灸エビデンス・ライブラリ
Moxibustion & Tissue Injury — 安全性・全19章

お灸の安全性

どこからが治療刺激で、どこからが組織損傷なのか。
その境界線を、熱傷研究の側の数値から引き直す。

第1版 2026年8月 熱傷閾値 / 皮膚温と組織温 / 灸種別リスク / 「熱い=効く」の分解 / 有害事象 / 煙と換気

3分で要点だけ

本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。

  1. 「熱い」の43℃と壊れ始める43℃は同じ侵害受容の閾値と熱損傷の臨界温度が重なっている
  2. 44℃から1℃上がるごとに時間は半分損傷は温度ではなく温度と時間の積で決まる
  3. 「熱いほど効く」は支持も反証もされていない温度を用量とした試験に到達できなかった

続けて読むなら 序章から。要点だけ確かめたい場合は 理解度チェック へ。

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序章

「効く熱さ」と「壊す熱さ」は、同じ温度である

灸は熱で組織を変化させる手技である。熱で組織を変化させることを、医学の別の分野では熱傷と呼ぶ。この二つを分けているのは、温度の種類ではなく、温度と時間の量である。本書は、灸の側からではなく熱傷研究の側から灸を見る。そこには、灸の教科書にはあまり書かれていない数字が並んでいる。その数字と、灸で実測されている温度を、同じ紙の上に置くことが本書の目的である。

この部を読むと灸の熱を、効果の側からではなく損傷の側から見る物差しを手に入れる。

00本書の読み方とエビデンスの階層

本書は灸を危険な手技として描く本ではない。灸の熱がどこで治療刺激をやめて組織損傷になるのかを、報告されている数値の範囲で見きわめる本である。数値はすべて原著の報告値であり、編者が計算・推定した値は含まない。

0-1 この教材を貫く三つの問い

  1. 熱傷が始まる温度と時間は、どこまで定量されているのか
  2. 灸で実測されている温度は、その閾値に対してどの位置にあるのか
  3. 「熱い=効く」という前提は、ヒトの試験でどこまで支持されているのか
本書が「考察」を書くときの規約

本書は原著の報告値だけで構成する。報告値を超えて編者が可能性を述べる箇所は、1冊につき2件までとし、いずれも「考察」のラベルを付けた囲みの中に置き、成立しない条件を併記する。囲みの外の本文に、報告されていない因果や機序を書かない。ラベルのない断定は、すべて原著の報告値か、原著の著者自身の結論である。

本書は臨床手順書ではない

本書は熱傷の応急処置や治療の手順を示さない。冷却時間・被覆材・薬剤の選択といった処置に関する記載は、本書が到達した文献の範囲にないため書かない。書くのは、どの所見が深い熱傷を疑わせるかと、何を記録しておくべきかまでである。処置と診断は医師の管轄である。

0-2 エビデンスの階層

表 0-1 本書で用いるエビデンス階層
階層デザイン本書での典型例主な弱点
A系統的レビュー/二重盲検RCTヒト接触熱傷モデルの系統的レビュー[1]、膝OAの二重盲検偽灸対照試験[9]、灸の安全性の系統的レビュー[13]統合される個々の試験の質に依存する。灸では二重盲検が1件しかない
B物理測定・曝露測定(客観指標)間接灸の温度特性[5]、透熱灸の温度[6]、室内空気質の実測[20]、鍼灸師の呼吸機能[22]生体でない対象の測定が多い。臨床条件と一致しない
C模擬生体・動物実験簡易生体モデルの深部温[7]、もぐさ煙のラット毒性試験[21]熱物性・代謝がヒトと異なる。曝露量が臨床と桁違い
D非盲検RCT/症例集積/行政データ熱敏灸の3群試験[10]、長蛇灸の用量試験[11]、熱傷センターの後ろ向き集計[18]、事故情報データバンク[16]盲検化不能。分母が不明。報告バイアス大
E症例報告(単一例)糖尿病患者の播種性MRSA感染[19]1例から発生率は導けない。ただし機序と重症度の上限を示す
階層に入らない記述がある

第I部で述べる熱傷の深度分類・損傷閾値・熱損傷モデルは、個別の臨床試験ではなく専門学会の解説文書および方法論の総説に基づく[2][3]。第13章の温度受容体の閾値も総説による[4]。これらは階層A〜Eの対象外として扱う。

0-3 読むときに外してほしくない三つの区別

「灸の温度」と「皮膚の温度」と「基底層の温度」
この三つは別の量である。熱傷閾値は基底層の温度で定義されているが、灸で報告されている値のほとんどは灸そのものか模擬生体の表面の温度である。本書はこの区別を毎回明示する。
「熱傷が起きうる温度」と「熱傷が起きた」
閾値を超えることは、損傷が起きる条件が揃ったことを意味するにすぎない。実際の損傷は温度と時間の積で決まる(第4章)。
「曝露が高い」と「健康被害が出ている」
もぐさ煙について、室内濃度の測定[20]と施術者のアウトカム調査[22]は別の主張をしている。両者は矛盾しない(第17章)。

0-4 既刊との関係

灸そのものの温度曲線・燃焼の物理・灸種別の温度特性は『温度曲線』に、もぐさの成分と煙の化学は『もぐさの特性』に収めた。本書は同じ測定値をいくつか引き直すが、論点を「その温度は組織を壊すのか」に固定している。熱の受容機構は『灸と神経生理学①』に詳しい。

第I部

損傷の側から見る

この部に灸はほとんど出てこない。出てくるのは、熱傷研究が積み上げてきた温度と時間の数字である。ここを飛ばして灸の温度を読むと、55.9℃という値が高いのか低いのか判断できない。比較の物差しを先に手に入れる部である。

この部を読むと熱傷の深度分類と損傷閾値を押さえ、55.9℃という値が高いのか低いのか判断できるようになる。

01熱傷の深度分類

灸の事故を語るとき、最初に必要なのは深度の言葉である。面積ではなく深度が、後遺症を決める。そして深度を推定する所見のなかに、施術者が誤読しやすいものが一つある。

1-1 四つの深度

日本創傷外科学会は、熱傷の深さをⅠ度・浅達性Ⅱ度・深達性Ⅱ度・Ⅲ度に分けている[3]。Ⅰ度は表皮まで、Ⅱ度は真皮まで、Ⅲ度は皮下組織まで傷害が及んだものである[3]

表 1-1 熱傷の深度分類[3]
深度傷害の深さ外見知覚後遺症
Ⅰ度表皮まで紅斑痛み(+)・知覚過敏残さない場合がほとんど
浅達性Ⅱ度真皮まで薄赤・水疱(+)強い痛み・知覚あり残さない場合がほとんど
深達性Ⅱ度真皮まで(より深い)やや白色・水疱(+)痛み軽度・知覚鈍麻可能性が高い。手術を要する場合がある
Ⅲ度皮下組織まで蠟色・黄色〜赤茶色・黒色無痛可能性が高い。手術を要する場合がある

1-2 重症度の基準は、灸の熱傷を拾わない

成人の重症熱傷の基準は、Ⅱ度熱傷が体表面積の30%以上、あるいはⅢ度熱傷が10%以上である[3]。灸による熱傷はこの基準にまず該当しない。韓国の熱傷センターの報告では、民間療法による熱傷創の平均面積は 7.81 cm² であった[18]

それでもこの報告では、59例中43例(72.9%)が手術を受けている[18]。面積では軽症、深度では重症という組み合わせが、灸の熱傷の典型である。

臨床への翻訳

表1-1で臨床上もっとも重要なのは知覚の列である。深達性Ⅱ度は「痛み軽度・知覚鈍麻」、Ⅲ度は「無痛」[3]。つまり患者が痛がらない熱傷ほど深い。施術中に「今日は熱がらないから大丈夫」と判断することは、この分類に照らすと逆の判断である。痛みの軽さは安全の指標ではなく、深度を疑う所見である。

02熱傷閾値——44℃という基準

熱傷研究には、それ以下ならどれだけ当てても損傷しない温度という考え方がある。この温度が、灸を考えるうえでの原点になる。

2-1 二つの数字——43℃と44℃

Ye と De は、熱損傷の臨界温度について「約43℃——それ以下では、どれだけ長く熱源に曝露されても損傷は起こらない」と述べている[2]

一方、ヒト接触熱傷モデルの系統的レビューは、より古い実験研究に基づいて次のように述べる。44℃では、表皮の細胞死を誘発するのに6時間の曝露を要した[1]

この二つは矛盾しない。前者は熱損傷モデル上の臨界温度であり、後者は表皮細胞死という具体的な終点に到達する条件である。本書はこの二つを別の数字として扱い、統一しない。

2-2 1℃で時間が半分になる

同じレビューは、温度と必要曝露時間の関係を次のように記載している[1]

原著の記載

44℃から51℃の範囲では、加温が1℃上がるごとに、表皮細胞死の発生に要する曝露時間が50%短くなる。

この関係が意味するのは、温度と損傷が比例しないということである。温度は線形に上がり、損傷までの時間は指数的に短くなる。数℃の違いが、桁の違う時間になる。

44 45 46 47 48 49 50 51 皮膚(基底層)の温度(℃) 必要 曝露 時間 6時間 1℃上がるごとに時間は半分
図2-1 模式図。原著が報告しているのは「44℃で6時間」と「44〜51℃では1℃につき曝露時間が50%短縮」という二つの記述である[1]。曲線はこの二つの記述から形を描いたものであり、各点の時間は原著が個別に測定・報告した値ではない。縦軸に目盛を置かないのはこのためである。

2-3 実験でヒトに当てている条件

ヒトを対象とした接触熱傷モデルの研究では、どの条件が使われているか。系統的レビューによれば、もっとも多い加温条件は 47℃・420秒であり、64研究中40研究(63%)がこれを用いていた[1]。接触面積は 12.5 cm² がもっとも多く、64研究中41研究(64%)であった[1]

また同レビューは、45℃・300秒の加温では一過性の痛覚過敏しか誘発されないと記載している[1]。水疱については、64研究中19研究(30%)で報告があり、21研究(33%)では水疱の有無を確認したうえで発生しなかったとされている[1]

