灸エビデンス・ライブラリ
Moxibustion & Cold Sensitivity — 全17章

灸の臨床|冷え症 訴えを測る

「冷える」という訴えは測れるのか。
灸はそれを変えるのか。答えの前に、まず物差しを検める。

第1版 2026年8月 診断基準の不在 / 評価尺度 / サーモグラフィ / 皮膚温の実測 / セルフ灸

3分で要点だけ

本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。

  1. 同じ「冷え症」の下に、互いに換算できない定義が並んでいる自覚で切ると女性55.6%、前額−指尖8℃で切ると22.7%。定義が変われば対象集団が変わる
  2. 灸のランダム化比較試験は、調査範囲では1件(49名)だけだった対照はレッグウォーマー。VASは小、苦痛度と体温較差は中の効果量と報告されている
  3. 足三里への温筒灸で、足背遠位は31.1℃から32.7℃へ1壮と3壮のあいだには、左足関節を除くすべての部位で有意差がなかった

続けて読むなら 序章から。要点だけ確かめたい場合は 理解度チェック へ。

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序章

物差しのない主訴を扱う

冷えは、日本の施術室でもっとも頻繁に語られる訴えの一つでありながら、国際的にはもっとも定義が定まっていない訴えである。本書は「灸は冷えに効くか」に答える前に、その問いに答えるための物差しが存在するかどうかを検める。物差しが未整備であることは、灸が無力であることを意味しない。ただし、それを知らずに数値を引用することは、施術者の信用を損なう。

この部を読むと冷えの数値を読む前に、その研究が冷えを何で定義したかを確認する習慣がつく。

00物差しのない主訴を扱う

本書は主訴と臨床アウトカムだけを扱う。熱がなぜ血管を広げるのかという機序は既刊『灸と血流の生理学①②』が正本であり、本書はそこを繰り返さない。この章は、以降の各章で数値を読むための道具を渡す。

0-1 本書を貫く三つの問い

  1. その研究は「冷え」を何で定義したか。自覚か、温度差か、質問票か。定義が違えば対象集団が違う。
  2. その数値は何と比べた数値か。無処置か、待機か、別の温熱手段か。
  3. その指標は、患者が困っていることを測っているか。皮膚温が1℃上がることと、夜に足が冷えて眠れないことは別の量である。

0-2 エビデンスの階層

表 0-1 本書で用いるエビデンスの階層
階層研究デザイン典型的な弱点
A偽対照を置いた盲検RCT/Cochraneレビュー本数が少ない。偽刺激の妥当性
B健常者を対象とした客観指標の実験・大規模横断調査短時間の観察。因果を示さない
C動物実験(機序解明)刺激条件がヒト臨床と異なる
D非盲検RCT/単群前後比較期待効果と出版バイアスが大きい
E症例報告・専門家調査・非査読の実測報告査読なし、あるいは個別事例
本書の階層表記

本書では、健常者を対象とした皮膚温の実験を B、冷え症者を対象とした非盲検の介入試験を D として扱う。灸の温熱刺激は被験者に対して隠しようがないため、この領域に階層Aの試験はほとんど存在しない。存在しないことを、弱い証拠で埋めない。

0-3 既刊との境界

血管抵抗が半径の4乗に反比例すること、TRPV1が約43℃で開くこと、灸種ごとに局所血流がどう動くかは『灸と血流の生理学①②』が扱う。本書はそれらを前提として、患者が訴える「冷え」という主観と、臨床試験で測られたアウトカムだけを扱う。器質的疾患(レイノー現象・糖尿病性末梢循環障害・褥瘡)は第2巻『灸の臨床|末梢循環障害』が扱う。

臨床への翻訳

患者に「冷えに灸は効きますか」と聞かれたとき、答えの前に確認すべきことが一つある。その患者の「冷え」が、寒くない環境で起きているのか、色調変化を伴うのか、片側だけか。色調変化を伴う発作性のものはレイノー現象の疑いであり、本書ではなく第2巻の領域である。左右差のある冷えは血管の器質的病変を含みうる。この振り分けを先に行わないと、以降の数値はすべて別の集団の数値になる。

第I部

冷えとは何か

この部は、冷えを定義しようとした試みを、日本と韓国の両方から並べる。結論を先に書く。同じ「冷え症」という語の下に、互いに換算できない四つの集団がいる。

この部を読むと「冷え症」という一語の下に並ぶ四つの定義を、互いに換算できないものとして区別できるようになる。

01「冷え症」は診断名ではない

冷え症は医学的な診断名ではない。この一文は、批判ではなく出発点である。診断名でないものを研究対象にするには、研究者が毎回自分で定義を作らなければならない。そこから、この領域のすべての難しさが生じている。

1-1 西洋医学の疾患分類に位置を持たない

韓国医学の専門家調査は、手足の冷え(cold hypersensitivity in the hands and feet、以下 CHHF)について「西洋医学では独立した疾患として分類されない症状である」と明記している[2]。同じ趣旨のことは日本の研究にも書かれている。Sakaguchi らは、冷え症について「この状態は明確な定義を欠き、診断は個人の自覚に依存している」と述べ、標準化された診断基準を作ることを研究の目的に掲げた[1]

つまり2016年の時点で、日本の研究者は「基準がないので作る」と書いていた。そして2018年の韓国の専門家調査もまた「標準化された診断基準は存在しない」ことを研究の動機に挙げている[2]二つの国が、それぞれ別々に基準を作ろうとしていた。互いに参照し合う共通の基準は、本書の調査範囲では見出せなかった。

1-2 語の整理

hie(冷え)
冷たいという感覚そのもの。誰にでも起こる。
hiesho(冷え症)
hie が強く、生活上の問題になっている状態。英語論文でも hiesho の語がそのまま用いられる[1]
CHHF(cold hypersensitivity in the hands and feet)
韓国医学で用いられる語。「影響を受けていない人が寒いと感じない環境で、手足の冷えを訴える」と定義される[7]
cold intolerance / cold sensitivity(寒冷不耐)
手外傷後の後遺症として、手外科の領域で用いられてきた語。冷え症とは別の研究系譜を持つ[8]
レイノー現象
「寒冷または情動に対する過剰な血管攣縮反応」であり、古典的には指趾が白色、次に青色、次に赤色へと変化すると記述される[18]。疾患概念であり、冷え症とは区別される。第2巻で扱う。
要点

