3分で要点だけ
本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。
- 肺の実数が動かない研究でも、症状の点数は動く安定期COPDの220名試験で、6分間歩行距離は動き、努力肺活量と1秒量は動かなかった
- 「灸」という袋には、艾を燃やさない手技が入っているアレルギー性鼻炎のネットワークメタ解析が比べた5種のうち、艾を燃やすのは1種だけだった
- 偽灸を対照にした呼吸器の試験は、一つも見つからなかった妥当性を検証済みの偽灸デバイスは2006年から存在している
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数値が動かない研究と、点数が動く研究
呼吸器疾患は、灸の臨床研究がもっとも多く行われている領域のひとつである。そしてこの領域には、系統的に現れる一つのパターンがある。肺機能の実数——1秒量や努力肺活量——では群間差が出ない研究でも、症状スコアと「総有効率」では差が出る。本書はこのパターンを説明することを目的として書かれている。
この部を読むと症状の点数が動いた研究と、肺の実数が動いた研究を、読む前に見分けられるようになる。
00本書の読み方とエビデンスの階層
本書は上巻『灸と免疫』の続編である。上巻が全身の免疫指標を扱ったのに対し、本書が扱うのは呼吸器疾患の臨床アウトカムである。同じ「灸と免疫」という主題でも、測っている対象がまったく違う。
0-1 本書を貫く三つの問い
- その研究は、何を主要評価項目に置いたか
- 肺機能の実数か、症状の点数か、「有効」と判定された人の割合か。三つは別の量であり、動きやすさも違う。本書は引用のたびに明記する。
- その研究の「灸」は、何を指しているか
- 透熱灸・間接灸・温和灸・熱敏灸・督灸は、熱量も持続時間も皮膚との距離も違う。さらに、燃やさない手技が同じ分類に入っていることがある。第II部で扱う。
- その研究は、盲検化されていたか
- 症状の点数と「有効率」は、患者と評価者が割り付けを知っていれば期待によって動きうる。非盲検の研究で症状が改善したという記述は、効果の証明にならない。
0-2 エビデンスの階層
| 階層 | 研究デザイン | 本書での典型的な弱点 |
|---|---|---|
| A | 偽刺激対照を用いた無作為化比較試験/それらを統合した系統的レビュー | 灸そのものを対象としたものが極端に少ない |
| B | 健常者を対象とした対照群つきのヒト実験 | 本書の主題では該当が少ない |
| C | 動物実験 | 本書では扱わない(上巻が扱う) |
| D | 非盲検の無作為化比較試験と、そのメタ解析 | 本書が引用する研究の大半がここに入る。出版バイアスが大きい |
| E | 症例報告・症例集積 | 分母が分からない。ただし有害事象の把握には不可欠 |
本書で階層Aに入るのは、鍼を対象とした Cochrane レビュー[1]、非刺鍼手技の系統的レビュー[6]、偽鍼を対照とした無作為化比較試験[7]、そして偽灸デバイスの妥当性検証試験[13] である。このうち、灸を介入として偽灸と比較した臨床試験は一つもない。
0-3 上巻・既刊との境界
| 主題 | 本書 | 正本 |
|---|---|---|
| 白血球・リンパ球サブセット・NK活性などの全身免疫指標 | 扱わない | 上巻『灸と免疫』 |
| 感冒・上気道感染の予防 | 扱わない | 上巻『灸と免疫』 |
| もぐさの煙に含まれる物質と濃度 | 扱わない | 『もぐさの特性』 |
| 喘息・COPD・アレルギー性鼻炎の臨床試験 | 扱う | 本書 |
| 煙が喘息発作の誘因となった症例 | 扱う | 本書(第16章) |
呼吸器疾患の患者から「灸は効きますか」と問われたとき、答えは疾患によって違う。喘息・COPD・アレルギー性鼻炎は、いずれも標準治療が確立しており、灸はその代替ではない。本書が扱うのは、標準治療の隣に灸を置いたとき何が言えるかである。この前提を外して読むと、すべての数値が実際より大きく見える。
アウトカムを読む道具
第III部以降で扱う数値は、肺機能検査・症状スコア・QOL尺度・総有効率のいずれかである。これら四つは動きやすさが違う。その違いを知らないまま結果を並べると、動きやすい指標で出た差を、動きにくい指標で出た差と同じ重みで読んでしまう。
この部を読むと「総有効率」という数字を前にして、確認すべき三点を即座に挙げられるようになる。
01肺機能検査が答えられる問い
呼吸器のアウトカムのうち、もっとも客観的なのは肺機能検査である。患者の努力には依存するが、期待によって値が動きにくい。本書が引用する試験で用いられている指標を整理する。
1-1 本書に登場する肺機能の指標
| 指標 | 測っているもの | 本書での登場箇所 |
|---|---|---|
| 1秒量(FEV1) | 思い切り吸ってから最初の1秒で吐き出せる量 | 第8章・第10章・第11章 |
| 1秒量の予測値に対する割合(FEV1%) | 同年齢・同性・同身長の予測値に対する比 | 第11章・第13章 |
| 努力肺活量(FVC) | 思い切り吸ってから吐ききるまでの総量 | 第11章 |
| ピークフロー(PEF) | 呼出時の最大流量 | 第8章 |
| 6分間歩行距離(6MWD) | 6分間で歩ける距離。運動耐容能の指標 | 第11章・第13章 |
1-2 実数が動かないことの意味
これらの指標は、患者が「良くなった気がする」だけでは動かない。気道の狭窄が実際に軽くならなければFEV1は増えず、運動耐容能が実際に上がらなければ6MWDは伸びない。第11章で扱うCOPDの試験では、6分間歩行距離が改善した一方で努力肺活量と1秒量には群間差が認められなかった。この乖離の読み方が、本書の主題のひとつになる。
肺機能検査も完全に客観的ではない。被検者の努力に依存するため、動機づけの差が結果に影響しうる。しかし症状の点数と比べれば、期待によって動く余地ははるかに小さい。
灸の呼吸器領域の研究を読むとき、最初に探すべきはFEV1・FVC・6MWDの実数と、その群間差である。抄録の結論文が「有効性が示された」であっても、これらの実数に群間差がなければ、動いたのは別の指標である。実数の欄が空欄になっている研究は、その時点で読み方が決まる。
02症状スコアとQOL尺度
症状スコアとQOL尺度は、患者が自分で答える質問票である。患者にとって重要な量を直接測れるという長所と、割り付けを知っていれば動きうるという短所を、同時に持っている。
2-1 本書に登場する尺度