臨床への翻訳

この節の数字は、施術者の直感を二つの方向に修正する。第一に、「熱くない温度」でも時間が長ければ損傷は起こる。44℃は熱いと感じにくい温度である。第二に、研究者がヒトに意図的に熱傷を作るときの条件は 47℃・7分である[1]。灸で報告されている温度がこれより高いのか低いのかは、第8章で並べる。

03低温熱傷

低温熱傷は、灸の事故を理解するうえで中心にある概念である。ただし、灸の熱傷を低温熱傷として分析した研究に、本書は到達できなかった。この章は、概念の輸入と、その限界の明示で構成される。

3-1 低温熱傷とは何か

低温熱傷という語が指すのは、44〜51℃程度の比較的低い温度の熱源に、長時間接触することで生じる熱傷である。第2章で見たとおり、この温度帯では損傷の発生に時間を要する[1]。逆に言えば、時間さえあれば損傷は起こる。

この温度帯が臨床上やっかいなのは、受傷中に強い痛みが出にくいことにある。43℃はTRPV1の活性化温度閾値であり[4]、それをわずかに超える温度は「熱いが耐えられる」と知覚されうる。耐えられる熱さのまま時間が経過することが、この型の熱傷の成立条件である。

3-2 灸との接点

間接灸の平均最高温度は、台座灸 55.9 ± 5.0℃温筒灸 64.3 ± 3.3℃棒灸(高さ20 mm)51.2 ± 4.7℃ と報告されている[5]。いずれも第2章の44℃を上回り、台座灸と温筒灸は低温熱傷の温度帯(44〜51℃)の上限も超えている。

この数値をそのまま皮膚温として読まない

和田らの測定は、熱電対を施灸部位直下および外方3.75〜45.00 mmの6点に設置し、0.55秒間隔で600秒間、各灸6回行ったものである[5]これは灸そのものの温度特性を把握するための測定であり、ヒトの皮膚温でも基底層温でもない。第6章で述べるとおり、この二つは別の量である。

3-3 本書が確認できなかったこと

日本の有害事象データでは、事故情報データバンクの集計において熱傷が149件と最多であり、うち灸療法によるものが95件、艾蒸療法によるものが20件と報告されている[16]。ただしこの集計に熱傷の深度の記載はない。また、灸の有害事象を集めた和文レビューは、収集した症例の多くが「深達性Ⅱ度以上の熱傷を由来とする有害事象」であったと述べているが[15]、受傷が低温長時間型であったか高温短時間型であったかは分けられていない。

臨床への翻訳

低温熱傷の概念が臨床に与える指示は一つである。「患者が我慢できる熱さ」は、安全な熱さを意味しない。我慢できる範囲であっても、その温度が44℃を超えていれば、損傷までの時計は動いている。台座灸のように据えたまま放置される灸種で、この時計がもっとも長く回る。

04温度と熱量——損傷は積分である

「何℃まで大丈夫か」という問いには、原理的に答えがない。損傷は温度ではなく、温度と時間の積み上げで決まるからである。熱傷研究はこれを数式で扱っている。

4-1 損傷積分

熱損傷の標準的な記述は、Arrhenius型の損傷積分(damage integral)による[2]

原著が示す式

∂Ω/∂t = A exp(−ΔE / RT)

Ω は損傷積分、A は頻度因子、ΔE は活性化エネルギー、R は気体定数、T は経時的な温度である[2]。Henriques の原モデルのパラメータは ΔE = 6.27×10⁸ J/kmolA = 3.1×10⁹⁸ s⁻¹ と報告されている[2]

4-2 Ω の値と熱傷の深度

Ye と De は、Orgill らを引きつつ「Ω の値 0.53、1.0、10⁴ が、それぞれ1度・2度・3度熱傷に対応すると報告されている」と述べている[2]

表 4-1 損傷積分 Ω と熱傷深度の対応[2]
Ω対応する熱傷
0.531度熱傷
1.02度熱傷
10⁴3度熱傷

Ω が指数関数の時間積分である以上、温度がわずかに上がると Ω は桁で増える。1度熱傷(0.53)から3度熱傷(10⁴)までの隔たりは、およそ4桁である[2]臨床で「少し熱くしただけ」に見える操作が、損傷側では桁の違う量になりうる。

4-3 「壮数」は熱量の粗い近似である

灸の刺激量は伝統的に壮数で数えられてきた。しかし損傷積分の観点では、決めているのは壮数ではなく、その壮で何度が何秒続いたかである。透熱灸では、艾炷の密度と温度持続時間のあいだに有意な直線回帰が認められている(y = 1.9 + 3.2xr = 0.92p < 0.0001[6]

つまり同じ壮数でも、艾のひねり方が変われば持続時間が変わり、損傷積分が変わる。原著は、艾炷の密度が「透熱灸の熱の持続時間すなわち刺激量に影響を与える重要な因子の一つ」であると結論している[6]

臨床への翻訳

刺激量の記録を壮数だけで残すことには限界がある。損傷の側から見て意味があるのは、灸種・艾炷の大きさ・ひねりの固さ・据えた時間である。事故が起きたときに再現性のある記録として使えるのもこれらである。壮数は、これらが揃って初めて意味を持つ指標である。

第II部

皮膚温と組織温

熱傷閾値は基底層の温度で定義されている。しかし灸で測られているのは、灸そのものの温度か、模擬生体の表面温度である。この部は、その二つのあいだにある溝を測る。溝の幅がわからないことが、本書の最大の空白である。

この部を読むと皮膚温・組織温・基底層温を区別し、報告値をそのまま閾値と比べてはいけない理由を言えるようになる。

05皮膚の層構造と熱の道すじ

熱傷閾値の44℃は、皮膚のどこの温度なのか。この問いに答えるには、皮膚の厚さの数字が要る。

5-1 層の厚さ

熱損傷の総説が示す皮膚の層の厚さは次のとおりである[2]

表 5-1 皮膚の層の厚さ[2]
厚さ
表皮0.075〜0.15 mm
真皮1〜4 mm

表皮の最深部が基底層である。すなわち熱傷が始まる場所は、皮膚表面から 0.075〜0.15 mm の深さにある[2]。第2章の「44℃で6時間」は、この深さの温度についての記述である[1]

表皮 0.075〜0.15 mm 真皮 1〜4 mm 皮下組織 基底層 =44℃の基準面 Ⅰ度 Ⅱ度 Ⅲ度 ※層の厚さは文献値、図の比率は視認のために変えている
図5-1 模式図。層の厚さは Ye & De の報告値[2]、深度分類は日本創傷外科学会の記載[3]による。図中の比率は実寸ではない(実寸では表皮が線1本の太さに満たない)。
臨床への翻訳

表皮の厚さは 0.1 mm 前後である[2]紙一枚より薄い層の内側で、治療刺激と組織損傷が分かれている。施術者が指で触れて確かめられる分解能ではない。灸の安全は、触診ではなく条件(灸種・時間・患者の状態)の管理でしか担保できない、という結論がここから出る。

06皮膚温は組織温ではない

本書でもっとも重要な章である。灸の温度として報告されている数値の大半は、熱傷閾値と直接比較できない。比較できない理由を、二つの日本の研究から確認する。

6-1 深さ方向の温度は、形が変わる

松井らは、2種類の台座灸を熱源とし、簡易生体内熱移動方程式によるシミュレーションの有効性を検討した[7]。簡易生体モデルとしてロースハムの積層を用い、深度 21.6 mm まで 1.8 mm 間隔で温度を測定している[7]

報告された所見は次のとおりである。最表面では温度上昇が急激でピークの幅が狭く、深度が増すにつれて温度上昇が緩やかになりピークの幅が広くなった[7]。深度 12.6 mm までは、実測値と推定値のあいだに統計学的に高い相関性が確認されたとされる[7]

この研究の数値をヒトに読み替えない

この研究の目的はシミュレーション手法の妥当性検討であり、ヒトの皮膚温や深部温を推定したものではない[7]。ロースハムの熱物性はヒト皮膚の熱物性ではない。本書がこの研究から引用するのは「深いほど立ち上がりが緩やかでピークが広い」という形の記述だけであり、温度の実数は熱傷閾値との比較に用いない。

形の記述だけでも、安全性には意味がある。表面のピークが過ぎても、深部の温度はまだ上がっている途中でありうる。灸を外した時点が、組織にとっての最高温度の時点とは限らない。

6-2 置き方で熱の集まる場所が変わる

河村らは、市販の台座灸を水平および垂直に設置し、底面をポータブルサーモグラフィで600秒間撮影し、ROI解析によって熱拡散を定量した[8]

水平設置群
灸熱が左右および上下方向に広範に拡散した[8]
垂直設置群
熱が灸孔上部に集中し、高温域が早期に出現し長時間持続する傾向を示した[8]

この研究は、評価の基準として 43℃をTRPV1の熱活性化閾値、50℃を危険域の閾値として用いている[8]。著者らは、ポータブルサーモグラフィとROI解析の組み合わせが灸刺激の時空間的特性の定量に有効であり、安全性評価と臨床応用の基礎データを与えると結論している[8]

臨床への翻訳

台座灸を水平でない面に据えるとき、熱の分布は水平面のときと同じではない[8]。側面・斜面・関節周囲は、同じ製品・同じ時間でも高温域の出方が変わりうる。韓国の報告で灸熱傷の好発部位が足関節・膝・肘といった関節部であったこと[18]は、施灸理由が関節痛であったためと説明されているが、設置面の傾きという要因も同じ部位に重なっている。

本書最大の空白

ヒトの皮膚において、施灸中の表面温と基底層温を同時に測定した査読済み研究に、本書は到達できなかった。したがって「台座灸の55.9℃[5]は、基底層を何℃にするのか」という、安全性にとって決定的な問いに、本書は数値で答えられない。第2章の閾値と第3章の灸の実測値のあいだには、いま橋が架かっていない。

07施灸時間と組織損傷

損傷が温度と時間の積で決まるなら(第4章)、時間の側の数字が要る。灸の時間は、施術者が思っているほど施術者が決めていない。

7-1 最高温度に達するまでの時間

和田らの測定による、間接灸の最高温度と到達時間は次のとおりである[5]。計測は0.55秒間隔で600秒間、各灸6回である[5]