これらは同義語ではない。hiesho と CHHF は「自覚」を軸にした概念、寒冷不耐は「外傷後の後遺症」を軸にした概念、レイノー現象は「色調変化を伴う血管攣縮」という所見を軸にした概念である。論文を読むときは、まずどの語系譜に属する研究かを見る。

1-3 専門家は何を重視しているか

韓国医学の大学病院に勤務する専門家31名への調査では、提示された CHHF の定義に 83.8% 以上が同意した[2]。そして77.4% が、器械による測定よりも患者の自覚的な訴えを優先すると回答している[2]。原因としては体質・遺伝的要因が 87.1%、ストレスが 64.5% に挙げられた[2]

臨床への翻訳

この 77.4% という数字は、施術者にとって二重の意味を持つ。一方では、患者の訴えを軽んじないという臨床的良識の表れである。他方では、器械で測れる指標が改善しなくても「効いた」と言えてしまう構造の温床でもある。自覚を主要な指標に置くこと自体は誤りではない。誤りは、自覚が改善したことを根拠に「血流が改善した」と説明することである。自覚が測っているのは自覚であって、血流ではない。

02自覚で切る定義——質問票

冷え症を定義する第一の流儀は、質問票である。この章は、日本でもっとも引用される尺度がどう作られたかを追い、その作り方に内在する限界を示す。

2-1 1,146名から24項目を抽出した研究

Sakaguchi らは学生 1,146 名を対象に、自覚の有無によって冷え症群と非冷え症群に分け、身体的・行動的・適応的な特性を 24 項目・4段階の質問票で比較した[1]。冷え症であるという自覚を持っていたのは男性 23.2%、女性 55.6% であった[1]

受信者操作特性(ROC)曲線から最適なカットオフ値が定められ、その判別性能は次のように報告されている[1]

表 2-1 冷え症判別尺度の性能(Sakaguchi ら 2016)
指標男性女性
自覚的な冷え症の割合23.2%55.6%
感度84.5%83.3%
特異度86.0%85.2%

2-2 この感度・特異度が何に対する数字か

ここは注意して読む必要がある。感度・特異度は、必ず「正解」とみなす基準(参照基準)に対して計算される。この研究の参照基準は、被験者自身が「自分は冷え症だ」と自覚しているかどうかである[1]

したがって 84.5% という感度は、「質問票が、自覚をどれだけよく再現できるか」を示す数字である。「質問票が、生理学的な冷えをどれだけよく検出できるか」を示す数字ではない。この二つは別物である。原著の目的が自覚の標準化にあった以上、この設計自体は誤りではない。誤りは、この数字を「冷え症の診断精度」として引用することである。

2-3 他の質問票

日本では他にも冷え感を評価する尺度が用いられている。第12章で扱うランダム化比較試験は、対象者の選定に楠見・江守による冷え感尺度を用いている[14]。韓国の研究では、「影響を受けていない人が寒いと感じない環境で、手足の冷えを訴える」という記述が定義として用いられている[7]

要点

質問票はそれぞれの研究グループが自前で作っている。本書の調査範囲では、日本の尺度と韓国の尺度のあいだで得点を相互に変換した研究に到達できなかった。したがって「日本では55.6%、韓国では21.6%」という並置は、有病率の差ではなく尺度の差を見ている可能性がある。

臨床への翻訳

初診で冷えの程度を記録するなら、どの尺度を使ったかを診療録に残す。次回以降、同じ尺度で測らなければ変化は読めない。逆に言えば、施術所で独自の10段階スケールを使うことも、それを毎回同じ条件(時刻・室温・座位で何分後)で取り続けるかぎり、研究で使われている尺度に劣らない。尺度の質を決めるのは項目の精巧さではなく、測定条件の一定さである。

03温度差で切る定義——8℃と6℃

冷え症を定義する第二の流儀は、体表の部位間の温度差である。自覚に依存しないという利点があるが、閾値の根拠という問題が残る。

3-1 前額と指尖の差 8℃

Tsuji らは地域在住者 889 名(平均年齢 62.4 ± 8.8 歳)を対象に、サーモグラフィで前額と指尖の温度差が 8℃ 以上であることを冷え症の定義とした[3]。この基準に該当したのは 22.7% であり、手背・手掌・手指・体幹背側・足趾・足底の冷感と強く関連していた[3]

危険因子として、高齢・女性・低BMI・高血圧・貧血・身体不活動が挙げられている[3]。ロジスティック回帰による予測モデルの曲線下面積は 0.737、Hosmer-Lemeshow 検定は P = 0.426 であった[3]

3-2 中枢温と末梢温の差 6℃

もう一つの流儀は、中枢温と末梢皮膚温の差を用いるものである。Kono らの研究では、中枢温と末梢皮膚温の差が 6℃ 以上であることに加えて自覚症状を伴うことを冷え症の条件としている[4]

表 3-1 冷え症の定義の一覧(本書が到達できた範囲)
定義の型具体的な基準報告した研究該当割合
自覚のみ「自分は冷え症だ」と答えるSakaguchi ら 2016[1]男 23.2% / 女 55.6%
質問票24項目・4段階のカットオフSakaguchi ら 2016[1]
体表の温度差前額 − 指尖 ≧ 8℃Tsuji ら 2022[3]22.7%
中枢と末梢の差中枢温 − 末梢皮膚温 ≧ 6℃ + 自覚Kono ら 2025[4]
自覚(韓国)寒くない環境での手足の冷えの訴えBae ら 2019[6]手 21.6% / 足 23.0%

3-3 閾値はどこから来たか

ここで正直に書いておかなければならないことがある。8℃6℃ という閾値が、どのような手続きで導かれたのかを一次資料で確認することは、本書の調査範囲ではできなかった。Tsuji らの研究は 8℃ を定義として採用しており、その定義の妥当性を検証した研究ではない[3]

これは研究者の不誠実を意味しない。診断名が存在しない対象について研究を始めるには、どこかで基準を仮に置くしかない。問題は、仮に置かれた基準が、引用を重ねるうちに確立した基準のように見えてくることである。

臨床への翻訳

サーモグラフィで前額と指尖の差が 7℃ だった患者に対して、「基準に満たないので冷え症ではありません」と言ってはならない。8℃ は疾患の境界ではなく、ある一つの研究が集団を二分するために置いた線である。逆に 9℃ だったからといって治療が必要と決まるわけでもない。温度差は、その患者の中での前後比較にこそ意味がある。他人との比較ではなく、同一人物の時系列で使う。

