3分で要点だけ
本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。
- 診療ガイドラインが灸を推奨した唯一の症状は倦怠感がん治療を完了した成人に条件付き・エビデンスの質は低。同じガイドラインで鍼は推奨されていない
- その推奨の根拠2試験の灸は、艾を燃やしていないガイドライン本文が「機械により供給され、植物材料を伴わなかった」と明記している
- 偽灸を対照に置くと、差は縮むか消える三群比較では治療終了時に灸と偽灸の差がなく、便秘の偽灸対照試験では p = 0.78 だった
1枚ノート この1冊をA4 1枚に。数字3つ・臨床への翻訳・分かっていないことだけを、本文からの抜粋で。印刷して配れます。 1枚ノートを見る →
数値に入る前に持っておく割引
この巻には統合値が並ぶ。どれも原著の報告値である。しかし報告値をそのまま信頼度として受け取ると、緩和ケアの現場では確実に過大評価になる。先に割引の種類を持つ。
この部を読むと統合値を見る前に、産地・盲検化・介入の同一性・対象の一致という四つの割引を持てるようになる。
00この巻の読み方と、四つの割引
この巻の目的は、灸が効くかどうかを判定することではない。ある数値を見たときに、その数値がどれだけ割り引かれるべきかを、根拠を示して言えるようになることである。
0-1 第①巻との分担
安全性、評価尺度、緩和ケアの枠組み、チームでの記録は第①巻に置いた。この巻は症状別の効果量と、その数値の確実性だけを扱う。据えてよい患者かどうかの判断は、第①巻を前提とする。
0-2 四つの割引
| 割引 | 内容 | 本書で扱う章 |
|---|---|---|
| 産地 | 灸のRCTの大多数が中国で行われ、陽性結果に偏る構造がある | 第2章 |
| 盲検化 | 熱と煙を隠すのが難しく、患者盲検を行った試験がきわめて少ない | 第3章 |
| 介入の同一性 | 「灸」と一語で束ねられた中身が、艾の燃焼から機械式温熱まで異なる | 第4章・第11章 |
| 対象の一致 | 試験の対象が緩和ケアの患者と一致するとは限らない | 第4章・第14章 |
0-3 この巻を貫く三つの問い
- その推奨は、何を灸と呼んでいるのか。
- その有意差は、偽灸に対する有意差か、無治療に対する有意差か。
- その試験の対象は、目の前の患者と同じ状態か。
本書は Cochrane の確実性の区分に寄せて書く。「〜である」は確実性が高い場合、「おそらく〜する」は中等度、「〜と報告されている」は低、「〜という報告があるが確実性は非常に低い」は非常に低い場合に用いる。有意差がなかった場合は「有意差はなかった」と書き、「傾向がみられた」とは書かない。
エビデンスの地図
個々の症状に入る前に、この領域全体でどのような研究が行われ、どのような弱点が共有されているかを見る。弱点は症状ごとに違うのではなく、領域全体に共通している。
この部を読むとこの領域の統合値が、どの構造的な弱点を共有しているかを説明できるようになる。
01全体像——何が調べられ、何が結論されたか
緩和ケア領域における灸の研究は、化学療法・放射線療法の副作用を対象としたものが中心である。この領域の最も体系的な評価は Cochrane レビューと、系統的レビューの概観の二つである。
1-1 Cochrane レビュー
Zhang らは、がん患者における化学療法または放射線療法の副作用に対する灸を評価する Cochrane レビューを行った。ランダム化比較試験29件・2,569名を含み、灸(艾炷灸および艾条灸)を偽灸・無治療・従来治療と比較した試験を対象としている[1]。
結論は次のとおりである。限られた低い確実性のエビデンスは、灸が化学療法または放射線療法の血液毒性と消化器毒性を軽減し、生活の質を改善しうることを示唆する。具体的には、白血球数とヘモグロビン値の改善による免疫機能への好ましい影響、化学療法・放射線療法に伴う消化器症状(悪心・嘔吐)の軽減、生活の質の改善が示された[1]。
同時に著者らは、エビデンスは結論的ではなく、この治療の利益もリスクも否定できないこと、有害事象を報告する質の高い研究が必要であることを述べている[1]。
1-2 系統的レビューの概観
Wu らは、がんの緩和ケアにおける鍼およびその関連療法(灸、経皮的電気神経刺激、レーザー鍼、指圧、経穴注射、耳鍼を含む)を対象とした系統的レビュー23件を概観した。これらのレビューは248の原研究・17,392名を含む[2]。
| 症状 | 結論 |
|---|---|
| がん関連倦怠感 | 治療効果のエビデンスがある |
| 化学療法に伴う悪心・嘔吐 | 治療効果のエビデンスがある |
| 白血球減少 | 治療効果のエビデンスがある |
| がん疼痛 | 相反するエビデンスがある |
| ホットフラッシュ | 相反するエビデンスがある |
| しゃっくり | 相反するエビデンスがある |
| 生活の質 | 相反するエビデンスがある |
| 口腔乾燥 | 支持も否定もできない |
| 呼吸困難 | 支持も否定もできない |
| リンパ浮腫 | 支持も否定もできない |
| 心理的な健康 | 支持も否定もできない |
いずれの研究においても重篤な有害事象は報告されなかった[2]。
この概観は鍼と灸を含む「鍼およびその関連療法」を対象としており、表1-1の結論は灸だけのものではない。また、含まれた23件の系統的レビューについて、AMSTAR による評価では包括的な文献検索を行っていたものが100%、選択とデータ抽出を二重に行っていたものが78.3%であった一方、出版バイアスを評価していたレビューは0%、利益相反を開示していたレビューも0%であった[2]。
患者に説明するとき、「鍼灸は倦怠感と吐き気に効果があると報告されています」は、鍼と灸を束ねた表現である。灸だけの根拠を問われたときに答えられるよう、この巻では以降、灸のみを対象とした研究と、鍼を含む研究を分けて示す。
02研究の産地が偏っているという問題
この領域の統合値は、ほぼすべてが中国で行われた試験から作られている。これは研究者の国籍の話ではなく、統合値がどれだけ割り引かれるべきかという話である。
2-1 実際の内訳
| 統合研究 | 試験数 | 産地・言語 |
|---|---|---|
| がん疼痛のメタ解析(2023)[3] | 10 | 全試験が中国で実施。英語掲載は1件のみ |
| 悪心・嘔吐の系統的レビュー(2017)[10] | 16 | 1試験がモンゴル、残りが中国で実施。全件が中国語掲載 |
2-2 なぜこれが割引になるのか