表 7-1 間接灸の平均最高温度と最高温度到達時間[5]
灸種平均最高温度最高温度到達時間
温筒灸64.3 ± 3.3℃154.5 秒
台座灸55.9 ± 5.0℃160.7 秒
棒灸(高さ20 mm)51.2 ± 4.7℃126.7 秒
棒灸(高さ100 mm)30.1 ± 3.3℃182.5 秒

台座灸は、据えてからおよそ 160 秒 で最高温度に達する[5]2分半から3分のあいだ、温度は上がり続けている。患者が「熱い」と言う時点は、この上昇曲線のどこかであって、頂点とは限らない。

7-2 時間を決めているのは艾の密度である

透熱灸では、時間の側の変数がより明確に定量されている。山下と江川は、高さ5 mm・底面直径3 mmの円錐形の艾炷を石綿板上で燃焼させ、底面の温度変化を熱電対で計測した[6]。最高温度の平均値は 140℃から160℃のあいだであった[6]

そして艾炷の密度と温度持続時間とのあいだに、有意な直線回帰が認められたy = 1.9 + 3.2xr = 0.92p < 0.0001[6]

臨床への翻訳

透熱灸で刺激量を調節しようとするとき、施術者が実際に動かしている変数はひねりの固さである[6]。同じ大きさに見える艾炷でも、固くひねれば持続時間が延び、損傷積分(第4章)が増える。指導や引き継ぎで「米粒大を3壮」とだけ伝えることは、時間の変数を伝えていないことになる。

この節の数値の測定条件

表7-1は熱電対による灸自体の温度特性の測定であり[5]、140〜160℃は石綿板上の艾炷底面の温度である[6]いずれも皮膚上の測定ではない。到達時間についても、皮膚上で同じ時間経過をたどるかは確認されていない。

第III部

灸種別のリスク構造

灸種ごとに「危険度」を順位づけることはしない。順位づけできるだけの共通の測定系が存在しないからである。この部が並べるのは危険度ではなくリスクの構造——何が起きうるか、何が安全装置になっているか、その装置はどんなときに働かないか、である。

この部を読むと灸種ごとに、何が安全装置になっていて、それがどんなときに働かないかを説明できるようになる。

08直接灸と間接灸

直接灸と間接灸の違いは、温度の高低ではない。損傷を意図しているか、意図せず起こしうるかという、リスクの向きの違いである。

8-1 二つの分類

直接灸
艾炷を皮膚の上に直接置いて燃焼させる方法。灸の安全性の系統的レビューは、直接灸を「艾炷を皮膚上に置くもの」、間接灸を「皮膚との距離を保つもの」として区別している[13]
間接灸
皮膚とのあいだに台座・介在物・空間距離を置く方法。台座灸・温筒灸・棒灸・箱灸隔物灸が含まれる。

8-2 報告されている温度を、閾値の上に並べる

第I部で得た物差しの上に、灸で報告されている温度を置く。

表 8-1 灸で報告されている温度と、閾値との位置関係
対象報告値測定点43℃
(TRPV1・臨界温度)
52℃
(TRPV2)
米粒大艾炷(透熱灸)140〜160℃[6]艾炷の底面(石綿板上)
温筒灸64.3 ± 3.3℃[5]熱電対(灸の温度特性)
台座灸55.9 ± 5.0℃[5]同上
棒灸(高さ20 mm)51.2 ± 4.7℃[5]同上未満
棒灸(高さ100 mm)30.1 ± 3.3℃[5]同上未満未満
実灸の皮膚温(膝OA試験)49.8℃[9]皮膚(試験用器具・皮膚上約8 mm)未満
偽灸の皮膚温(同試験)40.9℃[9]同上未満未満
この表を縦に読んで灸種の強さを順位づけない

測定点がすべて異なる。艾炷の底面、灸の温度特性としての熱電対、臨床試験中の皮膚——この三つは別の量である。同じ列に並んでいるのは数値だけであり、意味は並んでいない。この表は「灸の温度」という語がいかに多義的かを示すために置いた。43℃・52℃との比較も、あくまで各測定点の値についての比較である。

8-3 リスクの向きが違う

直接灸のうち、艾炷を燃やし切る手法は、組織損傷を織り込んだうえで行われる。これは事故ではなく手技の定義である。したがって直接灸の安全性の問題は「損傷が起きたか」ではなく「意図した範囲を超えたか」「説明と同意があったか」「経過を追ったか」に移る(第12章)。

間接灸では逆になる。損傷しないつもりで行い、結果として損傷が起こるのが事故の形である。表8-1が示すのは、間接灸の報告値もほぼすべて43℃を超えているという事実である[5]。間接灸は「損傷しない温度帯にある灸」ではない。

臨床への翻訳

棒灸の高さ20 mmと100 mmの差は 21.1℃ にのぼる[5]。高さ100 mmの 30.1℃ は、TRPV3の活性化温度閾値の下限(32℃)にも届かない[4]距離を変えることは、刺激の量を変えているのではなく、動員される受容体の種類を変えている。「効かないから近づける」と「熱傷を避けたいから離す」は、同じ一本の軸の上の操作である。

09透熱灸と知熱灸

この二つを並べると、灸の安全装置が何でできているかが見える。知熱灸の安全装置は、患者の感覚である。装置である以上、それが働かない条件を知っておく必要がある。

9-1 透熱灸

艾炷を皮膚上で燃やし切る手法である。艾炷底面の最高温度の平均値は 140℃から160℃と報告されている[6]。刺激量を決めるのは艾炷の密度であり、密度と温度持続時間には有意な直線関係がある[6]

確認できなかったこと

透熱灸の施術中に、ヒトの皮膚温を実測した査読済み研究に本書は到達できなかった。140〜160℃は石綿板上の艾炷底面の値である[6]。透熱灸が皮膚の基底層を何℃にするかは、本書の調査範囲では定量されていない。

9-2 知熱灸

知熱灸は、患者が熱感を訴えた時点で艾炷を取り除く手法である。刺激の終点を、温度でも時間でもなく患者の主観で定義している。これは灸の手法のなかで、安全装置の所在がもっとも明確な設計である。

ただしこの設計には前提がある。患者の熱感が、その皮膚の実際の温度と対応していること。第15章で見るとおり、この前提は思われているほど強くない。そして第16章で扱う患者群では、前提そのものが崩れる。

臨床への翻訳

知熱灸の安全性は、手技の側にあるのではなく患者の感覚受容が正常であることに依存している。したがって、糖尿病性末梢神経障害・脊髄損傷・末梢神経障害・局所麻酔下・鎮静下・意識障害のある患者では、この手法の安全装置は働いていない。同じ手技が、患者によって「安全装置つき」にも「安全装置なし」にもなる。

確認できなかったこと

知熱灸で患者が熱感を訴えた時点の皮膚温を実測した査読済み研究に、本書は到達できなかった。「熱いと言った時点」が何℃であり、患者間でどれだけばらつくのかは、定量されていない。

10台座灸

台座灸は、本書が扱う灸種のなかでもっとも多くの人が使い、もっとも施術者の目が届かない場所で使われる。熱傷センターのデータが示すのは、その帰結である。

10-1 物理的な特性

平均最高温度 55.9 ± 5.0℃、最高温度到達時間 160.7 秒[5]。設置の向きによって熱の分布が変わり、垂直設置では灸孔上部に熱が集中し、高温域が早期に出現して長時間持続する[8]。深さ方向では、深部ほど立ち上がりが緩やかでピークの幅が広くなる[7]

この三つを合わせると、台座灸のリスク構造が出る。約2分半かけて55℃前後まで上がり、置き方によっては一点に集中し、外したあとも深部の温度はしばらく高いままでありうる。

10-2 熱傷センターから見た像

韓国の熱傷センターは、2015年3月から2022年4月までに民間療法により熱傷を負って受診した患者を集計した[18]

表 10-1 民間療法による熱傷の内訳[18]
項目報告値
総患者数59 例
性別女性 45 例(76.3%)/男性 14 例
60歳以上72.9%
灸によるもの44 例(74.6%)
氷酢酸によるもの20.3%
灸44例のうち60歳以上33 例(75%)
平均創面積7.81 cm²(円形または楕円形、縦横がほぼ同じ)
手術を要した割合43 例(72.9%)

原著は、創の多くが重症であり(11%の患者を除く)、黒色の壊死組織と乾燥した創面という3度熱傷の所見を呈したと記載している[18]。好発部位は足関節・膝・肘といった関節部であり、原著はその理由を、施灸の主な目的が関節痛の緩和であったためと説明している[18]

この集計の限界

これは熱傷センターを受診した症例だけの集計である(階層D)。分母——同じ期間に行われた施灸の総数——は不明であり、発生率は計算できない。また原著は、灸44例の内訳として深度別の症例数、受傷から受診までの日数、基礎疾患の有無、施術者によるものか自己施灸かを分けて報告していない。本書はこれらの数値を書かない。

臨床への翻訳

灸熱傷の患者の 75% が60歳以上である[18]。この一点だけで、高齢者への台座灸の運用は変わってよい。据えっぱなしにしない、貼ったまま帰さない、自宅使用を勧めるなら時間と回数を紙で渡す——これらは、表10-1の年齢分布から直接導ける対応である。面積 7.81 cm² という小さな創の72.9%が手術に至っている[18]ことも併せて伝える必要がある。

11棒灸と箱灸

皮膚に触れない灸種は、熱傷のリスクについては確かに低い。ただし煙については、触れない灸種のほうが問題が大きい。リスクは消えるのではなく、別の種類に置き換わる。

11-1 棒灸——距離が第一の変数

棒灸の平均最高温度は、高さ20 mmで 51.2 ± 4.7℃(到達 126.7 秒)、高さ100 mmで 30.1 ± 3.3℃(到達 182.5 秒)である[5]距離を80 mm変えるだけで温度は 21.1℃ 変わる[5]。第8章で述べたとおり、これは動員される温度受容体の種類が変わる幅である[4]

11-2 棒灸1本が室内空気にもたらすもの

Lu らは、容積 92.40 m³、室温 24 ± 1℃、換気回数 4〜10 回/時 の治療室で、直径18 mm・長さ200 mmの棒灸を1本、15分間燃焼させ、汚染物質を測定した[20]

