月経困難症は、器質的な原因を伴わない月経痛である。その痛みはプロスタグランジンを介した子宮の過収縮と虚血として説明されており、標準治療はその経路を直接遮断する薬剤である。
2-1 定義と有病率
StatPearls は原発性月経困難症を「他の疾患・解剖学的変異・基礎病態を伴わずに月経周期中に生じる反復性の下腹部痛」と定義している[1]。有病率は報告により大きく振れ、16〜91%と幅がある。重度の痛みを訴える者は2〜29%である[1]。青年期に限れば有病率は80%と報告され、そのうち約40%が重度であった[1]。
16%から91%という幅は、疾患の頻度が国や年代で6倍違うということではない。何を月経困難症と呼ぶかの定義が研究間で揃っていないということである。単一の症状の有無で数える基準と、日常生活の支障を要件に含める基準が併存している。有病率を引用するときは、必ず定義とセットで引く。
2-2 プロスタグランジンと子宮の過収縮
病態の中心はプロスタグランジンである。StatPearls は「プロスタグランジン F2α とプロスタグランジン E2 が子宮の緊張を高め、子宮の高振幅の収縮を引き起こす」と記述している[1]。過剰な収縮は子宮筋層内の血管を圧迫し、組織の虚血をもたらす。虚血が痛みを生む。
この機序が正しいことの臨床的な裏づけは、治療への反応である。プロスタグランジン合成を阻害する非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)が第一選択薬として位置づけられているのは、この経路を直接止めるからである[1]。
2-3 標準治療の全体像
StatPearls は薬物療法の第一選択を NSAIDs とし、非薬物療法については「ベースラインの介入は温熱の適用と運動から始まる」と記述している[1]。
灸を語るうえで、この一文の位置は重要である。温熱の適用は、灸という手技を持ち出す前に、すでに標準的な第一段階として教科書に書かれている。したがって灸について問うべきことは「温めると楽になるか」ではない。それは前提である。問うべきは「灸という特定の温め方が、湯たんぽや温熱パッドを超える何かをもたらすか」であり、この問いに答えた試験は第2巻でも見つからない。患者に灸を提案するとき、この区別を伏せてはならない。
03続発性——見落としてはいけない器質疾患
続発性月経困難症は、基礎疾患による月経痛である。原発性と続発性は痛みの性質だけでは分けられない。分けるのは、疾患を探したかどうかである。この章は本書でもっとも実務的な章である。
3-1 定義と原因疾患
StatPearls は続発性月経困難症を「子宮内または子宮外の基礎疾患・障害・構造異常に起因する月経痛」と定義し、原因として子宮内膜症、大きな帝王切開創ニッチ、子宮筋腫、子宮腺筋症、内膜ポリープ、間質性膀胱炎、骨盤内炎症性疾患を挙げ、子宮内避妊システムの使用も原因となりうるとしている[1]。
3-2 子宮内膜症の頻度
この一覧のうち、施術室で最も高い確率で遭遇するのが子宮内膜症である。StatPearls は生殖年齢の女性のおよそ10%が子宮内膜症をもつと推定し、慢性骨盤痛または不妊の患者では有病率が35〜50%に達すると記述している[2]。
さらに同章は、診断が「症状の発現から数年を要してしばしば遅れ、多くの患者は確定に至るまでに複数の医療者を受診している」と述べている[2]。具体的な年数は示されていない。
| 集団 | 子宮内膜症の有病率 | 出典 |
|---|---|---|
| 生殖年齢の女性一般 | 約 10% | StatPearls[2] |
| 慢性骨盤痛または不妊の患者 | 35〜50% | StatPearls[2] |
3-3 この数字が施術判断に何をするか
鍼灸院に「生理痛がひどい」「妊娠しない」と言って来院する患者は、定義上、慢性骨盤痛または不妊を訴える集団である。その集団の35〜50%という数字は、目の前の患者の器質疾患の事前確率が、一般集団より3倍から5倍高いことを意味する。
婦人科領域で灸が起こしうる最大の有害事象は熱傷ではない。受診の遅れである。灸で痛みが多少軽くなることは、器質疾患が進行していないことの証明にはならない。むしろ、症状がわずかに緩和されることで受診の動機が失われるという経路で害が生じうる。この経路は有害事象として集計されないため、どの安全性レビューにも数字として現れない。だからこそ、施術者が自分で管理しなければならない。婦人科的な評価を一度も受けたことのない月経痛の患者には、灸を始める前に受診を促す。これは慎重さではなく、事前確率にもとづく標準的な判断である。
3-4 受診を促すべき所見
本書は診断の手引きではないため、確定診断の基準は扱わない。しかし以下は、施術者が問診で拾える範囲の所見であり、いずれかが該当すれば婦人科受診を勧める理由になる。
- 月経痛が年々重くなっている(原発性は初経後まもなく始まり、経過は比較的一定である)
- NSAIDs が効かない、または効かなくなってきた
- 月経期以外にも下腹部痛がある
- 性交痛、排便痛がある
- 経血量が増えた、または期間が延びた
- 妊娠を希望して1年以上経過している[3]
- 婦人科の検査を受けたことが一度もない
これらはいずれも「灸をしてはいけない」という意味ではない。灸と受診を同時に進めるべき所見である。
04PMSとPMDD——診断は記録でしか付かない
月経前の症状は、痛みとは別の枠組みで扱われる。PMS と PMDD はどちらも「症状の内容」ではなく「症状の時間的な配置」で定義される。この違いを知らないまま施術すると、効果の判定ができない。
4-1 PMDD の診断要件
StatPearls は DSM-5 における月経前不快気分障害(PMDD)の要件を次のように整理している[4]。
- 症状数。11の症状のうち少なくとも5つが存在し、そのうち少なくとも1つは最初の4つ(中核症状)に含まれること。
