3分で要点だけ
本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。
- 褥瘡に対する灸のメタ解析は、2件とも撤回されている理由はいずれも毀損された査読プロセス。集積された根拠は現時点で存在しない
- レイノー現象は、標準治療でも発作が週1.72回減るだけである重症度にはほとんど効果がないことが、高い確実性で示されている
- 糖尿病の灸試験が測っているのは神経伝導速度である経皮酸素分圧・足関節上腕血圧比など循環そのものを測った灸のヒト試験には到達できなかった
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主訴の冷えと、疾患の冷えを分ける
第1巻は「冷え」という主訴を扱った。この巻が扱うのは、冷えが症状の一部として現れる疾患である。レイノー現象、糖尿病性の末梢障害、褥瘡。これらは診断名を持ち、診療ガイドラインを持ち、標準治療を持つ。灸を論じる前に、まずその座標を確認する。
この部を読むと標準治療のある領域では、灸の数値を単独で読まないという順序が身につく。
00主訴の冷えと、疾患の冷えを分ける
この巻の読み方は一つである。標準治療がある領域では、灸の数値を単独で読まない。必ず標準治療の効果量を隣に置く。それをしないかぎり、灸の数字は大きくも小さくも見せられる。
0-1 二つの巻の境界
| 項目 | 第1巻『冷え症 訴えを測る』 | 本書『末梢循環障害』 |
|---|---|---|
| 対象 | 冷えという主訴 | 診断名を持つ疾患 |
| 診断基準 | 存在しない(研究ごとに定義) | 存在する |
| 標準治療 | 確立していない | 存在する(薬物・創傷管理など) |
| 主な指標 | 自覚・体表温度差 | 発作回数・神経伝導速度・創面積 |
| 灸の位置づけ | セルフケアの選択肢 | 標準治療への追加、あるいは補完 |
0-2 エビデンスの階層
| 階層 | 研究デザイン | 典型的な弱点 |
|---|---|---|
| A | 偽対照を置いた盲検RCT/Cochraneレビュー | 本数が少ない。偽刺激の妥当性 |
| B | 健常者を対象とした客観指標の実験・大規模横断調査 | 短時間の観察。因果を示さない |
| C | 動物実験(機序解明) | 刺激条件がヒト臨床と異なる |
| D | 非盲検RCT/単群前後比較 | 期待効果と出版バイアスが大きい |
| E | 症例報告・専門家調査・非査読の実測報告 | 査読なし、あるいは個別事例 |
系統的レビューとメタ解析は形式としては階層Aに置かれる。しかし含まれた個々の試験が階層Dであれば、プールされた効果量もまた階層Dの制約を引き継ぐ。本書では、レビューの形式ではなく、含まれた試験の中身によって階層を判断する。第13章では、撤回されたメタ解析を扱う。
この巻に登場する疾患を持つ患者に対して、施術者が最初に行うべきは灸の適否の判断ではない。その患者が、その疾患について適切な医学的管理を受けているかどうかの確認である。レイノー現象の背景に膠原病があることがあり、糖尿病性の足病変は切断に至ることがあり、褥瘡は感染の入口になる。灸は、これらの管理と並行して行うものであって、代わりに行うものではない。
鑑別
この部は、施術所で冷えを訴える患者のなかから、疾患として扱うべき所見をどう拾うかを扱う。数値より前に、見分けの話である。
この部を読むと冷えを訴える患者から、医療機関での評価が必要な所見を問診だけで拾えるようになる。
01レイノー現象とはどういう所見か
レイノー現象は、冷え症と混同されやすいが別の概念である。この章は、その所見と頻度を確認する。
1-1 所見の定義
Cochrane レビューは一次性レイノー現象を、「寒冷または情動に対する過剰な血管攣縮反応を特徴とする一般的な状態であり、古典的には指趾(手指と足趾)が白色、次に青色、次に赤色へと変化する」と記述している[4]。
ここに含まれる要素は三つある。(1) 発作性であること、(2) 誘因が寒冷または情動であること、(3) 色調変化を伴うこと。この三つは、第1巻で扱った冷え症の定義(自覚、あるいは体表の温度差)とは重ならない。
1-2 頻度
観察研究の系統的レビューとメタ解析は、33論文・33,733 名(コホート2件、横断研究17件、症例対照研究14件)を対象に一次性レイノー現象の疫学をまとめている[1]。
| 指標 | 推定値 | 95%信頼区間 |
|---|---|---|
| 有病率 | 4.85% | 2.08 〜 8.71% |
| 年間発症率 | 0.25% | 0.19 〜 0.32% |
危険因子として、女性、家族歴(もっとも強い関連)、喫煙、手作業を伴う職業、片頭痛が挙げられている[1]。既婚者ではリスクが低かった[1]。著者らは、研究間で定義が大きく異なっていたことを指摘し、統一された基準を用いた研究を推奨している[1]。
有病率の95%信頼区間は 2.08% から 8.71% まで広がっている。この幅の大きさ自体が、定義が揃っていないことの表れである。第1巻で見た冷え症の問題は、疾患概念を持つレイノー現象でも、程度を変えて存在している。
施術所で冷えを訴える患者に対して、次の三点を必ず問診に入れる。(1) 冷えは発作的に起きるか、それとも持続的か。(2) そのとき指の色が変わるか。変わるとしたら何色か。(3) 誘因は寒さだけか、緊張したときにも起きるか。
発作性で色調変化を伴うなら、それは冷え症ではなくレイノー現象の疑いであり、次章の鑑別が必要になる。問診でこの三点を取るのに、器械も時間も要らない。
02一次性と二次性——見逃してはならない所見
レイノー現象には、背景疾患を持たない一次性と、膠原病などに伴う二次性がある。施術者にとっての実務上の重要性は、この区別が医学的評価の必要性を左右することにある。
2-1 二つの型
Cochrane レビューの記述にあるとおり、一次性レイノー現象は背景となる疾患を持たないものを指す[4]。これに対し、二次性は基礎疾患に伴って生じる。