問題は二つある。第一に、言語と地域が限定されていることで、統合値がその地域の臨床設定に依存する。がん疼痛のメタ解析の著者らは限界としてこう書いている。「1件のRCTのみが英語で出版され、残りは中国語で出版され、すべての研究が中国で行われた。したがって、本研究のエビデンスは地域によって制限される可能性がある」[3]。
第二に、出版バイアスの評価がほとんど行われていない。がん疼痛のメタ解析では、「各アウトカムに含まれたRCTの累積数が10件未満であったため、出版バイアスを解析しなかった」と明記されている[3]。悪心・嘔吐のレビューでも「試験数が限られていたためファンネルプロットでは報告バイアスを検出できなかった」とされている[10]。系統的レビューの概観では、23件のレビューのいずれも出版バイアスを評価していなかった[2]。
「出版バイアスは評価されていない」は「出版バイアスはない」ではない。陰性の結果が出た試験が公表されなかった場合、統合値は真の効果より大きく出る。この領域で報告されている統合値は、いずれもこの方向に偏っている可能性を排除できていない。数値を読者や患者に伝えるときは、点推定値ではなく信頼区間の下限を臨床判断の基準にするほうが安全である。
03偽灸——熱と煙を隠せるか
灸の臨床試験で最も難しいのは、患者に「灸を受けているかどうか」を分からなくすることである。熱、煙、匂い、施術時間のすべてを隠す必要がある。この難しさが、この領域のエビデンスの質を根本で規定している。
3-1 断熱型の偽灸装置
Zhao らは偽灸装置を開発し、二重盲検ランダム化プラセボ対照試験でその妥当性を検証した。実灸と偽灸の艾柱は外見が同一で燃焼の過程も同じだが、偽灸の台座は艾が発する熱と煙を遮断し、皮膚に到達しないようにする[14]。
北京で55〜75歳の71名を対象に、足三里に2日に1回・1か月間の施術を行った結果、被験者・施術者ともに実灸と偽灸を確実に区別できず、盲検化の有効性について群間に統計的有意差はなかった(被験者 P = 1.000、施術者 P = 0.811〜0.840)[14]。
3-2 実際の試験での盲検化
赤外線レーザーによる灸を用いた試験では、試験終了時に自分が本物の治療を受けたと考えた被験者の割合は、実治療群87%、偽治療群81%であった(P = .77)[6]。この装置は無色の赤外線を用いるため、施術者にも出力の有無が分からない[6]。
一方、化学療法に伴う悪心・嘔吐のレビューに含まれた16試験のうち、患者に対する盲検の方法を用いた試験は1件のみであった[10]。がん疼痛のメタ解析に含まれた10試験のうち、盲検化の詳細を報告したのは1件で、それも結果評価者に対する盲検であった[3]。
盲検化された偽灸装置は技術的には存在する。それでも大多数の試験がそれを使っていない。したがって「灸群のほうが良かった」という報告の多くは、灸そのものの効果と、灸を受けているという認識がもたらす効果を分離していない。緩和ケアの臨床では後者にも価値があるが、価値があることと、効果の帰属を正しく述べることは別である。
症状別のエビデンス
ここがこの巻の中核である。症状ごとに、統合値、根拠となった試験の中身、そして著者自身が述べた限界を並べる。数値と限界を分けて読まない。
この部を読むと症状ごとに、報告された効果量と、著者自身が書いた限界を同時に言えるようになる。
04倦怠感——推奨の中身を開ける
この領域で灸が診療ガイドラインの推奨に到達している唯一の症状が、がん関連倦怠感である。推奨の中身を開けると、日本の鍼灸師が想像する灸とは異なるものが出てくる。
4-1 ASCO–SIO ガイドラインの推奨
米国臨床腫瘍学会(ASCO)と統合腫瘍学会(SIO)による2024年のがん関連倦怠感ガイドラインは、推奨2.6として次のように述べている[5]。
Clinicians may recommend moxibustion to manage symptoms of cancer-related fatigue in adults who have completed cancer treatment.
(がん治療を完了した成人において、がん関連倦怠感の症状を管理するために、臨床医は灸を推奨してもよい。)
エビデンスの質:低(Low) 推奨の強さ:条件付き(Conditional)
同じガイドラインで、鍼は推奨の対象になっていない。「がん治療を完了した成人のがん関連倦怠感の重症度を軽減するために、受容とコミットメントに基づく介入、注意に基づく介入、鍼、高照度光療法、人参(ginseng)、マッサージ、ヤドリギ、オメガ脂肪酸、心理教育的介入、セルフマネジメント健康アプリ、太極拳・気功について、賛否いずれの推奨も行うにはエビデンスが不十分または結論的でない」とされている[5]。
4-2 根拠となった2試験
ガイドラインのエビデンス表は、灸について「2件のRCT、N = 174」と記載し、注記に「推奨の強さは、灸の実施方法と実施スケジュールに異質性のある小規模2試験に基づくため条件付きである」と述べている[5]。
そして本文には次の記述がある。「これらの研究で試験された灸の形態は機械によって供給されるもので、植物材料を伴わなかった(machine-delivered and did not involve plant material)」[5]。
ASCO–SIO が推奨した「灸」は、艾を燃やす灸ではない。赤外線レーザーと電気式・点火式の装置による温熱刺激である。したがって「ガイドラインで灸が推奨されたから、透熱灸や台座灸にも同じ推奨が及ぶ」とは言えない。共通しているのは経穴への温熱刺激という点であり、艾の燃焼に固有の要素(燃焼温度の時間曲線、煙、精油成分)は検証されていない。
4-3 試験1:赤外線レーザーによる灸
Mao らは、10.6 μm の赤外線レーザーによる灸を、がん患者の倦怠感に対して評価するランダム化二重盲検プラセボ対照試験を行った[6]。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | 倦怠感のあるがん患者78名(各群39名)、完遂61名。中国・単施設・漢民族 |
| 治療状況 | 64.1%が積極的治療中、35.9%が治療終了後 |
| 介入 | 足三里(ST36、両側)・関元(CV4)・気海(CV6)に20分、週3回、4週間(計12回) |
| 対照 | 外見が同一で、起動時にレーザー光源が遮断される偽装置 |
| 主要アウトカム | 4週:実治療 3.01 ± 0.99/偽治療 4.40 ± 1.41(P = .002) 8週:実治療 3.03 ± 1.28/偽治療 4.26 ± 1.49(P = .006)(BFI 中国語版) |
| 有害事象 | 直径約5 mmの軽度限局性紅斑3例、3日以内に消失。感染なし |