04定義が変われば有病率が変わる

前章までで、定義が四通りあることを見た。この章では、その四通りがそれぞれどれだけの人を拾うかを並べる。数字の差の大半は、集団の差ではなく定義の差である。

4-1 日本の調査

10県14病院に勤務する女性看護師 1,138 名を対象とした全国調査では、日常的な冷えを自覚していたのが 44.3%、冷え感尺度(Hiesho Sensation Scale)で冷え症と判定されたのが 21.4% であった[5]。同じ集団に二つの定義を当てるだけで、該当する割合はこれだけ違う。

この調査はさらに、63.1% が看護業務中に手の冷えを感じ、28.1% が手の冷えによる不快感を報告したことを示している[5]。著者らは、日本の病院に勤務する女性看護師の冷えの割合は同じ感覚を持つ日本人女性一般と同程度であったと述べている[5]

4-2 韓国の調査

層化多段抽出による韓国の全国調査(2,201 名)では、冷えは手に 21.6%、足に 23.0%、手足の両方に 17.9% 認められた[6]。女性で有意に高く、低BMIの者に多い。SF-12による健康関連QOLは、身体面・精神面ともに負の影響を受けており、その傾向は女性で顕著であった[6]

表 4-1 冷えの頻度は、定義とともに読む
研究対象定義頻度
Sakaguchi ら 2016[1]学生 1,146名自覚男 23.2% / 女 55.6%
Suzuki ら 2024[5]女性看護師 1,138名自覚(日常の冷え)44.3%
Suzuki ら 2024[5]同上冷え感尺度21.4%
Tsuji ら 2022[3]地域在住者 889名前額 − 指尖 ≧ 8℃22.7%
Bae ら 2019[6]韓国全国 2,201名自覚(手)21.6%
Bae ら 2019[6]同上自覚(足)23.0%

4-3 冷えと慢性疾患の関連

韓国の25施設 6,149 名を解析した多施設研究は、CHHF群(1,909 名)と非CHHF群(3,017 名)で慢性疾患の頻度を比較した[7]。CHHF群で高頻度だったのは貧血・低血圧・慢性胃炎・逆流性食道炎・慢性鼻炎・月経困難症・胃十二指腸潰瘍であり、低頻度だったのは高血圧・糖尿病・脂質異常症・脳卒中・脂肪肝・狭心症であった[7]

この結果は横断研究であり、因果の方向を示さない。著者ら自身が「関連を検証するには大規模な前向き研究が必要である」と述べている[7]

臨床への翻訳

この表の並びには臨床上の意味がある。冷えを訴える集団では、動脈硬化性疾患がむしろ少なく、貧血と低血圧が多い。つまり施術所で冷えを訴える患者に対して、まず考えるべきは血管の詰まりではなく、貧血・低体重・低血圧といった「熱を作る材料と運ぶ圧」の側である。ただしこれは韓国の横断データであり、目の前の患者の原因を示すものではない。左右差・色調変化・安静時痛があれば、この統計の外側の話になる。

第II部

測定の技術

定義が四通りあるなら、せめて測定は揃えられるはずである。この部は、冷えを測るために使われている技術を一つずつ検め、何が誤差になり、どこまでが検証されているかを示す。

この部を読むとサーモグラフィ・寒冷負荷・質問票・機械学習のそれぞれが、何を参照基準にしているかを見抜けるようになる。

05サーモグラフィの誤差はどこから来るか

赤外線サーモグラフィは、冷え症研究でもっともよく使われる客観指標である。しかし皮膚温は、測る側の条件で簡単に動く。この章は、何を揃えなければ数値が比較できないかを示す。

5-1 国際的な合意事項が作られたのは2017年である

スポーツ・運動医学の領域で、赤外線サーモグラフィによる皮膚温測定の方法を標準化する試みが行われた。スポーツ科学・生理学・理学療法・医学にまたがる13か国・24名のパネリストによる研究で、16項目の原案を3ラウンドの匿名調査で評価し、15項目について合意が形成された[9]。この合意項目は TISEM(Thermographic Imaging in Sports and Exercise Medicine)チェックリストと名づけられた[9]

合意された15項目は、被験者の背景情報、機材と室内環境の設定、皮膚温の記録と解析の手順という三つの領域にわたる[9]。著者らは、この領域には従来「どの要素が重要で、論文にどれを報告すべきかについての合意が存在しなかった」と述べている[9]

5-2 実務上、何を揃えるか

合意が2017年に作られたということは、それ以前の冷え症研究は、各研究室の慣習に従って測定していたということである。以下は、TISEM が扱う領域に対応する実務上の確認点である。

  • 室温と順化時間。測定前に何分、どの室温で安静にしたか。これが違えば末梢皮膚温は数℃動く。
  • カメラと被験者の距離、カメラの位置。同じ部位でも角度が変われば放射率の見かけが変わる。
  • 被験者への事前説明。入浴・運動・カフェイン・喫煙の制限をどう指示したか。
  • 関心領域(ROI)の取り方。点で測るのか、面の平均を取るのか。
要点

本書が引用する冷え症のサーモグラフィ研究は、いずれも TISEM チェックリストへの準拠を明記していない。それらの研究が誤っているという意味ではなく、研究間で測定条件が揃っているという保証がないという意味である。異なる研究の絶対温度を横に並べて比較することは、この理由から避けるべきである。

臨床への翻訳

施術所でサーモグラフィや非接触体温計を使うなら、撮影条件を固定して記録に残す。室温、着衣を脱いでからの経過時間、カメラからの距離、撮影する部位。これを固定すれば、同一患者の前後比較には十分使える。固定しないまま撮った画像は、施術の効果ではなく待合室の空調を記録している。

06寒冷負荷と回復率という発想

安静時の皮膚温は、その日の環境に強く左右される。そこで、あえて冷やしてから戻る速さを見るという発想が出てくる。この章はその代表的な試みを検討する。

6-1 冷やしてから、戻る速さを測る

若年女性 62 名(うち半数が質問票で冷え症と判定された)を対象に、寒冷負荷試験のあとの足部皮膚温の回復率を測定した研究がある[10]