表 11-1 棒灸1本(15分)燃焼時の室内汚染物質[20]
項目背景値施灸中
PM2.526 µg/m³296 µg/m³
PM10147 µg/m³409 µg/m³
一酸化炭素(CO)<0.1 ppm2.8 ppm
ホルムアルデヒド0.025 ppm0.049 ppm
総揮発性有機化合物(TVOC)0.03 ppm0.27 ppm
二酸化炭素(CO₂)542 ppm569 ppm

PM2.5 は 26 µg/m³ から 296 µg/m³ に上がっている[20]。なお原著の本文には、施灸中のCOの最大値として 4.0 ppm が記載されている[20]。原著自身が述べている限界は重要である。この測定は1回に棒灸1本を燃やしたものであり、「3.5時間におよそ20人以上の患者を診る実際の1日」の累積効果を反映していない[20]

11-3 箱灸

確認できなかったこと

箱灸の温度特性を報告した査読済み研究に、本書は到達できなかった。最高温度、到達時間、皮膚温、熱の分布のいずれについても、本書は数値を書かない。箱灸は複数の艾を同時に燃焼させ、広い面積を覆い、施術中に取り外しにくい構造を持つ——これらはいずれも熱量と時間の側に働く要素だが、定量した報告に到達できていない以上、本書は「したがって危険である」とも「安全である」とも書かない。

臨床への翻訳

「皮膚に触れないから安全」という理解は、熱傷については部分的に正しく、煙については誤りである。棒灸と箱灸は、燃焼時間が長く、艾の使用量が多い。表11-1の値は棒灸1本・15分のものであり[20]、1日の診療で積み上がる量ではない。換気の設計は、施術者自身の労働環境の問題として扱う必要がある(第17章)。

12灸痕を残す手技——是非と説明責任

意図的に熱傷を作る手技をどう位置づけるか。本書は是非を裁定しない。裁定の材料として、報告されている長期の有害事象を並べる。

12-1 和文文献に集積している有害事象

古瀬と山下は、灸に関する有害事象の文献レビューを行い、38文献98症例を収集した[15]

表 12-1 灸に関する有害事象の内訳[15]
有害事象文献数症例数
皮膚腫瘍1515
水疱性類天疱瘡45
熱傷44
喘息発作33
症状増悪260
潰瘍2
壊疽性膿皮症2
その他(希少例)7

原著は、多くの症例が深達性Ⅱ度以上の熱傷を由来とする有害事象であると述べている[15]。また、2010年代は以前の年代に比べて症例報告が明らかに少ないことを指摘し、報告された症例を安全教育に取り入れ、施灸に関する患者への説明を行うべきであると結論している[15]

12-2 熱傷が誘因となる皮膚疾患

限局性水疱性類天疱瘡について、Corbella-Bagot らは自験7例と文献101例、計108例を検討している[23]108例中63%に局所の誘因が同定され、誘因の内訳は放射線療法32.3%、手術29.4%であった[23]熱傷は108例中2例(2.9%)を占める[23]。自験例では、受傷から1〜2か月後に病変が出現している[23]

著者らが提示している機序は、組織破壊が創傷リモデリングを刺激して血管内皮増殖因子(VEGF)を増加させ、透過性の亢進が自己抗体の循環と補体活性化を促す、というものである[23]

因果は証明されていない

表12-1の皮膚腫瘍15症例は、症例報告の集積であって因果の証明ではない[15]灸痕と皮膚腫瘍の関連を検討したコホート研究に、本書は到達できなかった。同様に、Corbella-Bagot らの報告における「熱傷」に灸による熱傷が含まれるかは、本書が到達した記載からは確認できない[23]。本書が言えるのは、熱傷が局所的な自己免疫性水疱症の誘因として文献に記載されているところまでである。

12-3 説明として何を渡すか

本書は法解釈を述べない。述べるのは、上に挙げた文献が記載している事実から、患者に伝わっているべき内容である。

  1. この手技は意図的に熱傷を作るものであり、偶発的な事故ではないこと
  2. 深達性Ⅱ度以上の熱傷は後遺症を残す可能性が高く、手術を要する場合があること[3]
  3. 灸痕の部位に皮膚腫瘍の症例報告が集積していること[15]——因果は証明されていないが、報告は存在すること
  4. 熱傷が限局性水疱性類天疱瘡の誘因として記載されていること[23]
  5. したがって、施灸部位の長期的な変化について経過を見る必要があること
臨床への翻訳

有痕灸を行うかどうかの判断より前に、行った記録を残しているかのほうが実務的な差になる。表12-1の皮膚腫瘍15症例が意味を持つのは、その部位に何年前に何をしたかが分かる場合だけである[15]。部位・時期・回数を残していない施術は、後年その部位に何かが起きたときに、関係を否定することも肯定することもできない。

第IV部

「熱い=効く」を分解する

この前提は、臨床でも教育でも、検証されないまま使われている。分解すると三つの別の主張になる。「熱が要る」「熱いほど効く」「熱感が効果の指標である」——この三つは、支持されている度合いがまったく違う。

この部を読むと「熱い=効く」を四つの主張に分解し、それぞれの支持の度合いを答えられるようになる。

13侵害受容閾値と損傷閾値は重なっている

本書の中心にある事実は、一行で書ける。「熱い」と感じ始める温度と、組織が壊れ始めうる温度が、ほぼ同じ数字である。

13-1 温度受容体の活性化温度閾値

温度感受性TRPチャネルには、それぞれ活性化温度閾値が存在する[4]

表 13-1 温度感受性TRPチャネルの活性化温度閾値[4]
チャネル活性化温度閾値
TRPV1> 43℃
TRPV2> 52℃
TRPV332〜39℃
TRPV427〜35℃

13-2 損傷が始まる温度

一方、熱損傷の総説は臨界温度を約43℃とし、それ以下ではどれだけ曝露しても損傷は起こらないと述べている[2]。表皮細胞死の実験的閾値は44℃であり、この温度では6時間の曝露を要する[1]

考察1(本書が原著の報告値を超えて述べる2件のうち1件目)

TRPV1の活性化温度閾値(43℃[4])と、熱損傷の臨界温度(約43℃[2])は、ほぼ同じ数字である。編者は、この一致が「熱い=効く」という命題の限界を示していると考える。「熱い」という感覚が生じている以上、皮膚はすでに損傷が原理的に起こりうる温度域に入っている。したがって「もっと熱く」は、生理学的には「損傷までの時間をより短い側へ動かす」操作と同義になる。

この考察が成立しない条件。第一に、43℃という二つの数字は測定対象が異なる(前者は培養細胞や神経の受容体、後者は皮膚組織のモデル)。第二に、TRPV1の活性化は痛覚の発生を意味するが、痛覚の発生自体が治療効果の必要条件かどうかは、この二つの文献のどちらも述べていない。第三に、TRPV3(32〜39℃)とTRPV4(27〜35℃)は損傷閾値より低い温度で活性化する[4]ため、損傷を伴わない温熱刺激の経路は存在する。この考察は「熱くない灸は効かない」を意味しない。

13-3 治療域という考え方が成立するか

薬物では、有効域と中毒域のあいだに幅がある。灸で同じ構造が成立するかを問うには、効果が現れる温度の下限損傷が始まる温度の下限の両方が必要である。後者は定量されている(43〜44℃[1][2])。前者は定量されていない。

確認できなかったこと

灸の臨床効果が現れる温度の下限を定量した研究に、本書は到達できなかった。第14章で扱う二重盲検試験は、49.8℃と40.9℃という2点を比較したものであり[9]、その間のどこに境界があるかは調べられていない。したがって本書は「灸の治療域は◯℃から◯℃である」という形の記述を行わない。

14用量反応は成立するか

「熱いほど効く」は用量反応の主張である。ヒトの試験でこれを検証したものは、本書が到達した範囲で3件ある。3件は同じ方向を向いていない。

14-1 試験1——熱が要ることは支持されている(階層A)

Zhao らは、変形性膝関節症を対象に、ランダム化・二重盲検・偽灸対照試験を行った[9]。灸のヒト試験で二重盲検が成立している数少ない例である。

対象と方法
110例をランダム化(各群55例)。週3回・6週間。3・6・12・24週で評価[9]
実灸の器具
艾柱を保持する円筒形の器具を皮膚上およそ8 mmで燃焼させる。底部に孔があり、熱と煙が放射される[9]
偽灸の器具
外観は同一だが、底部に金属膜を入れて煙を遮断し、熱を最小限にしたもの[9]
皮膚温
実灸 49.8℃/偽灸 40.9℃[9]
表 14-1 WOMAC疼痛スコアの推移(平均±SD、低いほど良い)[9]
時点実灸群偽灸群p値
3週4.80 ± 2.475.56 ± 3.090.012
6週3.03 ± 2.33(52.87%改善)4.56 ± 3.09(24.43%改善)< 0.001
12週2.85 ± 2.674.41 ± 3.650.001
24週3.14 ± 2.424.51 ± 3.290.002

身体機能スコアでは、3週(p = 0.002)・6週(p = 0.015)・12週(p < 0.001)で実灸群が有意に優ったが、24週では有意差はなかったp = 0.058[9]

盲検化の評価では、施術者の判定一致度は κ = −0.53p = 0.833)、患者は36%が自分の群を正しく推測し、Fisher正確検定で p = 0.565 であった[9]。原著はこれを盲検化が成功したと解釈している[9]。有害事象としては、施灸部位に直径およそ5 mmの発赤が10例報告され、いずれも3日以内に無処置で消失した[9]

原著自身が挙げた限界は、実灸が偽灸より明らかに温かく、盲検化を損なう可能性があったことである。ただし検証済みの質問票による評価は盲検化の成功を支持したとしている[9]

14-2 試験2——群内では、長く据えるほど効くという関係がなかった(階層D)

Chen らは腰椎椎間板ヘルニアを対象に、熱敏灸・従来灸・薬物+鍼の3群比較を行った(4施設・各群152例・計456例、評価者盲検)[10]。熱敏灸群は艾条を皮膚から3 cmに保持し、熱敏化した点に対して1点あたり30〜60分、最初の4日は1日2回、以後10日は1日1回、計18回を14日間で行った[10]