著者らの限界の記載は次のとおりである。第二相試験で標本数が限られ追跡期間が短いこと、脱落率が20%で、その主因は積極的治療中の患者の臨床状態の悪化であったこと(ただし両群で均衡していた)、通常ケア群を欠くため灸の全体効果を推定できないこと、対象が単施設の漢民族であったこと[6]。
4-4 試験2:装置による灸
Han らは、韓国の3施設で、装置による灸・偽灸・通常ケアの3群を比較する多施設・評価者盲検ランダム化比較試験を行った[7]。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | 96名(各群32名)、完遂92名。がん関連治療が試験の12週以上前に終了した患者 |
| 介入 | 神闕(CV8)・中脘(CV12)に点火式灸、合谷(LI4)・足三里(ST36)両側に電気式灸。30分、週2回、8週間(計16回) |
| 偽灸 | 非経穴に偽装置を用い、経穴を刺激せずに皮膚温が 45℃ に達する |
| 有害事象 | 重篤なものはなし。軽微な事象は灸群9名・偽灸群11名・通常ケア群1名。灸群に軽度熱傷2例 |
| 比較の種類 | 9週 | 13週 |
|---|---|---|
| 灸群の群内変化(ベースラインから) | −1.92(P < 0.001) | −2.36(P < 0.001) |
| 偽灸群の群内変化(ベースラインから) | −1.71(P < 0.001) | −1.08(P = 0.001) |
| 灸 対 通常ケア(群間差) | −0.76(P < 0.001) | −1.06(P < 0.001) |
| 灸 対 偽灸(群間差) | 有意差なし | −1.17(P = 0.004) |
治療期間中(9週時点)は、灸と偽灸のあいだに有意差がなかった。偽灸群も群内では有意に改善している。差がついたのは治療終了から4週間経過した13週時点である[7]。
著者らは限界として、3施設がすべて韓国国内であり一般化可能性が限られること、試験期間中に手術・化学療法・放射線療法の予定がある患者を除外したこと、追跡期間が4週間と短いこと、そして「結果は灸がプラセボより優れていることを証明できなかった」ことを挙げている[7]。
表4-3の四行は、どれも「灸群で −1.92」のように書けてしまう。しかし群内変化は自然経過と併用治療を含み、群間差はそれを差し引いた量である。前者は後者の約2.5倍の大きさになっている。ASCO–SIO ガイドラインの本文は、この試験の群内変化(−1.92、−2.36)を「通常ケア群と比較して」の値として記載している[5]。ガイドラインでさえこの取り違えが起こる。本書は原著[7]の値を採った。二次資料の数値を引くときは一次文献に当たり直す。
4-5 メタ解析
Wang らは、がん関連倦怠感に対する灸のランダム化比較試験を統合した。24試験・1,894名を含むランダム効果モデルによるメタ解析で、標準化平均差は SMD = −1.66(95% CI −2.05, −1.28、p = 0.000)であった[8]。
ただし異質性はきわめて大きく I² = 92.5% であり、GRADE による評価では、灸ががん関連倦怠感の患者に即時的な好ましい効果を持つことを示すエビデンスの確実性は非常に低いから低の範囲であった[8]。著者らは、含まれた試験数が少なく方法論的な質も低いため、大規模・多施設・高品質のRCTがなお必要であると結論している[8]。
異質性の指標であり、試験間の効果推定値のばらつきのうち、偶然ではなく実質的な違いに由来する割合を示す。92.5%は、試験ごとに測っているものが実質的に異なっている水準である。この場合、統合された点推定値は「平均的な効果」というより「性質の異なるものを一つの数にまとめた結果」に近い。
05化学療法に伴う悪心・嘔吐
灸の研究が最も多く行われている領域である。統合値は一貫して灸に有利だが、その根拠となった試験の質は、この巻で扱う中で最も低い部類に入る。
5-1 消化器症状の系統的レビュー
Yao らは、化学療法に伴う消化器有害事象に対する灸を評価する系統的レビューを行った。7つの電子データベースを2021年8月28日まで検索し、32件のランダム化比較試験(n = 2,990)を含めた[9]。
| アウトカム | 効果推定値(95% CI) | 判定 |
|---|---|---|
| 悪心・嘔吐の発生 | RR 0.70(0.61–0.79) | 有意に減少 |
| 重度の悪心・嘔吐の発生 | RR 0.39(0.29–0.51) | 有意に減少 |
| 下痢の発生 | RR 0.56(0.38–0.82) | 有意に減少 |
| 便秘の発生 | RR 0.59(0.44–0.78) | 有意に減少 |
| 腹部膨満の発生 | RR 0.60(0.46–0.78) | 有意に減少 |
| 食欲不振の発生 | RR 0.69(0.40–1.22) | 有意差なし |
| 腹痛の発生 | RR 0.60(0.28–1.30) | 有意差なし |
著者らは、中等度から非常に低い質のエビデンスが、灸を化学療法後の補助的治療として安全に用いることで消化器症状を軽減し、パフォーマンス・ステータスと生活の質を高めうることを示唆する一方、疼痛と食欲に対する効果は不確実なままであると結論している[9]。灸に関連した有害事象はすべて軽度であった[9]。
5-2 悪心・嘔吐に絞った系統的レビュー
Huang らは、化学療法に伴う悪心・嘔吐に対する灸について、16件のRCT・1,123名(20〜80歳)を統合した。1試験がモンゴル、残りが中国で実施され、全件が中国語で出版されている[10]。
| 比較 | 試験数・n | 重症度の緩和(WHO基準) |
|---|---|---|
| 灸 対 無治療 | 2件・120 | RR 2.04(1.42–2.93)/I² = 0% |
| 灸 対 制吐薬 | 4件・270 | RR 1.54(1.25–1.88)/I² = 5% |
| 灸+制吐薬 対 制吐薬 | 3件・178 | RR 2.57(1.77–3.75)/I² = 0% |
このRRは「緩和が得られた割合」の比であり、値が大きいほど灸に有利である。カルノフスキー・パフォーマンス・ステータスについては、無治療との比較で MD 7.83(2.85–12.81、I² = 58%)、制吐薬との比較で MD 10.63(7.80–13.46、I² = 0%)であった[10]。
実灸と偽灸を比較した試験は1件(n = 50)のみで、悪心・嘔吐の領域スコアは 8.10 ± 10.98 対 46.67 ± 23.32 であった[10]。