- 時間配置。症状は月経開始前の最後の1週間に生じ、月経出血の開始後数日で改善し始め、月経後の1週間には消失するか最小になること。
- 前向きの確認。連続する少なくとも2周期の症状について、毎日の前向きな症状評定によって基準の充足が確認されること。
三つめの要件が決定的である。PMDD は、過去を振り返った聞き取りだけでは診断が付かない。2周期以上、毎日つけた記録が要件に含まれている。これは診断の厳格さの問題であると同時に、施術者にとっては実務上の含意をもつ。記録がなければ、症状が本当に月経前に限局しているのかを、患者本人も施術者も判定できない。
4-2 有病率
PMS については、月経前の不快を経験する女性のおよそ3分の1が PMS の診断に該当すると記述されている[4]。PMDD は3〜8%とされる。2024年のプール研究では、暫定診断を用いた場合の有病率が7.7%、確定診断を用いた場合が3.2%であった[4]。
この二つの数字の差は、前向き記録による確認を要件に入れるかどうかで有病率が2倍以上動くことを示している。
4-3 病態——アロプレグナノロンとセロトニン
PMDD の病態として StatPearls が挙げているのは二つの系である[4]。
- アロプレグナノロン
- プロゲステロン由来の神経ステロイド。PMDD の女性は循環中の濃度は概ね正常であり、ストレスに対するアロプレグナノロン応答の障害によって GABA-A 受容体の機能的感受性が低下していると記述されている。すなわち量の問題ではなく応答性の問題として整理されている。
- セロトニン
- SSRI などセロトニンを高める治療が一貫して月経前症状を減らすことが、PMS・PMDD におけるセロトニン系の機能障害の中心的役割を支持するとされている。
PMS の訴えに灸を用いる場合、効果判定の設計を先に決めておかなければならない。PMS は症状が周期的に消える疾患である。したがって施術後に症状が消えたという観察は、施術の効果とも、月経が来たこととも、両方に説明がつく。2周期以上の前向き記録は、診断の要件であると同時に、施術の効果を自分で検算するための最小限の道具である。記録を患者につけてもらうこと自体が、この領域における最初の介入になる。
不妊と更年期
不妊治療の補助と更年期症状は、月経困難症とは別の判断枠を必要とする。前者は施術者が結果を確認できない領域であり、後者は自然経過で症状が消える領域である。どちらも、効果を語る前に押さえるべき前提がある。
この部を読むと不妊と更年期について、灸を語る前に押さえるべき前提を数値で言えるようになる。
05不妊の定義と、日本のARTの実際
不妊は期間で定義される疾患である。そして日本の生殖補助医療(ART)は、世界でも例外的な規模に達している。灸を補助として置くなら、その規模と成績の実際を知っておく必要がある。
5-1 WHO による定義
世界保健機関は不妊を「12か月以上の定期的な無防備な性交の後に妊娠の達成に失敗することによって定義される、男性または女性の生殖系の疾患」と定義している[3]。また、生殖年齢にある人の約6人に1人が生涯のうちに不妊を経験すると記述している[3]。
定義に含まれるのは期間だけであり、原因は問われない。「不妊」は診断名ではなく状態の名前である。男性因子・卵管因子・排卵障害・子宮内膜症・原因不明が同じ言葉で括られている。したがって「不妊に灸は効くか」という問いは、そのままでは答えられない。第2巻でも、この問いは対象集団ごとに分解して扱う。
5-2 2023年の日本のARTの実数
日本産科婦人科学会の登録データは毎年査読誌に報告されている。2023年の実績は次のとおりである[5]。
| 項目 | 実数 |
|---|---|
| 登録施設/参加施設 | 638 施設中 625 施設(うち610施設が治療を実施) |
| 総治療周期 | 561,664 周期(2022年比 +3.3%) |
| 出生児 | 85,048 人(2022年比 +10.2%) |
| 治療を受けた女性の平均年齢 | 37.3 歳(SD 4.8) |
| 40歳以上の周期 | 205,986 周期(36.7%) |
| 採卵を行った周期 | 281,665 周期 |
| 全胚凍結周期 | 168,343 周期(採卵周期の59.8%) |
| 凍結融解胚移植の実施 | 271,361 周期(登録 276,153) |
| → 妊娠 | 109,850 件 |
| → 出生児 | 80,774 人 |
| 単一胚移植率 | 新鮮 80.5% / 凍結融解 84.7% |
| 単胎分娩率 | 新鮮 96.5% / 凍結融解 96.3% |
5-3 この表から読み取れること
三つ指摘しておく。
- 治療の主戦場は凍結融解胚移植である。出生児 85,048 人のうち 80,774 人が凍結融解胚移植によるものであった[5]。採卵周期の59.8%が全胚凍結であることと整合する。灸を併用する場面を考えるとき、想定すべき典型は「採卵から移植までに数週から数か月ある」周期である。
- 対象集団の年齢が高い。平均37.3歳、40歳以上が36.7%を占める[5]。年齢は妊娠率を左右する最大の変数であり、この集団に対する介入研究は、年齢を揃えなければ比較にならない。
- 周期の数と出生児の数の隔たり。561,664 周期に対して出生児は 85,048 人である[5]。この隔たりが、補助介入への期待が生まれる場所であり、同時に、期待に応えたと主張しやすい場所でもある。
ART を受けている患者に灸を行う施術者は、自分の介入の結果を自分で確認できない立場にある。妊娠したかどうかは医療機関が判定し、その情報が施術者に戻るかは患者次第である。この構造は、施術者の側に体系的な錯覚を生みやすい。成功例は報告として戻ってきやすく、不成功例は来院の停止として現れる。自院での成功例の蓄積は、効果の証拠にならない。この点は第2巻の研究デザインの議論に直結する。