第6章で扱う鍼の系統的レビューは、含まれた6試験のうち「1試験(17%)は全身性強皮症、混合性結合組織病、または全身性エリテマトーデスに続発するレイノー症候群の患者を含んでいた」と記述している[5]。すなわち臨床研究の場面でも、一次性と二次性は同じレビューの中に混在しうる。
2-2 施術者が拾うべき所見
本書は診断の教材ではない。医学的評価の必要性を判断するための所見を、以下に整理する。いずれも本書が引用した文献の記述に基づく範囲にとどめる。
- 発作性と持続性の別
- レイノー現象は「過剰な血管攣縮反応」であり、発作として起こる[4]。一日中冷たいという訴えとは経過が異なる。
- 色調変化の有無
- 白→青→赤という古典的な変化が記述されている[4]。ただし三相すべてが揃わないこともある。
- 爪郭の毛細血管所見
- 第7章で扱う試験は、爪郭毛細血管鏡による寒冷負荷試験を評価項目に用いている[6]。専門機関で行われる検査である。
- 背景疾患の有無
- 全身性強皮症などに続発する型が存在する[5]。
施術所での判断は単純にできる。指趾の色調変化を伴う発作性の冷えを訴える患者で、まだ医療機関で評価を受けていない場合は、受診を勧める。これは灸を否定するためではない。二次性であれば背景疾患の治療が優先され、その評価は施術所ではできないからである。
受診を勧めたうえで灸を続けることは何ら矛盾しない。矛盾するのは、評価を受けないまま灸だけで経過を見ることである。
03冷えを訴える集団に多い疾患・少ない疾患
冷えを訴える人に、どのような慢性疾患が多いのか。韓国の大規模な多施設研究がこの問いに答えている。結果は、施術所での想定を修正するものである。
3-1 6,149名の解析
韓国の25の医療機関で 6,149 名のデータが解析された[2]。手足の冷え(CHHF)を訴える群 1,909 名と、訴えない群 3,017 名について、18の慢性疾患の頻度がカイ二乗検定で比較され、年齢・性別・BMI を調整したロジスティック回帰が行われた[2]。
| CHHF群で高頻度 | CHHF群で低頻度 |
|---|---|
| 貧血 | 高血圧 |
| 低血圧 | 糖尿病 |
| 慢性胃炎 | 脂質異常症 |
| 逆流性食道炎 | 脳卒中 |
| 慢性鼻炎 | 脂肪肝 |
| 月経困難症 | 狭心症 |
| 胃十二指腸潰瘍 | — |
調整後の解析では、変形性関節症、胃の疾患、鼻炎について CHHF との関連が示された[2]。著者らは「CHHF は慢性疾患と関連している。これらの関連を検証するには、さらに大規模な前向き研究が必要である」と結論している[2]。
3-2 この表の読み方
これは横断研究であり、因果の方向を示さない。冷えが貧血を引き起こしたのか、貧血が冷えを引き起こしたのか、あるいは第三の要因が両方をもたらしたのかは、この設計からは分からない。
それでも臨床的に意味があるのは、右列の並びである。高血圧・糖尿病・脂質異常症・脳卒中・狭心症は、いずれも動脈硬化性の疾患群である。冷えを訴える集団では、これらがむしろ少ない[2]。
この結果は、施術者の直観を一つ修正する。「冷えている=血管が詰まりかけている」という連想は、少なくともこの集団では支持されない。冷えを訴える人に多いのは、貧血と低血圧、すなわち熱を運ぶ血液そのものと、それを押し出す圧の不足である。
ただし、これを個々の患者にそのまま当てはめてはならない。動脈硬化性疾患を持つ人の足の冷えは、この統計の外側にある。喫煙歴のある中高年男性の片側の足の冷えと間欠性跛行は、この表が語る話とはまったく別の話である。統計は集団を語り、鑑別は個人を扱う。
レイノー現象
レイノー現象は、灸を語るうえで恵まれた領域である。妥当性が検討された評価尺度があり、標準治療の効果量が Cochrane レビューで示されている。比べる相手がいる。この部は、その座標の上に灸の数値を置く。
この部を読むとレイノー現象について、標準治療の効果量を隣に置いて灸と鍼の数値を読めるようになる。
04評価尺度は信頼できるか
第1巻では、冷えを測る尺度が未整備であることを見た。レイノー現象には評価尺度が存在する。ただし、その信頼性は指標によって大きく異なる。
4-1 プラセボ群249名から測った信頼性
Gladue らは、レイノー現象の臨床試験で用いられる評価指標の検査特性を、3つのランダム化比較試験のプラセボ群 249 名のデータから検討した[3]。評価されたのは、レイノー症状スコア(Raynaud's Condition Score、RCS)、患者による全般評価、医師による全般評価、発作時の症状、1日あたりの平均発作回数、発作の持続時間である[3]。
| 指標 | ICC | 判定 |
|---|---|---|
| 1日あたりの平均発作回数 | 0.79 | 許容範囲 |
| 発作時の症状 | 0.76 | 許容範囲 |
| レイノー症状スコア(RCS) | 0.70 | 許容範囲 |
| 発作の持続時間 | 0.61 | 許容範囲外 |
| 医師による全般評価 | 0.54 | 許容範囲外 |
| 患者による全般評価 | 0.47 | 許容範囲外 |
原著は「ICC が 0.70 以上であったのは RCS、発作時の症状、1日あたりの平均発作回数であった」と記述している[3]。
4-2 プラセボ反応の大きさ
同じ研究は、プラセボ群における改善の割合も示している。RCS については、10% 以上の改善を示した者が 56%、60% 以上の改善を示した者が 20% であった[3]。
プラセボを投与された患者の 56% が 10% 以上の改善を示す。これがレイノー現象という領域の基礎水準である。対照を置かない試験で「6割の患者が改善した」と報告されても、この数字を超えていなければ介入の効果とは言えない。
患者による全般評価の ICC は 0.47、医師による全般評価は 0.54 であり、いずれも許容範囲を下回っている[3]。「よくなりましたか」という問いも、「よくなったように見えますね」という観察も、再現性の低い測定である。
施術所で経過を追うなら、1日あたりの発作回数を患者に記録してもらう。これは ICC 0.79 でもっとも信頼性が高かった指標であり、しかも数えるだけで済む。主観の精度を上げようとするより、数えられるものを数えるほうが早い。
05標準治療の効果量——週1.72回