| 略号 | 対象疾患 | 測っているもの | 本書での登場箇所 |
|---|---|---|---|
| ACT | 喘息 | 喘息のコントロール状態 | 第8章・第9章 |
| CAT | COPD | COPDの症状による影響 | 第13章 |
| mMRC | COPD | 息切れの程度 | 第11章 |
| SGRQ | COPD | 呼吸器疾患に特異的な生活の質 | 第13章 |
| TNSS | アレルギー性鼻炎 | 鼻症状の合計点 | 第14章 |
| RQLQ | アレルギー性鼻炎 | 鼻結膜炎に特異的な生活の質 | 第14章 |
| VAS | アレルギー性鼻炎 | 症状の強さを線分上の位置で表したもの | 第14章 |
2-2 同じ疾患の中でも、尺度によって結果が割れる
第14章で扱うアレルギー性鼻炎のメタ解析では、同じ21件の試験から、TNSSとRQLQでは統計学的に有意な差が示され、VASでは示されなかった[10]。三つとも患者が自分で答える尺度である。それでも結果が割れる。
症状スコアの改善は、患者にとって無意味ではない。楽になったという感覚は、それ自体が臨床的な価値を持つ。問題は、それを「灸の薬理学的な効果」として説明してしまうことである。非盲検の試験で症状スコアが改善したとき、そこには施術を受けたという事実、施術者との関係、通院という行動変容が、すべて含まれている。患者に語るなら「楽になったと答えた人が多い」までであり、「気道の炎症が抑えられた」ではない。
03「総有効率」という指標
本書が引用する中国発の試験・メタ解析で、もっとも頻繁に主要評価項目に置かれているのが「総有効率(total effective rate)」である。この指標を理解しないと、この領域の文献は読めない。
3-1 総有効率とは何か
総有効率は、各試験があらかじめ定めた基準にしたがって患者を「著効」「有効」「無効」などに分類し、有効と判定された人の割合を示すものである。第14章のアレルギー性鼻炎のメタ解析[10]、第15章のネットワークメタ解析[11][12]、第8章の熱敏灸のメタ解析[3] は、いずれもこの指標を主要な比較軸としている。
3-2 この指標が持つ三つの性質
- 複合指標である
- 症状・所見・検査値など複数の要素を、試験ごとの基準でまとめて一つの判定にしている。したがって「有効率が上がった」という記述からは、何がどれだけ良くなったのかを復元できない。
- 連続量を二値に落としている
- 症状の点数がわずかに動いただけでも、基準の境界をまたげば「無効」から「有効」に変わる。効果の大きさが情報として失われる。
- 判定に主観が入る
- 判定するのは、多くの場合その試験の担当医である。盲検化されていなければ、割り付けを知ったうえで判定することになる。
3-3 実数と有効率が食い違う例
第8章で扱う熱敏灸のメタ解析は、有効率・ACTスコア・FEV1・PEFのすべてで西洋薬との有意差を認めなかった[3]。一方、第14章で扱うアレルギー性鼻炎のメタ解析では、総有効率で有意差が示されながらVASでは示されていない[10]。指標を変えると結論が変わる領域である。
総有効率は「無意味な指標」ではない。臨床医の総合判断を集計したものであり、実務的な情報を含む。問題は、それが盲検化されていない試験で用いられ、かつ肺機能の実数と乖離しているときである。
「有効率 90%」といった数字を目にしたとき、確認すべきは三点である。有効の定義は何か、判定者は割り付けを知っていたか、同じ試験で実数の指標はどうだったか。この三点が確認できない有効率は、患者への説明に使うべきではない。数字の大きさと、根拠の強さは比例しない。
「灸」という袋の中身
第III部以降で扱うメタ解析は、複数の試験を統合して一つの数値を出す。統合できるのは、比べているものが同じである場合だけである。この部では、呼吸器領域のメタ解析が「灸」という名前のもとに何を集めているかを確認する。
この部を読むとメタ解析の結論を引用する前に、比較の網に入っている介入の一覧を確かめる習慣がつく。
04同じ名前で呼ばれる別の操作
アレルギー性鼻炎を対象としたあるネットワークメタ解析は、9 種類の灸を比較している[12]。COPDを対象とした別のネットワークメタ解析は、15 種類の鍼灸の介入を比較している[9]。同じ「灸」でも、比較の単位はこれだけ細かく分かれている。
4-1 メタ解析が区別している灸の種類
| 名称 | 登場する文献 | その文献での位置づけ |
|---|---|---|
| 熱敏灸 | 文献[3][4][12] | 喘息のメタ解析と多施設試験の介入。アレルギー性鼻炎では 9 種のうち有効率が最良と報告 |
| 温和灸 | 文献[9] | COPDでCAT スコアの改善が常規治療より優れると報告 |
| 間接灸 | 文献[10] | アレルギー性鼻炎のメタ解析の介入 |
| 督灸 | 文献[9] | COPDで FEV1% の改善が最良と報告 |
| 扶陽灸 | 文献[9] | COPDで CAT スコアの改善が最良と報告 |
| 臍灸 | 文献[5] | 安定期COPDの多施設無作為化比較試験の介入 |
| 温針灸 | 文献[9] | COPDで督灸+常規治療より劣ると報告 |
これらの手技が具体的にどのような操作を指すのかは、本書が引用した各論文の抄録には定義が記載されていない。本書が確認できるのは、これらが互いに区別されたうえで比較されているという事実までである。定義が記載されていないという事実そのものが、この領域の状態を示している。
4-2 なぜこれが問題になるか
灸の種類が違えば、皮膚に届く熱量も、持続時間も、皮膚との距離も違う。文献[3]は、熱敏灸とwarm-suspended moxibustion(原著の英語表記。定訳が確認できなかったため本書は原語のまま示す)を比較した1件の無作為化比較試験を取り上げ、6か月の追跡後にFEV1とPEFで有意差が認められたと報告している(それぞれ加重平均差 0.51(95%CI 0.10〜0.92)と 1.78(95%CI 1.06〜2.50))[3]。ただし 3か月の治療後には両群間に有意差はなかった。
つまり灸どうしを比べても差が出ることがある。「灸は喘息に有効か」という問いは、この時点ですでに「どの灸が」を含んでいなければならない。
研究の結果を自分の施術に持ち込むとき、その研究が使った灸が、自分の使う灸と同じかを確認する。熱敏灸のメタ解析の結果は、透熱灸の根拠にはならない。臍灸の試験の結果は、足三里への台座灸の根拠にはならない。灸の種類を無視した引用は、上巻の第7章で見た「刺激量を無視した引用」と同じ構造の誤りである。