06ARTのどこに補助介入が入りうるか
ARTは複数の段階からなる連鎖である。どの段階に介入したかによって、測るべきアウトカムが変わる。そしてアウトカムの選び方が、その試験から言えることを決める。この章は第2巻を読むための準備である。
6-1 段落ごとのアウトカム
| 段階 | 測られる指標 | 患者にとっての意味 |
|---|---|---|
| 卵巣刺激 | 採卵数、成熟卵数、利用可能胚数 | 次の段階に進める材料が増えるかどうか |
| 受精・培養 | 受精率、胚のグレード | 移植できる胚があるかどうか |
| 胚移植 | 着床率、臨床妊娠率 | 妊娠反応が出るかどうか |
| 妊娠継続 | 流産率、継続妊娠率 | 妊娠が続くかどうか |
| 分娩 | 生児出産率 | 子どもが生まれるかどうか |
6-2 なぜ生児出産率が正本なのか
患者が求めているのは採卵数でも着床率でもなく、生きて生まれる子どもである。上流の指標が改善しても、下流に到達しないことは起こりうる。採卵数が増えても、胚の質が伴わなければ移植に進めない。着床しても、流産すれば生児出産にはならない。上流の指標は下流の指標の代理であって、保証ではない。
代理アウトカム(surrogate outcome)とは、真に知りたい結果の代わりに測られる、より早く・より高頻度に観察できる指標である。採卵数・着床率・ホルモン値はいずれも代理アウトカムである。代理アウトカムでの改善は、真のアウトカムでの改善を意味しない。この区別は、第2巻で灸のART併用試験を読むときの中心的な道具になる。
6-3 上流の指標が選ばれる理由
研究者が上流の指標を主要アウトカムに選ぶのには、悪意ではない理由がある。生児出産率を主要アウトカムにすると、必要な症例数が数倍に膨らみ、追跡期間は妊娠期間を超える。採卵数なら数週で決着し、少数例でも統計的な差が出る。したがって、資源の制約が、測られる指標を上流に押し上げる構造的な圧力として働いている。
ART併用の灸について論文を読むときは、まず主要アウトカムの欄だけを見る。そこに生児出産率が書かれていなければ、その試験は生児出産について何も検証していない。副次アウトカムに生児出産率が載っていて有意差がなかった場合、それは「差がない」ことの証明ではなく、「その試験には差を検出する検出力がなかった」という意味である可能性が高い。この二つを混同すると、陰性結果を過大にも過小にも読むことになる。第2巻第9章で、実際の1試験に即してこの読み方を通す。
07ホットフラッシュは体温調節の事故である
更年期のホットフラッシュは、しばしば「ホルモンの乱れによる不快な症状」として説明される。しかし測定に基づく病態理解はもっと具体的である。それは、体温調節の許容幅が消失した状態で起こる、正常な放熱反応である。
7-1 自然経過——何年続くのか
介入を語る前に自然経過を知る必要がある。米国の多施設前向きコホート研究 SWAN は、閉経移行期の女性を追跡し、血管運動症状(VMS:ホットフラッシュと夜間発汗)の持続期間を報告した[6]。
| 項目 | 中央値 |
|---|---|
| 解析対象(頻回VMSを有する者) | 1,449 名(総コホート 3,302 名) |
| VMSの総持続期間 | 7.4 年 |
| 最終月経後の持続 | 4.5 年 |
| 閉経前/前期閉経移行期に発症した群の総持続 | 11.8 年超(最終月経後 9.4 年) |
| 後期閉経移行期に発症した群 | 6.12 年 |
| 閉経後に発症した群 | 3.4〜5.66 年 |
同研究は人種・民族別の持続期間も報告している。アフリカ系10.1年、ヒスパニック系8.9年、非ヒスパニック白人6.5年、中国系5.4年、日本系4.8年であった[6]。
第一に、症状は放置しても最終的には収まる。第二に、収まるまでに年単位を要し、その長さは集団によって2倍以上異なる。したがって「灸をしたら数か月で楽になった」という観察は、自然経過と区別できない。この領域で対照群を置かない研究が信用されない理由は、まさにここにある。
7-2 熱中性帯が消えている
では、なぜホットフラッシュが起きるのか。Freedman と Krell は、症状のある閉経後女性12名と症状のない8名を対象に、発汗閾値(加温による)と震え閾値(冷却による)を実測し、その間の幅——熱中性帯——を比較した[7]。
| 測定部位・方法 | 症状あり(12名) | 症状なし(8名) | p |
|---|---|---|---|
| 直腸温 | 0.0 ± 0.06℃ | 0.4 ± 0.18℃ | < .005 |
| テレメトリーピル温 | 0.0 ± 0.11℃ | 0.4 ± 0.18℃ | < .005 |
| 平均体温 | 0.8 ± 0.09℃ | 1.5 ± 0.20℃ | < .0006 |
直腸温で測った熱中性帯の幅は、症状のある群で0.0℃であった[7]。発汗を始める体温と、震えを始める体温が、事実上一致している。発汗率も症状あり群で高く(0.06 ± 0.002 対 0.03 ± 0.001 mg·cm⁻²·min⁻¹、p < .05)、さらに運動負荷中には症状あり群の全員にホットフラッシュが起き、症状なし群では誰にも起きなかった[7]。
この所見は、ホットフラッシュを「異常な発作」ではなく「正常な放熱反応が、異常に狭い許容幅の中で誘発されたもの」として位置づける。含意は具体的である。第一に、わずかな体温上昇が引き金になる。入浴・熱い飲食物・厚着・そして施術室の室温と温熱刺激そのものが引き金になりうる。第二に、更年期のホットフラッシュを訴える患者に対して、上半身を強く温める施術は、症状を誘発する側に働く可能性がある。第三に、この患者群では施術中の暑さの訴えを「反応が出ている」と解釈してはならない。それは症状そのものの再現である可能性がある。