報告された結果は次のとおりである。内側中足部において、冷却から15分後の回復率が冷え症群と非冷え症群で有意に異なった(p < 0.01、Cohen's d = 0.663[10]。ROC曲線解析では、内側中足部・15分後・回復率 44.68% 未満という組み合わせがもっとも良い判別指標であり、曲線下面積は 0.701(95%信頼区間 0.572〜0.811)であった[10]

6-2 AUC 0.701 をどう読むか

曲線下面積は、無作為に選んだ冷え症の人と非冷え症の人を比べたとき、冷え症の人のほうが回復が遅いと正しく判定できる確率を表す。完全に偶然であれば 0.5 になる。報告された値は 0.701 であり、95%信頼区間の下限は 0.572 であり、偶然の 0.5 にかなり近いところまで含んでいる。著者ら自身、この手法を「定量的評価法として有望であり、さらなる研究に値する」と位置づけており、確立した検査として提示してはいない[10]

要点

この研究の参照基準もまた質問票である[10]すなわち「自覚を正解として、回復率がそれをどれだけ当てられるか」を測っている。第2章で見た構造がここでも繰り返されている。冷えの研究には、自覚から独立した参照基準が今のところ存在しない。

臨床への翻訳

安静時の皮膚温だけを見て「この人は冷えていない」と判断してはならない。回復の遅さは、安静時の絶対値には現れない。施術所で実施するなら、冷水や保冷剤で短時間冷却したあと、一定時間ごとに同じ部位を測る。ただしこの手順は本書が引用した研究の追試ではなく、44.68% という閾値をそのまま臨床判断に使う根拠は現時点ではない。使えるのは、同一患者の施術前後で回復の速さが変わったかどうかという相対比較である。

07国際的に検証された尺度はどこにあるか

ここまで、冷え症には国際標準の尺度がないことを見てきた。しかし「冷えに弱いこと」を測る尺度が国際的にまったく存在しないわけではない。存在する場所が違うだけである。

7-1 手外科の領域にある尺度

寒冷不耐症状重症度質問票(Cold Intolerance Symptom Severity questionnaire、CISS)は、手の外傷後によくみられ、生活を妨げる後遺症としての寒冷過敏を測るために作られた自己記入式の尺度である[8]。得点は 4〜100 点の範囲を取る[8]

Stjernbrandt らは、北スウェーデンの就労年齢の健常者 1,239 名(回答率 78%)を対象にした住民ベースの調査で、異常値の閾値を検討した[8]95パーセンタイルの CISS 得点は男性 49.5、女性 53.0 であり、年齢・性別・既往歴による影響はわずかであった[8]。著者らは「CISS 得点 50 超を異常な寒冷過敏とみなすべきである」と結論している[8]。エビデンスレベルは III と付記されている[8]

7-2 なぜ冷え症研究で使われていないのか

CISS は、住民ベースの大規模データから閾値が導かれている点で、第3章で見た 8℃6℃ とは成り立ちが異なる。にもかかわらず、本書の調査範囲では、CISS を用いて hiesho や CHHF を評価した研究に到達できなかった。

理由を断定することはできないが、二つの領域が別々の研究系譜として発展してきたこと、CISS が手の外傷という文脈を前提に設計されていること(設問には作業内容に関する項目が含まれる)が関係していると考えられる。

表 7-1 冷えを測る尺度の成り立ちの違い
尺度作られた領域閾値の根拠冷え症研究での使用
Sakaguchi らの24項目尺度[1]日本・鍼灸/衛生学自覚を参照基準とした ROCあり
前額 − 指尖 8℃[3]日本・衛生学本書の調査範囲では導出過程に到達できずあり
CISS[8]スウェーデン・手外科住民 1,239名の95パーセンタイル本書の調査範囲では見出せず
臨床への翻訳

この表が示しているのは、「冷えは測れない」のではなく「冷え症の研究者が使える形で測られてこなかった」ということである。施術者にとっての実務的な帰結は一つ。患者の冷えを記録するとき、「冷たいか」だけでなく「そのために何ができなくなっているか」を併せて記録する。CISS が測っているのは温度ではなく生活上の支障であり、そこにこそ患者が困っている実体がある。

08精度100%という報告の読み方

冷え症の判定を自動化する試みも行われている。この章は、報告された数字が高いほど慎重に読まなければならない理由を、一つの実例で示す。

8-1 報告された内容

Wang らは、46名(冷え症23名・健常23名)から得た 5,612 枚のサーモグラフィ画像を用いて、畳み込みニューラルネットワーク(AlexNet)による判別モデルを構築した[11]。報告された性能は、適合率・感度・特異度・F1 スコアのすべてが 100% である[11]。著者らは、サーモグラフィ画像が冷え症の判別に高い実現可能性を示したと結論している[11]

8-2 この数字をどう受け取るか

すべての指標が 100% になるという結果は、機械学習の分野では慎重な検討を要する所見として扱われる。理由は数の構造にある。画像は 5,612 枚あるが、人は 46 名しかいない。同じ人から繰り返し撮られた画像が、多数含まれていることになる。

同一人物の画像は互いに強く似ている。もし訓練用データと評価用データの分割が画像単位で行われていれば、モデルは「冷え症かどうか」ではなく「誰の足か」を学習しても高い正答率を出せる。この構造上の懸念について、本書は原著の分割手続きの詳細に到達できなかったため、断定的な評価を下さない。

要点

本書はこの研究を否定しない。指摘しているのは読み方である。被験者数が46名の研究から得られた「精度100%」は、5,612という画像数の大きさによって信頼できるものになるわけではない。統計的な独立性を持つ単位は画像ではなく人である。

臨床への翻訳

施術者が研究の数字を見るときの一般則として使える。まず「n」が何を数えているかを見る。人か、施術回数か、画像か、部位か。灸の研究でも同じ問題が起きる。10名に5部位ずつ据えて「n = 50」と書かれていれば、それは50人分の証拠ではない。同一人物から取った複数の測定値は、独立した証拠として数えられない。

第III部

灸は何を動かすか

ここが本書の中核である。物差しの問題を踏まえたうえで、灸を据えたときに実際に何が、どれだけ動いたと報告されているかを、原著の数値のまま並べる。動かなかったことも同じ重さで書く。