著者らの評価によれば、乱数表による無作為化を報告したのは9試験、割り付けの隠蔽を報告したのは3試験、患者に対する盲検の方法を用いたのは1試験のみであった。標本数の計算を報告した試験はなく、大半が臨床試験登録を行っていなかった。著者らは「本系統的レビューのエビデンスレベルは低い」と明記している[10]。
著者らの結論は次のとおりである。「灸は化学療法に伴う悪心・嘔吐の重症度と頻度を効果的に緩和しうる。しかし期待効果とプラセボ灸の効果を除外できない。灸は制吐薬より効果的である可能性がある。補完的治療として灸が制吐薬の効果を高めうるという頑健な結果は、結果が一貫しないため得られていない」[10]。
表5-2の三行目「灸+制吐薬 対 制吐薬」は、臨床でいちばん知りたい比較である。しかしこの比較の統合値について、著者自身が「頑健な結果は得られていない」と述べている。統合値が最も大きい行が、最も信頼できない行になっている。効果量の大きさと確実性は独立であり、大きい数字ほど疑ってかかる理由がある。
06下痢・便秘・腹部膨満
表5-1では下痢・便秘・腹部膨満のいずれも有意に減少している。一方、患者を盲検化した唯一の便秘の試験では、効果は消えている。この対比が、この領域の確実性を最もよく表している。
6-1 偽灸対照の便秘試験
Park らは、機能性便秘に対する灸を、ランダム化・偽灸対照・患者盲検の予備的臨床試験として検証した[11]。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | 各群13名(計26名無作為化、24名完遂) |
| 介入 | 太乙(ST23)・大巨(ST27)両側に艾柱(0.6 × 20 mm)、1穴あたり3壮。週3回・4週間(計12回) |
| 偽灸 | 艾柱の下に断熱材を置き、皮膚への熱の伝達を防ぐ |
| 排便回数(主要) | 灸 週3.3回→4.6回、偽灸 週2.7回→3.7回。群間差 −0.25(p = 0.78) |
| Bristol 便形状スケール | 群間差 −1.22(p = 0.1) |
| 便秘評価尺度 | 群間差 0.91(p = 0.44) |
| 有害事象 | 掻痒感を伴うまたは伴わない発赤3名(灸2名・偽灸1名)。いずれも軽度・一過性 |
著者らの結論は次のとおりである。「灸治療は、排便回数、便形状、および主観的な便秘症状において、偽治療と比較して統計的に有意な効果を示さなかった」[11]。
第一に、対象は機能性便秘であり、がん患者でもオピオイド誘発性便秘でもない。緩和ケアの便秘に直接適用できる結果ではない。第二に、予備的試験であり標本数が小さい(各群13名)。有意差がないことは効果がないことの証明ではなく、この標本数では検出できないという意味でもある。第三に、著者らは盲検化が成功したかどうかを確認していない[11]。
6-2 二つの結果をどう並べるか
表5-1の便秘(RR 0.59)は、化学療法を受けているがん患者を対象とし、大半が盲検化されていない試験の統合値である。表6-1は、がん患者ではない機能性便秘を対象とした、患者盲検の小規模試験である。対象も規模も違うため、一方が他方を否定するわけではない。
しかし、この領域で盲検化を行った数少ない試験が有意差を示さなかったという事実は、盲検化されていない統合値をどれだけ割り引くべきかを考える材料になる。
緩和ケアの便秘は、オピオイド、活動量低下、脱水、食事量低下、腸管の器質的な問題が重なって起きる。原因が薬剤性であるなら、緩下剤の調整が第一の対応であり、灸はそれを置き換えるものではない。灸を行う場合も、「排便回数が週に何回から何回になったか」を記録する。表6-1が示すとおり、この指標は偽灸群でも動く。
07骨髄抑制——白血球という数えられる指標
この領域で唯一、患者の主観に依存しない客観指標が測られているのが骨髄抑制である。主観の入る余地が小さいぶん、盲検化の弱さの影響を受けにくい。
7-1 Cochrane レビューの所見
Cochrane レビューは、灸が白血球数とヘモグロビン値を改善することによる免疫機能への好ましい影響を示したと述べている。ただし確実性は低く、エビデンスは結論的ではない[1]。
7-2 乳がんの補助化学療法における試験
Ji らは、補助化学療法中の乳がん患者における化学療法誘発性骨髄抑制に対する灸を、ランダム化比較試験として検証した[12]。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | 灸群48名/対照群44名(per-protocol 解析92名) |
| 介入 | 温和灸。神闕(CV8)、足三里(ST36)両側、三陰交(SP6)両側の5穴。艾条を皮膚から2〜3 cm、1穴15分。各化学療法周期の2日目から次周期の前日まで1日1回 |
| 両群共通 | 21日ごと・4〜8周期の補助化学療法と、G-CSF による支持療法 |
| 白血球数(第7周期) | 灸群 5.38 ± 1.41/対照群 3.78 ± 1.46 ×10⁹/L(P < 0.01) |
| Grade 1 の好中球数減少(第7周期) | 灸群 0%/対照群 31.8%(P < 0.01) |
| ヘモグロビン・血小板 | 全周期を通じて群間に有意差なし |
| Grade 2–3 の重度悪心 | 灸群 27.1%/対照群 47.7%(P < 0.05) |
| めまい | 灸群 4.2%/対照群 27.3%(P < 0.01) |
| 発熱性好中球減少症 | 灸群1例/対照群6例(P = 0.051) |
灸に関連した毒性は報告されていない[12]。著者らは「灸は補助化学療法中の乳がん患者の化学療法誘発性骨髄抑制の治療に有効であり、とくに高用量・長期・併用の化学療法レジメンを受けている患者において有効である」と結論している[12]。
第一に、両群ともG-CSFを投与されており、灸単独の効果ではなくG-CSFに上乗せした効果を見ている。第二に、この試験は偽灸対照ではない。第三に、発熱性好中球減少症の差は P = 0.051 であり、慣例的な有意水準を満たしていない。臨床的に最も重要な合併症について、この試験は有意差を示していない。
白血球数のような検査値は、鍼灸師が自分で測るものではない。しかしカルテで確認できる数値でもある。骨髄抑制の指標に灸を関連づけて語るなら、「灸で免疫力が上がる」ではなく、「補助化学療法中の乳がん患者で、G-CSFに加えて灸を行った群の白血球数が高かったという報告が1件ある。ヘモグロビンと血小板には差がなかった」と述べる。前者は検証されていない主張であり、後者は原著の報告である。
08疼痛——良好な統合値と、載らないガイドライン
がん疼痛に対する灸のメタ解析は、すべてのアウトカムで灸に有利な結果を報告している。同じ年代の診療ガイドラインは、疼痛の推奨に灸を含めていない。この不一致の理由を、統合の中身から読む。