05燃やさないものが灸に数えられるとき
灸の種類が細かく分かれているという話には、続きがある。「鍼灸」という括りのメタ解析には、艾を燃やさない手技が同じ土俵に並んでいる。
5-1 アレルギー性鼻炎のネットワークメタ解析が並べたもの
Sun らは、アレルギー性鼻炎に対する鍼灸の無作為化比較試験 50 件・患者 4,260 名を統合し、5 種類の鍼灸療法を比較している[11]。
| 療法 | 艾を燃やすか |
|---|---|
| 鍼刺 | 燃やさない |
| 艾灸 | 燃やす |
| 穴位貼敷 | 燃やさない |
| 穴位埋線 | 燃やさない |
| 耳穴療法 | 燃やさない |
この解析の結論は、穴位埋線が最良の治療法であるというものだった[11]。総有効率では鍼刺・艾灸・穴位埋線が西薬と耳穴療法より優れ、艾灸は穴位貼敷より優れていた。追跡時の総有効率では艾灸が最良となる確率が最も高く、鼻症状の総合点では艾灸と穴位埋線が鍼刺より優れていた。
5-2 同じ構造は喘息とCOPDにもある
喘息では、熱敏灸と穴位貼敷(acupoint application)を比較した1件の無作為化比較試験が、3か月の治療後の有効率に有意差を認めなかったと報告されている(相対危険度 0.68、95%CI 0.42〜1.12)[3]。COPDでは、15 種類の介入のなかに穴位埋線が含まれ、督灸との比較が行われている[9]。
本書は、これらの手技の優劣を論じない。指摘するのは一点だけである。「鍼灸はアレルギー性鼻炎に有効」という結論を持つ論文が、実際には艾を燃やさない手技を最良と結論していることがある。
「鍼灸が有効というメタ解析がある」という言い方は、この領域では情報量がほとんどない。確認すべきは、そのメタ解析が比較した介入の一覧である。一覧に艾を燃やさない手技が含まれていれば、その結論は灸の効果を示したものではない。抄録の結論文だけを読んで引用すると、この区別が失われる。
喘息
喘息は、灸の呼吸器研究がもっとも集中している領域である。そしてこの領域には、差が出た研究と差が出なかった研究が両方存在する。本書の中核はここにある。二つを並べて、何が違うのかを読む。
この部を読むと喘息で差が出た研究と出なかった研究の違いを、介入と対照の指定として説明できるようになる。
06喘息で何が動けば意味があるのか
喘息の試験が測るアウトカムは、大きく四つに分かれる。この四つは、患者にとっての重要さの順と、動きやすさの順が逆になっている。
6-1 四つのアウトカム
| 層 | 指標 | 患者にとっての重要さ | 期待によって動く余地 |
|---|---|---|---|
| 発作 | 発作頻度・増悪回数 | 最も高い | 小さい(記録に残る) |
| 肺機能 | FEV1・PEF | 高い | 小さい |
| コントロール | ACTスコア | 高い | 大きい(自己記入) |
| 判定 | 総有効率 | 直接には低い | 大きい(非盲検なら判定者が割り付けを知る) |
6-2 この順序が、結果の読み方を決める
下の層(総有効率・ACT)で差が出て、上の層(肺機能・発作)で差が出ない場合、二つの説明が両立する。①灸には症状を和らげる作用があるが、気道の狭窄そのものは変えない。②非盲検であるため、下の層だけが期待によって動いた。この二つを区別するには盲検化が必要であり、本書が引用した喘息の試験にそれはない。
喘息の患者に灸を用いる場合、肺機能と発作頻度は標準治療が担い、灸はそれを置き換えないという前提を、患者と共有しておく必要がある。症状の点数が良くなったという報告があることは伝えてよい。しかし吸入薬を減らす根拠にはならない。第9章で扱う試験も、比較対象は吸入配合剤であり、減薬を検証したものではない。
07薬に灸を上乗せしたメタ解析
喘息に対する灸の系統的レビューのうち、規模がもっとも大きいのは 2024年 のものである[2]。37 件の無作為化比較試験、2,879 名。この規模でも、結論には確実性の限定がついている。
7-1 報告された内容
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 検索 | 7 つのデータベース、2024年6月23日 まで |
| 規模 | 37 件の無作為化比較試験、2,879 名 |
| アウトカム | 治療反応、喘息コントロール、生活の質、肺機能、免疫学的指標、有害事象の発生 |
| エビデンスの質 | 中等度から非常に低い |
7-2 二つの比較で、結果が違う
- 抗喘息薬に灸を上乗せした比較
- 抗喘息薬のみと比べて、灸を加えた群は治療反応が有意に良好で、肺機能・喘息コントロール・IgE水準について「より大きな増加(greater increases)」が得られたと報告されている。IgEの増加がなぜ改善として扱われているのかは、入手できた抄録からは判断できなかった。ただし小児の生活の質には効果がなかった[2]。
- 灸と抗喘息薬を直接比較した場合
- 灸は治療反応と喘息コントロールの改善で優れ、肺機能・生活の質・IgEについては抗喘息薬と同等であったと報告されている[2]。
7-3 免疫細胞の指標は一致しなかった
原著は、CD4陽性およびCD8陽性T細胞の割合と好酸球数に対する灸の効果は、上乗せの比較と直接比較のあいだで一致しなかったと明記している[2]。結論部でも、小児の生活の質と免疫細胞の水準に対する効果は不確実なままであるとしている。
本書は、この研究が報告したIgEの変化についてその方向(上昇か低下か)を、入手できた抄録からは特定できなかった。したがって本書はIgEの変化の方向を記述しない。原著が「より大きな変化が得られた」と述べていることまでを引用する。
有害事象については、灸に関連して報告されたものはすべて軽度であったとされている[2]。
このレビューは、灸を抗喘息薬の代わりではなく、上乗せとして用いる場面を支持する方向の結果を示している。ただし確実性は中等度から非常に低いと明記されており、上巻の第0章で示した階層でいえば D に相当する。「大規模なメタ解析で有効性が示された」という引用の仕方は、原著が自ら付した確実性の限定を落としている。
08差が出なかった研究
同じ喘息でも、介入を熱敏灸に絞り、比較対象を西洋薬に固定すると、結果は変わる。Xiong らのメタ解析は、主要な指標のすべてで有意差を認めなかった。
8-1 規模と設計
中国内外の大規模データベースを電子的・手作業で検索し、無作為化比較試験 14 件・患者 637 名を収集している。うち 13 件が熱敏灸と西洋薬を比較したものである[3]。
