灸エビデンス・ライブラリ
Moxibustion & Immunity — 全18章

灸と免疫

「灸で免疫が上がる」は、何がどれだけ測られた話なのか。
動いたのは免疫の何であって、何ではなかったのかを検める。

第1版 2026年8月 免疫指標の測り方 / 足三里灸の動物実験 / 白血球増多報告の再現性 / 保健灸の臨床研究 / 安全性

3分で要点だけ

本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。

  1. 臨床の刺激量では、ヒトの白血球は増えなかった米粒大2mgの追試で有意に変化したのは、施灸群ではなく非施灸の対照群だった
  2. ウサギで増えた分は、作られた白血球ではない原著は、好中球がマージナルプールから移動した見かけ上の増加と考察している
  3. 4週間続けると、動いた指標は消える週2回×4週間で白血球数・分画・リンパ球サブポピュレーションのいずれも変化しなかった

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序章

「免疫が上がる」という文の、主語を決める

「灸で免疫が上がる」は、鍼灸の現場でもっとも広く語られる説明のひとつである。しかしこの文は、そのままでは検証できない。免疫は単一の量ではなく、上がるという動詞が指す対象も定まっていないからである。本書は、この文を検証可能な大きさに割り、割った先で何がどこまで測られたのかを一つずつ確認する。

この部を読むと「免疫が上がる」という一文を、数・割合・活性という検証できる大きさに割れるようになる。

00本書の読み方とエビデンスの階層

本書が扱うのは全身の免疫指標と、感染症・免疫関連疾患の臨床アウトカムである。施灸局所で起きる炎症と組織修復は扱わない。読み進める前に、この二つの境界と、数値をどの重みで読むかを確認しておく。

0-1 本書を貫く三つの問い

その指標は、数か、割合か、活性か
「NK細胞が増えた」と「NK活性が上がった」は別の主張である。前者は細胞の数か割合、後者は細胞の働きを指す。本書は指標を引用するたびに、この三つのどれであるかを明記する。
それは、ヒトか、動物か
灸と免疫の研究は動物実験が大きな比重を占める。動物の所見をヒトの話として書かない。引用のたびに種を明記する。
その変化は、続くのか
一過性の変動と、反復によって定着する変化は別である。「灸を続けると免疫が上がる」という主張を支えるのは後者だけである。本書は観察された時点を必ず併記する。

0-2 エビデンスの階層

表 0-1 本書で用いるエビデンス階層
階層研究デザイン本書での典型的な弱点
A盲検化された無作為化比較試験/Cochrane レビュー灸ではこの階層の本数が極端に少ない
B健常者を対象とした対照群つきのヒト実験例数が小さい。観察期間が短い
C動物実験(機序解明)刺激条件がヒトの臨床と異なる
D非盲検の無作為化比較試験/単群前後比較出版バイアスが大きい
E症例報告・症例集積・非査読の実測報告査読を経ていない。分母が分からない

本書が引用する研究のうち、階層Aに入るのは偽灸デバイスの妥当性を検証した試験ただ1本である。この事実そのものが、本書の結論の一部をなしている。

0-3 既刊との境界

表 0-2 本書が扱う範囲と、扱わない範囲
主題本書正本となる既刊
施灸局所の炎症・熱ショック応答・創傷治癒扱わない『灸と組織修復』
もぐさの煙の成分と濃度扱わない『もぐさの特性』
交感神経活動そのものの測定扱わない『灸と自律神経』
全身の免疫指標(白血球・リンパ球サブセット・抗体・サイトカイン)扱う本書
感冒・感染予防の臨床試験扱う本書
喘息・COPD・アレルギー性鼻炎扱わない『灸と呼吸器』(本書の下巻)

0-4 この領域の研究が、どれだけあるのか

全日本鍼灸学会の免疫研究委員会は、鍼灸と免疫に関する基礎研究論文を網羅的に調べている[1]。データベースのキーワード検索で 724 論文を選び、そこから原著論文 94 編を抽出した。内訳は動物を対象としたもの 52 編、ヒトを対象としたもの 42 編であり、言語別では英文 72 編、和文 22 編である。

この調査の結論は、効果の有無ではなく研究の質についてのものだった。すなわち「本領域の報告は極めて多様な実験条件設定の下で実施されている」ことが明らかとなり、今後は再現性の高いデータの蓄積が必要である、というものである[1]

要点

ここで数えられている 94 編は鍼と灸を合わせた数である。灸だけを取り出すと、さらに少ない。本書が扱えるのは、その少ない中でも数値まで到達できたものに限られる。

臨床への翻訳

患者に「灸で免疫が上がりますか」と問われたとき、最初にすべきなのは肯定でも否定でもなく、問いを割ることである。「何を測った話として聞いていますか」と返せる状態にしておく。本書は、そのために必要な語彙と数値を渡すことを目的としている。

第I部

免疫を測るとは何を測ることか

第II部以降で扱う数値は、すべて何らかの測定法の産物である。測定法が違えば、同じ「NK活性」という語でも意味する量が違う。ここを飛ばすと、以降の数値の比較がすべて成立しなくなる。

この部を読むとNK活性や白血球分画の報告を読むとき、測定法と対照群と時点を先に確認できるようになる。

01数・割合・活性——免疫指標の三つの層

免疫指標は、測っている量の性質によって三つの層に分かれる。この三層は互いに独立しておらず、一方が動けば他方が動く。「増えた」という報告を読むとき、最初に確かめるのはどの層の話かである。

1-1 三つの層

数(絶対数)
末梢血 1mm³ あたりの白血球数のように、体積あたりの細胞の個数を数える。単位を持ち、他の細胞の増減に左右されない。
割合(百分率)
白血球分画やリンパ球サブポピュレーションのように、全体に占める比率を示す。分母が動けば分子が変わらなくても値が動く。リンパ球百分率が下がったという報告が、リンパ球の減少ではなく好中球の増加を反映していることがある。
活性(機能)
NK細胞傷害活性のように、細胞が標的に対して何をできるかを測る。数や割合とは別の量であり、細胞が増えても活性が上がるとは限らない。

1-2 層をまたいだ言い換えが、もっとも多い事故である

「灸でNK細胞が増えた」という報告があったとする。この文からは、次のどれとも読める。

  1. 末梢血中のNK細胞の絶対数が増えた(数の層)
  2. リンパ球に占めるNK細胞の百分率が上がった(割合の層)
  3. NK細胞が標的細胞を壊す力が強まった(活性の層)

三つはいずれも別の主張であり、成立条件も違う。2は、NK細胞が1個も増えなくてもT細胞が減れば成立する。本書は引用のたびに、この三つのどれであるかを明記する。

臨床への翻訳

免疫に関する説明を受けたとき、あるいは自分が説明するとき、「増えた」の目的語に単位が付くかどうかを確かめるとよい。/mm³ のように単位が付くなら数の話、% なら割合の話、単位を持たない指数なら活性の話である可能性が高い。単位が示されていない報告は、この時点で読み手が層を特定できない。