階層Bである。n は合計20名と小さく、実験室での急性負荷の測定であり、日常生活での発作頻度を直接測ったものではない。また対象は閉経後女性であり、閉経移行期の女性に同じ幅の消失があるかは、この研究からは言えない。
08「冷え」という訴えの扱い方
冷えは、日本の施術室でもっとも頻繁に語られ、国際的にはもっとも定義が定まっていない訴えである。この章は、冷えを測る試みがどこまで進んでいるかを確認し、そして灸との関係については何も分かっていないことを明示する。
8-1 冷えは疾患名ではない
冷え症は医学的な診断名ではない。しかし日本語圏では研究対象として扱われ、英語論文でも hiesho という語がそのまま用いられている。定義は研究ごとに異なり、大きく二つの流儀がある。
- 質問票による定義
- 自覚症状の項目群から判別式を作る。Sakaguchi らは学生1,146名を対象に24項目・4段階の質問票から冷え症の判別尺度を構成した[8]。
- 温度差による定義
- 体表の部位間の温度差を閾値で切る。Tsuji らは地域在住者889名(平均62.4 ± 8.8歳)を対象に、サーモグラフィで前額と指尖の温度差が8℃以上を冷え症と定義した[9]。Kono らは体表と深部の温度差が6℃を超えることを基準に用いている[10]。
定義が違えば有病率も違う。同じ「冷え症」という語の下で、8℃を境にした集団と、質問票で切った集団と、自覚だけの集団が並んでいる。冷えに関する数値を引用するときは、必ず定義を併記する。
8-2 どれくらいの人が該当するのか
| 研究 | 対象 | 定義 | 頻度 |
|---|---|---|---|
| Suzuki ら 2024[11] | 10県14病院の女性看護師 1,138名 | 自己報告 | 毎日の冷え 44.3%/冷え症 21.4% |
| Tsuji ら 2022[9] | 地域在住者 889名 | 前額−指尖 ≥ 8℃ | 22.7% |
Suzuki らの調査では、63.1%が看護業務中に手の冷えを経験し、28.1%が手の冷えによる不快感を報告した[11]。Tsuji らは危険因子として高齢・女性・低BMI・高血圧・貧血・身体不活動を挙げ、ロジスティックモデルの判別能を AUC 0.737 と報告している[9]。
8-3 冷えの背後にある生理——自律神経
Kono らは健常な閉経前女性43名(18〜47歳)を対象に、月経周期の両相で自律神経活動と血管内皮機能を測定した[10]。25名が両相を通じて冷えの基準を満たし(持続CSC群)、8名は満たさず、10名は時期により変動した。
結果は、持続CSC群は卵胞期において非CSC群より交感神経活動が高かった(p = 0.042)ことであった[10]。反応性充血指数(RHI、血管内皮機能の指標)は両群で同等であった。ただし40歳未満に限ると、卵胞期のRHIが40歳以上より低かった(p = 0.045)[10]。
症状の広がりについては、Mori らが若年女性271名を対象に、冷えの因子が口渇(r = 0.332)、下肢浮腫(r = 0.450)、のぼせ(r = 0.470)、肩のこり(r = 0.311)、冷えを伴うのぼせ(r = 0.726)、疲労(r = 0.359)と相関することを報告している[12]。同研究では SF-8 の身体的側面(β = −0.387、P < 0.001)と精神的側面(β = −0.243、P < 0.001)に負の関連が示された[12]。
8-4 日本で灸は実際にどこで使われているか
冷えに対する灸の効果を測った研究には到達できていない(第14章)。一方、灸が実際にどれだけ使われているかについては、査読誌に報告された全国調査がある。
Kondo と Asaka は全国の助産師を対象に横断調査を行い、1,677名から回答を得た(回答率58.8%)[13]。妊婦の冷えに対して1,494名(89.1%)が保健指導を、1,136名(67.7%)が身体的ケアを提供していた。介入の内訳は靴下の着用87.9%、足浴85.8%、灸13.3%、テルミー療法5.1%であった[13]。最も多く報告された健康への影響は母体循環の障害(1,535名、91.5%)であった。
妊婦本人を対象とした調査では、Watanabe らが394名の回答を分析し、施術者によるCAMの利用が75名(19.0%)、その内訳として漢方7.9%、カイロプラクティック6.9%、灸6.4%、鍼5.3%を報告している[14]。
いずれも利用実態の調査であり、効果の証拠ではない。また対象は妊婦であって、婦人科一般の患者ではない。ここに挙げたのは、日本において灸がどの程度の頻度で臨床の現場に置かれているかを示す、査読誌に載った数少ない定量データだからである。
8-5 冷えの自己ケアで測られた唯一のRCT——ただし灸ではない
冷えに対する自己ケアの無作為化比較試験は存在する。Nakamura と Horiuchi は妊娠28〜33週で冷えを有する妊婦を対象に、介入群73名にレッグウォーマーの着用・運動・ツボの圧迫を4週間行わせ、対照群67名と比較した[15]。結果は、腕の皮膚温が対照群より3.0℃高く(p < 0.001)、脚の皮膚温が1.93℃高かった(p = 0.02)[15]。
この試験の介入はレッグウォーマー・運動・ツボ圧迫であり、灸は含まれていない。したがってこの結果を灸の根拠として引くことはできない。しかしこの試験は、別の意味で施術者にとって重要である。冷えの皮膚温は、レッグウォーマーを履くという単純な行為で数℃動く。灸を用いる場合、比較すべき相手はここである。何もしないことではなく、保温である。この基準を置かないまま「灸で温まった」と述べることは、比較を省略した主張になる。