灸の効果を評価する前に、標準治療がどれだけのことをするのかを知っておく。この章の数字は、本書全体でもっとも重要な参照点である。
5-1 Cochrane レビューの報告
一次性レイノー現象に対するカルシウム拮抗薬の Cochrane レビューは、7つのランダム化比較試験・296 名を対象としている[4]。4試験がニフェジピン、残りがニカルジピンを検討し、6試験はプラセボ対照であった[4]。
| アウトカム | 結果 | 確実性 |
|---|---|---|
| 発作回数 | 週 1.72回 減(95%CI 0.60 〜 2.84) | 中等度 |
| 発作の持続時間 | 1試験のみ。有意差なし | 非常に低い |
| 重症度スコア | ほとんど効果なし | 高い |
| 患者の選好スコア | 4試験中1試験でのみ差 | 低い |
| 生理学的測定 | 5試験のいずれも群間差なし | — |
発作頻度の標準化平均差は 0.23(95%信頼区間 0.08 〜 0.38、P = 0.003)であり、これがプラセボと比べて週 1.72 回(95%信頼区間 0.60 〜 2.84)発作が少ないという値に換算されている[4]。
著者らの結論は次のとおりである。「本レビューに含まれたランダム化比較試験は、経口カルシウム拮抗薬が一次性レイノー現象の治療において発作頻度で測る限り最小限にしか有効でないという中等度の質のエビデンスと、重症度にはほとんど効果がないという高い質のエビデンスを提供している」[4]。
5-2 この数字が意味すること
もっとも広く処方されている薬剤が、週あたり 1.72 回の発作減少である。しかも重症度にはほとんど効かないことが、高い確実性で示されている[4]。生理学的測定を行った5試験は、いずれも群間差を検出していない[4]。
この領域では、標準治療でさえ効果は限定的である。したがって「灸の効果が小さい」ことは、この領域では失格の理由にならない。逆に「灸で発作が劇的に減った」という報告があれば、その数字はまず疑わなければならない。比較の座標を持つとは、こういうことである。
レイノー現象の患者に対して、施術者が言ってよいことと言ってはならないことが、この数字から決まる。
言ってよいこと:「薬でも発作が週に2回弱減る程度で、重症度そのものはあまり変わらないと報告されています。ですから、劇的な改善を目標にするより、発作の回数を記録しながら少しずつ様子を見るのが現実的です」。
言ってはならないこと:「薬は根本的な治療ではないので、灸で体質から変えましょう」。標準治療の効果が限定的であることは、代替手段が優れていることの根拠にならない。効果が限定的なのは、この疾患が難しいからである。
06鍼の系統的レビューを読む
レイノー症候群に対する鍼の系統的レビューとメタ解析が存在する。この章は、その報告値と、著者ら自身が付した留保を並べて読む。
6-1 含まれた試験
Zhou らは、英語と中国語のデータベースを2020年9月まで検索し、6試験・272 名をメタ解析に含めた[5]。試験の発表年は1997年から2016年、実施国はドイツ・中国・韓国である[5]。介入の内訳は手技鍼が2試験、手技鍼+灸が2試験、電気鍼が2試験であった[5]。
6-2 報告されたプールされた効果
| アウトカム | 試験数・人数 | 効果推定値(95%CI) |
|---|---|---|
| 寛解率 | 4試験・220名 | RR 1.21(1.10 〜 1.34) |
| 1日あたりの発作回数 | 2試験・52名 | WMD −0.57(−1.14 〜 −0.01) |
| 寒冷刺激試験の陽性率 | 2試験・100名 | RR 1.64(1.27 〜 2.11) |
| 寒冷誘発試験の陽性率 | 2試験・100名 | RR 0.50(0.18 〜 1.37) |
寛解率については治療必要数(NNT)が 6.39 と報告されている[5]。寒冷誘発試験については、著者らは「鍼が陽性率の低下と関連するという十分な証拠はなかった」と述べている[5]。
6-3 著者ら自身が付した留保
このレビューでもっとも重要なのは、次の三点である。
- ネットワークメタ解析では有意差が示されなかった。原著は「ネットワークメタ解析は、寛解率および1日あたりの発作回数について、いかなる鍼治療(電気鍼または手技鍼±灸)の対照に対する有効性についても有意な結果を示さなかった。標本の小ささと検出力の不足によると考えられる」と記述している[5]。
- すべての試験が高いバイアスリスクと判定された。試験登録の欠如、盲検化の不十分さ、偽刺激の不使用が理由として挙げられている[5]。
- 確実性は低い。寛解率については低い質のエビデンス、その他のアウトカムについては非常に低い質のエビデンスに基づくとされている[5]。原著の結論は「標本の小ささ、非常に低いエビデンスの質、高いバイアスリスクのため、本知見は慎重に解釈されるべきである」と述べている[5]。
ペアワイズのメタ解析では有意な差が出て、ネットワークメタ解析では出なかった。この食い違いは、結果が不安定であることの指標である。片方だけを引用することは、どちらの方向であっても誠実ではない。
第5章のカルシウム拮抗薬(週 1.72 回減、中等度の確実性)と、この鍼のメタ解析(発作回数 WMD −0.57、非常に低い確実性)を並べると、施術者が言える範囲が決まる。
「鍼で発作が減ったという報告はありますが、研究の質が低く、解析の方法を変えると差が消えます。標準治療をやめる根拠にはなりません」。これが、この表から言える最大限である。
07そのうち灸を含む試験は何件か
前章のレビューは「鍼」の系統的レビューである。本書は灸の教材である。したがって確認しなければならないことが一つある。そのプールされた数字のうち、灸が寄与しているのはどこか。
7-1 6試験の内訳を分解する
| 介入 | 試験数 | 灸の寄与 |
|---|---|---|
| 手技鍼 | 2 | なし |
| 手技鍼+灸 | 2 | 鍼と分離できない |
| 電気鍼 | 2 | なし |
灸を単独で用いた試験は含まれていない。灸が含まれる2試験でも、介入は手技鍼と灸の併用であり、どちらが効いたのかを分離することはできない[5]。