8-1 メタ解析の結果
Li らは、がん疼痛に対する灸と薬物療法の併用を評価するメタ解析を行った。7つのデータベースを2022年11月まで検索し、10試験・999例を含めた。対照はいずれもWHO三段階除痛ラダーに基づく薬物療法である[3]。
| アウトカム | 効果推定値(95% CI) | p |
|---|---|---|
| 疼痛緩和率 | RR 1.16(1.04–1.30) | 0.01 |
| 疼痛スコア | SMD −1.43(−2.09, −0.77) | < 0.0001 |
| 生活の質 | SMD 2.48(0.67–4.29) | 0.007 |
| 薬剤の有害反応 | RR 0.35(0.21–0.57) | < 0.0001 |
鎮痛の発現までの時間と持続時間についても灸に有利な有意差が報告されているが、本書は原著本文からこれらの指標の単位を確認できなかったため、数値を掲載しない。
著者らの結論は「本レビューのエビデンスは、がん疼痛管理の有効な補助療法として灸を支持する。ただし、これらの所見をさらに確認するには質の高いRCTが必要である」である[3]。
8-2 この統合値にかかる割引
著者ら自身が記載した限界は次のとおりである[3]。
- 英語と中国語のデータベースのみを検索したため、適格な試験を見落とした可能性がある
- 大半の試験の方法論的な質が満足できるものではない。割り付けの隠蔽の詳細に言及したのは2試験、盲検化の詳細を報告したのは1試験のみで、報告の質の低さがエビデンスの信頼性に影響した
- 英語で出版されたのは1試験のみで、残りは中国語、全試験が中国で実施された
- 一部のアウトカムで有意な異質性があり、評価尺度によるサブグループ解析でも解消しなかった
加えて、無作為化の方法については、乱数表を用いたのが7試験、コンピュータプログラムが1試験、残りは「無作為」と述べるのみであった[3]。
8-3 診療ガイドラインとの不一致
SIO と ASCO による2022年のがん疼痛に対する統合医療のガイドラインは、1990年から2021年までの227件の研究に基づいている。推奨されたのは、アロマターゼ阻害薬に関連した関節痛に対する鍼、一般的ながん疼痛または筋骨格系疼痛に対する鍼・リフレクソロジー・指圧、処置に伴う痛みに対する催眠、緩和ケアまたはホスピスケアで痛みを経験している患者に対するマッサージである[4]。
灸は推奨に登場しない。同ガイドラインは、その他の心身介入や天然物の疼痛に対するエビデンスの質は低いか結論的でないと述べている[4]。
統合値が良好であることと、ガイドラインに載ることは別である。ガイドラインは統合値の大きさではなく、その値を支えている試験の質と一般化可能性を評価する。全試験が単一国で行われ、盲検化がほぼ行われていない10試験の統合値は、国際的な推奨の根拠にはならない。したがって、がん疼痛に灸を提案するとき「有効性を支持するメタ解析がある」と言うのは正確だが、「ガイドラインで推奨されている」と言えば事実に反する。
09QOLとパフォーマンス・ステータス
緩和ケアで最終的に問われるのは、検査値ではなく本人の過ごし方である。その領域の指標について、報告されている数値と、結論が割れている事実を確認する。
9-1 報告されている統合値
| 出典 | アウトカム | 効果推定値(95% CI) |
|---|---|---|
| Yao ら 2022[9] | 生活の質 | MD 8.88(0.96–16.80) |
| Yao ら 2022[9] | カルノフスキー・パフォーマンス・ステータス | MD 7.53(3.42–11.64) |
| Li ら 2023[3] | 生活の質(疼痛試験) | SMD 2.48(0.67–4.29) |
生活の質の MD 8.88 は信頼区間の下限が 0.96 であり、ゼロにきわめて近い。点推定値だけを見るのと、下限を見るのとでは、臨床的な意味の見積もりが大きく変わる。
9-2 結論が割れている
Cochrane レビューは生活の質の改善を示唆したとしている[1]。一方、系統的レビューの概観は、生活の質の改善について相反するエビデンスがあると結論している[2]。同じ領域について、統合の枠を変えると結論が変わる。
QOL尺度の合計点が数点動いたことと、患者が「今日は娘と話せた」ことは、同じではない。前者は研究の言語であり、後者は患者の言語である。緩和ケアで灸を行うなら、記録すべきは両方である。QOL尺度の統合値は説明の根拠として弱いが、患者本人が言葉にした変化は、チームの意思決定を動かす一次情報になる。
10呼吸困難と心理的苦痛——空白の領域
緩和ケアで頻度の高い二つの苦痛について、灸のエビデンスはほとんど存在しない。ここでは「弱い根拠がある」ではなく「判断できない」と書く。
10-1 呼吸困難
系統的レビューの概観は、呼吸困難について「利用可能なエビデンスは現時点で、鍼およびその関連療法の可能性を支持することも否定することもできない」と結論している[2]。口腔乾燥、リンパ浮腫、心理的な健康についても同じ結論である[2]。
灸を単独で評価し、呼吸困難を主要アウトカムに置いたランダム化比較試験は、今回の調査範囲では見出せなかった。
10-2 不安・抑うつ
SIO と ASCO による2023年の不安・抑うつに対する統合医療のガイドラインは、系統的レビュー30件とランダム化比較試験80件、計110件の研究に基づいている[13]。
不安症状に対しては、治療中はマインドフルネスに基づく介入、ヨガ、リラクセーション、音楽療法、リフレクソロジー、アロマセラピー(吸入)が、治療後はマインドフルネスに基づく介入、ヨガ、鍼、太極拳・気功、リフレクソロジーが推奨された。抑うつ症状に対しては、治療中はマインドフルネスに基づく介入、ヨガ、音楽療法、リラクセーション、リフレクソロジーが、治療後はマインドフルネスに基づく介入、ヨガ、太極拳・気功が推奨された[13]。
これらの推奨に灸は含まれていない。
不安の強い患者に灸を行って、本人が落ち着いたという経験は、多くの施術者が持っているはずである。その経験を否定する必要はない。ただし、それを「エビデンスがある」と言い換えてはならない。この場面で言えるのは「この症状について灸を検証した研究は見当たらない」であり、行うかどうかは本人の希望と負担の小ささで判断する。第①巻で述べたとおり、煙と匂い、体位保持、施術時間は、不安と呼吸困難のある患者にとって特に大きな負担になりうる。
何が実際に行われたのか
本書は「この症状にはこの経穴」という固定処方を置かない。代わりに、統合値の根拠になった試験で実際に何が行われたのかを、原著の報告どおりに並べる。読者はそこから、自分が行おうとしていることが検証された範囲の内か外かを判断できる。