8-2 結果
| 指標 | 3か月治療後 | 6か月追跡後 |
|---|---|---|
| 有効率(相対危険度) | 1.01(95%CI 0.92〜1.12) | 1.12(95%CI 0.93〜1.36) |
| ACTスコア(加重平均差) | −1.54(95%CI −3.54〜0.47) | 1.41(95%CI −0.48〜3.29) |
| FEV1・PEF | いずれの時点でも有意差なし | |
原著の結論は、熱敏灸は治療効果の点で従来の西洋薬および穴位貼敷に対する優位性を示さなかったというものである。ただし warm-suspended moxibustion に対しては長期の治療効果で優れる可能性があるとしている。そして組み入れた無作為化比較試験の質が低いため、この結論はより質の高い試験によって補強される必要があると付け加えている[3]。
四つの指標——有効率・ACT・FEV1・PEF——のすべてで有意差がなかった。信頼区間はいずれも1または0をまたいでいる。「差がないことが示された」のではなく「差があるとは言えなかった」であり、この規模では小さな差を検出できない可能性も残る。
第7章のメタ解析と、この第8章のメタ解析は、どちらも喘息を対象とし、どちらも複数の無作為化比較試験を統合している。それでも結論の向きが違う。違いは、介入を灸全般とするか熱敏灸に絞るか、比較対象を薬の上乗せとするか薬そのものとするかである。灸の呼吸器領域では、この二つを指定しないかぎり「有効か」という問いに答えられない。
09差が出た研究と、その設計
熱敏灸で有意差が出た試験も存在する。規模は 288 名、比較対象は吸入配合剤である。この試験を、第8章の結果と並べて読む。
9-1 設計
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| デザイン | 多施設・無作為化・比較試験 |
| A群 | 熱敏灸 50 回(n = 144) |
| B群 | サルメテロール 50µg/フルチカゾン 250µg の配合剤を1日 2回(n = 144) |
| 測定時点 | 治療開始後 15・30・60・90日 |
| 追跡 | 治療後 3か月 と 6か月 |
| アウトカム | ACTスコア、FEV1、PEF、発作頻度 |
9-2 結果
3か月の治療後、両群のあいだにACTスコアと肺機能の有意差が認められた(P = 0.0002)。追跡時にも有意差が認められた(P = 0.00003)。さらに熱敏灸は、組み入れから 6か月の追跡までの期間において発作頻度を減少させた[4]。
原著の結論は、熱敏灸が喘息に対してサルメテロール/フルチカゾン配合剤と同等の治療効果を持つ可能性があるというものである[4]。
9-3 この試験の読み方
- 盲検化されていない
- 灸 50 回と吸入薬の比較である。患者は自分がどちらの群かを必ず知っている。ACTスコアは患者の自己記入であり、割り付けの認識が結果に影響しうる。
- 非劣性の主張である
- 原著の結論は「同等の効果を持つ可能性がある」であって、配合剤より優れているというものではない。非劣性を主張する試験には、あらかじめ非劣性の限界値を定めた設計が求められる。抄録からその記載を確認できなかった。
- 有意差の向きが抄録から特定できない
- 抄録は「両群間にACTスコアと肺機能の有意差があった(P = 0.0002)」と記すのみで、どちらの群が優れていたかを明示していない。本書はこの点について、原著が明示していない以上、方向を記述しない。
この試験の 288 名という規模は、灸の臨床試験としては大きい。しかし規模は盲検化の欠如を補わない。症例数が増えれば偶然による誤差は小さくなるが、系統的な偏りは小さくならない。
この試験は、喘息に対する灸の根拠としてもっとも引用されやすい形をしている。多施設、288 名、標準治療との比較、有意差あり。それでも、この結果をもって患者に吸入薬の代わりを提案することはできない。非盲検であり、非劣性の設計が確認できず、有意差の向きも抄録からは特定できない。引用するなら、これらの限定をすべて添える必要がある。
10鍼のCochraneレビューという基準線
灸の試験の質を評価するには、比較の基準線が必要である。同じ喘息を対象に、偽刺激対照の試験だけを集めて評価したレビューが一つある。介入は灸ではなく鍼だが、この領域の到達点を示している。
10-1 報告された内容
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 組み入れ | 11 件の研究、324 名 |
| 試験の質 | 報告が不十分で、知見を一般化するには不十分と判断された |
| 肺機能(治療後FEV1) | 2件の小規模研究の統合。標準化平均差 0.12(95%CI −0.31〜0.55) |
| 偽鍼との比較 | 統計学的に有意な効果も、臨床的に意味のある効果も認められなかった |
| 結論 | 喘息治療における鍼の価値について推奨を行うには、エビデンスが不十分である |
10-2 偽刺激の設計そのものに問題があった
このレビューが指摘した点のひとつは、偽刺激の妥当性である。いくつかの研究で偽鍼の群に用いられた経穴は、中医学において喘息の治療に用いられる経穴であった[1]。すなわち、対照群も治療を受けていた可能性がある。
また、能動的な鍼と偽鍼の種類、測定されたアウトカム、提示された時点が研究ごとに異なっていた。2 件の研究は個別化した治療戦略を用い、1 件は定型の配穴に個別の経穴を追加する戦略を用いていた[1]。
このレビューは 2003年8月 までの検索に基づく。それ以降、喘息に対する鍼の Cochrane レビューの更新に、本書は到達できなかった。灸については、偽灸対照の試験を集めた Cochrane レビューがそもそも存在しない。
この結果は、灸の話ではない。しかし基準線として重要である。喘息では、偽刺激対照という条件を課した瞬間に、FEV1の効果量が 0.12(信頼区間が0をまたぐ)まで縮む。第7章から第9章で見た灸の試験は、いずれもこの条件を課していない。両者の数値を同じ重みで並べることはできない。
COPD
COPDは、喘息と違って気流閉塞が不可逆的である。したがって「改善」より「悪化の速度を落とす」が現実的な目標になる。この部では、その区別が結果の読み方をどう変えるかを見る。
この部を読むとCOPDについて「良くする」と「悪化を遅らせる」を区別して語れるようになる。
11何が改善し、何が改善しないか