02NK活性はどう測られ、なぜ揺れるのか

「灸で免疫が上がる」という説明で、日本でもっとも引き合いに出される指標がNK活性である。ここでは、その値がどのように得られ、どれくらい揺れるものなのかを、灸とは無関係の測定法研究から確認する。揺れ幅を知らずに変化を読むことはできない。

2-1 ⁵¹Cr放出法という基準法

NK細胞の傷害活性を測る古典的な方法は、放射性クロム(⁵¹Cr)で標識した標的細胞と、被検者から分離した細胞を一定の比で混ぜ、標的細胞が壊れて放出する放射能を測るものである。混ぜる比(エフェクター細胞と標的細胞の比。E:T比)を何段階か振り、放出量から傷害活性を算出する。本書が第II部で扱う動物実験も、この方法を使っている[4]

2-2 測定法を変えると値が変わる

Motzer らは、健常女性 10 名(18〜39歳)の凍結保存末梢血単核球を用い、⁵¹Cr放出法とフローサイトメトリーを直接比較している[8]。報告された所見は次のとおりである。

  1. 同一検査内のばらつきが二法で異なったのは、評価したE:T比のうち最も低い比においてのみであった。
  2. 検査間のばらつきは広かったが、二法のあいだに差はなかった
  3. ⁵¹Cr放出法で検出された傷害活性は、10名全員でフローサイトメトリーより高かった

著者らは、フローサイトメトリーへ移行すべき説得力のある理由は見出せなかったと結論している[8]。ここで重要なのは優劣ではない。同じ被検者の同じ血液でも、測定法を変えれば値が変わるということである。

2-3 個人差は、平均の四割に達する

Valiathan らは、フローサイトメトリーによるNK活性測定法を評価する目的で、健常者 20 名を対象に、ある免疫調節目的の食品を摂取させながら経時的に測定している[9]。報告されたNK活性の値は次のとおりである。

表 2-1 健常者 20 名のNK活性の推移(文献[9]の報告値。介入は食品であり灸ではない)
測定時点NK活性(%)ベースラインとの比較
ベースライン21.5(SD 9.3)
1週後31.3(SD 7.9)P = 0.007
4週後21.5(SD 8.3)ベースラインの水準に復した

注目すべきはベースラインの標準偏差である。平均 21.5 に対して標準偏差 9.3、すなわち個人差の幅が平均値の四割を超えている。この揺れ幅の上で「上がった/下がった」を論じることになる。

もう一点、この研究は1週で上がった値が4週でベースラインに戻っている。介入は継続していた。介入を続けているあいだも、指標は必ずしも上がり続けない。

要点

文献[8][9]はいずれも灸の研究ではない。ここで引用したのは、NK活性という指標そのものの性質——測定法で値が変わること、個人差が大きいこと、介入中も変動が戻りうること——を示すためである。

臨床への翻訳

「灸でNK活性が上がった」という報告を読むときに確認すべきは三つある。対照群があるか、測定法が明記されているか、いつの時点で測ったかである。ベースラインの標準偏差が平均の四割に達する指標を、対照群なしの前後比較で論じることはできない。この三つが欠けた報告は、値の大小にかかわらず、施術方針を変える根拠にはならない。

03指標ごとに、答えられる問いが違う

第III部で扱う追試研究は、白血球数・白血球分画・リンパ球サブポピュレーションを同時に測っている。それぞれが答えられる問いと、答えられない問いを先に整理しておく。

3-1 指標と問いの対応

表 3-1 本書に登場する免疫指標
指標測っている量答えられる問い答えられない問い
白血球数絶対数(/mm³循環血中の白血球が増減したかそれが産生の増加か、移動によるものか
白血球分画百分率構成比が変わったかどの細胞が実数として動いたか
リンパ球サブポピュレーション百分率・比T・B・NK細胞の構成が変わったかそれぞれの細胞の機能が変わったか
NK細胞傷害活性標的細胞の破壊率NK細胞の働きが変わったか生体内で感染防御が変わったか
血清サイトカイン濃度循環中の濃度が変わったかどの細胞がどれだけ産生したか
血清抗体価(ELISA)吸光度(相対値)特定抗原に対する抗体が増えたかその抗体が実際に感染を防ぐか

3-2 ELISAの吸光度は絶対量ではない

第6章で扱う抗体産生の研究は、酵素結合免疫吸着測定法(ELISA)の吸光度(OD値)を抗体価の指標としている[3]。OD値は、抗体の重量でも分子数でもない。同一の条件で測ったもの同士を比べるための相対値である。したがって、他の研究のOD値と直接比較することはできない。

3-3 抗体が「ある」ことと「効く」ことも別である

文献[3]は、この点を実験の設計で扱っている。細菌全体に対する抗体価を測るだけでなく、感染防御抗原に対して抗体がどれだけ結合を阻止できるかを別に測っている。前者は抗体があるかを、後者は抗体が防御に働きうるかを見ている。第6章では両方の数値を示す。

臨床への翻訳

表3-1の右端の列——「答えられない問い」——が、この教材の主題である。指標が動いたという事実は、その一段外側の問いには答えていない。白血球が増えても産生が増えたとは限らず、抗体が増えても感染が防げるとは限らない。施術の説明でこの一段を飛ばさないことが、専門職としての正確さになる。

第II部

動物で灸に起きたこと

灸と免疫の研究は、動物実験が大きな比重を占める。ここで扱う三つの研究は、いずれも数値まで確認できたものである。ただし、これらはすべて階層Cである。ヒトの話に格上げしないための土台として読む。

この部を読むと動物実験の所見をヒトの話に格上げせず、交感神経を介した全身反応として説明できるようになる。

04足三里灸とNK細胞傷害活性

灸とNK活性を結びつける根拠として最も引かれるのが、ラットの足三里(ST36)に施灸してNK細胞傷害活性を測った研究である[4]。この研究は、灸の効果を示すと同時に、その効果が灸に固有ではない可能性も同じ論文の中で示している

4-1 測定と時間経過

脾臓のNK細胞傷害活性を、標準的な4時間の⁵¹Cr放出法で測定している。施灸刺激を 1・3・5・7日 続けたそれぞれの時点で測定し、あわせて同程度の温度による熱傷刺激を与えた群を 3日7日 の時点で測定している[4]

表 4-1 ラットにおけるNK細胞傷害活性の変化(文献[4]。階層C)
3日目7日目
施灸刺激群偽刺激群より有意に高い対照群と比べて低下
熱傷刺激群偽刺激群より有意に高い偽刺激群より有意に高い

原著は、施灸刺激群のNK活性が対照群と比べて 3日目 に上昇し 7日目 に低下したこと、偽刺激群との比較では 3日目 に有意に高かったことを報告している。これに対し熱傷刺激群では、3日目7日目 の両方で偽刺激群より有意に高かった[4]