冷えを客観的に判定する試みは進んでいる。Wang らは若年女性62名を対象に冷却試験後の足部温度回復率を測り、内側中足部の15分後の値に群間差を認め、判別閾値を回復率44.68%未満、AUC 0.701 と報告した[16]。冷えを自覚のみで扱う段階から、測れる量として扱う段階への移行が進んでいる。
灸が届きうる経路
「お腹を温めると子宮の血流がよくなる」という説明は、婦人科の灸でほぼ必ず使われる。この部は、その説明を支える測定値を探し、見つかったものと見つからなかったものを分ける。結論は、読者の期待とは違う場所にある。
この部を読むと灸の熱が骨盤内に届くという説明を、どこまで測定が支えているかを指させるようになる。
09腹部を温めると内臓の血流はどう動くか
ヒトの腹部を温めて内臓の血流を実測した研究は存在する。ただし測られたのは子宮ではなく上腸間膜動脈であり、被験者は全員男性である。この二つの限定が、本章の要点である。
9-1 研究の設計
Takayama らは健常男性24名(平均31.2 ± 6.9歳)を対象に、臍周囲に直径10cmの加温ディスクを当て、40〜41℃で20分間の腹部加温を行い、超音波パルスドプラで血流量を測定した[17]。画像取得の技術的失敗により3名を除外し、21名を解析している。
9-2 上腸間膜動脈は増え、上腕動脈は減った
| 時点 | 上腸間膜動脈(mL/分) | p |
|---|---|---|
| ベースライン | 822.1 ± 109.3 | — |
| 加温中 | 1045.0 ± 143.5 | < 0.01 |
| 加温後 10分 | 1062.8 ± 153.6 | < 0.01 |
| 加温後 20分 | 986.3 ± 129.8 | < 0.05 |
| 加温後 40分 | 882.1 ± 119.3 | 有意差なし |
一方、上腕動脈の血流量はベースライン246.3 ± 25.2 mL/分から、加温後40分の時点で195.3 ± 21.1 mL/分へ低下した(p < 0.01)[17]。
単位 mL/分。棒の長さは 1320 mL/分 を全幅とした比率
単位 mL/分。棒の長さは 330 mL/分 を全幅とした比率
9-3 これは「増加」ではなく「再配分」である
同じ加温で、腹部の内臓血流は増え、上肢の血流は減った。全身の心拍出量が同時に2割増えたのではなく、血流の配分が変わったと読むのが自然である。この読み方は、既刊『灸と血流の生理学②』が全身作用について述べた結論と一致している。
著者ら自身が「小標本のパイロット研究であり、対照群も無作為化もない。被験者は全員男性であった」と明記している[17]。階層Bである。
この研究が示したのは「腹部の体表を40〜41℃に温めると、上腸間膜動脈の血流が有意に増える」ことである。示していないのは、子宮動脈の血流がどうなるか、女性で同じことが起きるか、そして灸で同じ変化が起きるかである。加温の手段は電気的な加温ディスクであって灸ではない。したがって「灸でお腹を温めると子宮の血流が増える」という説明は、この研究を根拠にはできない。言えるのは「腹部体表の加温は腹部内臓の血流配分を変えることが、男性で示されている」までである。この一文の長さが、現在の根拠の長さである。
10灸と自律神経——15名で測られたこと
灸そのもので測られたヒトの生理反応は存在する。ただしそれは下肢の一点への刺激であり、測られたのは心拍と心拍変動である。骨盤内の臓器は測られていない。
10-1 研究の設計と結果
Nakahara らは健常者15名(男性11名・女性4名、平均20.8 ± 0.4歳)を対象に、7日間隔の無作為クロスオーバー試験を行った[18]。介入は右下腿の足三里(ST36)への間接灸である。
| 指標 | 加熱前 | 加熱時 | p |
|---|---|---|---|
| 皮膚温 | 29.9 ± 1.4℃ | 45.3 ± 3.3℃ | < 0.001 |
| 心拍数 | 63.0 ± 7.8 bpm | 60.8 ± 7.8 bpm | < 0.05 |
| RMSSD | 52.0 ± 27.1 ms | 64.3 ± 37.2 ms | < 0.05 |
| 血圧 | 79.0 ± 9.6 mmHg | 81.2 ± 11.4 mmHg | 有意差なし |
皮膚温が45.3 ± 3.3℃まで上昇し、心拍数が有意に低下し、心拍変動の指標である RMSSD が有意に増加した[18]。血圧には有意な変化がなかった。
この研究の測定値は既刊『灸と神経生理学② 脳と全身への波及』でも扱っている。本書が再掲するのは、婦人科領域で「灸で自律神経が整う」という説明が用いられるとき、その根拠として引かれうる数少ないヒトのデータがこれだからである。数値の詳細な検討は既刊にゆだねる。
10-2 著者が挙げた限界
著者らは次の三点を限界として挙げている[18]。
- 被験者の25%が女性であり、月経周期を統制していない。月経周期は自律神経活動に影響する。
- 刺激時間と刺激部位によって循環反応は変わりうる。
- 小さな領域への刺激で得られた所見を、より広い温熱療法へ一般化することはできない。
一つめの限界は、婦人科領域にとって皮肉なほど重要である。この研究は、女性の自律神経反応が月経周期のどこにあるかを問わずに平均している。婦人科の訴えに灸を用いる施術者が知りたいのは、まさにその周期依存性である。「灸は自律神経に作用する」という一般的な主張と、「この患者の、この周期の、この時点で何が起きるか」という臨床の問いのあいだには、まだ研究が置かれていない。
11子宮血管への作用は、ラットでしか測られていない
灸が子宮の血管とプロスタグランジンに作用するかを直接調べた研究は存在する。動物実験である。この章はその内容を正確に伝え、同時にそれがヒトの話ではないことを明示する。
11-1 研究の設計
Li らは3か月齢の雌 Sprague-Dawley ラット40匹を4群(各10匹)に分けた[19]。
- A群
- 生理食塩水対照
- B群
- 対照+灸