安定期COPDに対する灸の試験のうち、規模がもっとも大きいのは 2025年 の多施設試験である[5]。220 名を無作為に割り付け、215 名が完遂した。そして結果は、指標によってきれいに分かれた。
11-1 設計
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| デザイン | 多施設・非盲検・無作為化比較試験 |
| 割り付け | 220 名を 1:1 で、臍灸+通常薬物療法/通常薬物療法のみに割り付け |
| 期間 | 治療 13週間、その後 26週間 の追跡 |
| 主要評価項目 | 急性増悪の頻度 |
| 副次評価項目 | 6分間歩行距離、mMRC息切れスケール、臨床症状・所見スコア、肺機能検査 |
11-2 結果は指標によって分かれた
| 指標 | 結果 |
|---|---|
| 急性増悪の頻度 | 時間効果(P < 0.001)と群間効果(P = 0.001)が有意。交互作用は有意でない(P = 0.406)。治療 4週・13週 と追跡 13週・26週 で対照群より有意に少ない(P < 0.05) |
| 6分間歩行距離 | 時間効果・群間効果・交互作用のいずれも有意(P < 0.05) |
| mMRCスコア | 同上 |
| 臨床症状・所見スコア | 咳、喀痰、喘鳴、胸部絞扼感、息切れ、倦怠感、チアノーゼ、総合点のいずれも同上 |
| 努力肺活量・1秒量 | 時間効果・群間効果・交互作用のいずれも認められなかった(P > 0.05) |
| 1秒量の予測値比 | 群間効果は認められた(P < 0.05)が、時間効果・交互作用は認められなかった(P > 0.05) |
皮膚感作の発生率は臍灸群で 3.74%、対照群で 0% であり、両群間に統計学的な有意差は認められなかった(P > 0.05)[5]。
11-3 この分かれ方をどう読むか
動いたのは、急性増悪の頻度・運動耐容能・息切れ・症状スコアである。動かなかったのは、努力肺活量と1秒量という気流閉塞そのものを表す実数である。
1秒量の予測値比については、群間効果はあったが時間効果と交互作用がなかった。すなわち両群のあいだに差はあったが、その差が治療によって時間とともに生じたことを示す構造にはなっていない。
この試験の主要評価項目である急性増悪の頻度は、症状スコアより客観的である。ただし非盲検であり、増悪の判定基準が抄録に記載されていないため、判定に割り付けの認識が影響した可能性を排除できない。
COPDの患者に灸を用いる場合、期待できることと期待できないことが、この試験から具体的に言える。期待できるかもしれないのは、息切れの自覚と歩ける距離である。期待できないのは、肺機能そのものの改善である。この区別を患者と共有しておけば、肺機能検査の数値が変わらなかったときに施術への信頼が損なわれることを避けられる。
12灸のメタ解析ができない、という結果
COPDに対する非刺鍼の手技を網羅的に評価した系統的レビューがある[6]。このレビューには灸の試験が 11 件含まれている。それにもかかわらず、灸についてのメタ解析は一つも行われていない。
12-1 組み入れられた手技
| 手技 | 試験数 |
|---|---|
| 経皮的電気刺激(AcuTENS) | 7 |
| 灸 | 11 |
| 指圧 | 7 |
| 耳鍼 | 6 |
| 指圧と耳鍼の併用 | 1 |
| 吸角 | 1 |
検索は 11 のデータベースを対象とし、2019年6月 までの無作為化比較試験を対象としている。組み入れ基準を満たしたのは 33 件であった[6]。
12-2 実施できたメタ解析は7つだけだった
原著は、異質性が大きいために実施できたメタ解析は 7 つのみであったと記している。その内訳は、経皮的電気刺激と偽刺激の比較(生活の質・運動能力)、指圧と非施行の比較(生活の質・不安)、耳鍼と偽刺激の比較(FEV1・FEV1/FVC)である[6]。
統計学的な差が示されたのは指圧のみで、生活の質(標準化平均差 −0.63、95%CI −0.88〜−0.39、I² = 0%)と不安(HAM-A尺度、平均差 −4.83、95%CI −5.71〜−3.94、I² = 0%)であった[6]。
原著の結論は、いずれの手技についても強いエビデンスは見出されなかったというものである。指圧は呼吸困難・生活の質・不安に有益である可能性があるが、それは質の低い試験に基づくとしている[6]。
11 件の灸の試験が組み入れられながら、灸についての統合結果が一つも出せなかった。これは「灸に効果がない」ではなく「灸の試験どうしを統合できるほど条件が揃っていない」という意味である。第II部で見た「灸という袋の中身」の問題が、統計の水準で現れた形といえる。
文献[9]のCOPDネットワークメタ解析[9] は 48 件・3,900 例を統合して督灸・扶陽灸・温和灸の順位づけまで行っている。一方で本章のレビューは 11 件を統合できないと判断した。同じ領域で、統合の可否についての判断が真っ二つに割れている。順位づけまで示した論文を引用するときは、別の研究チームが同じ試験群を統合不可と判断していることも、あわせて知っておく必要がある。
13「悪化を遅らせる」と「良くする」
COPDで偽刺激対照を用いた試験が一つある。介入は灸ではなく鍼だが、この試験の結果は「改善した」ではなく「悪化が小さかった」という形をしている。この違いは臨床的に大きい。
13-1 設計と結果
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| デザイン | 無作為化・2施設。2022年2月 から 2023年7月 |
| 対象 | 40〜80歳。238 名をスクリーニングし 74 名を無作為化(各群 37 名。男性 58 名(78.4%)、平均年齢 69.6歳(標準偏差 7.2)) |
| 介入 | 実鍼または偽鍼を週 3回、計 36回 |
| 主要評価項目 | ベースラインから介入後までのFEV1%の変化 |
| 群 | 変化量 | 95%信頼区間 |
|---|---|---|
| 鍼群 | 1.35 | −0.47〜3.17 |
| 偽鍼群 | −2.44 | −4.56〜−0.33 |
| 群間差 | −3.97 | −6.2〜−1.74 |
| 調整後の群間差 | −3.46 | −5.69〜−1.24(P = 0.003) |
治療に関連した有害事象は鍼群 11 件、偽鍼群 2 件で、いずれも軽度であった。原著の結論は、偽鍼と比較して、鍼と薬物療法の併用は肺機能の低下を遅らせる可能性があるというものである[7]。
13-2 数値の構造