4-2 サイトカインは一つだけ動いた

表 4-2 血清サイトカインの測定結果(文献[4]。ラット用ELISAキット)
サイトカイン結果
インターフェロンγ3日後、施灸刺激群が偽刺激群より有意に高い
インターロイキン2群間で差はなかった
インターロイキン4この方法では血清中に検出されなかった
要点

この研究でNK活性が上がった時点は 3日目 であり、7日目 には下がっている。刺激を続ければ上がり続けるという形にはなっていない。

臨床への翻訳

この研究がもっとも重要なのは、施灸刺激群と並べて同程度の温度の熱傷刺激群を置いている点である。そしてその熱傷刺激群のほうが、NK活性の上昇が長く続いている。ここから言えるのは「灸だからNK活性が上がった」ではなく、「熱による組織侵襲が全身の免疫指標を動かしうる」までである。灸に固有の作用を示した研究として引用してはならない。

05交感神経を切ると変化が消える

同じ研究は、NK活性の変化がどの経路を通っているかも調べている。結果は、灸が免疫細胞に直接働いたのではないことを示している

5-1 化学的交感神経切除

交感神経の関与を評価するために、6-ヒドロキシドーパミン(50mg/kg) を投与して交感神経終末を選択的に破壊した[4]。その結果、施灸によって誘導されたNK細胞傷害活性の変化は消失した

原著の結論は、灸がインターフェロンγとともにNK細胞活性を調節し、交感神経系がこの効果を媒介していることを示唆する、というものである[4]

5-2 この結果が意味を変えるもの

交感神経を遮断すると変化が消えるということは、灸の熱が免疫細胞に直接届いて何かをしたのではない、ということである。経路は次の形になる。

  1. 皮膚に熱刺激が加わる
  2. 求心性の入力が中枢に届く
  3. 交感神経の遠心性出力が変化する
  4. その下流で免疫指標が動く

この経路は、免疫に固有のものではない。運動・ストレス・アドレナリン投与でも同じ経路が動く。第10章で扱う白血球数の変化も、同じ枠組みで説明されている。

臨床への翻訳

灸の免疫作用を説明するとき、「灸が免疫を活性化する」という言い方は、この研究の内容と合わない。合っているのは「灸の熱刺激が交感神経を介した全身反応を引き起こし、その一部として免疫指標が動く」である。この言い換えは細かく見えるが、帰結が変わる。前者なら灸は免疫への介入だが、後者なら灸は交感神経への介入であり、免疫指標はその結果として動いたものにすぎない。

06抗体産生は動くのか——免疫ウサギの12週間

灸が感染症に有効だという古い臨床報告はあるが、細菌に対する生体防御を実験的に検討した報告は長く存在しなかった。この章で扱う研究は、臨床で実際に行う大きさの艾を用いて、細菌に対する抗体産生を12週以上追跡している[3]

6-1 設計

表 6-1 黄色ブドウ球菌免疫ウサギに対する施灸実験の設計(文献[3]。階層C)
項目内容
動物日本白色種ウサギ雌 8羽。施灸群 4羽(体重 3.3 ± 0.1kg)、非施灸群 4羽3.3 ± 0.2kg
施灸米粒大(約 2mg)の透熱灸。第4・第5腰椎棘突起の左右外方 1cm の4か所に各 10壮
期間免疫開始 4週前 から初回免疫後 12週 にわたり週 1回
免疫黄色ブドウ球菌 Smith 株の加熱死菌ワクチンを1羽あたり 10mg 皮下接種。2週後に追加接種
測定ELISA による IgM・IgG 抗体価(OD値)と、感染防御抗原に対する ELISA 阻止試験

この研究における米粒大(2mg)の透熱灸の熱的条件についても、原著は数値を示している。石綿板上で艾炷の底面を測定したとき、最高温度は約 160℃45℃ 以上が約 10秒 持続する[3]灸痕の直径は約 3mm であった。

6-2 IgMは動き、IgGは動かなかった

表 6-2 菌体に対する抗体価の推移(OD値の平均。文献[3])
抗体施灸群非施灸群群間差
IgM初回免疫後 4週目 まで 0.34〜0.375週目 から上昇し 11週目 まで 0.40 を超える0.40 を超えることはなかったあり(P<0.05
IgG2週目 0.339週目 にピーク 0.582週目 0.3011週目 にピーク 0.46なし

いずれの抗体も経時的な変化は有意であった(反復測定分散分析、P<0.0001)。しかし群間差が認められたのはIgMのみで、IgGについては施灸群と非施灸群のあいだに有意差は認められなかった[3]

6-3 感染防御抗原に対する抗体活性

菌体全体に対する抗体価とは別に、感染防御抗原(Smith surface antigen、以下SSA)に対する抗体の活性を、ELISA 阻止試験による抗体阻止率で評価している。初回免疫後 9週目 の血清における結果は次のとおりである[3]

表 6-3 SSAに対する抗体阻止率(初回免疫後9週目。平均値。文献[3])
抗体SSA量施灸群非施灸群検定
IgM10µg/well25%8%P<0.05
IgM100µg/well29%12%P<0.05
IgG10µg/well26%14%P<0.05

検定はいずれも Mann-Whitney の U 検定による。原著は、灸が黄色ブドウ球菌 Smith 株に対する抗体産生を促進するだけでなく、SSAに対する受動的な防御活性も促進することを示唆する、と結論している[3]

要点

この研究の例数は各群 4羽、合計 8羽 である。統計的に有意であっても、この規模で得られた結果は追試を必要とする。また対象はウサギであり、ヒトで同じことが起きるかは、この研究からは分からない。

臨床への翻訳

この研究は、灸と免疫を結ぶ日本の研究のなかで最も臨床に近い刺激量(米粒大 2mg・各点 10壮・週 1回)で行われたものである。それでも言えるのは「ウサギで、特定の細菌に対するIgM抗体の産生に群間差が出た」までであり、しかも同じ研究でIgGには群間差が出ていない。「灸で抗体が増える」と一般化して語ることは、この研究の内容を超えている。

第III部

白血球増多報告の再現性

日本で「灸で免疫が上がる」という説明が語られるとき、その源流にあるのは戦前の白血球増多の報告群である。本書の中核はこの部にある。刺激量を臨床で実際に行う水準に落としたとき、それは再現するのか。この問いに、対照群を置いて答えた研究が一つだけ存在する。

この部を読むと「灸で白血球が増える」を、艾の大きさを添えて正確に語れるようになる。

07「施灸により白血球が増加する」の出所

この命題は、刺激量に言及しないまま一般論として語られてきた。根拠とされてきた実験が、どれくらいの大きさの艾を使っていたのか。ここを確認すると、命題の適用範囲が大きく変わる。

7-1 根拠とされてきた実験の刺激量

山下らは、追試を行うにあたって過去の報告群を整理している[2]。その記述によれば、灸の科学的研究の嚆矢とされる報告はウサギに巨大な艾炷を用いたと記載されており、以降の研究もウサギでは1壮が 25mg 以上、ヒトでは 10mg 以上または小豆大の艾を用いた実験がほとんどであった。