- C群
- 原発性月経困難症モデル
- D群
- モデル+灸
モデルは安息香酸エストラジオールの皮下注(1日目と10日目に0.5 mg、2〜9日目に0.2 mg)に続き、オキシトシンを腹腔内注(1匹あたり2単位)して作成された[19]。灸は三陰交(SP6)と関元(CV4)に対し、皮膚から2〜3 cm の距離で1日20分・10日間連続で行われた[19]。
11-2 結果——血管径は動いたが、PGF2αは動かなかった
| 指標 | モデル群 対 対照群(C 対 A) | 灸 対 モデル(D 対 C) |
|---|---|---|
| 子宮微小血管径 | 明らかに細くなった(P < 0.0001) | 有意に太くなった(P < 0.0001) |
| PGF2α | 上昇(P < 0.05) | 低下の傾向にとどまり有意でない(P > 0.05) |
| PGE2 | 上昇(P < 0.0001) | 低下(P < 0.05) |
著者らは「微小血管を拡張し、微小循環の障害を改善し、子宮の腫脹を緩和しうる」と結論している[19]。同時に、プロスタグランジンの変化は傾向にとどまったことを自ら限界として挙げ、その理由として治療期間・周期・灸量の不足の可能性を述べ、今後は用量反応関係と最適な介入時期を検討すべきだとしている[19]。
この研究の結論と、報告された数値の向きに、注意すべきずれがある。原発性月経困難症の病態の中心は PGF2α である(第2章)。ところが本研究で灸が有意に下げたのは PGE2 であり、PGF2α は有意に下がっていない(P > 0.05)[19]。にもかかわらず著者らは、灸が「PGF2α の含量を減らすことによって」作用すると結論している[19]。結論の文が、自分たちの表に載せた有意性の判定と一致していない。したがって「灸が PGF2α を下げることで月経困難症を改善する」という機序の説明は、この研究のデータでは支持されていない。本書は結論ではなく、報告された数値のほうを採る。
階層Cである。ラットにエストラジオールとオキシトシンを注射して作った状態は、ヒトの原発性月経困難症ではない。また灸の条件——皮膚から2〜3 cm、1日20分、10日連続——は、体重300g前後の動物に対する刺激量であり、ヒトへ直接換算できない。この研究から臨床が受け取れるのは、機序として血管径の変化という経路があり得ることが動物で示されたという一点である。それは仮説の格上げであって、効果の根拠ではない。
安全性と連携の判断
婦人科領域で灸を行うときの危険は、熱傷だけではない。この部では有害事象の実数を確認し、そのうえで「行う/行わない/確認する」を分ける判断を組み立て、最後にこの巻の空白を列挙する。
この部を読むと行う/行わない/確認するを、事前確率にもとづいて分けられるようになる。
12婦人科領域に固有のリスク
灸の有害事象は系統的に集計されている。集計された事象と、集計されない事象がある。婦人科領域でとくに重いのは後者である。
12-1 症例報告から集計された有害事象
Xu らは灸の有害事象に関する症例報告を系統的に集め、6か国・24論文・64例を同定した[20]。国別の内訳は中国51例(12論文)、米国6例(5論文)、韓国4例(4論文)、スペイン1例(1論文)、日本1例(1論文)、イスラエル1例(1論文)である。
| 事象 | 症例数 | 論文数 |
|---|---|---|
| 熱傷 | 43 | 6 |
| アレルギー | 7 | 6 |
| 感染 | 6 | 6 |
| 胎児への害 | 2 | 2 |
| 悪心・嘔吐 | 2 | 1 |
| 咳 | 1 | — |
| 基底細胞癌 | 1 | 1 |
| 眼瞼外反 | 1 | 1 |
| 死亡 | 1 | 1 |
著者らは「施術者の技能の向上、操作の規格化、そして時間・距離・用量・保護の管理が有害反応の発生を減らし、灸の安全性を高める」と結論している[20]。
Park らは14のデータベースを検索し、有害事象が報告されていたのは無作為化試験4件、対照試験1件、観察研究2件、症例報告13件、前向き研究1件であったと報告している[21]。臨床試験で記録された事象は発赤、水疱形成、痒み、煙による不快、疲労感、胃部不快、頭痛であった。妊婦については心窩部または片側下肋部の圧痛と圧迫感、悪心を伴うまたは伴わない不快な臭気と咽喉の問題、腹痛、早産、前期破水、前置胎盤への過度の圧迫による出血が報告されている[21]。著者らの結論は「灸は完全に無リスクではない」であり、発生率は不明であるため大規模な前向き研究が必要だとしている[21]。
これらは分母のない数字である。64例という数は、何万回の施術に対して64例なのかが分からない。症例報告のレビューは、起こりうる事象の種類を教えるが、頻度は教えない。Park ら自身が発生率は不明と述べている[21]。「64例しかないから安全」と読むことも、「死亡例があるから危険」と読むことも、どちらも誤りである。
12-2 集計されない三つのリスク
婦人科領域では、上の表に載らないリスクのほうが重い。
- 受診の遅れ。第3章で述べた。慢性骨盤痛または不妊を訴える集団の35〜50%が子宮内膜症をもつ[2]という事前確率のもとで、痛みだけを緩和することは、診断を遅らせる方向に働きうる。この経路は有害事象として集計されない。
- 妊娠に気づいていない時期の施灸。妊娠を希望して来院している患者は、定義上、妊娠している可能性がある期間に施術を受けている。灸の有害事象一覧には胎児への害2例と早産・前期破水が含まれる[20][21]。妊婦に対する灸の判断は既刊『灸の臨床|産科① 病態と適応』で扱った。婦人科の患者に対しても、最終月経と妊娠の可能性の確認は、腹部・下肢への施灸の前提である。