ここで注意すべきなのは、鍼群自身の変化量 1.35 の信頼区間が −0.47 から 3.17 であり、0をまたいでいることである。すなわち鍼群でFEV1%が上がったとは言えない。群間差が生じたのは、偽鍼群が −2.44(信頼区間が0をまたがない)と低下したためである。
この試験が示したのは「鍼で肺機能が良くなった」ではない。「鍼を受けた群では、受けなかった群に見られた低下が起きなかった」である。COPDが進行性の疾患であることを考えれば、これは臨床的に意味を持ちうる。ただし主張の内容は明確に別のものである。
13-3 用量と効果の関係
同じ研究グループは、鍼の回数・頻度・期間と効果の関係を用量反応メタ解析で調べている[8]。1,669 件の記録から 17 件の無作為化比較試験・1,165 名を組み入れた結果は次のとおりである。
| 指標 | 平均差 | 95%信頼区間 |
|---|---|---|
| FEV1% | 3.50 | 2.05〜4.95 |
| 6分間歩行距離 | 47.39 m | 29.29〜65.50 |
| SGRQ | −8.25 | −11.38〜−5.12 |
| CAT | −2.91 | −3.99〜−1.83 |
回数との関係では、12回 の施術後にFEV1%が 7.06%(95%CI 4.56〜9.55)、6分間歩行距離が 36.28 m(95%CI 20.37〜52.20)増加したと報告されている。FEV1%の改善の最大値は 18回 後(平均差 7.89、95%CI 5.33〜10.45)、6分間歩行距離の最大値は 45回 後(平均差 125.43、95%CI 72.80〜178.07)であった[8]。原著は、臨床的に意味のある最小の差は 12回 の施術後に達成されうるとしている。
本章の二つの研究はいずれも鍼であって灸ではない。灸について同じ設計——偽灸対照、FEV1%を主要評価項目、用量反応の検討——が行われた研究に、本書は到達できなかった。COPDにおいて灸の話をするとき、この鍼の数値を借りてくることはできない。できるのは、灸でも同じ設計が可能であることを知り、それが行われていないという事実を正しく認識することである。
アレルギー性鼻炎
アレルギー性鼻炎は、灸のメタ解析がもっとも肯定的な結論を出している領域である。そしてもっとも、指標によって結論が割れる領域でもある。
この部を読むとネットワークメタ解析の「最良」を、信用区間の幅とセットで読めるようになる。
14有効率とVASの食い違い
間接灸のメタ解析は、21 件の無作為化比較試験・1,549 名を統合している[10]。同じ試験群から、有効率では差が出て、VASでは出なかった。
14-1 規模と質
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 検索 | 8 つのデータベース、2020年5月22日 まで |
| 規模 | 21 件、1,549 名 |
| 介入の内訳 | 間接灸のみ 5 件、間接灸+他の介入 16 件 |
| 試験の質 | 高 6 件、中 12 件、低 3 件。全体として中等度 |
| アウトカムの確実性 | すべてのアウトカムについて低い |
14-2 指標ごとの結果
| 指標 | 効果量 | 95%信頼区間 | 異質性 | 判定 |
|---|---|---|---|---|
| 総有効率 | RR 1.16 | 1.11〜1.21 | I² = 30% | 有意 |
| 段階別症状スコア | SMD −1.10 | −1.58〜−0.61 | I² = 88% | 有意 |
| TNSS | SMD −1.36 | −2.14〜−0.58 | I² = 0% | 有意 |
| RQLQ | SMD −2.60 | −4.06〜−1.14 | I² = 92% | 有意 |
| VAS | SMD −0.38 | −1.06〜0.30 | I² = 83% | 有意でない |
血清IgEについては 1 件のみが該当したため記述的な分析が行われ、両群間に有意差は認められなかった(P > 0.05)。鼻以外の症状スコア(TNNSS)も 1 件のみで、試験群が対照群より優れていた(P < 0.05)[10]。
原著の結論は、間接灸はアレルギー性鼻炎の全体的な治療に良好な臨床効果を持ち症状を改善しうるが、VASスコアと血清IgEの改善については明らかな優位性はなかったというものである。そして、組み入れた文献の標本サイズが小さく質が中等度で、エビデンスの水準が低いという限界を挙げている[10]。
14-3 異質性の読み方
表14-2の異質性(I²)に注目すると、有意差が出た指標のうちRQLQは 92%、段階別症状スコアは 88% である。これは、試験ごとに結果が大きくばらついていることを意味する。一方、TNSSは I² = 0% と揃っている。同じ統合結果でも、背後のばらつきはまったく違う。
アレルギー性鼻炎に灸を用いるとき、この研究から言えるのは「鼻症状の合計点で改善が報告されている。ただし症状の強さを線分で答えるVASでは差が出ていない。血清IgEも動いていない」までである。IgEが動かないという事実は重要で、アレルギーの機序そのものを変えたという説明は、この研究では支持されない。語れるのは症状の緩和までである。
15信用区間が1360まで伸びるとき
アレルギー性鼻炎には、灸の種類どうしを比べたベイズ型ネットワークメタ解析もある[12]。その結論の数値は、この領域のデータの薄さをそのまま表示している。
15-1 報告された内容
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 検索 | 8 つのデータベース、2022年1月 まで |
| 規模 | 38 件の無作為化比較試験、4,257 名、9 種類の灸 |
| 有効率 | 熱敏灸が最良。オッズ比 32.77(95%信用区間 1.86〜1360.2) |
| 生活の質 | 熱敏灸。標準化平均差 0.6(95%信用区間 0.07〜1.29) |
| IgE・VAS | 各種の灸は西洋薬と同等であった |
15-2 この信用区間が意味するもの
オッズ比 32.77 は、点推定値としては極めて大きい。しかし信用区間の上限は 1360.2 である。下限は 1.86、上限は 1360.2 である。これは、この推定を支えるデータが薄いことの表示である。
比較の網の中で、熱敏灸を含む直接比較の数が少なければ、区間はこのように広がる。点推定値の大きさは、この場合、効果の大きさというより情報の少なさを反映している可能性が高い。