これに対して、鍼灸の臨床で実際に用いられる透熱灸の1壮の大きさは半米粒大または米粒大が一般的であり、米粒大の艾の重量は約 2mg である[2]

表 7-1 白血球増多を報告した過去の実験と、臨床の刺激量(文献[2]の記述による)
対象過去の実験で用いられた艾臨床の透熱灸
ウサギ1壮 25mg 以上
ヒト1壮 10mg 以上、または小豆大1壮 約 2mg(米粒大)報告値どうしの比は原著に示されていない

7-2 当時から、結果は割れていた

文献[2]は、過去の報告が一致していなかったことも記している。

  1. 比較的小さな艾を用いて、白血球の量的変化を認めなかった報告がすでに存在した。
  2. 白血球の分画についても、リンパ球百分率が減少するとする報告と増加するとする報告に分かれ、一定の結論は得られていなかった。

原著はさらに、過去の報告が食い違っている大きな理由のひとつとして、非施灸対照群との比較が充分になされていなかったことを挙げている[2]

要点

本書は、これら戦前の報告群の原著には当たっていない。したがってそれらの数値は本書に一切引用していない。ここで示したのは、追試を行った研究者自身が、過去の報告群をどう整理したかである(文献[13])。

臨床への翻訳

「灸で白血球が増える」を根拠として引用する前に、その根拠が想定している艾の大きさを確認する。ウサギに 25mg 以上、ヒトに小豆大を据えた実験の結果を、米粒大の透熱灸の説明に流用することはできない。刺激量の違いを無視した引用は、臨床の現場では実際に行わない灸の話を、行っている灸の話として語ることになる。

08刺激量を臨床水準に落とした追試

山下らは、米粒大の透熱灸が末梢血の白血球動態に及ぼす影響を明らかにするため、ウサギとヒトの両方で、施灸群と同数の非施灸対照群を置いた追試を行っている[2]。本書が階層Bとして扱う唯一の研究である。

8-1 設計

表 8-1 追試の設計(文献[2]。階層B)
実験対象施灸採血時点
ウサギ・単回日本白色種雌 8羽(施灸 4羽/非施灸 4羽、平均体重いずれも 3.3kg腰部傍脊柱筋部の皮膚上4点に米粒大 各 10壮施灸前(約 30分 前)、3時間後、1週間後。耳動脈から毎回 2mL
ウサギ・長期同一のウサギ1回4週間4週間の施灸期間の後
ヒト・単回健康成人男性 8名(平均 24.1歳19〜39歳)/対照群 8名(平均 25.4歳21〜30歳身柱・至陽・附分・腎兪・足三里の計8点に米粒大 各 10壮施灸直前、2時間後、24時間後。肘窩の皮静脈から 2mL
ヒト・長期健康成人男性 6名(平均 22.2歳19〜31歳)/対照群 6名(平均 24.5歳20〜31歳2回4週間施灸開始前と 4週間の施灸期間の後

8-2 設計上の三つの誠実さ

ウサギの施灸点は、経穴として選ばれていない
原著は、腰部を施灸点とした理由を明記している。経穴の特異性など臨床的な根拠によるものではなく、飼育および施灸時の動物の取り扱いにおいて、実験と無関係な皮膚刺激を最も与えにくい部位として選択した、と述べている[2]
ヒトの施灸点は、臨床で使う配穴である
一方ヒトでは、臨床で健康保持の灸として頻繁に用いる経穴を選んでいる[2]。動物実験の部位選択とヒト実験の部位選択で、根拠を使い分けている。
採血時点は、過去の報告に合わせてある
白血球数増加のピークが施灸後 2〜4時間 であるとする過去の報告にもとづき、ウサギでは 3時間後、ヒトでは 2時間後を観察時点に含めている[2]増加が出るはずの時点を、あらかじめ狙って測っている。

8-3 測定と統計

白血球数はウサギ・ヒトとも同じ方法で測定している。メランジュールと Turk 液で希釈・染色・溶血し、Burker-Turk 計算板で計測した。この方法で同一検体を2回測定したときの1回目と2回目の相関は r = 0.95(n = 10) であった[2]

ヒトのリンパ球サブポピュレーションは、モノクローナル抗体による二重染色の後、フローサイトメーターで CD3陽性細胞(T細胞)、CD19陽性細胞(B細胞)、CD3陰性かつCD16+56陽性細胞(NK細胞)の百分率と、CD4/CD8比を求めている[2]

統計解析は、3群の変化に Friedman の検定、2群の比較に Wilcoxon の符号付順位和検定を用い、データ数が4以下の2群の変化には対応のあるt検定を行っている。有意水準は p < 0.05 である[2]。ウサギの体重およびヒトの年齢について、施灸群と対照群のあいだに有意差はなかった。

臨床への翻訳

この研究の価値は、結果よりもまず設計にある。過去の報告が増加を認めた時点を狙い、同数の非施灸対照群を置き、臨床で実際に用いる大きさの艾で行った。もし増加が再現するなら、この設計で出るはずである。次章の結果は、この前提の上で読む。

09ヒトでは施灸群が動かず、対照群が動いた

結果は、多くの読者の予想と逆になる。ヒトの白血球数に有意な変化が生じたのは、施灸群ではなく対照群だった。

9-1 白血球数

表 9-1 ヒト単回施灸における白血球数の平均(文献[2])
施灸前2時間後24時間後検定
施灸群(n = 85,838/mm³5,850/mm³5,375/mm³有意な変化なし
対照群(n = 85,388/mm³5,975/mm³5,975/mm³P < 0.05

白血球分画の百分率は、施灸群・対照群ともに有意な変化を認めなかった[2]

原著は、対照群に生じた変化について、初期値に対して 2時間後に増加したことにより統計学的に有意となったと思われるが原因は不明であると記している。そのうえで、健康成人の末梢血白血球が急性に増加するのは循環好中球の増加によると考えられるのに対照群の白血球分画はほとんど変化していないことから、この変化に大きな意義があるとは考えにくい、としている[2]

9-2 リンパ球サブポピュレーション

白血球数が動かなかった一方で、リンパ球サブポピュレーションには有意な変化が認められた。

表 9-2 ヒト単回施灸におけるリンパ球サブポピュレーションの平均(施灸群。文献[2])
指標施灸前2時間後24時間後検定
T細胞百分率66%66%62%p < 0.05
CD4/CD8比1.141.251.04P < 0.05

対照群では、いずれも有意な変化は認められなかった[2]

原著の考察はさらに続く。T細胞百分率の有意な変化は施灸 24時間後の減少によると思われ、この変化がNK細胞百分率の変動と連動している可能性があり、施灸がNK細胞およびT細胞の百分率に及ぼす影響についてはさらに検討が必要であるとしている[2]。またCD4/CD8比の変動については、米粒大透熱灸の作用がストレスによるCD4/CD8比の一過性の上昇に似ていると述べている。