そしてネットワークメタ解析は、「手技鍼±灸」を一つのまとまりとして扱ったうえで、対照に対する有意な効果を示さなかった[5]。
7-2 もっとも詳細な単一試験——鍼のみ
このレビューに含まれる最初期の試験を見ておく。Appiah らは、一次性レイノー症候群の患者 33 名(対照16名、治療17名)を対象に、冬季23週間にわたる無作為化比較試験を行った[6]。治療群は観察期間の第10週と第11週に7回の鍼治療を受けている[6]。
| アウトカム | 結果 | p値 |
|---|---|---|
| 1日あたりの発作頻度(治療群) | 1.4 → 0.6 回 | < 0.01 |
| 発作頻度の減少率(治療群 vs 対照群) | 63% vs 27% | 0.03 |
| 毛細血管の flowstop 反応(第12週) | 71 → 24 秒 | 0.001 |
| 毛細血管の flowstop 反応(第23週) | 38 秒 | 0.02 |
対照群には有意な変化がなかった[6]。著者らは「伝統的な中国鍼は、一次性レイノー症候群の患者を治療する合理的な選択肢である」と結論している[6]。この試験に灸は用いられていない。
本書の調査範囲では、レイノー現象に対して灸を単独で用いたランダム化比較試験に到達できなかった。存在する証拠は、鍼、あるいは鍼と灸の併用についてのものである。したがって「灸はレイノー現象に有効と報告されている」という記述は、本書の到達した文献からは支持されない。
ここは、施術者が最も間違えやすい場所である。鍼灸という一語でくくられた研究成果を、灸の根拠として引用してしまう。Appiah らの試験は鍼のみであり[6]、Zhou らのレビューで灸を含む試験は6件中2件で、いずれも鍼との併用である[5]。
患者に説明するときの正確な形はこうなる。「レイノーについては鍼の研究がいくつかあります。お灸を単独で調べた比較試験は見当たりません。併せて行った研究はありますが、どちらが効いたかは分けられていません」。
この区別を守ることは、灸の価値を下げない。下げるのは、後で区別がついたときに説明が覆ることである。
糖尿病性の末梢障害
糖尿病では、灸の試験が一定数存在する。しかしそこで測られているものは、この巻の主題である循環ではない。この部は、その食い違いを正面から扱う。
この部を読むと神経の指標と循環の指標を混同せず、知覚の鈍い足への施灸のリスクを具体的に語れるようになる。
08末梢神経障害への灸——11試験927名
糖尿病性末梢神経障害に対する灸には、系統的レビューとメタ解析が存在する。まず報告された内容を、原著の数値のまま示す。
8-1 レビューの概要
Wang らは、8つのデータベースを2019年6月1日まで検索し、14日以上の治療期間を持つ灸のランダム化比較試験を対象に系統的レビューとメタ解析を行った[7]。11試験・927 名が含まれ、11試験すべてが中国で実施され、そのうち英語で発表されたのは1件である[7]。
介入群は灸と西洋医学的治療(主にメコバラミン)の併用、対照群は西洋医学的治療のみである[7]。主要アウトカムは感覚神経伝導速度(SNCV)と運動神経伝導速度(MNCV)であった[7]。
8-2 報告された効果量と異質性
| 指標 | 平均差(95%CI) | p値 | I² |
|---|---|---|---|
| 正中神経 MNCV | 6.26(2.64 〜 9.89) | 0.0007 | 98% |
| 腓骨神経 MNCV | 6.45(5.30 〜 7.61) | < 0.00001 | 63% |
| 正中神経 SNCV | 6.64(3.25 〜 10.03) | 0.0001 | 97% |
| 腓骨神経 SNCV | 3.57(2.06 〜 5.09) | < 0.00001 | 89% |
総有効率については RR = 0.25(95%信頼区間 0.18 〜 0.37、P < 0.00001)と報告されている[7]。この比がどちらの方向を表すのかは、本書が到達した記述からは判別できなかったため、本書はこの値を効果の大きさの根拠として用いない。
8-3 I² を先に見る
この表でまず見るべきは、右端の列である。I² は、試験間の結果のばらつきのうち、偶然では説明できない部分の割合を示す。正中神経の MNCV で 98%、SNCV で 97% という値は、試験ごとに結果がまったく異なっていることを意味する。
異質性がこれほど高いとき、プールされた平均差は「多くの試験に共通する効果」を表すものではない。互いに異なる結果を平均した数字であり、次の一人の患者に当てはめられる推定値としては読めない。
8-4 方法論上の限界
- 厳密なランダム化を採用していたのは 11試験のうち4試験である[7]。
- 割付隠蔽、盲検化、アウトカム評価はいずれも報告が不十分で「不明」と判定された[7]。
- GRADE による確実性の評価は行われていない[7]。
- 有害事象について記載があったのは1試験のみ(有害反応なしと報告)で、残る10試験は有害事象に言及していない[7]。
- 著者ら自身が「解析に含めたすべての臨床研究が中国で実施されており、報告された陽性の結果には出版バイアスの可能性がある」と述べている[7]。
糖尿病性末梢神経障害の患者に対して、この文献から言えることは限定される。「中国で行われた11件の研究をまとめた報告があり、標準的な薬に灸を加えた群で神経の伝導速度が速くなったとされています。ただし研究ごとの結果のばらつきが非常に大きく、有害事象を記録した研究がほとんどありません」。
そして次章で見るように、神経伝導速度が改善したことは、足の血流が改善したことを意味しない。
09神経伝導速度は循環の指標ではない
この章は短い。しかし本書のなかで、もっとも誤用されやすい論点を扱う。
9-1 何を測っているか
神経伝導速度は、末梢神経を刺激してから応答が現れるまでの時間と距離から求める、神経線維の伝導機能の指標である。前章のレビューが主要アウトカムに置いたのは、この指標である[7]。
一方、末梢循環を評価する指標は別に存在する。皮膚灌流圧、経皮酸素分圧(TcPO₂)、足関節上腕血圧比(ABI)、レーザードプラによる血流量、サーモグラフィによる皮膚温などである。これらはいずれも、組織に届く血液または酸素の量を評価する。