15-3 三つのネットワークメタ解析が並ばない
| 文献 | 規模 | 比較の単位 | 「最良」とされた介入 |
|---|---|---|---|
| [10] | 21 件・1,549 名 | 間接灸と対照 | (順位づけを行っていない) |
| [11] | 50 件・4,260 名 | 鍼灸療法 5 種 | 穴位埋線 |
| [12] | 38 件・4,257 名 | 灸 9 種 | 熱敏灸 |
三つはいずれも同じ疾患を対象とし、規模も近い。それでも比較の単位が違うため、結論が並ばない。[11]は艾を燃やさない手技を最良とし、[12]は熱敏灸を最良としている。
ネットワークメタ解析の「最良」という語は、その解析が比較の網に入れた介入のなかで、という限定つきの語である。網の中身が違えば最良も変わる。信用区間が数百倍の幅を持つ順位づけを、施術方針の根拠にすることはできない。確認すべきは順位ではなく、信用区間の幅と、網に入っている介入の一覧である。
安全性と未解決問題
呼吸器疾患の患者への施灸には、他の領域にはない固有の注意点がある。灸は煙を出す。そして煙が誘因となった発作が、実際に報告されている。
この部を読むと効果の根拠が薄い領域で、リスクの側の情報をより正確に伝えられるようになる。
16呼吸器疾患の患者に灸を据えるとき
効果の確実性が低い領域では、リスクの側の情報がより重要になる。この章で扱うのは、灸の有害事象のうち呼吸器に関わるものである。
16-1 日本の症例報告レビューに現れる喘息発作
古瀬と山下は、1980年 以降の灸に関連した有害事象の症例報告を調査し、38 文献 98 症例を収集している[14]。その内訳のなかに、喘息発作が 3 文献 3 症例含まれている。
| 有害事象 | 文献数 | 症例数 |
|---|---|---|
| 皮膚腫瘍 | 15 | 15 |
| 水疱性類天疱瘡 | 4 | 5 |
| 熱傷 | 4 | 4 |
| 喘息発作 | 3 | 3 |
| 症状増悪 | 2 | 60 |
このレビューは、多くの症例が深達性II度以上の熱傷に由来する有害事象であり、熱量の大きい施術を避けることがリスクマネジメントとして有用であると述べている[14]。
16-2 海外のレビューにも呼吸器の記載がある
Xu らは 6 か国から報告された 24 論文 64 症例をまとめており、有害事象の一覧に咳嗽が含まれている[15]。原著はまた、施灸の体位、時間、艾と皮膚の距離、施術者の習熟度、患者の状態、煙の存在、施術環境が灸の安全性に影響しうると記している。
Park らのレビューでは、臨床試験のなかで報告された有害事象として、発赤、水疱形成、掻痒感、煙による不快感、全身倦怠感、胃部不快感、症状の一時的増悪、頭痛、熱傷が挙げられている[16]。もっとも多く同定されたのはアレルギー反応、熱傷、および蜂窩織炎やC型肝炎などの感染であった。
Park らの結論は、灸は完全に無リスクではないが、これらの有害事象の発生率は現時点で分かっていないというものである[16]。
症例報告のレビューから分かるのは「何が起こりうるか」であって「どれくらいの頻度で起こるか」ではない。喘息発作 3 症例という数字は、リスクが小さいことを意味しない。分母が存在しないため、頻度を見積もることができない。
16-3 効果とリスクの非対称
本書がここまでに確認したことを並べると、次のようになる。
- 喘息・COPD・アレルギー性鼻炎のいずれについても、偽灸を対照とした無作為化比較試験は存在しなかった。
- 肺機能の実数(FEV1・FVC)で群間差が示された灸の試験に、本書は到達できなかった。
- 一方で、灸が喘息発作の誘因となった症例は実際に報告されている[14]。
喘息の既往がある患者に灸を用いる場合、煙の量と換気を、施術計画の一部として明示的に扱う。これは慎重論ではなく、症例報告に基づく具体的な注意である。効果の側が「症状スコアの改善が非盲検試験で報告されている」までであるのに対し、リスクの側には発作の症例がある。この非対称のもとで、効果を大きく語りながらリスクを語らないことは、専門職の説明として成立しない。
17研究方法論と未解決問題
この章は、次に研究に着手する人のためのものである。抽象的な課題ではなく、明日から設計できる粒度で空白を並べる。
17-1 本書の調査範囲で見出せなかったもの
- 偽灸を対照とした、呼吸器疾患の無作為化比較試験。喘息・COPD・アレルギー性鼻炎のいずれについても到達できなかった。妥当性を検証済みの偽灸デバイスは 2006年 から存在する[13]。鍼では偽鍼対照の試験が喘息[1] でもCOPD[7] でも実施されている。
- 灸によって肺機能の実数(FEV1・FVC)に群間差が示された試験。本書が確認できた範囲では、COPDの多施設試験[5] でFVCとFEV1に群間効果はなく、喘息の熱敏灸メタ解析[3] でもFEV1・PEFに有意差はなかった。
- 喘息に対する灸の Cochrane レビュー。存在するのは鍼を対象としたもの[1] であり、その検索は 2003年8月 までである。
- 各種の灸(熱敏灸・督灸・扶陽灸・温和灸・臍灸など)の操作手順を定義した文献。本書が引用した論文の抄録には、いずれも定義の記載がなかった。定義が共有されないかぎり、これらを区別して順位づけした解析[9][12] の結果は再現できない。
- 灸の呼吸器試験における煙の曝露量を測定・報告した研究。喘息発作の症例が報告されている[14] にもかかわらず、臨床試験で煙の曝露量が管理・報告された例に到達できなかった。
17-2 この領域が進みにくい構造的な理由
- 動きやすい指標が主要評価項目に選ばれやすい
- 総有効率と症状スコアは、肺機能の実数より小規模・短期間で有意差が出やすい。資源の制約下では動きやすい指標が選ばれ、その結果として「症状は動くが実数は動かない」という文献群が積み上がる。
- 介入の定義が共有されていない
- 第II部で見たとおり、灸の種類は細かく分かれる一方で定義が示されない。統合できないメタ解析[6] と、15 種を順位づけするメタ解析[9] が同じ領域に共存している。
- 盲検化の道具があっても使われていない
- 偽灸デバイスは 2006年 に妥当性が検証されている[13]。それでも呼吸器領域で用いられた試験に到達できなかった。これは技術の問題ではない。
17-3 次に設計されるべき試験の骨格
- 妥当性検証済みの偽灸デバイス[13] を対照として用いる。
- 主要評価項目を肺機能の実数(喘息ならFEV1、COPDならFEV1%)または増悪回数に置く。