要点

ここで動いたのは割合の層である(第1章)。T細胞百分率もCD4/CD8比も、細胞の数ではなく構成比を表す。白血球数という数の層は動いていない。

臨床への翻訳

この結果は、「灸で白血球が増える」という説明を臨床の刺激量で語れないことを示している。ただし「何も起きていない」という結論でもない。リンパ球の構成比は動いた。正確に言えば、臨床で行う程度の透熱灸によって、免疫系の構成は少なくとも一過性に影響を受ける。ただしその変化は白血球数の増加という形をとらない。患者への説明は、この粒度まで落として行う必要がある。

10増えた分は何だったのか

ウサギでは白血球数が増えた。しかし対照群でも増えた。そして原著は、その増加の正体について明確な説明を与えている。

10-1 両群とも有意に変化した

表 10-1 ウサギ単回施灸における白血球数の平均(文献[2])
施灸前3時間後1週間後検定
施灸群(n = 49,875/mm³11,650/mm³8,025/mm³P < 0.02
対照群(n = 49,275/mm³9,850/mm³7,750/mm³P < 0.05

白血球分画の百分率は、施灸群・対照群ともに有意な変化を認めなかった[2]

10-2 1週間後に両群とも減っている理由

原著は、1週間後に両群とも初期値より減少している点について、実験開始時にはウサギが剪毛や採血の刺激に慣れていないため、ストレスにより循環白血球が増加していたことを示唆している[2]。すなわち、初期値のほうが高く出ていた可能性がある。

10-3 施灸の関与は、個体別の比較から示された

個体別に比較すると、3時間後に対照群は 4例中2例 しか増加していないのに対し、施灸群では 4例とも 増加しており、増加量も対照群と比べて大きかった。このことから原著は、施灸 3時間後の白血球増加に施灸刺激が関与した可能性があるとしている[2]

10-4 増加の正体

そのうえで原著は、この増加の性質について次のように述べている[2]

  1. この増加は急性・一過性に起こっている。
  2. 白血球分画で有意差はないものの、多形核白血球百分率が施灸 3時間後に増加を示している。
  3. したがって、運動やストレス、アドレナリン投与の際にみられるマージナルプールからサーキュレイティングプールへの好中球の一過性の移動による、見かけ上の増加現象と思われる。
要点

血管内の白血球は、血流に乗って循環している集団(サーキュレイティングプール)と、血管壁に沿って留まっている集団(マージナルプール)に分かれている。採血で数えられるのは前者だけである。後者から前者へ細胞が移動すれば、体内の白血球の総数が1個も増えなくても、測定値は増える。

原著はさらに、過去にリンパ球が減少すると報告されたものについても、おそらく偽好酸球百分率の増加に伴う相対的なリンパ球百分率の減少であろうと述べている[2]。これは第1章で述べた、割合の層で起きる見かけの変化そのものである。

臨床への翻訳

「灸で白血球が増える」という命題は、動物実験の水準では否定されていない。しかし増えたのは、作られた白血球ではなく、数えられる場所に移ってきた白血球である可能性が高い。この区別は臨床的に重要である。プールの移動は運動でもストレスでも起きる、生体にとってごく日常的な現象であり、感染防御能の向上を意味しない。

11反復すると消える

臨床で問題になるのは単回の変化ではなく、続けたときに何が残るかである。同じ研究は、その問いにも答えている。

11-1 4週間の反復施灸の結果

表 11-1 4週間の反復施灸による変化(文献[2])
対象頻度白血球数白血球分画リンパ球サブポピュレーション
ウサギ1回 × 4週有意な変化なし有意な変化なし測定していない
ヒト2回 × 4週有意な変化なし有意な変化なし有意な変化なし

ウサギ・ヒトとも、施灸群・対照群のいずれにおいても有意な変化を認めなかった[2]

11-2 原著の結論

原著の結論は次のとおりである。米粒大透熱灸はウサギおよびヒトの末梢血の白血球数および白血球分画に対して、長期的には影響を与えなかった。しかし施灸後の一過性の変化として、ウサギおよびヒトの白血球数が増加し、ヒトリンパ球T細胞は 24時間後に減少、ヒトリンパ球CD4/CD8比は施灸 2時間後に増加し 24時間後に減少した。このことから日常臨床で行われる程度の透熱灸によっても、生体の免疫機構は少なくとも一過性には影響を受けることが示唆された[2]

要点

原著の結論の文には「少なくとも一過性には」という限定が入っている。この限定を落として引用すると、原著が書いていないことを書いたことになる。

11-3 同じ著者による、もう一つの示唆

文献[2]の考察は、自らの結果に留保も置いている。すでに黄色ブドウ球菌で免疫したウサギの抗体産生について、施灸群のほうが非施灸群より昂進するという結果を得ていること(第6章)から、灸が 24時間 という短期間の変化だけでなく、さらに長い期間にわたって生体の免疫機構に影響を与えている可能性があると述べ、この液性免疫系の変化が今回の実験結果とどのような関連があるのかを明らかにする必要がある、としている[2]

臨床への翻訳

「灸を続けると免疫が上がる」という説明を、この研究は支えない。2回4週間 続けても、白血球数も分画もリンパ球サブポピュレーションも動かなかったからである。ただし液性免疫(抗体)については、ウサギで 12週 にわたる群間差が報告されている。つまり細胞性の指標では反復の効果が確認されておらず、液性の指標では動物でのみ確認されている。この非対称を、そのまま伝えるのが正確な説明になる。

第IV部

ヒトで測られたこと

第III部で扱った追試は 1998年 の研究である。それから四半世紀のあいだに、ヒトを対象とした灸と免疫の研究はどこまで進んだのか。この部では、現在到達できる範囲を確認する。

この部を読むと灸単独の根拠と、鍼を含む介入の根拠を、引用の場で区別できるようになる。

12鍼と灸が同じ袋に入るとき

灸と免疫を扱った近年のメタ解析で、規模がもっとも大きいのは悪性腫瘍患者を対象としたものである[7]。この研究は数値を示しているが、その数値が誰の何についての話かを確認すると、適用範囲が大きく狭まる。

12-1 報告された内容

表 12-1 悪性腫瘍患者における免疫機能のメタ解析(文献[7]。階層D)
項目内容
検索8つの電子データベース。2024年12月31日 までに公表された論文
対象悪性腫瘍患者のTリンパ球数を報告した無作為化比較試験
規模33 研究、2,610
介入鍼および/または灸
結果介入を受けた患者は CD3+、CD4+、CD4+/CD8+ 比、NK細胞の水準が高く、CD8+ の水準が低かった。抗腫瘍治療の効果も対照群より良好であった