この部を読むと研究で実際に何が行われたかを見て、自分の施術が検証された範囲の内か外かを判断できるようになる。
11研究で使われた経穴と灸法
「灸に効果がある」と言われたとき、その灸が何であったかを確認する。この章の表は、本書が原著または系統的レビュー本文から確認できた範囲に限る。確認できなかったものは、確認できなかったと書く。
11-1 個々の試験で行われたこと
| 試験・対象 | 灸法 | 経穴 | 用量 |
|---|---|---|---|
| Mao ら 2016[6] がん関連倦怠感 |
10.6 μm 赤外線レーザー灸。艾を燃やさない | 足三里(ST36)両側、関元(CV4)、気海(CV6) | 20分/週3回/4週(計12回) |
| Han ら 2021[7] がん関連倦怠感 |
点火式灸装置と電気式灸装置の併用 | 神闕(CV8)・中脘(CV12)に点火式、合谷(LI4)・足三里(ST36)両側に電気式 | 30分/週2回/8週(計16回) |
| Ji ら 2021[12] 化学療法誘発性骨髄抑制 |
温和灸。艾条を皮膚から2〜3 cmに保持し、施灸後に軽く按摩 | 神闕(CV8)、足三里(ST36)両側、三陰交(SP6)両側 | 1穴15分/1日1回/化学療法周期の2日目から次周期の前日まで |
| Park ら 2011[11] 機能性便秘(がん患者ではない) |
艾柱(0.6 × 20 mm) | 太乙(ST23)両側、大巨(ST27)両側 | 1穴3壮/週3回/4週(計12回) |
11-2 統合研究における頻用経穴
化学療法に伴う悪心・嘔吐のレビューに含まれた16試験で用いられた経穴の頻度は次のとおりである[10]。
| 経穴 | 用いた試験数 | 割合 |
|---|---|---|
| 足三里(ST36) | 10 / 16 | 62.50% |
| 中脘(RN12) | 6 / 16 | 37.50% |
| 膈兪(BL17) | 5 / 16 | 31.25% |
| 胆兪(BL19) | 4 / 16 | 25.00% |
表11-1では中脘を CV12、表11-2では RN12 と表記しているが、いずれも任脈上の同一穴である。原著の表記をそのまま残した。
灸法の内訳は、直接灸10試験(艾炷灸、艾条灸、麦粒灸、灸箱を含む)、隔物灸6試験(隔姜灸、隔薬灸)であった[10]。施術頻度は1日1回が12試験、1日2回が2試験、週3回が1試験、週6回が1試験であった[10]。
11-3 確認できなかったもの
がん疼痛のメタ解析[3]に含まれた10試験について、本書はレビュー本文の研究特性表から各試験の経穴を特定できなかった。同表の介入欄は「灸+対照治療」の形で記載されており、経穴名は示されていない。したがって、表8-1の統合値がどの部位への施灸によって得られたものかを、本書は述べられない。
表11-1の4試験に共通するのは、足三里と、臍まわりの腹部の穴である。しかしこれは「この4穴が正しい」ことを意味しない。試験が選んだ穴が検証されただけで、他の穴が劣ることは示されていない。この表の使い方は、処方の参照ではなく境界の確認である。自分が行おうとしている灸が、この表のどれとも似ていないなら、統合値を根拠として引くことはできない。
臨床判断
ここまでの数値を、目の前の一人に対する判断に変換する。判断の骨格は五段階で、効果の見込みはその四番目に来る。
この部を読むと目の前の一人に対して、どこで止まり、何を確認し、何を渡すかを五段階で決められるようになる。
12五段階の判断
緩和ケアで灸を行うかどうかは、症状名と経穴の対応では決まらない。次の五段階のうち、一つでも通過できない段階があれば、そこで止める。
| 段階 | 問い | 参照 |
|---|---|---|
| ① | 本人が最も困っているのは何か。その症状は本人の言葉で何と表現されているか | 第①巻 第4章 |
| ② | その症状を起こしている原因に、優先して伝えるべき変化はないか | 第①巻 第6章 |
| ③ | 標準治療で何が行われているか。灸は何を補完するのか | 第①巻 第11章 |
| ④ | この症状について、灸の根拠はどの水準か。本人は希望しているか。負担は許容できるか | 本巻 第4〜10章 |
| ⑤ | 何の尺度で、誰が、いつ再評価するか | 第①巻 第5・12章 |
12-1 段階④で参照する要約
| 症状 | 現時点で言えること | 章 |
|---|---|---|
| がん関連倦怠感 | 治療完了後の成人について、条件付きで推奨されている(エビデンスの質は低)。根拠となった2試験の灸は装置による温熱で、艾を燃やしていない | 第4章 |
| 化学療法に伴う悪心・嘔吐 | 減少を示す統合値が複数あるが、患者を盲検化した試験がきわめて少なく、期待効果を除外できないと著者自身が述べている | 第5章 |
| 下痢・便秘・腹部膨満 | 減少を示す統合値がある。一方、患者を盲検化した便秘の試験では偽灸との差がなかった(がん患者ではない) | 第6章 |
| 骨髄抑制 | 白血球数の改善を示す試験がある。ヘモグロビンと血小板には差がなかった。G-CSF併用下での上乗せ効果である | 第7章 |
| がん疼痛 | 良好な統合値があるが、全試験が単一国・大半が非盲検。診療ガイドラインの推奨に灸は含まれていない | 第8章 |
| 食欲不振・腹痛 | 統合値の信頼区間が1をまたぎ、有意差はなかった | 第5章 |
| 生活の質 | 改善を示す統合値があるが、信頼区間の下限がゼロに近い。結論は統合の枠により割れている | 第9章 |
| 呼吸困難 | 支持も否定もできない。灸単独の試験は見出せなかった | 第10章 |
| 不安・抑うつ | 診療ガイドラインの推奨に灸は含まれていない | 第10章 |
表12-2に「推奨されている」と書けるのは1行だけで、その1行にも「治療完了後」「装置による温熱」という条件が付く。この表の正しい使い方は、行える症状を探すことではない。患者や他職種に説明するときの、言葉の上限を決めることである。上限を超えた説明をしないことが、この領域で長く仕事を続けるための条件になる。
13三つの場面
五段階を、具体的な場面に当てる。いずれも「どの経穴を選ぶか」を答えとしない。答えは、どこで止まるか、何を確認するか、何を渡すかである。
13-1 場面1:化学療法後の悪心
70歳男性。進行がんで化学療法中。治療後に強い悪心が出現し、食事摂取が低下している。「吐き気に灸が効くと聞いた」と本人から希望がある。
- 段階①
- 「吐き気」と「食べられない」のどちらがより困っているのかを分けて聞く。食欲不振については、統合値の信頼区間が1をまたいでいる(表5-1)。目標を「吐き気」に置くのか「食事量」に置くのかで、期待できる根拠の水準が違う。