神経伝導速度が改善したという報告は、末梢循環が改善したという報告ではない。糖尿病性末梢神経障害と糖尿病性末梢循環障害は、しばしば同じ患者に併存するが、別の病態であり、別の指標で評価される。
9-2 なぜ混同が起きるのか
混同が起きる理由は二つある。一つは、患者の訴えがどちらでも「足が冷たい」「しびれる」と表現されること。もう一つは、灸の説明に「血流が良くなる」という言葉が使われやすいことである。
第1巻で見たとおり、健常若年者では足三里への温筒灸で足背遠位の皮膚温が 31.1℃ から 32.7℃ へ上昇したという報告がある[13]。しかしその原著自身が、「これらの結果は他の集団、たとえば末梢血流が損なわれているレイノー病の患者などには適用できない可能性がある」と限界に明記している[13]。
糖尿病の患者に対して、健常者の皮膚温データを根拠に「灸で足の血流が良くなります」と説明することは、二重の飛躍を含む。(1) 健常若年者のデータを糖尿病患者に外挿している。(2) 灸の糖尿病領域の証拠は神経伝導速度についてのものであって、循環についてのものではない。
正確な言い方はこうなる。「糖尿病の神経の障害について、灸を加えた研究はあります。足の血流そのものを測った灸の研究は、見当たりません」。
10見出せなかったもの——循環そのものの指標
本書の中心的な空白を、独立した章として置く。書かないことではなく、書けなかったことを明示することが、この章の目的である。
10-1 到達できなかった研究
本書は、糖尿病性の末梢循環障害に対する灸の臨床試験を探した。具体的には、次の指標をアウトカムに置いた灸のヒト試験である。
- 経皮酸素分圧(TcPO₂)
- 足関節上腕血圧比(ABI)
- 皮膚灌流圧
- 糖尿病性足潰瘍の治癒率・治癒までの期間
- 末梢動脈疾患における無痛歩行距離
本書の調査範囲では、これらのいずれかを主要アウトカムに置いた灸のヒト試験に到達できなかった。検索は英語・日本語・中国語圏の文献を対象とし、系統的レビューを経由した二次検索も行った。
10-2 この空白の意味
見出せなかったことは、存在しないことの証明ではない。本書の検索が及ばなかった可能性は残る。ただし、糖尿病性末梢神経障害については11試験を集めたメタ解析が存在するのに対して[7]、循環指標については同等の集積が見当たらないという非対称は、それ自体が情報である。
この空白は、次の研究者が明日着手できる粒度で書き直せる。糖尿病性末梢循環障害の患者を対象に、施灸前後の TcPO₂ または皮膚灌流圧を測定する単群試験は、既存の測定機器だけで実施できる。対照群を置かなくとも、まず何がどれだけ動くのかという記述的なデータが存在しないのが現状である。
この空白は、施術者にとって二つの実務的帰結を持つ。
(1) 説明として使えない。糖尿病性の足の冷えに対して「灸で血流を良くする」と言うことの裏づけは、現時点でない。
(2) 経過観察の責任が重くなる。効果が定量されていない介入を、足病変のリスクを持つ患者に行うのだから、施術のたびに足を見る。色、温度、傷、爪、指の間。これは灸の効果判定ではなく、次章で扱う安全管理としての観察である。
11知覚の鈍い足に熱を置くということ
この章が、本書でもっとも実務に直結する章である。糖尿病患者への施灸には、他の患者とは異なる危険がある。
11-1 報告された症例
2026年に報告された症例を、経過に沿って示す[11]。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 患者 | 61歳男性 |
| 背景 | 2型糖尿病(コントロール不良、HbA1c 8.2%)、末梢神経障害 |
| 施灸の理由 | 1年来の慢性腰痛 |
| 生じた損傷 | 腰部正中に 3 cm × 3 cm、出血を伴うII度熱傷 |
| 起炎菌 | メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA) |
| 転移性病巣 | T8–T9 椎体骨髄炎、脊髄圧迫を伴う硬膜外膿瘍、右胸壁膿瘍、肝S2の微小膿瘍、右上葉肺炎、縦隔・肺門リンパ節腫脹 |
| 経過 | 発熱から両下肢筋力低下、尿閉、急性の神経学的悪化へ進行 |
| 治療 | バンコマイシン6週間、局所デブリードマン(外科的ドレナージは経済的理由で拒否)、のちセファゾリンへ変更 |
| 転帰 | 感染は制御されたが、対麻痺と尿閉が残存しリハビリテーションへ転院 |
著者らは「コントロール不良の糖尿病患者では、施灸による軽微な熱傷でさえ MRSA 播種の潜在的な入口となりうる」と述べ、高リスク集団への伝統的な温熱療法の適用に関する安全プロトコルの必要性を強調している[11]。
11-2 なぜ糖尿病で重篤化するのか
この症例報告は単一の事例であり、階層Eである。頻度を推定するデータではない。しかし、機序としての説明は明快である。
- 熱の自覚が遅れる
- 末梢神経障害があると、熱さの知覚が鈍る。患者が「熱い」と言う前に組織が損傷する。
- 治りにくい
- 創傷治癒の遅延が起こる。小さな熱傷が長く開いたままになる。
- 感染が広がりやすい
- 本症例では、腰部の 3 cm × 3 cm の熱傷から、椎体・硬膜外・胸壁・肝・肺へと病巣が広がった[11]。
この症例から導かれる実務は、抽象論ではない。
(1) 熱さの申告に頼らない。末梢神経障害のある患者では、「熱いと言われたら外す」という手順が安全装置として機能しない。時間と距離で管理する。
(2) 皮膚を残す手技を選ぶ。本症例で生じたのは出血を伴うII度熱傷である[11]。灸痕を残す手技を、この集団に用いる根拠は本書の調査範囲では見出せなかった。
(3) 施灸部位を毎回確認する。前回の施灸部位に発赤や水疱が残っていないかを、次回の施術前に必ず見る。
(4) 血糖コントロールの状況を把握する。本症例の HbA1c は 8.2% であった[11]。コントロール不良であることを知らずに施灸することと、知ったうえで手技を選ぶことは違う。
この4点は、灸の効果が不確かであることとは独立に成り立つ。効果が不確かな介入で、確実な害を出してはならない。