12-2 この結果を、どこまで一般化できるか

介入は灸単独ではない
組み入れ基準は「鍼および/または灸」である。この結果から灸単独の効果を取り出すことはできない。本書が扱う問いは灸についてのものであり、この点で結果は直接には答えていない。
対象は悪性腫瘍患者である
化学療法などによって免疫機能が低下しうる集団での所見であり、健常者に外挿できない。免疫指標が低い状態からの変化と、正常範囲からの変化は同じではない。
測られたのは数と割合であり、活性ではない
報告されている「NK細胞の水準」は細胞の量に関する指標である。第1章の三層で言えば数または割合の層であり、傷害活性そのものではない。
臨床への翻訳

このメタ解析は「灸で免疫が上がる」の根拠として引用されうる規模を持っている。しかし引用するなら、「悪性腫瘍患者において、鍼または灸を含む介入を受けた群でTリンパ球サブセットの構成に差が報告されている」までである。健常者の感染予防の文脈に持ち込むことはできない。

13保健灸の臨床研究は今どこにあるか

足三里への保健灸は、日本でも中国でも予防を目的として広く行われてきた。その予防効果を検証した臨床研究は、現時点でどの段階にあるのか。

13-1 2025年の到達点

足三里の予防的効果を評価した臨床試験として、本書が到達できた最も新しいものは 2025年 に公表されたパイロット試験である[6]。この論文は冒頭で、足三里の予防的効果はこれまで臨床研究で検討されていないと述べている。

表 13-1 足三里への鍼灸による予防効果のパイロット試験(文献[6]。階層D)
項目内容
デザイン単群・非盲検のパイロット臨床試験
対象中高年者。85名 が最初の 2か月 を完遂し、48名6か月 の介入を完遂
介入足三里への鍼および灸
主な結果LDL・尿酸・乳酸脱水素酵素・α-ヒドロキシ酪酸脱水素酵素の低下。睡眠の質、膝関節機能、排便の状況にも変化。失神・強い痛みなどの有害反応はなかった
表 13-2 報告された検査値の変化(中央値と四分位範囲。文献[6])
指標介入前介入後時点P値
LDL4.46(IQR 4.32〜4.71)mmol/L3.97(IQR 3.32〜4.47)mmol/L6か月0.004
尿酸399.00(IQR 356.00〜483.00)µmol/L361.00(IQR 323.00〜421.00)µmol/L6か月0.003
乳酸脱水素酵素266.50(IQR 257.50〜282.25)U/L235.50(IQR 215.50〜244.75)U/L6か月<0.001
α-ヒドロキシ酪酸脱水素酵素195.50(IQR 190.25〜212.00)U/L181.00(IQR 165.75〜187.25)U/L2か月0.017

なお LDL と尿酸の変化は、もともとこれらの値が異常であった対象者において報告されたものである[6]

13-2 この試験が測っていないもの

この試験は保健灸の予防効果を主題としながら、免疫指標も感染症の発症も測定していない。測られたのは脂質・尿酸・酵素などの生化学検査値と、睡眠・膝関節機能・排便といった自覚症状である。

また単群であるため、対照群が存在しない。6か月にわたる観察のあいだに起きた変化のうち、どれだけが介入によるものかを、この設計から区別することはできない。

臨床への翻訳

「足三里の保健灸は昔から予防に用いられてきた」は、伝統としては事実である。しかし予防効果を検証した臨床研究は、2025年 の時点でも単群・非盲検のパイロット段階にある。しかもそのパイロットは免疫も感染症も測っていない。患者に予防効果を説明するときは、伝統の厚みと、検証の薄さを、どちらも伝えるのが誠実である。

14偽灸は2006年から作れている

灸の臨床試験は盲検化が難しいと言われる。しかし妥当性を検証済みの偽灸デバイスは、すでに 20年 前から存在する。問題は技術ではない。

14-1 デバイスの設計

Zhao らは、外見・燃焼の過程・燃え残りが互いに似ている実灸と偽灸の艾炷を作成した。両者はいずれも艾炷を専用の台座に固定したものだが、偽灸の台座は、艾が生じた熱と煙が皮膚に達しないよう遮断する構造になっている[5]

14-2 盲検化の検証

表 14-1 偽灸デバイスの妥当性検証試験(文献[5]。階層A)
項目内容
デザイン二重盲検・無作為化・プラセボ対照試験
実施北京市朝陽区の地域外来施設。2003年11月 上旬から 12月 下旬
対象55〜75歳 の志願者 71名。治療群 36名/プラセボ群 35名
介入足三里への施灸。2日に1回1か月
主要評価参加者と施術者が実灸と偽灸を区別できるか
表 14-2 参加者が「自分はどちらを受けたと思うか」(文献[5])
本物だと思った偽物だと思った分からない
治療群(n = 3630名0名5名
プラセボ群(n = 3529名0名4名

両群のあいだに統計学的な差は認められなかった(P = 1.000)。施術にあたった 2名 の施術者による判定についても、統計学的な有意差は認められなかった(P = 0.811 および P = 0.840[5]

原著は、これら特別に設計された実灸と偽灸の艾炷を組み合わせれば、灸の研究において有効なプラセボ対照を提供でき、二重盲検のプロトコルを実行できる、と結論している[5]

14-3 この試験が測らなかったもの

この試験は、感冒の予防を目的とした施灸という設定で行われている。しかし報告されている評価項目は盲検化の成否であって、感冒の発症率ではない[5]。原著の目的は、デバイスの開発と、より大規模な臨床試験の実施可能性の評価にある。

要点

本書が引用する研究のうち、階層Aに入るのはこの1本だけである。そしてその1本は、効果ではなく道具の妥当性を検証した研究である。

臨床への翻訳

「灸は盲検化できないから質の高い試験がない」という説明は、2006年 以降は正確ではない。道具は妥当性を検証済みで存在し、参加者も施術者も区別できないことが示されている。それでもなお、感冒の発症をエンドポイントに置いた二重盲検試験に本書は到達できなかった。存在しない理由は、方法論ではなく研究資源の配分の側にある可能性が高い。

第V部

指標と発症のあいだ

ここまでで、灸によって動いた指標と、動かなかった指標が出そろった。この部では、それらと「病気にかかりにくい」という主張とのあいだに何が横たわっているかを整理し、安全性と未解決問題を確認する。

この部を読むと「灸で風邪をひきにくくなるか」に、三段の限定をつけて答えられるようになる。

15三つの断絶

「灸で免疫指標が動いた」と「灸で病気にかかりにくくなる」のあいだには、三つの断絶がある。この三つは、いずれも研究が足りないという話ではなく、測っている対象が違うという話である。

15-1 断絶の一覧

表 15-1 指標と発症のあいだにある三つの断絶
断絶何と何のあいだか本書での根拠
測定の断絶細胞の数・割合と、細胞の活性ヒトで測られたのは百分率とCD4/CD8比(第9章)。灸単独でヒトのNK細胞傷害活性を測った研究には到達できなかった(第17章)
時間の断絶一過性の変動と、反復による定着ヒトで動いた指標は 24時間 以内のもので、週 2回 × 4週 では動かなかった(第11章)
アウトカムの断絶免疫指標と、感染症の発症感冒の発症を評価項目に置いた灸の対照試験に到達できなかった。偽灸デバイスの検証試験も評価項目は盲検化の成否だった(第14章)