この部を読むと灸で何がどれだけ動いたかを、原著の報告値のまま患者に説明できるようになる。

09足部の皮膚温はどれだけ上がるか

灸で足が温まる、という言い方は施術所で日常的に使われる。それが数値としてどれだけの量なのかを、健常者を対象とした実験で確認する。

9-1 足三里への温筒灸と、下腿・足部の皮膚温

Kuge らは、健常な学生 34 名(平均年齢 22.4 ± 4.4 歳)を左施灸群 11 名・右施灸群 11 名・対照群 12 名に割り付け、筒型の温筒灸を足三里(ST36)に施した[12]。サーモグラフィで下腿前面・足関節前面・足背近位・足背遠位の4部位の皮膚温を、施灸前と施灸直後、その後5分ごとに20分まで測定している[12]

表 9-1 左足三里への温筒灸による左下肢の皮膚温変化(Kuge ら 2018、左施灸群)
測定部位施灸前20分後p値
下腿前面33.0 ± 0.6℃33.3 ± 0.5℃< 0.01
足関節前面32.7 ± 1.5℃33.4 ± 1.2℃< 0.01
足背近位32.2 ± 2.4℃33.1 ± 2.2℃< 0.05
足背遠位31.1 ± 3.7℃32.7 ± 3.2℃< 0.01

対照群では、観察したすべての部位で有意な温度変化はなかった[12]

9-2 標準偏差の大きさを見る

この表で見落としてはならないのは、末梢に行くほど標準偏差が大きくなることである。下腿前面の施灸前は 33.0 ± 0.6℃ だが、足背遠位は 31.1 ± 3.7℃ である[12]。同じ健常学生の集団でも、足先の温度は個人差が大きい。

平均値の上昇幅(足背遠位で 31.1℃ から 32.7℃)と、個人差の幅(標準偏差 3.7℃)を並べると、集団の平均としては上がっているが、個人差のほうが大きいという構図が見える。

要点

これは健常若年者を対象とした実験である(階層B)。著者ら自身が限界として、「皮膚温の変化は若年健常者でのみ評価された。これらの結果は他の集団、たとえば末梢血流が損なわれているレイノー病の患者などには適用できない可能性がある」と述べている[12]

臨床への翻訳

「灸で足が温まる」を数値に翻訳すると、健常若年者の足背遠位で、施灸前 31.1 ± 3.7℃ が20分後に 32.7 ± 3.2℃ になったという規模になる(いずれも原著の報告値)。この幅は、患者に説明するとき「劇的に温まる」と表現するには小さい。しかし足先の温度が生活の質に直結する患者にとって、無意味な量ではない。誠実な言い方は「据えた足先の温度が20分後にわずかに高くなったという報告があります。個人差は大きいものです」である。

101壮と3壮で差が出なかった

刺激量を増やせば効果も増える、という前提は施術の現場に広く共有されている。同じ研究グループが、その前提を検証している。

10-1 単回と3回連続の比較

Kuge らの第2実験では、健常な学生 14 名(平均年齢 22.2 ± 1.1 歳)を対象に、単回刺激(約3分)と3回連続刺激(艾を直ちに取り替えて計約9分)を比較した[12]

表 10-1 単回刺激と3回刺激(Kuge ら 2018、左足関節前面)
条件施灸前20分後p値
単回刺激32.8 ± 1.0℃33.4 ± 1.0℃< 0.01
3回刺激32.4 ± 1.4℃33.5 ± 1.3℃< 0.01

原著は「左足関節の皮膚温を除き、観察したすべての部位で二つの刺激群のあいだに有意な反応の差はなかった」と記述している[12]。そしてその左足関節の交互作用について、著者らは「この反応は外れ値と考えられた。偶然の変動によるものか、他の未知の事象によるものかは判断できなかった」と述べている[12]

10-2 用量反応が取れていないということ

刺激量を3倍にしても、20分後の皮膚温上昇に有意な差が出なかった。これはこの実験の条件下で、用量反応関係が確認できなかったということである。効果がないという意味ではない。14 名という標本の小ささを考えれば、差があっても検出できなかった可能性は十分にある。

要点

「有意差がなかった」は「差がない」ではない。この実験が示しているのは、健常若年者14名の20分間の観察では、1壮と3壮の違いが皮膚温として現れなかったという事実だけである。この結果から「3壮据えても無駄である」とも「3壮のほうが効く」とも言えない。

臨床への翻訳

壮数を増やすことの根拠を、皮膚温の上昇に求めることはできない。本書の調査範囲では、皮膚温を指標として灸の用量反応関係を示したヒトの研究に到達できなかった。したがって「たくさん据えるほど温まる」という説明は、現時点で数値の裏づけを持たない。壮数を増やす理由は、熱傷リスクの上昇と引き換えに何を得るのかという形で、症例ごとに考えるほかない。刺激量を増やす判断は、根拠のある選択ではなく、根拠が未確立のまま行う選択であるという自覚が要る。

11据えていない側でも上がる

灸を片側だけに据えたとき、反対側の足はどうなるか。この問いへの答えは、灸の作用をどう説明するかを大きく変える。

11-1 非刺激側の上昇

Kuge らは、「刺激後の皮膚温上昇は、刺激していない側の下肢でも観察された」と報告している[12]。著者らはこの所見について、局所だけの効果ではなく、全身性の反射機序が関与している可能性を示唆している[12]

11-2 自律神経の側からの観察

別の研究グループは、健常者 15 名(男性11名・女性4名、平均年齢 20.8 ± 0.4 歳)の右足三里に温筒灸を5分間施し、循環器系の反応を測定した[13]

表 11-1 右足三里への温筒灸5分間による循環器系の変化(Nakahara ら 2022)
指標施灸前施灸後p値
心拍数63.0 ± 7.8 bpm60.8 ± 7.8 bpm< 0.05
RMSSD(副交感神経の指標)52.0 ± 27.1 ms64.3 ± 37.2 ms< 0.05
血圧条件間で有意な変化なし> 0.05

局所の皮膚温は施灸開始2分後に 45.3 ± 3.3℃ でピークに達し、その値は心拍数と強い負の相関を示した(r = −0.73p < 0.05[13]。著者らは限界として、女性が被験者の25%しかいないこと、月経周期を統制していないことを挙げている[13]

要点

片側への刺激が反対側の皮膚温を動かし、局所の温度上昇が心拍数の低下と相関する。これらは、灸の効果を「据えた場所の血管が広がった」だけで説明できないことを示す観察である。ただし相関は因果ではなく、いずれも健常者を対象とした短時間の観察(階層B)である。