- 段階②
- 嘔吐の頻度、腹部膨満と腹痛の増悪、排ガス・排便の有無を確認する。腸閉塞が疑われる場合、腹部への施灸を行う場面ではない(第①巻 第6章)。脱水と電解質異常の可能性も看護師に確認する。
- 段階③
- 制吐薬が何をどう使われているか、レスキューが残っているかを確認する。灸は制吐治療の代替ではない。制吐薬が最適化されていないなら、まずそちらである。
- 段階④
- 言えるのは「化学療法後の吐き気について、灸で軽くなったという報告は複数ある。ただし研究の質には限界があり、灸を受けているという意識による効果を分けられていない」である。「効きます」とは言わない。
- 段階⑤
- 施術前後の悪心NRS、24時間の嘔吐回数、食事摂取割合を、施術前に決めて記録する。煙と匂いが悪心を悪化させないかを、最初の1回で必ず確認する。
13-2 場面2:骨転移による疼痛
68歳女性。骨転移による疼痛、NRS 8。オピオイド使用中。「薬だけではつらい。灸を受けたい」と希望がある。
- 段階①・②
- 痛みの部位、性状、これまでとの違いを聞く。急激な増悪や性状の変化は病的骨折・脊髄圧迫の初発症状でありうる(第①巻 第6章)。この場合は施術ではなく報告が優先される。
- 段階③
- オピオイドの用量とレスキューの使用回数、緩和照射の予定と照射部位、鎮痛補助薬の有無を確認する。NRS 8 が続いているなら、疼痛管理そのものが最適化されていない可能性を伝える。
- 段階④
- がん疼痛について、良好な統合値はあるが、SIO–ASCO のがん疼痛ガイドラインの推奨に灸は含まれていない(第8章)。「メタ解析では良好な結果が報告されているが、国際的な診療ガイドラインでは推奨に入っていない」という二文をそのまま伝える。
- 体位と部位
- 骨転移部位への施灸ではなく、まず安全に保持できる体位を決め、その体位で到達できる部位から選ぶ(第①巻 第9章)。照射部位は避ける(第①巻 第7章)。
- 段階⑤
- 疼痛NRSの施術前後と、レスキューの使用回数の変化を記録して主治医・看護師に渡す。
13-3 場面3:終末期の強い倦怠感
82歳女性。終末期。ほとんどベッド上。「何もしたくない。少しでも楽になりたい」。
- 根拠の所在
- ASCO–SIO が灸を推奨したのは「がん治療を完了した成人」であり、この患者はその対象ではない(第4章)。根拠となった2試験は、いずれも週2〜3回・4〜8週間という通院を前提とした設計である(表11-1)。この患者に外挿できる根拠は、本書の調査範囲には存在しない。
- 日本のデータ
- 緩和ケア病棟の入院患者30例の後ろ向き調査で、1週間以内にSTAS-J症状版が改善したのは17例(56.7%)、悪化例はなかった[16]。ただし対照群がなく、標準的な緩和ケアが並行して行われていたため、灸単独の影響を示すものではないと著者自身が述べている[16]。がん終末期の倦怠感に対する接触鍼の検討でも、NRSは改善したがCFSでは有意差がなかった[17]。
- 判断
- 長時間の施術は適切ではない。この段階で最大化すべきは効果ではなく、負担の最小化である。短時間、弱刺激、体位変換を最小限にする、本人が希望する部位だけにする、そして施術をしないという判断も選択肢に含める。
- 段階⑤
- 再評価の指標は尺度でなくてよい。「眠れたか」「何か口にできたか」「家族と話せたか」を、他者評価であることを明記して記録する。
三つの場面に共通するのは、灸を行うかどうかの前に、標準治療が最適化されているかを確認する段階があることである。鍼灸師にその判断権限はないが、「NRS 8 が続いている」「レスキューが1日6回使われている」という観察を伝えることはできる。それが結果として最も患者の苦痛を減らす場合がある。灸を据えることだけが貢献ではない。
未解決問題
この二巻を通じて答えの見つからなかった問いを、次に調べる人が着手できる粒度で残す。
この部を読むと何を検証すればこの教材の記述が書き換わるかを、具体的に指定できるようになる。
14空白と、二巻の結論
この領域の空白は、「まだ研究が少ない」という一般論ではない。何を検証すればこの教材の記述が書き換わるのかを、具体的に指定できる。
14-1 介入の同一性についての空白
診療ガイドラインが灸を推奨した唯一の症状(がん関連倦怠感)について、その根拠となった2試験の灸は機械によって供給される温熱であり、植物材料を伴わなかった[5]。艾を燃やす灸を、偽灸対照・患者盲検で検証し、がん関連倦怠感を主要アウトカムとしたランダム化比較試験は、今回の調査範囲では見出せなかった。
これは検証可能な空白である。断熱型の偽灸装置はすでに開発され、盲検化の妥当性が検証されている[14]。この装置を用いて艾条灸または艾炷灸を検証すれば、現在の推奨が艾の燃焼にも及ぶかどうかが決まる。
14-2 対象についての空白
- 終末期の患者
- 緩和ケア病棟・ホスピスの入院患者で全身状態が低下した患者を対象に、灸を偽灸対照で検証した査読済みのランダム化比較試験は見出せなかった。本書が引用できた日本の終末期のデータは、後ろ向きの症例集積30例[16]と、鍼を用いた単群の検討16例[17]である。
- 研究が進みにくい構造的な理由
- 全身状態の低下した患者では脱落率が高い。実際、Mao らの試験の脱落率は20%で、主因は積極的治療中の患者の臨床状態の悪化であった[6]。Han らの試験は、試験期間中に手術・化学療法・放射線療法の予定がある患者を除外している[7]。この除外基準が、そのまま緩和ケアの対象患者を試験から締め出している。
- 非がん疾患
- WHOによれば緩和ケアを必要とする成人の38.5%は心血管疾患であり[18]、がんは34%である。心不全・慢性閉塞性肺疾患・腎不全の緩和ケアにおける灸のランダム化比較試験は見出せなかった。
- オピオイド誘発性便秘
- 表5-1の便秘は化学療法に伴うものであり、オピオイド誘発性便秘を対象として灸を検証した試験は見出せなかった。緩和ケアの便秘の主因はオピオイドであることが多く、この不一致は臨床的に大きい。
14-3 方法論についての空白
- 出版バイアス
- 本書が扱った統合研究のうち、出版バイアスを評価できたものはない。がん疼痛のメタ解析は試験数が10未満のため解析せず[3]、悪心・嘔吐のレビューはファンネルプロットで検出できず[10]、系統的レビューの概観に含まれた23件のレビューはいずれも評価していない[2]。
- 期待効果
- 悪心・嘔吐のレビューの著者らは「灸の期待効果を評価した試験がなかったため、期待効果を判定できなかった」と述べている[10]。灸は視覚・嗅覚・温度覚に同時に働きかける介入であり、期待効果を測る設計が本来必要である。