15-2 断絶の位置

灸の刺激 数・割合が動く 活性が動く 発症が減る ①測定 ②時間 ③アウトカム 実線の枠=ヒトで報告値まで確認できたもの / 破線の枠=本書の調査範囲では確認できなかったもの
図 15-1 三つの断絶の位置(模式図)。実線の枠は本書が報告値まで確認できた範囲、破線の枠は確認できなかった範囲を示す。距離の長さに定量的な意味はない。

15-3 断絶があることは、否定を意味しない

ここで注意が必要である。断絶があるということは、灸に予防効果がないと示されたという意味ではない。示されていないだけである。効果がないことを示した試験もまた、本書の調査範囲には存在しなかった。

この状態を正確に記述する語彙は「効果がある」でも「効果がない」でもなく、「検証されていない」である。

臨床への翻訳

患者に「灸で風邪をひきにくくなりますか」と問われたときの正確な答えは、次の三段になる。①臨床で行う程度の灸でも、免疫系の構成が一過性に変わることは、ヒトで報告されている。②その変化が続くかどうかは、4週間 の観察では確認されていない。③風邪の発症が減るかどうかを調べた試験には到達できていない。この三段を省略せずに言えるかどうかが、専門職と一般的な健康情報との差になる。

16免疫を理由に灸を勧める前に

効果の確実性が低い一方で、有害事象は実際に報告されている。効果の根拠が薄い介入を勧めるとき、リスクの側の情報は、より正確である必要がある。

16-1 日本の症例報告レビュー

古瀬と山下は、医中誌WebとPubMedを用いて 1980年 以降の灸施術に関連した有害事象の症例報告を調査している[10]。収集されたのは 38 文献 98 症例である。

表 16-1 灸に関する有害事象の内訳(文献[10]。階層E)
有害事象文献数症例数
皮膚腫瘍1515
水疱性類天疱瘡45
熱傷44
喘息発作33
症状増悪260
表 16-2 年代別の報告数(文献[10])
年代文献数症例数
1980年代1272
1990年代1010
2000年代1212
2010年代44

このレビューは、多くの症例が深達性II度以上の熱傷に由来する有害事象であり、熱量の大きい施術を避けることがリスクマネジメントとして有用であると述べている[10]

16-2 海外の症例報告レビュー

Xu らは、6 か国から報告された 24 論文 64 症例の有害事象をまとめている[12]。報告された有害事象には、アレルギー、熱傷、感染、咳嗽、悪心、嘔吐、胎児機能不全、早産、基底細胞癌、眼瞼外反、色素沈着、そして死亡が含まれる。

Park らは 14 のデータベースを検索し、無作為化比較試験 4 件、比較臨床試験 1 件、非対照の観察研究 2 件、症例報告 13 件、前向き研究 1 件で灸に関連する有害事象が報告されていることを示した[11]。もっとも多かったのはアレルギー反応、熱傷、および蜂窩織炎やC型肝炎などの感染である。臨床試験の中では、発赤、水疱形成、掻痒感、煙による不快感、全身倦怠感、胃部不快感、症状の一時的増悪、頭痛、熱傷が報告されている。

Park らの結論は明快である。灸は完全に無リスクではない。ただし、これらの有害事象の発生率は現時点で分かっていない[11]

要点

症例報告のレビューから分かるのは「どんなことが起こりうるか」であって、「どれくらいの頻度で起こるか」ではない。分母が存在しないため、リスクの大きさを見積もることはできない。文献[11]はこの点を明示し、十分に大規模な前向き研究が必要だとしている。

臨床への翻訳

免疫を理由に灸を勧める場面では、二つの非対称が生じている。効果の側は「一過性の指標変化がヒトで報告されている」までしか言えないのに対し、リスクの側は皮膚腫瘍から死亡までの症例が実際に報告されている。ただしリスクの発生率も不明である。この非対称のもとで取れる姿勢は一つだけで、効果を大きく語らないこと、熱量を必要以上に上げないことである。文献[10]が示したとおり、有害事象の多くは深達性の熱傷に由来している。

17研究方法論と未解決問題

この章は、次に研究に着手する人のためのものである。抽象的な「今後の課題」ではなく、明日から設計できる粒度で空白を並べる。

17-1 本書の調査範囲で見出せなかったもの

  1. 灸単独の介入で、ヒトのNK細胞傷害活性を測定した査読済み研究。PubMed および J-STAGE を 2026年8月 まで検索したが到達できなかった。ヒトで測られていたのはNK細胞の百分率である(第9章)。
  2. 感冒または上気道感染の発症を主要評価項目に置いた、灸の対照試験。妥当性を検証済みの偽灸デバイスは 2006年 から存在するが(第14章)、それを用いて発症率を比較した試験に到達できなかった。
  3. 健常者を対象に、灸を 4週間 を超えて反復したときの免疫指標を追跡した研究。本書が確認できた最長のヒト観察は週 2回 × 4週間 であり、いずれの指標も有意な変化を認めなかった(第11章)。
  4. 文献[2]の追試そのものの再追試。この研究は 1998年 の報告であり、以後、同じ設計で刺激量・観察期間・例数を拡張した研究に到達できなかった。
  5. 灸による免疫指標の変化と、実際の感染エピソードを同一集団で同時に追跡した研究。指標と臨床アウトカムを結ぶ研究が、本書の調査範囲には存在しなかった。

17-2 この領域が進みにくい構造的な理由

アウトカムまでの距離が遠い
感冒の発症率を主要評価項目にすると、必要な例数と観察期間が跳ね上がる。免疫指標なら少数例・短期間で有意差を出しうるため、資源の制約下では指標が選ばれやすい。指標の研究が多いのは、指標が重要だからではなく、指標が測りやすいからである可能性がある。
実験条件が揃っていない
文献[1]が 94 編の原著を精査して得た結論も、この点であった。艾の大きさ、壮数、部位、頻度、観察時点が研究ごとに異なるため、結果を統合できない。
有痕灸の倫理的な制約
健常者に対して灸痕を残す手技を反復する研究は、倫理審査を通しにくい。文献[3]の灸痕は直径約 3mm であった。この制約は、長期反復の研究が少ないことの一因になっている可能性がある。

17-3 次に設計されるべき試験の骨格

本書の調査結果から導かれる、もっとも優先度の高い試験の骨格は次のようになる。

  1. 文献[5]の偽灸デバイスを対照として用いる(盲検化は検証済みである)。
  2. 主要評価項目を感冒の発症率または罹病日数に置く。
  3. 副次評価項目としてNK細胞傷害活性を、測定法とE:T比を明記して測る。
  4. 観察期間を 4週間 より長く取り、少なくとも一つの感染流行期を含める。
  5. 艾の大きさと壮数を、臨床で実際に用いる水準(米粒大・約 2mg)に固定して明記する。
臨床への翻訳