- 灸の種類、艾の量、壮数、部位、1回あたりの時間、頻度を数値で定義し、公表する。
- 施術環境の換気条件と、患者の煙曝露に関する有害事象を、あらかじめ収集項目に入れる。
- 症状スコアと総有効率は副次評価項目に置き、主要評価項目にしない。
本書の結論は、上巻と同じ形をしている。呼吸器疾患に対する灸は、「症状の点数が改善したという非盲検試験の報告がある」段階にある。肺の数値を動かしたという根拠には、本書は到達できなかった。この状態で施術を行うこと自体は否定されない。否定されるのは、この状態を「効果が証明されている」と言い換えることである。標準治療の隣に、限定つきで置く。それが現時点の根拠から導ける、唯一の位置づけである。
理解度チェック
本書の内容から10問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。すべて本文に明示した記述だけから解けます。
中国語圏の臨床試験で多く用いられる「総有効率」という指標の説明として適切なのはどれか。
総有効率は、各試験があらかじめ定めた基準にしたがって患者を分類し、有効と判定された人の割合を示す複合指標である。基準は試験ごとに異なるため C は誤り。B は連続量を二値に落としている点で誤り。D は症状スコアやQOL尺度の説明である。根拠:第3章/[3][10]
呼吸器疾患の臨床試験で用いられる指標のうち、患者の自己記入ではなく実測値であるのはどれか。
6分間歩行距離は運動耐容能の実数指標であり、患者が良くなったと感じるだけでは動かない。A は ACT スコア、B は VAS で、いずれも患者が自分で答える尺度である。D は総有効率であり、判定者の主観が入りうる。根拠:第1章・第2章/[5]
呼吸器疾患の試験で「灸」とひとくくりに書かれた介入を読むときの注意として、適切なのはどれか。
熱敏灸と warm-suspended moxibustion を比較した試験では、6か月追跡後のFEV1とPEFに有意差が認められたと報告されている。同じ「灸」でも種類が違えば結果は変わりうる。A は誤りで、これらの試験の抄録には手技の定義が記載されていないことが多い。C も誤りで、9種あるいは15種の介入を区別した解析が存在する。根拠:第4章/[3][9][12]
安定期COPDを対象に5種の介入を比較したネットワークメタ解析がある。この解析を「灸のメタ解析」として引用すると不正確になりうる理由はどれか。
比較された5種は鍼刺・艾灸・穴位貼敷・穴位埋線・耳穴療法であり、艾を燃やすのは艾灸のみである。そしてこの解析は穴位埋線を最良と結論している。「鍼灸が有効」という結論を持つ論文が、艾を燃やさない手技を最良としていることがある、という点に注意が要る。根拠:第5章/[11]
喘息に対する灸の系統的レビューについて、原著が明記しているのはどれか。
原著は、CD4陽性およびCD8陽性T細胞の割合と好酸球数に対する効果が、上乗せの比較と直接比較のあいだで一致しなかったと明記している。A はエビデンスの質が中等度から非常に低いと記されているため誤り。B は小児の生活の質には効果がなかったとされる。D は報告された有害事象がすべて軽度であったため誤り。根拠:第7章/[2]
熱敏灸と西洋薬を比較したメタ解析が報告した、統合結果はどれか。
3か月の治療後も6か月の追跡後も、有効率・ACTスコア・FEV1・PEFのいずれにも有意差は認められなかった。有効率の相対危険度は 1.01(95%CI 0.92〜1.12) と 1.12(95%CI 0.93〜1.36) で、いずれも1をまたいでいる。原著は組み入れた試験の質が低いことも限界として挙げている。根拠:第8章/[3]
喘息に対する鍼のCochraneレビューについて、正しいのはどれか。
レビューは、いくつかの研究で偽鍼の群に用いられた経穴が中医学において喘息の治療に用いられるものであったと指摘している。A は誤りで、統計学的に有意な効果も臨床的に意味のある効果も認められなかった。C は誤りで、介入は鍼である。D は誤りで、検索は2003年8月までである。根拠:第10章/[1]
安定期COPDの患者を対象とした試験で、群間効果が認められなかったアウトカムはどれか。
努力肺活量と1秒量については、時間効果・群間効果・交互作用のいずれも認められなかった(P > 0.05)。A・B・C はいずれも群間効果が認められている。動いたのは増悪頻度・運動耐容能・症状であり、気流閉塞そのものを表す実数は動かなかった。根拠:第11章/[5]
アレルギー性鼻炎に対する間接灸のメタ解析で、有意差が認められなかったアウトカムはどれか。
VASの標準化平均差は −0.38(95%CI −1.06〜0.30) で信頼区間が0をまたぎ、血清IgEも両群間に有意差が認められなかった。原著自身が、VASスコアと血清IgEの改善については明らかな優位性はなかったと結論している。この事実は、アレルギーの機序そのものが変わったという説明を支持しない。根拠:第14章/[10]
呼吸器疾患を対象に、灸を偽灸と比較した無作為化比較試験が見当たらない。この状況から言えることはどれか。
喘息・COPD・アレルギー性鼻炎のいずれについても、偽灸を対照とした無作為化比較試験には到達できていない。偽対照がなければ、期待や通院に伴う効果を差し引けない。妥当性を検証済みの偽灸デバイスは2006年から存在するため C は誤りであり、証拠がないことは効果の否定ではないため B も誤りである。根拠:第16章・第17章/[9][10][13]
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引用文献
本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。本文に到達できなかった資料はその旨を明記し、数値を引用していない。中国語の論文は英文抄録に記載された数値のみを引用している。
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灸と呼吸器 第1版(2026年8月)。灸エビデンス・ライブラリ/臨床編。
本書の数値はすべて原著の報告値であり、編者による計算・推定値は含まない。中国語論文は英文抄録に記載された数値のみを引用している。文献[2]のIgEの変化の方向と、文献[4]の有意差の向きは、入手できた抄録から特定できなかったため記述していない。
全身の免疫指標と感冒・感染予防は上巻『灸と免疫』が、もぐさの煙に含まれる物質と濃度は『もぐさの特性』が正本である。
改版履歴:2026年8月 初版発行。