表 14-2 M-JOAスコアの低下(0〜24、低いほど良い)[10]
2週6か月
熱敏灸3.8 ± 2.63.7 ± 2.2
従来灸7.9 ± 3.08.9 ± 3.1
薬物+鍼8.5 ± 2.910.1 ± 2.9
群間(ANOVA)F = 3.8, p = 0.016F = 5.2, p = 0.008

本書にとって重要なのは、この試験が行った群内の相関分析である。熱敏灸群において、M-JOAの改善と刺激時間のあいだの直線相関は Pearson r = 0.0006 であり、原著はこれを「両者の相関は乏しい」と記載している[10]。すなわち、30〜60分という範囲で長く据えた患者ほどよくなった、という関係は認められなかった。

なお、この試験では456例に有害事象の報告はなかったとされる[10]。原著が挙げた限界は、施術医の盲検化ができなかったこと、薬物+鍼群の患者の盲検化が不可能であったことである[10]

14-3 試験3——時間を倍にすると差が出た(階層D)

Luo らは慢性疲労症候群の女性患者60例を、施術時間の異なる2群(各30例)にランダム化した[11]。督脈上(GV14〜GV2)に隔姜灸を行い、3孔のモグサ箱を5〜6個用いる。A群は1回60分、B群は1回30分、週3回・4週間(計12回)である[11]

表 14-3 施術時間の異なる2群の比較(4週時点)[11]
指標A群(60分)B群(30分)p値
FS-14 身体的疲労(中央値)5.006.000.003
FS-14 合計(中央値)8.009.000.012
脾腎陽虚症状スケール合計(平均±SD)9.80 ± 4.3713.07 ± 5.290.012

原著は、施術時間とCFSへの効果のあいだに正の用量-効果関係があり、60分の施灸が最適な臨床反応と関連したと結論している[11]。挙げられた限界は、標本が小さいこと、女性のみを組み入れたこと、サーモグラフィの測定時点が2点しかなく用量-効果の動的な変化を解析できないことである[11]。なお、この試験では温度は報告されていない[11]

14-4 3件を並べて言えること

表 14-4 用量反応に関する3試験の対比
試験1[9]試験2[10]試験3[11]
階層A(二重盲検RCT)D(評価者盲検RCT)D(評価者盲検RCT)
動かした変数熱の有無(49.8℃ / 40.9℃)刺激時間(群内・30〜60分)施術時間(60分 / 30分)
結果実灸が有意に優る時間と改善の相関 r = 0.000660分群が有意に優る
温度の報告ありなしなし
臨床への翻訳

この3件から言えることは、次のように分けられる。「熱が要る」——二重盲検試験1件で支持されている[9]。「長く据えるほど効く」——2件が逆向きの結果を出しており[10][11]、確実性は低い。「熱いほど効く」——温度を用量として変化させたヒトの試験に、本書は到達できなかった。

したがって、効果が乏しいときに温度を上げる操作を支持するヒトの試験のデータは、現時点で存在しない。にもかかわらず、その操作には第I部で見た確実な損傷リスクが伴う。検証されていない利益のために、定量されているリスクを取る——これが「熱い=効く」を臨床判断に使ったときの実際の構造である。

15熱感という指標の限界

「熱い=効く」の三つ目の主張は、熱感を効果の指標として使うことである。熱感は、温度の代理指標としてすら精度が高くない。その証拠は、意外な場所にある。

15-1 9℃の差を、患者は当てられなかった

第14章の二重盲検試験を、盲検化の側から読み直す。実灸の皮膚温は 49.8℃、偽灸は 40.9℃ であった[9]。差はおよそ 9℃ であり、43℃という侵害受容閾値[4]をまたいでいる。

それにもかかわらず、自分がどちらの群かを正しく推測できた患者は36%にとどまり、Fisher正確検定で有意差はなかったp = 0.565[9]

この読み方の限界

この盲検化評価は、患者に「自分がどちらの群だと思うか」を尋ねたものであり、熱感の強さを測ったものではない[9]。患者は熱さの違いに気づいていながら、それが実灸を意味するのか偽灸を意味するのかを判断できなかった可能性がある。本書はこの結果から「患者は9℃の温度差を感じ取れない」とは述べない。述べるのは、熱感から施術内容を逆算することは、この試験では成立しなかったということである。

15-2 知熱灸の刺激量は、患者の閾値のばらつきを引き継ぐ

知熱灸は熱感を停止条件とする(第9章)。したがってその刺激量は、患者の熱感閾値のばらつきをそのまま引き継ぐ。同じ施術者が同じ手順で行っても、患者が変われば到達温度と持続時間が変わる。これは手技の欠陥ではなく、設計上の性質である。

問題になるのは、この性質が意識されないまま「安全な方法」として扱われるときである。熱感閾値が上がっている患者では、停止条件が発火するまでに損傷閾値を大きく超えうる。

臨床への翻訳

「熱いと言うまで据える」という運用は、温度の管理ではなく感覚閾値の管理である。感覚閾値が正常であることを確認していない患者に対しては、この運用は温度の上限を与えていない。第16章の患者群では、時間または回数による上限を、患者の申告とは独立に設ける必要がある。

確認できなかったこと

灸の施術中に、患者の熱感の強さと皮膚温を同時に記録したヒト研究に、本書は到達できなかった。熱感が皮膚温の何をどれだけ反映しているかは、灸の文脈では定量されていない。

第V部

臨床上の注意と有害事象

ここまでの議論を、患者の背景と施設の運用に落とす。この部でもっとも多く出てくる言葉は「到達できなかった」である。臨床でもっとも判断が難しい場面ほど、データが薄い——それが灸の安全性研究の現状である。

この部を読むと易損傷患者・煙と換気・有害事象について、データがある論点とない論点を分けられるようになる。

16易損傷患者——高齢者・糖尿病・感覚障害・皮膚疾患・薬剤

危険因子を並べるだけの章にしない。各因子について、データがあるのかないのかを分けて示す。「注意を要する」とだけ書かれた因子と、実際に症例が積み上がっている因子は、臨床上の重みが違う。

16-1 高齢者

韓国の熱傷センターの集計では、灸による熱傷44例のうち33例(75%)が60歳以上であった[18]。民間療法による熱傷全体でも、60歳以上が72.9%を占め、女性が76.3%であった[18]

これは灸の熱傷において、本書が到達したなかでもっとも明確な人口統計上の偏りである。ただしこの偏りが加齢による皮膚・感覚の変化によるものか、高齢者に灸の使用頻度が高いことによるものかは、この集計からは区別できない(分母が不明のため)。

16-2 糖尿病

Liang らの症例報告は、灸の熱傷が到達しうる重症度の上限を示している[19]

表 16-1 灸による熱傷から播種性MRSA感染に至った症例[19]
項目報告内容
患者61歳・男性・2型糖尿病・末梢神経障害
施灸慢性腰痛に対して。1年の施術歴
腰部正中に 3 cm × 3 cm、出血を伴うⅡ度熱傷。局所の発赤・腫脹・皮膚温上昇
受診時発熱3日、両下肢筋力低下2日
起因菌MRSA(血液培養・創部培養の双方から分離)
病変T8–T9椎体骨髄炎、硬膜外膿瘍、右胸壁膿瘍、肝S2微小膿瘍、右上葉肺炎、縦隔・肺門リンパ節病変
検査値白血球 23.02 ×10⁹/L(基準3.5〜9.5)、CRP 147.9 mg/L(基準0〜10)、HbA1c 8.2%、空腹時血糖 9.3 mmol/L
治療バンコマイシン6週間(血中濃度モニタリング下)、局所デブリドマン、その後セファゾリンへ変更。外科的ドレナージは経済的理由で患者が拒否
転帰6週で感染は制御(血液培養陰性化、炎症マーカー正常化)。両下肢麻痺と尿閉は残存し、リハビリテーションへ転院

著者らは、高血糖環境が好中球の走化性・貪食能・殺菌活性を障害する一方、黄色ブドウ球菌の定着とバイオフィルム形成を促進すると述べている[19]

階層E——1例である

これは単一症例の報告である[19]発生率は導けない。この症例から言えるのは、「糖尿病患者では灸の熱傷が播種性感染に発展しうる」という可能性の存在であって、頻度ではない。ただし、HbA1c 8.2%という血糖コントロール不良の状態と、3 cm × 3 cmという小さな創から、対麻痺の残存に至っている[19]という事実は、リスクの上限を示している。

16-3 感覚障害

第9章・第15章で述べた帰結がここに集約される。知熱灸をはじめとする「患者の熱感を停止条件とする手技」は、感覚障害のある患者では安全装置として機能しない。糖尿病性末梢神経障害はその代表であり、上記の症例も末梢神経障害を合併している[19]

確認できなかったこと

感覚障害の有無で灸の熱傷発生率を比較した研究に、本書は到達できなかった。上の記述は、熱傷閾値[1]・温度受容[4]・手技の設計から導いた論理であり、疫学データによる裏づけではない。

16-4 皮膚疾患

熱傷は限局性水疱性類天疱瘡の誘因として文献に記載されており[23]、和文の灸の有害事象レビューにも水疱性類天疱瘡が4文献5症例収集されている[15]

確認できなかったこと

アトピー性皮膚炎・乾癬・強皮症など、施灸部位に既存の皮膚疾患がある患者への灸の安全性を検討した研究に、本書は到達できなかった。ケブネル現象を示す皮膚疾患において熱刺激が病変を誘発しうることは皮膚科学の一般知識だが、灸を対象とした検討ではない。本書はこの点について「注意を要する」以上のことを書かない。

16-5 薬剤——抗凝固薬をどう考えるか

抗凝固薬・抗血小板薬は、鍼灸の安全性の文脈でしばしば挙げられる。しかしこの論点を灸に持ち込むには、二段階の確認が要る。

  1. 灸の主要な有害事象は出血ではない。本書が引用した3つの有害事象データにおいて、最多は熱傷である[13][15][16]。出血は主要な事象として挙がっていない。
  2. 抗凝固薬下の安全性データは、鍼のものである。抗凝固薬を服用している患者における鍼の安全性については系統的レビューが存在する[24]。ただし本書は本文に到達できず、この文献から数値を引用していない。また、鍼のデータを灸に流用することはしない。刺入と燃焼は、リスクの機序が異なる。