褥瘡と安全性
この部は二つのことを扱う。褥瘡に対する灸のエビデンスが現在どういう状態にあるかと、灸の有害事象がどこに集中しているかである。前者は、査読という仕組みそのものを疑う練習になる。
この部を読むと査読済みという表示を無条件に信じず、撤回の有無を確認してから引用できるようになる。
12褥瘡と局所循環——本書が扱う範囲
褥瘡は、持続的な圧迫による局所の虚血から生じる。したがって循環の話でもあるが、創傷治癒の話でもある。本書が扱うのは前者の側だけである。
12-1 境界の宣言
褥瘡の創傷治癒過程、肉芽形成、上皮化、そこに灸がどう関わりうるかという機序は、既刊『灸と組織修復』が正本である。本書はそれを繰り返さない。本書が扱うのは、褥瘡に対する灸の臨床試験が、いまどういう状態にあるかという一点である。
12-2 計画された試験
褥瘡に対する灸のパイロット多施設ランダム化比較試験のプロトコル論文が、2014年に発表されている[8]。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| デザイン | 多施設・2群・並行群間のランダム化比較試験 |
| 対象 | 褥瘡患者 30名を 1:1 に割り付け |
| 介入 | ドレッシング貼付前に間接灸30分、1日1回・週5回・4週間 |
| 対照 | 同じ方法によるドレッシングのみ |
| 追跡 | 3か月 |
| 主要アウトカム | 創面積、試験期間内に治癒した潰瘍の割合 |
| 副次アウトカム | PUSH スコア、VAS、有害事象 |
| 試験登録 | ChiCTR-TRC-13003959 |
本書の調査範囲では、この試験の結果を報告した論文に到達できなかった。プロトコルが発表されていることと、結果が発表されていることは別である。
創面積と治癒率は、循環の指標ではなく創傷の指標である。褥瘡に対する灸の試験は、循環がどう変わったかではなく、傷がどうなったかを測っている。本書の主題である末梢循環との接点は、病態の側にあって、アウトカムの側にはない。
13撤回された二つのメタ解析
褥瘡に対する灸のメタ解析は存在した。二つとも撤回されている。この章は、施術者が査読済み論文をどう扱うべきかを、実例で示す。
13-1 一つめ
Yu、Shi、He、Zhang による「褥瘡治癒に対する灸の臨床研究のメタ解析」は、International Wound Journal 第21巻2号(2024年、論文番号 e14686)に2024年1月31日付で公開された[9]。
この論文は2025年4月18日に撤回された[10]。撤回通知は同誌第22巻4号(論文番号 e70582)に掲載されている[10]。撤回理由は「本論文は、毀損された査読プロセスのみに基づいて受理された」ことであり、出版社による調査を経て編集長と出版社の合意により撤回された。著者らは撤回通知に応答しなかったと記されている[10]。
撤回前のこの論文は、11試験・795 名(すべて中国)を対象に、有効率 RR 1.21(1.13 〜 1.29、I² = 0%)、治癒日数 平均差 −5.69(−9.58 〜 −1.80、I² = 97%)、PUSH スコア 平均差 −1.13(−1.36 〜 −0.89、I² = 0%)を報告していた[9]。本書がこれらを掲げるのは、撤回された論文の中身を知るためであって、根拠として用いるためではない。撤回された論文の数値は、その後の議論に持ち込んではならない。
13-2 二つめ
Wang、Chen、Du による「褥瘡の創傷治癒に対する中国伝統外用薬・鍼・灸の効果:メタ解析」は、同じ International Wound Journal 第19巻8号 2031〜2038頁(2022年、2022年4月9日公開)に掲載された[12]。
この論文も2025年3月26日に撤回されている[12]。撤回通知は同誌第22巻4号(論文番号 e70417)である[12]。撤回理由は一つめと同じく、毀損された査読プロセスのみに基づいて受理されたことであり、著者らは撤回通知に応答しなかった[12]。
13-3 何が起きたのか
二つの撤回に共通するのは、研究の内容が誤っていたと判定されたのではなく、査読という受理の手続きが毀損されていたという点である。すなわち、この二つの論文は正当な審査を受けていない状態で「査読済み論文」として世に出ていた。
施術者が実務で使える手順は二つある。
(1) 引用する前に、撤回されていないか確認する。出版社のサイトで論文を開けば、撤回された論文には赤い帯や RETRACTED の表示が付く。PubMed の記録にも撤回情報が併記される。この確認に要する時間は1分に満たない。
(2) 発表からの年数を、信頼の根拠にしない。ここで撤回された2件は、一方が2024年1月31日に公開され2025年4月18日に、他方が2022年4月9日に公開され2025年3月26日に撤回されている。それまでのあいだ、両論文は「査読済みのメタ解析」として引用可能な状態にあった。
そして最も重要なこと。褥瘡に対する灸のメタ解析は、本書執筆時点で存在しない。存在したものは撤回された。この領域について語るとき、施術者が寄りかかれる集積された根拠は、現時点でない。
14灸の有害事象——64症例の内訳
効果の証拠が薄い領域であっても、害の証拠は独立に存在する。この章は、灸の有害事象がどこに集中しているかを確認する。
14-1 症例報告の系統的レビュー
Xu らは、灸の安全性に関する症例報告を系統的にレビューし、24論文・64 症例を対象とした[14]。国別では中国・アメリカ・韓国・スペイン・日本・イスラエルの6か国であり、中国が51症例・12論文を占める[14]。
| 種類 | 症例数 | 論文数 |
|---|---|---|
| 熱傷 | 43 | 6 |
| アレルギー | 7 | 6 |
| 感染 | 6 | 6 |
| 悪心・嘔吐 | 2 | 1 |
| 胎児への害 | 2 | 2 |
| 咳 | 1 | — |
| 基底細胞癌 | 1 | 1 |
| 眼瞼外反 | 1 | 1 |
| 死亡 | 1 | 1 |
重篤な事象として、胎児死亡と早産(2症例)、施術中の死亡(1症例)、深部臓器の感染(肝膿瘍、脊髄硬膜外膿瘍)、反復施灸による基底細胞癌が報告されている[14]。