- 有害事象の発生率
- 灸の有害事象について、発生率を示した前向き研究は見出せなかった。Park らも実際の発生率を明らかにするには前向き研究が必要であると結論している[15]。
14-4 二巻の結論
本書が二巻を通じて示したのは、次の五点である。
- 緩和ケアは終末期医療ではなく、開始時期の限定もない。しかし灸の研究の大半は、緩和ケアの対象になる患者を除外して行われている。
- 灸が診療ガイドラインの推奨に到達している症状は一つ(がん治療完了後の倦怠感)であり、その推奨の根拠は艾を燃やす灸ではない。
- 悪心・嘔吐、消化器症状、骨髄抑制、疼痛について、改善を示す統合値は存在する。同時に、その統合値を作った試験の産地・盲検化・出版バイアスに、著者自身が明示した限界がある。
- 患者を盲検化した数少ない試験では、差が縮むか消える。実灸と偽灸の差より、灸と無治療の差のほうが常に大きい。
- したがって、緩和ケアにおける灸の判断は、効果の見込みではなく、負担の小ささと本人の希望と、変化を測って渡せるかどうかで決まる。
この二巻は、灸を勧める材料としても、退ける材料としても弱い。それが現在の到達点である。読者が持ち帰るべきなのは処方ではなく、次の二つの文を根拠つきで言えることである。「この症状について、灸の根拠はこの水準です」「その根拠は、あなたの状態と同じ人で確かめられたものではありません」。この二文を言えたうえで、それでも患者が望み、負担が小さく、安全に行えるなら、行う理由は十分にある。緩和ケアで問われているのは効果の大きさではなく、判断の誠実さである。
理解度チェック
本書の内容から9問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。設問はすべて本文に記載した報告値・記述に対応しており、各問には該当章へのリンクを付けました。自己確認のための演習であり、資格や技能を証明するものではありません。
化学療法・放射線療法の副作用に対する灸の Cochrane レビューの結論はどれか。
29件の RCT・2,569名を含むレビューは、白血球数・ヘモグロビン値の改善や消化器毒性の軽減を示唆したが、確実性は低いと評価している。「示唆する」と「示された」は違う語である。根拠:第1章/[2]
がん緩和ケア領域における灸のメタ解析の統合値を割り引くべき理由として、実際に報告されているのはどれか。
がん疼痛のメタ解析は全10試験が中国で実施され、英語掲載は1件のみ。悪心・嘔吐の系統的レビューは16試験中15試験が中国で、全件が中国語掲載である。統合値がその地域の臨床設定に依存すること、そして陽性結果に偏る構造があることが、割引の理由になる。根拠:第2章/[3]
灸の臨床試験における盲検化について、正しいのはどれか。
実灸と外見・燃焼過程が同一で、台座が熱と煙を遮断する装置が開発され、被験者・施術者ともに区別できなかったことが検証されている(被験者 P = 1.000)。にもかかわらず、この手法を用いた試験は少ない。盲検化の弱さが、この領域の確実性を根本で規定している。根拠:第3章/[14]
ASCO–SIO のガイドラインが灸を推奨した対象はどれか。
推奨2.6 は「がん治療を完了した成人において、がん関連倦怠感の症状を管理するために臨床医は灸を推奨してもよい」である。エビデンスの質は低い。治療中の患者や他の症状に、この推奨をそのまま広げることはできない。根拠:第4章/[5]
ASCO–SIO のガイドラインが灸を推奨した根拠の2試験について、ガイドライン本文が明記している灸の内容はどれか。
根拠となった試験の介入は、赤外線レーザー灸や電気式・点火式の灸装置であり、植物材料の燃焼を伴わないものが含まれる。「灸が推奨された」という一文だけを持ち帰ると、日本の施術室で行う艾の灸と同じものだと誤解することになる。根拠:第4章/[5][6][7]
化学療法に伴う消化器症状に対する灸の系統的レビュー(32試験・2,990名)で報告されたのはどれか。
悪心・嘔吐 RR 0.70(0.61–0.79)、重度の悪心・嘔吐 RR 0.39(0.29–0.51)、下痢 RR 0.56(0.38–0.82)といずれも有意に減少と報告されている。ただしこの領域は、本巻で扱うなかで試験の質がもっとも低い部類に入る。根拠:第5章/[9]
患者を盲検化した唯一の便秘の試験(偽灸対照)では、どうだったか。
排便回数は灸群で週 3.3→4.6回、偽灸群で 2.7→3.7回とどちらも増えたが、群間差は有意ではなかった。非盲検の試験群では下痢・便秘・腹部膨満のいずれも有意に減少している。この対比が、この領域の確実性をもっともよく表している。根拠:第6章/[11]
がん緩和ケア領域の灸の研究のうち、骨髄抑制を扱ったものが特別な位置を占める理由はどれか。
白血球数やヘモグロビン値は数えられる指標であり、主観の入る余地が小さいぶん盲検化の弱さの影響を受けにくい。Cochrane レビューも白血球数とヘモグロビン値の改善に言及しているが、確実性は低く、結論的ではないとしている。根拠:第7章/[12]
緩和ケア領域の灸の臨床試験のうち、今回の調査範囲では見出せなかったのはどれか。
ガイドラインが灸を推奨した唯一の症状について、その根拠は機械式の温熱であった。艾を燃やす灸で同じ検証を行った試験は見出せていない。断熱型の偽灸装置はすでにあるため、これは明日にでも着手できる、検証可能な空白である。根拠:第14章/[5][14]
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引用文献
本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。本文に到達できなかった資料はその旨を明記し、その資料からは数値を引用していない。中国語論文からの数値は、英文で書かれた系統的レビュー本文の記載として引用した。
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灸の臨床|緩和ケア② エビデンスと臨床判断 第1版 2026年8月
本書に記載した数値はすべて原著の報告値であり、編者による計算・推定・丸めを含まない。単位を確認できなかった指標(がん疼痛メタ解析における鎮痛の発現時間と持続時間)は、有意差の報告のみを記し数値を掲載していない。原著と二次資料で記載が食い違う箇所(Han ら 2021 の群内変化と群間差)は、原著の値を採り、その旨を第4章に明記した。
本書は症状別のエビデンスと臨床判断を扱う。緩和ケアの枠組み、評価尺度、安全性、チームでの記録は『灸の臨床|緩和ケア① 病態と適応』に置いた。
改版履歴:2026年8月 第1版発行。