- 更年期患者への上半身の加温。第7章で見たように、症状のある閉経後女性の熱中性帯は直腸温で0.0℃まで狭まっている[7]。運動負荷という軽度の熱負荷で全員にホットフラッシュが起きた[7]。施術中の温熱刺激と室温は、この患者群にとって症状の誘発因になりうる。
安全性の管理は、熱傷を出さないことに尽きない。婦人科領域における安全性の中心は、鑑別と連携である。具体的には三つを常に行う。(1) 婦人科的評価の有無を必ず確認する。(2) 最終月経と妊娠の可能性を確認する。(3) 更年期のホットフラッシュを訴える患者では、加温部位と室温を症状の誘発因として管理する。この三つは、どの安全性レビューにも「介入」として書かれていないが、報告された有害事象の一覧よりも高い頻度で臨床判断を変える。
13行う/行わない/確認する
この章は、本書の内容を一枚の判断に落とす。効果の議論を一切含まないまま、それでも施術の可否は決められる。決められるようにするのが、この巻の目的であった。
13-1 五段階のリスク区分
| 区分 | 状況 | 取るべき行動 |
|---|---|---|
| 1 行わない | 急性の下腹部痛、発熱を伴う骨盤痛、不正出血が続いている、妊娠の可能性があり本人も未確認 | 施灸せず、当日の医療機関受診を勧める |
| 2 確認してから | 婦人科的評価を一度も受けていない月経痛・不妊の訴え | 受診を勧め、評価の結果を確認したうえで開始する。並行して行う場合はその旨を患者と合意する |
| 3 条件つきで行う | 器質疾患の診断がついており治療中である | 主治医の治療を代替しないことを明示し、標準治療の継続を前提に補助として行う |
| 4 通常どおり行う | 婦人科的評価済みで器質疾患が否定され、標準治療の情報提供も済んでいる | 施術する。効果の説明は第2巻の確実性の語彙に従う |
| 5 部位と強度を変える | 更年期のホットフラッシュを主訴とする | 上半身の強い加温を避け、室温を管理する。施術中の暑さの訴えを「好転」と解釈しない |
13-2 問診で必ず取る六項目
- 初経の年齢と、痛みが始まった時期(原発性は初経後まもなく始まる[1])
- 痛みの経過——年々重くなっているか
- NSAIDs の使用状況と効き方[1]
- 月経期以外の下腹部痛・性交痛・排便痛の有無
- 婦人科の受診歴と検査歴
- 最終月経と妊娠の可能性
この六項目は、いずれも本書で挙げた報告値に対応している。項目を減らすことはできるが、減らした分だけ判断の根拠が薄くなる。
13-3 患者に伝えるべきこと
効果の説明は第2巻に譲る。この巻の範囲で伝えるべきことは三つある。
- 温熱そのものは標準治療の一部である
- StatPearls は月経困難症の非薬物療法のベースラインを「温熱の適用と運動」としている[1]。灸を特別なものとして提示する必要はない。
- 灸は鑑別の代わりにならない
- 痛みが軽くなることは、器質疾患がないことを意味しない[2]。
- 標準治療をやめる理由にはならない
- NSAIDs は第一選択薬である[1]。灸の併用は、その中止を意味しない。
この三つを言えるかどうかが、婦人科領域における施術者の信頼を決める。効果を大きく語ることではなく、境界を正確に語ることが、この領域で唯一防御可能な立場である。境界を語る施術者は、患者が医療機関で受けた説明と矛盾しない。矛盾しないことが、継続して選ばれる条件になる。
14未解決問題——この巻の空白
この巻を書くために行った調査で、到達できなかったものを列挙する。抽象的な「今後の研究が必要である」ではなく、次に測るべき対象の形で書く。
14-1 ヒトの子宮血流を灸で測ったデータがない
本書の調査範囲では、灸がヒトの子宮動脈または子宮内膜の血流を変えるかを直接測定した査読済み研究に到達できなかった。存在するのは次の二つである。
- ヒトの腹部体表加温による上腸間膜動脈の血流変化。ただし加温手段は電気的な加温ディスクであり、被験者は全員男性である[17](第9章)。
- 灸による子宮微小血管径の変化。ただしラットである[19](第11章)。
この二つの間には、「ヒトの女性」「灸」「子宮」という三条件を同時に満たす測定が存在しない。必要な研究は具体的である。健常女性または月経困難症の女性を対象に、月経周期の相を統制し、下腹部への施灸前後で子宮動脈の血流指標(PI・RI)を経腟超音波で測る。技術的な障害はなく、盲検化の困難も、偽灸を用いれば産科領域と同程度である。
14-2 冷えに対する灸の対照試験がない
冷えに対する自己ケアの無作為化比較試験は存在するが、その介入はレッグウォーマー・運動・ツボ圧迫であり、灸を含まない[15]。灸を介入とし、保温を対照とした冷えの対照試験に、本書は到達できなかった。
この空白は、日本の臨床実態と乖離している。全国の助産師の13.3%が妊婦の冷えに灸を用いており[13]、妊婦の6.4%が施術者による灸を受けている[14]。使われている量に対して、測られている量が少ない。
14-3 月経周期を統制した灸の生理実験がない
灸のヒト生理実験は、女性被験者を含む場合でも月経周期を統制していない[18]。著者自身がこれを限界として挙げている。婦人科領域の施術は周期のどこで行うかを問題にするのに、その周期依存性を測った灸の実験に到達できていない。
14-4 Cochrane が灸を対象外にしている
月経困難症に関する Cochrane レビュー(Smith ら 2016)は、「少数の経穴への minimal moxibustion の適用は含めたが、灸単独の試験は除外した」と明記している[22]。同レビューは42のRCT・4,640名を統合し、鍼と指圧について「原発性月経困難症の治療において有効かどうかを示す十分なエビデンスはない」「すべての比較で証拠の質は低いか非常に低い」と結論している[22]。
すなわち、この領域でもっとも権威のある系統的レビューは、灸を評価していない。灸の統合値は第2巻で扱うが、それらはいずれも Cochrane の枠外にある。