著者らの結論は次のとおりである。「施術者の技術の向上、操作の規格化、そして時間・距離・量の管理と保護によって、有害反応の発生を減らし、灸の安全性を高めることができる」[14]。限界として、非偶発的な損傷が副作用として扱われているなどの誤りが含まれることと、「これらの有害事象の大半について、正確な原因は特定できない」ことを認めている[14]。
14-2 この表の限界
症例報告の集積であるため、この数字は発生頻度を表さない。報告されなかった事例は含まれず、報告される事例は珍しいものに偏る。64 症例という数は、世界で64件しか起きていないという意味ではない。
それでも読み取れることが一つある。報告された有害事象の内訳で、熱傷が突出して多い。灸に固有のリスクは、まず熱傷であり、次にそこから生じる感染である。第11章の症例は、この二つが連続した事例であった[11]。
灸の安全対策は、多岐にわたる注意事項を並べるより、熱傷を出さないことに資源を集中させるほうが合理的である。著者らが挙げた管理項目——時間・距離・量——は、いずれも施術者が数値として決められる量である[14]。
そして深部臓器の感染が報告されている以上[14]、熱傷を「小さいから様子を見る」で済ませてはならない。とくに糖尿病や免疫抑制状態の患者では、皮膚の小さな損傷が全身の感染の入口になりうる[11]。
15禁忌と適応の線引き
この章は、本書が到達した文献の範囲だけで引ける線を引く。文献の裏づけがない部分は、そう明記する。
15-1 文献から引ける線
| 状況 | 本書が言えること | 根拠 |
|---|---|---|
| 知覚低下のある糖尿病患者 | 熱さの申告を安全装置にできない。軽微な熱傷が全身感染の入口となった症例がある | [11] |
| 妊娠中 | 胎児死亡と早産の症例報告が2件ある | [14] |
| 同一部位への反復施灸 | 基底細胞癌の症例報告が1件ある | [14] |
| 色調変化を伴う発作性の冷え | レイノー現象の鑑別が必要。二次性では背景疾患の評価が優先される | [4][5] |
| 末梢血流が損なわれた患者 | 健常者の皮膚温データを外挿できないと原著が明記している | [13] |
15-2 文献から引けない線
次の問いについて、本書は答えを持たない。いずれも本書の調査範囲では、判断の根拠となる定量データに到達できなかったものである。
- 糖尿病患者に施灸してよい HbA1c の水準はどこか。
- 末梢神経障害がある足に、どの灸法までなら許容されるか。
- レイノー現象の発作中に施灸することの是非。
- 褥瘡の周囲に施灸することの是非。
これらに「一般にこうされている」という慣行はある。しかし慣行は根拠ではない。本書は、根拠がないところに根拠があるかのような書き方をしない。施術者は、根拠がないまま判断せざるをえない場面に日常的に置かれている。その事実を直視することが、根拠のないものを根拠のあるものに見せかけるより誠実である。
根拠がない領域での判断は、手技ではなく手続きで担保する。
(1) 主治医の管理下にあることを確認する。糖尿病・膠原病・褥瘡はいずれも継続的な医学的管理を要する。
(2) より侵襲の小さい方法から始める。灸痕を残す手技を、リスクの高い集団の初回に選ぶ理由はない。
(3) 判断の根拠を記録に残す。「なぜこの患者にこの手技を選んだか」を書いておく。根拠が慣行であるなら、慣行であると書く。
(4) 中止基準を先に決める。発赤が次回まで残る、水疱ができる、患者が熱さを感じない——このいずれかで手技を変える。
16未解決問題と申し送り
この巻が答えられなかったことを列挙する。次に調べる人が着手できる粒度で書く。
16-1 レイノー現象について
- 灸を単独で用いたレイノー現象のランダム化比較試験に到達できなかった。存在する6試験のうち灸を含むのは2件で、いずれも手技鍼との併用である[5]。灸のみの群を置いた試験を1件行うだけで、この空白は埋まり始める。
- 信頼できる指標は既に特定されている。1日あたりの平均発作回数(ICC 0.79)と発作時の症状(ICC 0.76)である[3]。新しい指標を作る必要はない。既存の指標で測ればよい。
- 比較の相手も既に決まっている。カルシウム拮抗薬の効果量は週 1.72 回の発作減少である[4]。灸の試験は、この値を目安に必要標本数を計算できる。
16-2 糖尿病性の末梢障害について
- 循環そのものを測った灸のヒト試験に到達できなかった。TcPO₂、ABI、皮膚灌流圧、足潰瘍の治癒率、無痛歩行距離のいずれについてもである(第10章)。
- 既存の11試験は有害事象をほとんど報告していない。有害事象の記載があったのは1試験のみである[7]。知覚低下のある集団への介入試験で、有害事象を報告しないことは方法論上の欠陥である。
- 異質性の原因が特定されていない。正中神経 MNCV で I² = 98% という値は、灸法・部位・期間・対象の重症度のいずれかが試験間で大きく異なることを意味するが、その内訳は本書が到達した記述からは分からなかった[7]。
16-3 褥瘡について
- メタ解析は2件とも撤回された[10][12]。集積された根拠は現時点で存在しない。
- パイロット試験(n = 30)のプロトコルは2014年に発表されているが、結果を報告した論文に到達できなかった[8]。試験登録番号は ChiCTR-TRC-13003959 である。追跡は可能である。
16-4 この巻の結論
末梢循環障害の領域について、本書の結論は次のとおりである。
(1) レイノー現象には鍼の研究があるが、灸単独の試験はない。標準治療の効果量そのものが限定的な領域である。
(2) 糖尿病では神経伝導速度の研究があるが、循環を測った研究がない。そして知覚が鈍い足への施灸には、実際に起きた重篤な症例がある。
(3) 褥瘡では、集積された根拠が撤回によって失われた。
この三つを踏まえると、施術者の立ち位置は明確になる。この領域で灸を行うことは、効果を約束する行為ではなく、標準治療を受けている患者の生活の質に、安全な範囲で寄り添う行為である。そう位置づけたとき、施術者が最も価値を出せるのは、毎回足を見て、変化を記録し、危ない徴候を早く見つけることである。