臨床家にとっての結論は単純である。「灸で免疫が上がる」は、現時点では臨床アウトカムの根拠を持たない説明である。だからといって施術の価値が下がるわけではない。下がるのは、この説明を効果の保証として用いたときの信頼である。言えることの範囲を正確に語れる施術者は、言えないことを語る施術者より、長い目で見て強い。

演習

理解度チェック

本書の内容から10問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。すべて本文に明示した記述だけから解けます。

第I部免疫を測るとは何を測ることか2問
Q01 出典:第1章

免疫の指標は、細胞の数・細胞の割合・細胞の活性という3つの層に分けられる。これらの関係として正しいのはどれか。

Q02 出典:第2章

健常者のNK細胞傷害活性をベースラインで繰り返し測定した研究が報告した、この指標を臨床試験のアウトカムに用いるうえでの問題はどれか。

第II部動物で灸に起きたこと2問
Q03 出典:第4章

ラットに施灸してNK活性の上昇を観察した実験がある。この結果だけでは灸に固有の作用を示したとは言えない。その理由として適切なのはどれか。

Q04 出典:第5章

ラットに6-ヒドロキシドーパミンを投与して交感神経終末を選択的に破壊したうえで施灸した実験で、報告された結果はどれか。

第III部白血球増多報告の再現性4問
Q05 出典:第7章

施灸による白血球増多を報告した過去の実験について、用いられた刺激量の記述として適切なのはどれか。

Q06 出典:第9章

ヒトに単回の施灸を行い、対照群と比べて白血球数の推移を測定した実験の結果はどれか。

Q07 出典:第10章

ウサギで施灸3時間後に一過性の白血球増加が観察され、多形核白血球の百分率も同時に増加していた。この所見の解釈として適切なのはどれか。

Q08 出典:第11章

ウサギに週1回、ヒトに週2回の施灸を4週間くり返し、白血球数・白血球分画・リンパ球サブポピュレーションを測定した実験の結果はどれか。

第IV部・第V部ヒトで測られたこと/指標と発症のあいだ2問
Q09 出典:第14章

熱と煙を遮断する台座を用いた偽灸デバイスの試験について、正しいのはどれか。

Q10 出典:第17章

ヒトを対象に、灸だけを行ってNK細胞傷害活性を測った研究が見当たらない。この状況で施術者が患者に伝える内容として適切なのはどれか。

回答 0 / 10正解 0
付録

引用文献

本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。本文に到達できなかった資料はその旨を明記し、数値を引用していない。

  1. 東家一雄, 深澤洋滋, 笠原由紀, 奥田学, 田原壮平, 栗林恒一. 鍼灸と免疫の基礎研究に関する文献調査. 全日本鍼灸学会雑誌. 2006;56(5):767-778. J-STAGE
  2. 山下仁, 丹野恭夫, 一幡良利, 西條一止, 高橋昌巳. 米粒大透熱灸がウサギおよびヒト末梢血の白血球動態に与える影響. 日本東洋医学雑誌. 1998;48(5):599-608. J-STAGE
  3. 山下仁, 高橋昌巳, 西條一止, 一幡良利. 黄色ブドウ球菌免疫ウサギ血清中の抗体産生に及ぼす灸の効果. 日本東洋医学雑誌. 1996;47(3):457-464. J-STAGE
  4. Choi GS, Han JB, Park JH, Oh SD, Lee GS, Bae HS, Jung SK, Cho YW, Ahn HJ, Min BI. Effects of moxibustion to zusanli (ST36) on alteration of natural killer cell activity in rats. Am J Chin Med. 2004;32(2):303-312. PMID 15315267
  5. Zhao B, Wang X, Lin Z, Liu R, Lao L. A novel sham moxibustion device: a randomized, placebo-controlled trial. Complement Ther Med. 2006;14(1):53-60. PMID 16473754
  6. Liang C, Fu M, Deng L, Zhuang Y, Sun C, Liu J, Chen S, Wang H, Zhang H, Huang Z, Yi L, Wang K, Ren R. A phase 1/2 pilot study of acupuncture and moxibustion at Zusanli (ST36) as a prophylactic treatment in middle-aged and elderly individuals. Front Med. 2025.(オンライン先行公開) PMID 41402698
  7. Wang Y, Sui B, Zhang Y, Fang L, Xie Y, Fang Y, Wang R. Effect of acupuncture and moxibustion on the immune function of patients with malignant tumors: a systematic review and meta-analysis. Front Immunol. 2025;16:1583522.(正誤表:Front Immunol. 2025;16:1685492) PMC12331736
  8. Motzer SA, Tsuji J, Hertig V, Johnston SK, Scanlan J. Natural killer cell cytotoxicity: a methods analysis of 51chromium release versus flow cytometry. Biol Res Nurs. 2003;5(2):142-152.(灸の研究ではない。測定法の比較研究) PMID 14531218
  9. Valiathan R, Lewis JE, Melillo AB, Leonard S, Ali KH, Asthana D. Evaluation of a flow cytometry-based assay for natural killer cell activity in clinical settings. Scand J Immunol. 2012;75(4):455-462.(灸の研究ではない。測定法の評価研究) PMID 22150284
  10. 古瀬暢達, 山下仁. 灸に関する有害事象の文献レビュー. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2022;46(2):95-105. J-STAGE
  11. Park JE, Lee SS, Lee MS, Choi SM, Ernst E. Adverse events of moxibustion: a systematic review. Complement Ther Med. 2010;18(5):215-223. PMID 21056845
  12. Xu J, Deng H, Shen X. Safety of moxibustion: a systematic review of case reports. Evid Based Complement Alternat Med. 2014;2014:783704. PMC4058265
  13. 文献[2]が追試の対象として挙げた1912年〜1938年の報告群(樫田・原田 1912、時枝 1926、原志免太郎 1929、田村 1934 ほか)。本書はこれらの原著に当たっていないため、数値を一切引用していない。出典は文献[2]の引用文献一覧である。 文献[2](J-STAGE)

灸と免疫 第1版(2026年8月)。灸エビデンス・ライブラリ/基礎編。
本書の数値はすべて原著の報告値であり、編者による計算・推定値は含まない。到達できなかった資料の数値は引用していない。戦前の白血球増多報告群(文献[13])は原著に当たっていないため、数値を一切引用していない。
施灸局所の炎症・熱ショック応答・創傷治癒は『灸と組織修復』が、もぐさの煙の成分は『もぐさの特性』が、交感神経活動そのものの測定は『灸と自律神経』が正本である。喘息・COPD・アレルギー性鼻炎は本書の下巻『灸と呼吸器』が扱う。
改版履歴:2026年8月 初版発行。