本書の調査範囲で見出せなかったもの——(1) 灸によるヒト女性の子宮血流の実測、(2) 灸を介入・保温を対照とした冷えの対照試験、(3) 月経周期を統制した灸のヒト生理実験、(4) 月経困難症に対する灸の Cochrane による評価。いずれも「まだ測られていない」であって「効かないことが示された」ではない。
この空白の一覧は、施術を諦める理由ではない。患者に何を言ってよいかの境界線である。「灸で子宮の血流がよくなります」は、現時点で言えない。「腹部を温めると腹部内臓の血流配分が変わることは男性で測られていますが、子宮についてはまだ測られていません」は言える。後者を言える施術者は少ない。それが差になる。
理解度チェック
本書の内容から8問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。設問はすべて本文に記載した報告値・記述に対応しており、各問には該当章へのリンクを付けました。自己確認のための演習であり、資格や技能を証明するものではありません。
月経周期を動かしている軸はどれか。
視床下部が GnRH をパルス状に分泌し、下垂体前葉が FSH と LH を出し、卵巣がエストラジオールとプロゲステロンを分泌して視床下部・下垂体に戻る。この輪は大部分の期間、負のフィードバックで回っており、排卵直前だけ向きが反転して LH サージが起こる。根拠:第1章
原発性月経困難症の痛みは、どう説明されているか。
原発性月経困難症は器質的な原因を伴わない月経痛で、プロスタグランジンを介した子宮の過収縮と虚血として説明される。標準治療はこの経路を直接遮断する薬剤である。有病率の報告は 16〜91% と幅があるが、これは頻度の差ではなく定義の不統一を反映している。根拠:第2章/[1]
続発性月経困難症の原因として、施術室でもっとも高い確率で遭遇するのはどれか。
子宮内膜症は生殖年齢の女性のおよそ 10% にあり、慢性骨盤痛または不妊を訴える患者では有病率が 35〜50% に達すると記述されている。原発性と続発性は痛みの性質だけでは分けられない。分けるのは、疾患を探したかどうかである。根拠:第3章/[2]
DSM-5 における PMDD の診断で決定的な要件はどれか。
PMDD は症状の内容ではなく時間的な配置で定義される。したがって過去を振り返った聞き取りでは診断が付かず、少なくとも2周期の毎日の前向き評定が要件になる。記録がなければ、施術の効果判定もできない。根拠:第4章/[4]
WHO による不妊の定義はどれか。
定義に含まれるのは期間だけで、原因は問われない。「不妊」は診断名ではなく状態の名前であり、男性因子・卵管因子・排卵障害・子宮内膜症・原因不明が同じ言葉で括られている。だから「不妊に灸は効くか」は、そのままでは答えられない問いである。根拠:第5章/[3]
更年期のホットフラッシュの病態として、測定に基づく理解に合うのはどれか。
ホットフラッシュは体温調節の許容幅(熱中性帯)が消失した状態で起こる、正常な放熱反応として説明されている。前向きコホートでは血管運動症状の総持続期間の中央値は 7.4 年、最終月経後も 4.5 年続くと報告されており、短期間で自然消失する症状ではない。根拠:第7章/[6]
「灸で腹部を温めると子宮の血流が増える」という説明について、正しいのはどれか。
存在するのは、ヒトの腹部加温による上腸間膜動脈の血流変化(加温は電気ディスク、被験者は全員男性)と、灸による子宮微小血管径の変化(ラット)の二つである。「ヒトの女性」「灸」「子宮」の三条件を同時に満たす測定はない。根拠:第14章/[17][19]
施灸せず、その日のうちに医療機関の受診を勧めるべき状況はどれか。
急性の下腹部痛、発熱を伴う骨盤痛、続く不正出血、妊娠の可能性があり本人も未確認——これらは施灸せず当日の受診を勧める区分である。婦人科的評価を一度も受けていない月経痛や不妊の訴えは、受診を勧め、評価の結果を確認したうえで開始する。根拠:第13章
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引用文献
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灸の臨床|婦人科① 病態と適応
第1版 2026年8月25日発行
数値の出所について。本書に記載した数値は、すべて原著論文またはガイドライン・教科書の報告値である。編者が計算・換算・丸めた値は含まない。図9-1は測定波形ではなく、報告値を並べた図であり、キャプションにその旨を記した。研究の確実性は Cochrane の語彙(高・中等度・低・非常に低)に寄せて記述し、動物実験と単群前後比較をヒトの無作為化比較試験と同じ書き方で並べていない。
この巻が扱わないこと。本書は灸の効果量を扱わない。それは第2巻『灸の臨床|婦人科② エビデンスと臨床判断』の役割である。また本書は診断の手引きではなく、疾患の確定診断の基準・画像診断・薬物療法の用量は扱わない。経穴の選定・壮数・施術手技の指導も行わない。示したのは、訴えの分類と、施術の可否を分ける判断である。
発行と利益相反。本書の発行者は合同会社YOMOGI BASEである。同社はよもぎ・お灸に関連する商品を扱う事業者であり、この利害関係を開示したうえで、本書では特定の商品・サービス・銘柄に一切言及せず、効能をうたわない編集方針を採っている。文献の選定・数値の引用・空白の明示は、事業上の利害と独立して行った。自社および自社関係者による発信は、査読の有無にかかわらず出典として用いない。
ご利用にあたって。本書は教育・研究目的の学術情報であり、個々の患者に対する診断・治療方針を示すものではない。臨床判断は、施術者自身の責任において、患者の状態と関連法規に基づいて行われたい。婦人科疾患の診断と治療は医師の管轄である。
改版履歴。2026年8月25日 第1版発行。