臨床への翻訳

患者から「なぜ足のツボなのに全身が温かくなるのか」と問われたときの答えは、「据えていない側の足の温度も上がったという報告があります。局所の血管が広がるだけでは説明がつかず、神経を介した反応が関与していると考えられています」までである。ここから先、たとえば「経絡を通って気が巡る」といった説明を、この観察の裏づけとして語ることはできない。観察されたのは温度と心拍数の変化であって、伝達経路そのものではない。

12ただ一つのランダム化比較試験

ここまでは健常者を対象とした生理実験である。この章は、冷え症の女性を対象に灸を割り付けた比較試験を扱う。本書の調査範囲では、これが冷え症に対する灸の唯一のランダム化比較試験である。

12-1 試験の設計

辻内らは、成熟期女性の冷え症に対する温灸によるセルフケアの効果を、レッグウォーマーを対照とした多施設共同ランダム化比較試験で検討した[14]

表 12-1 試験の概要(辻内ら 2021)
項目内容
対象冷え感尺度(楠見・江守)で冷え症と判定された 18〜39歳の女性 49名
割り付け4施設それぞれで、年齢により層別したブロックランダム化
灸群(25名)就寝前に、湧泉(KI 1)・三陰交(SP 6)・足三里(ST 36)の両側に各2壮の温灸
対照群(24名)睡眠中にレッグウォーマーを着用
介入期間各群とも1か月
主要評価項目VAS による冷え症の程度
副次評価項目併存症状の苦痛度、前額部と末梢の体温較差ほか
脱落対照群で2名(妊娠、皮膚掻痒)

12-2 報告された結果

原著の記述は次のとおりである。VAS および苦痛度の変化量は灸群で大きく、VAS で小の効果量、苦痛度で中の効果量がみられた。前額部と合谷(LI 4)との体温較差は灸群で抑えられ、中の効果量がみられた[14]

著者らは、成熟期女性の冷え症に対する温灸のセルフケアは、レッグウォーマー着用に比して冷え症の程度と併存症状を軽減し、前額部と末梢との体温較差の拡大を抑制しうることが示唆されたと結論している[14]

12-3 この試験から言えることと、言えないこと

  • 言えること。冷え症と判定された女性49名を無作為に2群に分け、1か月続けた結果、自覚指標と体温較差の両方で灸群のほうが良好な変化を示した。
  • 言えないこと(1)。これは非盲検の試験である(階層D)。被験者は自分がどちらの群かを知っている。灸には熱さと香りがあり、レッグウォーマーにはない。期待による効果を分離する設計にはなっていない。
  • 言えないこと(2)。対照は無処置ではなくレッグウォーマーである。したがって「灸は何もしないより良い」ではなく「灸はレッグウォーマーより良い」が、この試験が答えた問いである。
  • 言えないこと(3)。本書は原著の抄録から効果量の判定(小・中)を引用しているが、効果量の実数値と p 値には到達できなかったため、本書はそれらを記載しない。
要点

n = 49 の非盲検試験が1件。これが、冷え症に対する灸の臨床エビデンスの現在地である。この一文を省略して「灸は冷え症に有効と報告されている」とだけ書くことは、事実として誤りではないが、読者に規模を誤解させる。

臨床への翻訳

患者への説明の型はこうなる。「冷え症の女性49名を対象に、就寝前のお灸を1か月続けた群と、レッグウォーマーを履いて寝た群を比べた研究があります。お灸の群のほうが、冷えの自覚と、額と手先の温度差の広がり方が良好でした。ただし人数が少なく、どちらの群かは本人に分かる形の研究です」
ここまで言えば、患者は自分で判断できる。足りない情報を補って断定するのではなく、足りないことを含めて渡す。

13比較対象を持つ——レッグウォーマーと足浴

灸の効果を評価するには、他の温熱手段がどれだけのことをするのかを知っておく必要がある。この章は、灸以外の温熱介入の報告値を並べ、比較の座標を作る。

13-1 温水足浴

Kono らは、冷え症の若年女性 12 名(温水足浴群6名・スチーム群6名)を対象に、足浴の効果を比較した[4]。この研究における冷え症の条件は、中枢温と末梢皮膚温の差が 6℃ 以上あり、かつ自覚症状を伴うことである[4]

表 13-1 温水足浴とスチーム足浴の条件(Kono ら 2025)
条件時間
温水足浴10 L・41℃、膝下25 cmまで浸漬15分
スチーム水100 mL から発生させた42℃の蒸気、膝蓋骨下10 cmを覆う15分

報告された結果は、足浴30分後の右母趾の皮膚温上昇が温水足浴群で有意に大きかった(p = 0.026というものである[4]心拍変動の高周波成分(HF)は15分後に温水足浴群で増加傾向を示したが群間の有意差はなく(p = 0.065、温水足浴群の群内比較では15分後・30分後ともに有意な増加が認められた(p = 0.046[4]。著者らは限界として、標本の小ささと、主観的アウトカムを評価していないことを挙げている[4]

13-2 局所の温度は、灸のほうが高い

参考として、灸そのものが皮膚に与える温度の報告値を挙げる。健常女性 36 名を対象に、灸バーナーを三陰交(SP 6)から 3 cm の距離に置いた単群の試験では、SP 6 の皮膚表面温度は4分後に 11℃ の上昇でピークに達した(p < 0.001[15]。同じ研究で、灸バーナーのゴム層は 56.9 ± 0.9℃、艾は 65.8 ± 1.2℃ に達しており、それぞれのベースライン値は 35.1℃43.8℃ であった(p < 0.001[15]

表 13-2 温熱手段の比較の座標(いずれも原著の報告値。研究間の測定条件は揃っていない)
手段対象測られた量報告値
温筒灸(ST36)[12]健常学生 34名足背遠位の皮膚温(20分後)31.1 → 32.7℃
温水足浴 41℃・15分[4]冷え症の若年女性 12名母趾皮膚温の群間差(30分後)p = 0.026
灸バーナー(SP6、距離3cm)[15]健常女性 36名施灸部位の皮膚表面温(4分後)+11℃
レッグウォーマー[14]冷え症の女性 24名対照群として使用
要点

この表は縦に比較するための表ではない。測定部位も測定条件も対象集団も違うため、数値の大小を並べて優劣を論じることはできない。この表が示しているのは、灸は施灸部位には大きな温度変化を与えるが、末梢の皮膚温として報告されている変化はそれよりはるかに小さいという、量の桁の違いである。