灸において抗凝固薬が問題になりうるとすれば、それは施灸そのものではなく、水疱が破綻したあと、あるいは水疱を穿刺したあとの止血と創傷治癒の局面である。

確認できなかったこと

抗凝固薬・抗血小板薬を服用している患者に対する灸の安全性を検討した研究に、本書は到達できなかった。同様に、ステロイド・免疫抑制薬・生物学的製剤の服用下での灸の安全性についても、灸を対象としたデータに到達できなかった。Liang らが述べる易感染性の機序[19]から推論は可能だが、推論はデータではない。

16-6 まとめ——データの有無で分ける

表 16-2 易損傷要因と、それを支えるデータの種類
要因本書が到達したデータ階層
高齢灸熱傷44例中33例(75%)が60歳以上[18]D
糖尿病播種性MRSA感染の症例報告1例[19]E
感染の合併症例報告6例(4菌種・HCV)[13]A(症例報告の統合)
皮膚疾患(水疱性類天疱瘡)灸で4文献5症例[15]、熱傷誘因として108例中2例[23]D
感覚障害灸を対象とした比較データなし(論理的帰結のみ)
抗凝固薬・抗血小板薬灸を対象としたデータなし
ステロイド・免疫抑制薬灸を対象としたデータなし
皮膚疾患(アトピー・乾癬等)灸を対象としたデータなし
臨床への翻訳

表16-2の下半分——データがない行こそ、臨床でもっとも判断を迫られる場面である。データがないことは「安全である」を意味しない。この場合に施術者が取れる立場は一つで、患者の申告に依存しない上限(時間・回数・温度帯)をあらかじめ決め、それを記録に残すことである。根拠が示せないなら、せめて再現性のある条件で行う。事故が起きたときに検証できるのは、記録された条件だけである。

17感染・煙・換気

熱傷の次に多い有害事象は感染である。そして煙については、曝露の測定値とアウトカムの調査が、違う方向を向いている。この不一致の読み方が、この章の主題である。

17-1 感染

Xu らは、灸に関連する有害事象の症例報告を統合し、6か国24文献64症例を収集した[13]

表 17-1 灸の有害事象・症例報告の統合[13]
症例数文献数
中国5112
米国65
韓国44
スペイン/日本/イスラエル1各1
表 17-2 有害事象の内訳[13]
事象症例数
熱傷43
アレルギー7
感染6
胎児への影響2
悪心・嘔吐2
1
基底細胞癌1
眼瞼外反1
死亡1

感染の起因菌として報告されたのは Pasteurella multocidaStreptococcus intermediusSerratia marcescens、およびC型肝炎ウイルスである[13]

死亡例の因果関係

報告された死亡例は、喘息のある29歳の日本人男性が施術中に突然倒れて死亡したものである[13]。原著の著者らは因果関係を「unlikely(考えにくい)」と評価し、死因を重症喘息によるものとしている[13]「灸で死亡例が報告されている」という表現は、この評価を落とすと誤解を生む。原著はさらに、この種のレビューには「事故性でない傷害を副作用として扱った誤り」や「灸との因果関係がほとんどない有害事象」が含まれると自ら述べている[13]

数値を引用していない文献

灸の有害事象に関する系統的レビューは、これより早い時期にも発表されている[14]ただし本書は本文にも抄録にも到達できなかったため、この文献からは件数・内訳・結論のいずれも引用していない。存在の記載にとどめる。

17-2 煙の成分

Xu らはGC-MSにより、5種類の極性の異なる溶媒でもぐさ煙を捕集し、計294化合物を同定した(シクロヘキサン139、酢酸エチル145、n-ブタノール60、無水エタノール89、水77)[21]。5溶媒すべてで検出されたのは11化合物である[21]。うち112化合物が有毒とされた[21]

表 17-3 もぐさ煙に共通して検出された主な化合物の相対含有量[21]
化合物相対含有量
フェノール2.686〜5.405%
トルエン0.650〜3.872%
ピリジン0.137〜2.847%

このほかスチレン、ベンゼン、ナフタレン、インドール、アクリルアミド、フルフラールが検出されている[21]

動物実験の曝露量は臨床と桁が違う

同論文のラット毒性実験は、棒灸50本分に相当する 756,650 mg/m³ の濃度で行われ、心・肝・腎の組織に構造変化が認められた[21]。表11-1の臨床的な測定値(施灸中のPM2.5 296 µg/m³[20]とは桁が大きく異なる。原著自身が、単一銘柄のみを試験したこと、ラットモデルがヒトの曝露を完全には反映しないこと、臨床使用における用量反応関係が確立されていないこと、安全な曝露時間の閾値が決まっていないことを限界として挙げている[21]

17-3 施術者のアウトカム

Yu らは、鍼灸師を対象に横断調査(803名、男性322・女性481)と後ろ向きコホート研究(曝露群142名・非曝露群142名を性別・年齢±3歳・身長±3 cm・体重±5 kgでマッチ)を行った[22]

表 17-4 鍼灸師における呼吸器症状・疾患の頻度(横断調査 n=803)[22]
症状頻度疾患頻度
喀痰18.7%鼻炎22.7%
息切れ18.1%気管支炎12.7%
喘鳴14.6%肺炎8.3%
慢性喀痰14.4%
12.6%

肺機能検査では、ほとんどの指標で曝露群と非曝露群のあいだに有意差はなかった[22]。有意差が出たのは、男性の%予測MVV(曝露 106.23 ± 2.92 vs 非曝露 95.56 ± 1.92p < 0.01)と、女性の%予測VC(100.70 ± 1.59 vs 95.91 ± 1.61p < 0.05)であり、いずれも曝露群のほうが高い値であった[22]。著者らはこれを「換気機能障害を生じていない」と評価している[22]

回帰分析では、もぐさ煙に関連する因子の重み係数が、性別や呼吸器疾患の既往といった煙と無関係の因子より小さく、喀痰については煙関連変数が最終モデルから除外された[22]。著者らの結論は「もぐさ煙曝露は鍼灸師の呼吸器の健康に有意な影響を及ぼさない」である[22]

原著が挙げた限界は、疫学的な基盤が弱く、より強い証拠には前向きコホート研究が必要であること、横断調査に肺機能などの客観的指標がなかったこと、解析における曝露時間と濃度の変動の考慮が不十分であったことである[22]

曝露とアウトカムは別の主張である

室内空気の測定は、灸によってPM2.5が 26 µg/m³ から 296 µg/m³ に上がることを示した[20]。施術者の調査は、呼吸機能に有意な影響がないと結論した[22]この二つは矛盾しない。前者は曝露量の測定であり、後者はアウトカムの測定である。曝露が高いことと健康被害が出ていることは、別の主張である。ただし後者の研究は、著者自身が述べるとおり横断調査主体で疫学的基盤が弱く[22]、長期曝露の影響を否定するには足りない。

17-4 換気——どの対策が何に効くか

Lu らは3つの対策を比較している[20]

表 17-5 もぐさ煙対策の効果(原著が報告した変化率)[20]
対策COホルムアルデヒドTVOCPM2.5PM10
陳旧もぐさへの置換57%減75%減83%減75%増94%増
局所排気91%減79%減41%減96%減100%減
空気清浄機
(HEPA+光触媒)
4%減13%減35%減71%減60%減

著者らの結論は、「陳旧もぐさへの置換と局所排気の併用が、灸療法中の室内空気汚染を制御する適切な設計になりうる」である[20]

本書が変化率だけを載せる理由

原著は各対策の前後を絶対濃度でも示しているが、対策ごとに測定回が異なり背景値がそろっていない。本書はこの表で対策間の絶対値を比較できるかたちに整えることをせず、原著が報告した変化率のみを載せた。

臨床への翻訳

表17-5は、対策の選び方を具体的に変える。空気清浄機は粒子には効くが、CO・ホルムアルデヒドといったガス成分にはほとんど効かない(CO 4%減、ホルムアルデヒド13%減)[20]陳旧もぐさへの置換はガスを大きく減らすが、粒子はかえって増える[20]。単独でどちらにも効くのは局所排気だけである[20]。「空気清浄機を置いたから換気対策は済んでいる」という理解は、この表では支持されない。

18有害事象報告と事故時の記録

日本には灸の有害事象を見る窓が三つある。三つの窓から見える像は、同じではない。その食い違いが、この分野のデータの性質を教えてくれる。

18-1 三つのデータ源

表 18-1 日本における灸の有害事象データ源
データ源期間灸に関する内容
和文文献レビュー[15]38文献98症例。皮膚腫瘍15、水疱性類天疱瘡5、熱傷4 ほか(表12-1)
事故情報データバンク[16]2009年9月〜2020年12月31日熱傷が最多で 149 件。うち灸療法 95 件、艾蒸療法 20 件
鍼灸安全性関連文献レビュー[17]2020〜2023年国内33文献・海外56文献。国内では灸による事象の報告なし。海外で2件

福世らのレビューは、医中誌WebとPubMedを用いて2020〜2023年の症例報告を収集したものである[17]。国内33文献の内訳は感染9・臓器損傷11・神経損傷2・皮膚疾患2・折鍼/伏鍼/異物9であり、海外56文献では感染17・臓器損傷23・神経損傷1・皮膚疾患6・折鍼等3・その他4・灸による事象2であった[17]。著者らは、これらの症例を教訓として鍼灸の安全教育をさらに徹底する必要があると結論している[17]

佐藤と新原は、事故情報データバンクの限界を自ら述べている。「文献調査に比較して情報量・信憑性・正確性については劣る」としつつ、気胸などの重症例から軽症例まで多数登録されており、有害事象の把握とリスクマネジメントにおいて「有用かつ貴重な情報源」であるとしている[16]

考察2(本書が原著の報告値を超えて述べる2件のうち2件目)

三つのデータ源を並べると、食い違いが見える。症例報告のルートでは、2020〜2023年の国内に灸の有害事象報告がない[17]。同じ時期を含む消費者相談のルートでは、灸による熱傷が95件登録されている[16]