効果の証拠が薄い領域ほど、施術者の観察の質が患者の利益を左右する。
理解度チェック
本書の内容から11問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。すべて本文に明示した記述だけから解けます。
レイノー現象の定義として適切なのはどれか。
Cochrane レビューは、一次性レイノー現象を「寒冷または情動に対する過剰な血管攣縮反応を特徴とする一般的な状態」と記述し、古典的には指趾が白→青→赤と変化するとしている。C と D は第1巻で扱った冷え症の定義であり、レイノー現象の定義ではない。根拠:第1章/[4]
施術所で冷えを訴える患者のうち、医療機関での評価を勧めるべき所見はどれか。
色調変化を伴う発作性の冷えはレイノー現象を疑う所見であり、二次性であれば背景疾患の評価が優先される。全身性強皮症に続発する型が存在する。受診を勧めることと灸を続けることは矛盾しない。矛盾するのは評価を受けないまま経過を見ることである。根拠:第1章・第2章/[4][5]
韓国の多施設研究(6,149名)で、手足の冷えを訴える群に少なかった疾患群はどれか。
CHHF群では高血圧・糖尿病・脂質異常症・脳卒中・脂肪肝・狭心症が低頻度であった。B と C は高頻度だった疾患、D は調整後の解析で関連が示された疾患である。ただし横断研究であり因果の方向は示されない。個々の患者の鑑別に当てはめてはならない。根拠:第3章/[2]
レイノー現象の評価指標のうち、級内相関係数が許容範囲を下回ったものの組み合わせはどれか。
許容範囲(ICC 0.70 以上)にあったのはレイノー症状スコア、発作時の症状、1日あたりの平均発作回数である。患者による全般評価と医師による全般評価、および発作の持続時間はこれを下回った。「よくなりましたか」という問いは再現性の低い測定である。根拠:第4章/[3]
一次性レイノー現象に対するカルシウム拮抗薬の Cochrane レビューの結論はどれか。
著者らは、発作頻度で測る限り最小限にしか有効でないという中等度の質のエビデンスと、重症度にはほとんど効果がないという高い質のエビデンスを提供している、と結論している。生理学的測定を行った5試験はいずれも群間差を検出していないため D も誤りである。根拠:第5章/[4]
レイノー症候群に対する鍼の系統的レビューにおける、灸の位置づけとして正しいのはどれか。
介入の内訳は手技鍼、手技鍼+灸、電気鍼である。灸を単独で用いた試験は含まれておらず、灸を含む試験でも鍼との寄与を分離できない。さらにネットワークメタ解析は「手技鍼±灸」について対照に対する有意な効果を示さなかった。根拠:第6章・第7章/[5]
糖尿病性末梢神経障害に対する灸のメタ解析(11試験927名)を読むとき、統合された効果量より先に確認すべき項目はどれか。
正中神経の MNCV で I² = 98%、SNCV で 97% という値は、試験ごとに結果がまったく異なることを意味する。異質性がこれほど高いとき、プールされた平均差は次の一人の患者に当てはめられる推定値としては読めない。効果量や p 値より先に、この列を見る。根拠:第8章/[7]
灸によって神経伝導速度が改善したという報告から言えることはどれか。
神経伝導速度は神経線維の伝導機能の指標であり、組織に届く血液や酸素の量を評価する指標ではない。循環の評価には皮膚灌流圧、経皮酸素分圧、足関節上腕血圧比などが用いられる。糖尿病性末梢神経障害と末梢循環障害は併存しうるが別の病態である。根拠:第9章・第10章/[7]
知覚が低下している糖尿病患者に施灸するときの、実務上の要点はどれか。
末梢神経障害があると熱の知覚が鈍り、患者が熱いと言う前に組織が損傷する。報告された症例では、腰部の 3 cm × 3 cm のII度熱傷から MRSA が播種し、対麻痺と尿閉が残存した。時間と距離で管理し、皮膚を残す手技を選び、施灸部位を毎回確認する。根拠:第11章・第14章/[11][14]
褥瘡に対する灸のメタ解析2件が撤回された理由として、撤回通知に記されているのはどれか。
両撤回通知とも、論文が「毀損された査読プロセスのみに基づいて受理された」ことを理由に挙げている。研究内容の誤りが判定されたのではなく、受理の手続きが毀損されていた。いずれも著者らは撤回通知に応答していない。したがって D も誤りである。根拠:第13章/[10][12]
経皮酸素分圧や足関節上腕血圧比のような循環の実測指標で、灸の効果を測ったヒトの試験が見当たらない。この状況における説明として適切なのはどれか。
経皮酸素分圧、足関節上腕血圧比、皮膚灌流圧、足潰瘍の治癒率、無痛歩行距離のいずれかを主要アウトカムに置いた灸のヒト試験には到達できていない。測られていないことを「示されている」と言うこと(A)も、証拠がないことを効果の否定と読むこと(C)も誤りである。動物実験の値をヒトの説明に用いること(D)も適切ではない。根拠:第10章・第16章/[1][7][14]
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引用文献
本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。本文に到達できなかった資料はその旨を明記し、数値を引用していない。撤回された論文は、撤回済みであることを明記したうえで参照している。
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灸の臨床|末梢循環障害 第1版(2026年8月)。灸エビデンス・ライブラリ/臨床編。
本書の数値はすべて原著の報告値であり、編者による計算・推定値は含まない。到達できなかった資料の数値は引用していない。第13章では撤回された論文の数値を掲げているが、これは撤回の実例を示すためであり、根拠として用いてはならない。
主訴としての冷えの定義と評価尺度は『灸の臨床|冷え症 訴えを測る』が正本である。褥瘡の創傷治癒過程は『灸と組織修復』が、熱がなぜ血管を広げるのかという機序は『灸と血流の生理学①②』が正本である。
改版履歴:2026年8月 初版発行。