臨床への翻訳

施灸部位では 11℃ の上昇、足背遠位では 31.1℃ から 32.7℃ への変化。この落差が、灸の作用を考えるうえでの実務的な要点である。患者が感じている熱さの強さと、末梢に届く温度変化の大きさは、桁が違う。だから「熱ければ効く」という説明は成り立たない。
そして温水足浴には、冷え症の女性を対象に母趾の温度上昇を示した報告がある[4]セルフケアを勧めるとき、灸だけを選択肢として提示する必然性は、現在のエビデンスからは出てこない。患者が続けやすいほうを選べる形で提示する。

第IV部

セルフ灸と未解決問題

冷えは、施術所に来た日だけ起きるものではない。だから冷えに対する灸は、必然的にセルフケアの話になる。この部は、セルフ灸が実際にどう行われているかを実態調査から確認し、そのうえで本書が答えられなかったことを列挙する。

この部を読むとセルフ灸の再現性について、分かっていないことを分かっていないと言えるようになる。

14セルフ灸の実態——1,507名の調査

セルフ灸を勧めるかどうかを考える前に、施術者がいま何をしているかを知る必要がある。2025年に報告された全国調査を読む。

14-1 調査の概要

形井らは、鍼灸に関わる学会・職能団体などを通じて灸療法の実態を調査し、1,507 名から有効回答を得た[16]。回答者の 67.8% は臨床経験20年未満、71.9% は自院を開業している[16]

表 14-1 用いられている灸法(形井ら 2025、複数回答)
灸法用いている割合
筒状の灸79.5%
温灸66.3%
透熱灸53.4%
無煙灸37.0%

14-2 有効性の自己評価と、患者の拒否

この調査でもっとも読み解く価値があるのは、次の二つの数字の並びである。

  • 灸が「非常に有効」または「やや有効」と回答した施術者は 98.9%[16]
  • 「患者に施灸を拒否された経験」があると回答した割合は、患者が灸を経験する前で 45.6%、経験した後で 33.2%[16]

拒否の理由として挙げられたのは、「熱さ」「熱傷」「煙への不快感」である[16]

セルフケア灸を推進するために必要な活動として挙げられたのは(n = 1,495)、臨床研究による有効性の証明 75.6%、基礎研究による科学的根拠の提示 68.3%、啓発活動 63.9% であった[16]

要点

98.9% の施術者が有効と考えている一方で、75.6% が「臨床研究による有効性の証明」を必要な活動として挙げている。これは矛盾ではない。施術者自身が、自分の確信と外部に示せる根拠は別物だと理解しているということである。本書はこの認識の上に立っている。

臨床への翻訳

拒否率が経験前 45.6% から経験後 33.2% へ下がっているという事実は、初回の体験設計が、その後の継続を大きく左右することを示している。冷え症のセルフケアは1か月以上の継続を前提とするため、初回で「熱すぎる」と感じさせた時点で計画は成り立たない。
そして拒否理由の上位が熱さ・熱傷・煙であることは、説明でなく手技と器材の選択で解決すべき問題であることを意味する。「我慢すれば効く」という方向の説得は、この数字が示す構造に逆行する。

15再現性という問題

セルフ灸は、患者が自分で場所を決め、自分で火をつけ、自分で熱さを判断する。この章は、そこに含まれる再現性の問題を、扱える範囲で扱う。

15-1 患者が毎回同じことをできるとは限らない

第12章で見た試験の灸群は、就寝前に湧泉・三陰交・足三里の両側に各2壮を1か月間続けている[14]。この手順は、患者自身が毎晩、三つの経穴を左右とも取穴し、同じ量の熱を与えることを前提とする。

本書の調査範囲では、セルフ灸において患者が施灸部位をどれだけ正確に再現できるか、また与えられる熱量がどれだけ一定かを定量した研究に到達できなかった。これは小さな空白ではない。臨床試験の結果を実地に持ち込むとき、そこで前提とされている「同じ介入」が本当に同じかどうかは、効果量そのものに直結する。

15-2 距離が変われば温度が変わる

再現性の問題を数値で示す材料として、灸バーナーを用いた研究がある。Lin らは、紙の基材を用いてさまざまな距離と時間での温度変化を測定し、予備実験を経て3 cm を介入距離として選んだ[15]。この距離で健常女性 36 名に施灸したとき、三陰交の皮膚表面温は4分後に 11℃ 上昇でピークに達した(p < 0.001[15]。著者らは「灸バーナーと経穴のあいだの安全な距離として 3 cm と定めた」と結論している[15]

この研究が意味しているのは、距離が測定と設計の対象になる量だということである。施術者は距離を管理できる。セルフ灸を行う患者は、管理していると自分で思っているだけかもしれない。

15-3 安全性の側から見た再現性

灸の有害事象を集めた系統的レビューは、6か国・24論文・64 症例を対象としている[17]。もっとも多かったのは熱傷 43(6論文)であった[17]。著者らは「施術者の技術の向上、操作の規格化、時間・距離・量の管理と保護によって、有害反応の発生を減らし灸の安全性を高めることができる」と結論している[17]

この結論に列挙されている管理項目——時間・距離・量——は、いずれも施術者が管理する前提で書かれている。セルフ灸では、この管理が患者に移譲される。

要点

この章で本書が言えるのはここまでである。セルフ灸の再現性についての定量データは見出せなかった。したがって「セルフ灸は施術所の灸と同等である」とも「劣る」とも、本書は述べない。分かっていない。

臨床への翻訳

再現性の担保は、現時点では研究ではなく手技の設計に頼るしかない。実務としてできることは三つある。(1) 部位を減らす。三つの経穴を両側とも毎晩正確に取るより、部位を絞って確実に続けるほうが、実際に行われた介入としては安定する。(2) 部位の目印を患者と共有する。骨のランドマークからの指幅で説明し、初回は患者自身に取穴させて確認する。(3) 中止基準を先に渡す。「熱いと感じたら我慢せず外す」を、効果を損なう行為ではなく手順の一部として説明する。
熱傷が有害事象の最多である以上[17]患者が自分で外せることは、セルフ灸の設計の中心に置かれるべき条件である。