編者の解釈。この食い違いは、灸の有害事象が減ったことより、報告経路の選択性を反映していると考える。症例報告として論文になるのは、稀・重篤・診断的に興味深い事例である。日常的に生じる水疱や小範囲の熱傷は、論文にならない。一方、消費者相談は被害の重篤度ではなく、当事者が相談する動機によって拾われる。

この解釈が成立しない条件。両データ源は期間も対象も定義も一致していない(前者は2020〜2023年の症例報告、後者は2009年9月〜2020年12月の相談記録)ため、件数を直接比較することはできない。また、古瀬と山下は2010年代に症例報告が少ないことを指摘しているものの[15]、その理由を報告バイアスに帰しているわけではない。本書は、どちらのデータ源が実態に近いかを判定しない。述べるのは、片方だけを見て「灸の事故は少ない/多い」と結論できないことである。

18-2 事故が起きたときに何を見るか

本書は処置を書かない(第0章)。書けるのは、引用した文献が記載している所見と、その読み方である。

  1. 痛みの少ない水疱・知覚の鈍い創は、深達性Ⅱ度を疑う所見である[3]。深達性Ⅱ度以上は後遺症を残す可能性が高く、手術を要する場合がある[3]
  2. 白色・蠟色・黒色の創面は、深達性Ⅱ度以上を示唆する[3]。韓国の集計でも、3度熱傷の所見として黒色の壊死組織と乾燥した創面が記載されている[18]
  3. 局所所見だけで経過を判断しない。播種性感染の症例では、受診時の主訴は発熱(3日)と両下肢の筋力低下(2日)であり、創そのものは 3 cm × 3 cm であった[19]
  4. 面積は重症度の指標にならない。平均創面積 7.81 cm² の集団で、59例中43例(72.9%)が手術を受けている[18]

18-3 記録すべき項目

本書が引用した文献群が、症例を分析するために必要としている変数から構成する。

表 18-2 施灸の記録に残す項目と、その根拠
項目なぜ必要か
灸種・製品の別灸種によって温度と到達時間が異なる[5]
艾炷の大きさとひねりの固さ(透熱灸)密度が持続時間を決める[6]
据えた時間または壮数損傷は温度と時間の積で決まる[2]
部位と設置面の向き設置の向きで熱の分布が変わる[8]
患者の年齢・基礎疾患・服薬高齢[18]・糖尿病[19]が重症化に関与しうる
感覚の状態を確認したか熱感を停止条件とする手技の前提だから(第9章)
施術後の所見(発赤・水疱の有無、色調、疼痛の程度)深度の推定に使う所見だから[3]
自宅での使用を指示したか、その条件灸熱傷の多くは施術所外で発生しうるため(分母は不明[18]
臨床への翻訳

表18-2は事故のための書類ではない。これらを記録している施術は、記録していない施術より安全になる。条件を書き出す作業そのものが、条件を意識させるからである。そして事故が起きたとき、検証も説明も改善も、記録された条件の上でしかできない。「いつもどおり据えた」は、記録として何も残していないのと同じである。

19安全性研究の限界と未解決問題

灸の安全性研究には、四つの構造的な制約がある。この制約を知らずに「灸は安全である」と述べることは、データを読み違えている。

19-1 制約1——分母がない

本書が引用した有害事象データは、症例報告の統合[13][15][17]、消費者相談の集計[16]、熱傷センターの受診者集計[18]である。いずれも「何回の施灸のうち何件」という形になっていない。したがって、灸の有害事象の発生率は、本書の調査範囲では計算できない。

これは「発生率が低い」ことを意味しない。「発生率が不明である」ことを意味する。

19-2 制約2——RCTが有害事象を報告していない

Yuan らは、変形性膝関節症に対する灸のRCT 39件(3293例、治療群1640・対照群1653、2006〜2019年)を統合した[12]

表 19-1 膝OAに対する灸のRCT 39件の報告状況[12]
項目該当する試験数
有害反応を記載した試験13 試験
ランダム化の方法を正しく報告66.67%
割付の隠蔽に言及17.95%
盲検化を実施二重盲検 2・単盲検 3
質の評価:高/中等度/低14 / 10 / 15 試験

報告された有害事象は、灸群でさまざまな大きさの水疱22例、施灸部位の皮膚潮紅10例などであり、4試験は有意な有害反応はなかったとしている[12]。ファネルプロットでは出版バイアスが検出されている[12]

原著の記述と統計量が整合していない箇所

3試験を統合した有害事象の解析について、原著は RR = 0.35, 95%CI 0.15〜0.84, I² = 0%, P = 0.77 という値を示したうえで、これを「2群間に統計学的な差はない」と記述している[12]。信頼区間の上限が1を下回っていることと、この記述は整合しない。本書はこの解析結果から、灸の安全性についての結論を導かない。

この「安全である」の読み方

灸の有害事象について何かを述べようとしても、39試験のうち有害反応を記載したのは13試験にすぎない[12]。残る試験が「起きなかった」のか「記録しなかった」のかは区別できない。原著自身が、有害事象の報告が不十分であること、多くの試験で割付の隠蔽と盲検化が不明確であることを述べ、大規模で質の高いRCTが必要であると結論している[12]

19-3 制約3——熱傷の深度が報告されない

事故情報データバンクの熱傷149件に、深度の記載はない[16]。韓国の集計も、灸44例の深度別の内訳を報告していない[18]深度は後遺症を決める変数である(第1章)。それが記録されない限り、灸の熱傷の重篤度の分布は分からない。

19-4 制約4——測定点が標準化されていない

第8章の表8-1が示すとおり、灸で報告されている温度は測定点がすべて異なる[5][6][9]共通のプロトコルが存在しないため、研究間で数値が積み上がらない。そして熱傷閾値が定義されている基底層の温度を測った灸の研究は、本書の調査範囲に存在しない(第6章)。

19-5 空白リスト

次の研究者が明日着手できる粒度で挙げる。

表 19-2 本書の調査範囲で見出せなかったもの
#見出せなかったもの関連する章
1ヒト皮膚において、施灸中の表面温と基底層温を同時に測定した査読済み研究第6章
2透熱灸の施術中のヒト皮膚温を実測した査読済み研究第9章
3知熱灸で患者が熱感を訴えた時点の皮膚温と、そのばらつき第9章・第15章
4箱灸の温度特性(最高温度・到達時間・分布)を報告した査読済み研究第11章
5温度を用量として変化させた灸のヒト用量反応試験第14章
6灸の臨床効果が現れる温度の下限第13章
7灸の施術中の熱感の強さと皮膚温の同時記録第15章
8灸による熱傷の発生率(分母のあるデータ)第19章
9灸の熱傷を低温長時間型と高温短時間型に分けた分析第3章
10感覚障害の有無で灸の熱傷発生率を比較した研究第16章
11抗凝固薬・抗血小板薬服用下での灸の安全性第16章
12ステロイド・免疫抑制薬・生物学的製剤の服用下での灸の安全性第16章
13アトピー性皮膚炎・乾癬など既存の皮膚疾患がある部位への施灸の安全性第16章
14灸痕と皮膚腫瘍の関連を検討したコホート研究第12章
15施術者のもぐさ煙曝露に関する長期の前向きコホート研究第17章
16抗凝固薬下の鍼の系統的レビュー[24]の本文(存在は確認したが到達できず、数値を引用していない)第16章

19-6 本書の到達点——「熱い=効く」について

本書が19章かけて分解した結果を、そのまま並べる。

表 19-3 「熱い=効く」を分解した結果
主張本書の到達点根拠
熱が要る支持されている(二重盲検試験1件)49.8℃ vs 40.9℃ でWOMAC疼痛に有意差[9]
長く据えるほど効く確実性は低い(2件が逆向き)群内相関 r=0.0006[10]/60分が30分に優る[11]
熱いほど効く支持も反証もされていない温度を用量とした試験に到達できなかった
熱感が効果の指標になる支持されていない9℃の差があっても患者は群を当てられなかった[9]
熱いことに損傷リスクが伴う定量されている44〜51℃で1℃につき曝露時間が半減[1]、臨界温度は約43℃[2]
臨床への翻訳——本書の結論

表19-3の最終行だけが「定量されている」である。灸において、利益の側は主張の段階にあり、損傷の側は数値の段階にある。この非対称が、安全性を考えるうえでの出発点になる。

ここから導かれる実務上の結論は、悲観でも禁止でもない。効果が乏しいときに最初に動かすべき変数は、温度ではない。部位、灸種、回数、患者の状態の評価——いずれも温度を上げるより先に検討できる。温度を上げる操作だけが、検証されていない利益と定量されたリスクを同時に引き受ける操作である。

演習

理解度チェック

本書の内容から13問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。設問はすべて本文に記載した報告値・記述に対応しており、各問には該当章へのリンクを付けました。自己確認のための演習であり、資格や技能を証明するものではありません。

第I部損傷の側から見る3問
Q01 出典:第1章

熱傷の深度分類で、Ⅱ度とは傷害がどこまで及んだものか。

Q02 出典:第1章

深達性Ⅱ度熱傷の知覚の特徴はどれか。

Q03 出典:第2章

44℃から51℃の範囲で加温温度が1℃上がると、表皮細胞死に必要な曝露時間はどうなると報告されているか。

第II部皮膚温と組織温2問
Q04 出典:第5章

熱傷が始まる場所は、皮膚のどこか。

Q05 出典:第7章

台座灸が最高温度に達するまでの時間として報告されているのはどれか。

第III部灸種別のリスク構造3問
Q06 出典:第8章

系統的レビューにおける直接灸と間接灸の区別はどれか。

Q07 出典:第9章

知熱灸のリスク構造について、正しいのはどれか。

Q08 出典:第12章

灸痕を残す手技について、和文文献のレビュー(38文献98症例)が示しているのはどれか。

第IV部「熱い=効く」を分解する2問
Q09 出典:第13章

侵害受容の閾値と組織損傷の閾値の関係について、正しいのはどれか。

Q10 出典:第15章

二重盲検試験で実灸 49.8℃・偽灸 40.9℃ という約9℃の差があったとき、患者の推測はどうだったか。

第V部臨床上の注意と有害事象3問
Q11 出典:第16章

韓国の熱傷センターの集計で、灸による熱傷44例のうち60歳以上が占めた割合はどれか。

Q12 出典:第16章

施灸にとくに注意を要する患者の条件として、症例が積み上がっているのはどれか。

Q13 出典:第19章

灸の有害事象の「発生率」について、正しいのはどれか。

解答ずみ 0 / 13
付録

引用文献

本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。すべての文献に到達可能なURLを付した。本文に到達できず数値を引用しなかった文献には、その旨を注記した。