16未解決問題と申し送り

この章は、本書が答えられなかったことを列挙する。抽象的な「今後の研究が待たれる」ではなく、次に調べる人が明日着手できる粒度で書く。

16-1 物差しについての空白

  1. 国際的に共有された冷え症の評価尺度は、本書の調査範囲では見出せなかった。日本の冷え感尺度、韓国の7段階尺度、体表温度差の閾値は、いずれも相互に換算されていない。二つの尺度を同一集団に同時に適用して換算式を作る研究は、標本さえ確保できれば実施可能である。
  2. 前額 − 指尖 8℃、中枢 − 末梢 6℃ という閾値の導出過程を報告した一次文献に到達できなかった。これらの閾値がどのデータから、どの基準で決められたのかを追跡する文献調査には、まだ余地がある。
  3. 手外科領域の CISS を hiesho・CHHF の集団に適用した研究に到達できなかった。CISS は住民 1,239 名から閾値が導かれている[8]。日本語版を作り、既存の冷え感尺度と併用するだけで、国際比較の足がかりができる。

16-2 灸の効果についての空白

  1. 冷え症に対する灸のランダム化比較試験は、本書の調査範囲では1件(n = 49)のみであった[14]偽灸を対照とした試験は見出せなかった。
  2. 皮膚温を指標に灸の用量反応関係を示したヒトの研究に到達できなかった。単回と3回の比較では、左足関節を除くすべての部位で有意差がなかった[12]。壮数・部位数・継続日数のいずれについても、増やすことの根拠となる定量データがない。
  3. 冷え症の患者を対象とした灸の生理実験に到達できなかった。本書が引用した皮膚温の実験は、いずれも健常若年者を対象としている[12][13][15]。原著自身が、末梢血流が損なわれた集団への外挿を戒めている[12]
  4. セルフ灸における施灸部位の位置精度と熱量の変動を定量した研究に到達できなかった。これは、患者に据えてもらった位置をサーモグラフィで記録するだけでも着手できる問いである。

16-3 この領域で研究が進みにくい構造的な理由

冷え症の灸研究が進みにくい理由は、研究者の怠慢ではない。三つの構造がある。

参照基準の不在
冷えの「正解」が自覚しかないため、どの客観指標を検証しようとしても、参照基準が主観に戻ってくる[1][10]
盲検化の困難
灸には熱さと香りがある。被験者を盲検化するには遮熱型の偽灸装置が要るが、本書の調査範囲では、冷え症の試験でそれが用いられた例を見出せなかった。
診断名がないこと
疾患として分類されないため、研究費の枠組みにも診療報酬にも位置を持ちにくい[2]
臨床への翻訳

本書全体の結論を一文にすると、こうなる。「冷え」は、いまのところ標準化された物差しを持たない訴えであり、灸がそれを変えるかどうかについては、n = 49 の非盲検試験が1件あるだけである。
この事実は、施術をやめる理由にはならない。患者は現に困っており、灸には足背遠位の皮膚温が 31.1℃ から 32.7℃ へ変化したという報告があり[12]、重篤な有害事象は熱傷を中心とする管理可能なものである[17]
変わるのは説明の言葉である。「灸は冷えに効きます」ではなく、「冷えを客観的に測る方法はまだ確立していません。お灸で足先の温度が少し上がったという報告はあります。1か月続けて自覚が良くなったという研究も1件あります。ご自身の記録を一緒に取りながら進めましょう」
この言い方は、弱く聞こえるかもしれない。しかし患者が次に別の施術者や医師のもとで同じ話題に触れたとき、矛盾しない説明を受けていた患者だけが、施術者への信頼を保つ。

演習

理解度チェック

本書の内容から11問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。すべて本文に明示した記述だけから解けます。

第I部冷えとは何か3問
Q01 出典:第1章

冷え症という訴えの位置づけとして適切なのはどれか。

Q02 出典:第2章

Sakaguchi らの冷え症判別尺度で報告された感度・特異度は、何に対する性能を示しているか。

Q03 出典:第4章

同一の集団に「自覚」と「冷え感尺度」の二つの定義を当てた調査で観察されたことはどれか。

第II部測定の技術3問
Q04 出典:第5章

赤外線サーモグラフィによる皮膚温測定の標準化について、正しいのはどれか。

Q05 出典:第7章

寒冷不耐症状重症度質問票(CISS)について正しいのはどれか。

Q06 出典:第8章

被験者46名から得た5,612枚の画像を用い、「精度100%」と報告された診断モデルの研究がある。この結果の読み方として適切なのはどれか。

第III部灸は何を動かすか3問
Q07 出典:第10章

足三里への温筒灸で刺激量を変えた実験(Kuge ら 2018)の結果として正しいのはどれか。

Q08 出典:第12章

冷え症に対する灸のランダム化比較試験(辻内ら 2021)を読むうえで、もっとも重要な設計上の事実はどれか。

Q09 出典:第13章

施灸した部位の温度上昇と、そこから離れた末梢(足背遠位)の皮膚温上昇を同時に測ったとき、両者の関係はどうなるか。

第IV部セルフ灸と未解決問題2問
Q10 出典:第14章

我が国の灸療法の実態調査(形井ら 2025)で報告された内容として正しいのはどれか。

Q11 出典:第16章

皮膚温を指標に、灸の壮数や時間と効果の関係(用量反応関係)を示したヒトの研究が見当たらない。この状況で施術者が取るべき対応はどれか。

回答 0 / 11正解 0
付録

引用文献

本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。本文に到達できなかった資料はその旨を明記し、数値を引用していない。非査読の資料は本文中でその旨を示した。

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  18. Ennis H, Hughes M, Anderson ME, Wilkinson J, Herrick AL. Calcium channel blockers for primary Raynaud's phenomenon. Cochrane Database Syst Rev. 2016;2(2):CD002069. PMID 26914257

灸の臨床|冷え症 訴えを測る 第1版(2026年8月)。灸エビデンス・ライブラリ/臨床編。
本書の数値はすべて原著の報告値であり、編者による計算・推定値は含まない。到達できなかった資料の数値は引用していない。第12章の効果量については、原著の抄録が示す判定(小・中)のみを引用し、実数値と p 値は到達できなかったため記載していない。
熱がなぜ血管を広げるのかという機序は『灸と血流の生理学①②』が正本である。器質的疾患(レイノー現象・糖尿病性末梢循環障害・褥瘡)は『灸の臨床|末梢循環障害』が扱う。
改版履歴:2026年8月 初版発行。