  1. Springborg AD, Wessel CR, Andersen LPK, Werner MU. Methodology and applicability of the human contact burn injury model: A systematic review. PLoS One. 2021;16(7):e0254790. PMC8323928
  2. Ye H, De S. Thermal injury of skin and subcutaneous tissues: A review of experimental approaches and numerical models. Burns. 2017;43(5):909-932. PMC5459687
  3. 一般社団法人 日本創傷外科学会. やけど(熱傷). 一般の皆様へ(学会による解説文書。査読論文ではない). jsswc.or.jp
  4. 富永真琴. 温度受容の分子機構——TRPチャネル温度センサー——. 日本薬理学雑誌. 2004;124(4):219-227. doi:10.1254/fpj.124.219
  5. 和田恒彦, 全英美, 宮本俊和. 間接灸の温度特性. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2017;42(2):65-71. doi:10.32255/jjsop.42.2_65
  6. 山下仁, 江川雅人. 透熱灸の温度と燃焼時間——艾炷の密度および高さの影響. 全日本鍼灸学会雑誌. 1995;45(3):203-207. doi:10.3777/jjsam.45.203
  7. 松井敬宏, 糸井信人, 佐藤義晃, 谷口美保子, 石井祐三, 中西智子, 中嶋拓美, 松本美由季, 長谷川尚哉. 2種の異なる台座灸燃焼時の深部温度変化シミュレーションの検討. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2023;48(2):75-85. doi:10.32255/jjsop.48.2_75
  8. 河村彩乃, 糸井信人, 谷口美保子, 大宮正照, 佐藤義晃, 近藤健太郎, 中西智子, 中嶋拓美, 三戸敦雄, 石井祐三, 松本美由季, 長谷川尚哉. 台座灸の底面部熱拡散様式および温度経時変化の定量的評価. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2025;50(2):179-187. doi:10.32255/jjsop.50.2_179
  9. Zhao L, Cheng K, Wang L, et al. Effectiveness of moxibustion treatment as adjunctive therapy in osteoarthritis of the knee: a randomized, double-blinded, placebo-controlled clinical trial. Arthritis Res Ther. 2014;16(3):R133. PMC4095686
  10. Chen R, Chen M, Su T, et al. A 3-arm, randomized, controlled trial of heat-sensitive moxibustion therapy to determine superior effect among patients with lumbar disc herniation. Evid Based Complement Alternat Med. 2014;2014:154941. PMC4131491
  11. Luo H, Gong R, Zheng R, et al. Dose–effect of long-snake-like moxibustion for chronic fatigue syndrome: a randomized controlled trial. J Transl Med. 2023;21:430. PMC10316615
  12. Yuan T, Xiong J, Wang X, et al. The effectiveness and safety of moxibustion for treating knee osteoarthritis: a PRISMA compliant systematic review and meta-analysis of randomized controlled trials. Pain Res Manag. 2019;2019:2653792. PMC6935827
  13. Xu J, Deng H, Shen X. Safety of moxibustion: a systematic review of case reports. Evid Based Complement Alternat Med. 2014;2014:783704. PMC4058265
  14. Park JE, Lee SS, Lee MS, Choi SM, Ernst E. Adverse events of moxibustion: a systematic review. Complement Ther Med. 2010;18(5):215-223.(本文・抄録に到達できず、本書はこの文献から数値および結論を引用していない) PMID: 21056845
  15. 古瀬暢達, 山下仁. 灸に関する有害事象の文献レビュー. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2022;46(2):95-105. doi:10.32255/jjsop.46.2_95
  16. 佐藤想一朗, 新原寿志. 事故情報データバンクシステムを用いた鍼灸とその関連療法に関する有害事象調査. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2022;47(2):93-100. doi:10.32255/jjsop.47.2_93
  17. 福世泰史, 宮脇太朗, 新原寿志, 古瀬暢達, 山下仁. 鍼灸安全性関連文献レビュー2020〜2023年. 全日本鍼灸学会雑誌. 2025;75(4):442-462. doi:10.3777/jjsam.75.442
  18. Joo HS, Kim HB. An etiology report for burns caused by Korean folk remedies. Arch Plast Surg. 2023;50(3):305-310. PMC10226799
  19. Liang H, Mao ZF, Huang JY, et al. Case report: moxibustion-induced burns leading to disseminated methicillin-resistant Staphylococcus aureus infection in a patient with type 2 diabetes mellitus. Front Endocrinol. 2026;17:1860646. doi:10.3389/fendo.2026.1860646
  20. Lu CY, Kang SY, Liu SH, Mai CW, Tseng CH. Controlling indoor air pollution from moxibustion. Int J Environ Res Public Health. 2016;13(6):612. PMC4924069
  21. Xu X, Shan S, Wang W, Liu H. Analysis of the components in moxa smoke by GC-MS and preliminary discussion on its toxicity and side effects. Evid Based Complement Alternat Med. 2020;2020:2648759. PMC7648687
  22. Yu C, Zhang N, Zhu W, et al. Does moxa smoke have significant effect on the acupuncturist's respiratory system? A population-based study. Evid Based Complement Alternat Med. 2019;2019:4873235. PMC6766099
  23. Corbella-Bagot L, et al. Case report: localized bullous pemphigoid induced by local triggers: a case series and a proposal for diagnostic criteria based on a literature review. Front Immunol. 2023;14:1160779. PMC10272756
  24. McCulloch M, Nachat A, Schwartz J, Casella-Gordon V, Cook J. Acupuncture safety in patients receiving anticoagulants: a systematic review. Perm J. 2015;19(1):68-73.(本文に到達できず、本書はこの文献から数値を引用していない。また鍼を対象とした研究であり、灸には適用しない) doi:10.7812/TPP/14-057

お灸の安全性 第1版 2026年8月20日発行
発行:合同会社YOMOGI BASE(灸エビデンス・ライブラリ)

本書の位置づけ。本書は「どこからが治療刺激で、どこからが組織損傷なのか」という一つの問いに答えるために編んだ教材である。灸の温度曲線そのものは『温度曲線』に、もぐさの成分と煙の化学は『もぐさの特性』に、熱の受容機構は『灸と神経生理学①』に収めた。本書はそれらで扱った測定値のいくつかを引き直すが、論点を「その温度は組織を壊すのか」に固定している。

数値の出所方針。本書に記載した数値は、すべて一次文献に記載された報告値をそのまま引用したものである。編者が計算・推定・丸めた値は含まない。平均±SD と 中央値 は原著の表記どおりに記した。原著が実数を示していない箇所については、本書は数値を記載せず、その旨を本文に明記した(第9章・第11章・第16章)。図2-1・図5-1は模式図であり、根拠にした報告値をキャプションに明記した。

階層の扱い。第I部で述べる熱傷の深度分類・損傷閾値・熱損傷モデル、および第13章の温度受容体の閾値は、個別の臨床試験ではなく専門学会の解説文書および方法論の総説に基づき、エビデンス階層A〜Eの対象外として扱った。灸の温度測定値については、測定点(艾炷の底面・熱電対・模擬生体・臨床試験中の皮膚)を必ず併記し、測定点の異なる値を直接比較しないことを本文で繰り返し明示した。

編者の考察の範囲。本書が原著の報告値を超えて可能性を述べたのは2件である(第13章「考察1」および第18章「考察2」)。いずれも「考察」のラベルを付した囲みに収め、その考察が成立しない条件を併記した。囲みの外の本文に、報告されていない因果や機序は書いていない。

調査範囲。英語・日本語・中国語圏を対象に20クエリの検索を行い、一次・二次資料に到達したうえで本書に必要な24件を採用した(2026年8月20日時点)。到達できなかった数値は記載していない。文献14および文献24については存在を確認したが本文に到達できず、数値・結論のいずれも引用していない。また、原著が絶対値を報告していても測定条件が揃わず対策間の比較に用いられない箇所(第17章・表17-5)では変化率のみを記載し、原著の記述と統計量が整合しない箇所(第19章)はその不整合を本文に明示した。

本書の限界。本書が引用できた灸のヒト定量データのうち、二重盲検が成立しているのは1件(n = 110)のみである。それ以外の臨床試験は評価者盲検にとどまる。有害事象のデータはすべて症例報告の集積・消費者相談の集計・熱傷センター受診者の集計であり、いずれも分母を欠くため発生率を計算できない。そして本書最大の空白として、ヒト皮膚において施灸中の表面温と基底層温を同時に測定した査読済み研究に到達できなかった。熱傷閾値(44℃)と灸の実測温度(55.9℃ ほか)のあいだには、いま橋が架かっていない。空白の一覧は第19章の表19-2に掲げた。

本書が書かないこと。本書は熱傷の応急処置・治療の手順を示さない。冷却時間・被覆材・薬剤の選択に関する記載は、本書が到達した文献の範囲にないため書いていない。また、有痕灸の是非について本書は裁定を行わず、法令の解釈も述べない。示したのは、判断の材料となる報告値と、患者への説明に含まれるべき事実である。

発行と利益相反。本書の発行者は合同会社YOMOGI BASEである。同社はよもぎ・お灸に関連する商品を扱う事業者であり、この利害関係を開示したうえで、本書では特定の商品・サービス・銘柄に一切言及せず、効能をうたわない編集方針を採っている。安全性を扱う教材において、この開示はとりわけ重要である。文献の選定・数値の引用・空白の明示は、事業上の利害と独立して行った。自社および自社関係者による発信は、査読の有無にかかわらず出典として用いない。

ご利用にあたって。本書は教育・研究目的の学術情報であり、個々の患者に対する診断・治療方針を示すものではない。臨床判断は、施術者自身の責任において、患者の状態と関連法規に基づいて行われたい。熱傷の診断と治療は医師の管轄である。

改版履歴。2026年8月20日 第1版発行。