3分で要点だけ
本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。
- 伝導だけでは深部に熱は届かない輻射を組み込んで初めて実測と一致する(豚組織)
- 家兎では表面58.41℃が深さ5 mmで39.25℃報告されている到達深度は研究間で一致しない
- ヒトで灸の深部温度を測った研究がない実測値は家兎・豚・模擬生体モデルのものである
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熱は、どこかで止まっている
灸は皮膚に熱を加える。その熱は無限に深く入っていくわけではない。どこかで止まる。何が止めているのか。本書はその一点を追う。
この部を読むと本書が扱う深部温度のデータが、いずれもヒトのものではないことを、読む前に把握できる。
00本書の読み方とエビデンスの階層
本書は本シリーズ①『皮膚とは何か』の続編である。①が皮膚の構造を層と深さで整理したのに対し、本書はその構造の中を熱がどう進み、どこで止まるのかを扱う。灸の教材でありながら、本書の前半は熱物理学の教材である。
0-1 三つの問いで章を貫く
- どう伝わるか
- 灸の熱は伝導だけでは説明できない。輻射という第二の経路がある。この二つは届く深さが違う。
- どこまで届くか
- 報告されている値は一致していない。「3 cm 深部まで温まりうる」という研究と、「深さ 5 mm で 39℃ 台」という研究が同時に存在する。
- 何が止めているか
- 皮膚の熱物性そのものと、血流による熱の持ち去りである。ただし後者には時間の条件がつく。
0-2 エビデンスの階層
| 階層 | デザイン | 典型的な弱点 |
|---|---|---|
| A | 盲検化RCT/系統的レビュー | 本数が少ない |
| B | ヒトを対象とした計測研究 | n が小さい。単一機種 |
| C | 動物実験・ex vivo 測定・数値モデル | ヒトの生体条件と異なる |
| D | 教科書的総説 | 個々の数値の一次出典が追いにくい |
| E | 非査読の実測報告・物理測定 | 査読なし。ただし物理測定値は有用 |
本書が扱う「灸の熱が深部でどうなるか」の研究は、そのほとんどが動物実験・模擬生体モデル・数値シミュレーションである(階層C)。ヒトの生体で、灸の熱が皮膚のどの深さでどれだけの温度になるかを測った研究には、本書の調査範囲では到達できなかった。
本書の数値を読むときは、それが誰の・何の組織で測られたのかを毎回確認する必要がある。本書は各数値に対象を併記する。
0-3 本書が扱わないもの
| 論点 | 扱っている教材 |
|---|---|
| 皮膚の層構造・部位差・付属器の分布 | 本シリーズ①『灸と皮膚の生理学①』 |
| 灸そのものの温度・燃焼・赤外放射 | 『温度曲線』 |
| 熱傷の分類・有害事象・臨床上の安全 | 『お灸の安全性』 |
| 加温後の組織修復・熱ショック応答 | 『灸と組織修復』 |
| 熱が神経信号に変わる仕組み | 『灸と神経生理学①』 |
| 血管径の制御機構と血流の実測値 | 『灸と血流の生理学①②』 |
熱が伝わるということ
灸の熱がどこまで届くかを論じる前に、熱がどう伝わるのかと、皮膚がどれだけ熱を通す材料なのかを押さえる。ここを飛ばすと、以降の実測値が意味を失う。
この部を読むと熱の三つの伝わり方と皮膚各層の熱物性の実数を押さえ、皮膚が熱的に均質でない理由が分かるようになる。
01三つの伝わり方——伝導・輻射・対流
熱の伝わり方は三つある。灸ではそのうち二つが主に働き、そのどちらが効いているかによって、届く深さが変わる。
1-1 三つの経路
- 伝導(conduction)
- 物質を介して、接触した部分から順に熱が伝わる。台座灸のように皮膚に接触している灸では、この経路が働く。伝わる速さは材料の熱伝導率で決まる(第2章)。
- 輻射(radiation)
- 電磁波として熱が飛ぶ。接触を必要としない。艾の燃焼は赤外線を放射しており、棒灸や灸頭鍼のように皮膚から離れた灸では、この経路が主となる。
- 対流(convection)
- 流体の移動によって熱が運ばれる。灸においては、燃焼で生じた上昇気流や、体内では血流がこれにあたる。
1-2 伝導と輻射では、届く深さが違う
この違いは、灸の教材にとって決定的である。ソロフチュクらは、灸の加熱を数値モデルで再現した際、伝導のみを考慮したモデルでは加熱が深さ約 1 cm までしか及ばなかったのに対し、輻射を組み込むと実測に一致し、深さ 3 cm まで加熱されうると報告している[5](豚組織、階層C)。
「灸は深部まで温める」という主張が成り立つかどうかは、どの経路を勘定に入れるかで変わる。伝導だけを考えれば深部には届かない[5]。輻射を含めて初めて、深部到達が数値の上で説明される。灸種によってこの比重が違うことが、話をさらに複雑にする(第7章)。
皮膚に接触する灸(台座灸・温筒灸)と、離して用いる灸(棒灸・灸頭鍼)は、主に働く物理経路が違う。したがって、両者を「温度の高低」だけで比較することはできない。
『温度曲線』は、棒灸の最高温度が皮膚からの距離によって大きく変わることを実測値とともに示している。距離によって変わるのは輻射の強度であり、伝導ではない。灸種を選ぶことは、熱の伝わり方の経路を選ぶことでもある。
(距離ごとの実測値は『温度曲線』を参照。本書はその原著に当たっていないため、数値を引用しない。)
02皮膚の熱物性——層ごとに違う
熱がどれだけ速く伝わるかは、材料の性質で決まる。皮膚は均質な材料ではない。層ごとに熱伝導率も比熱も違う。本章は、その実数を示す。『温度曲線』が定性的な記述にとどめた箇所である。
2-1 三つの物性値
- 熱伝導率 k(W/m/K)
- 温度差があるとき、どれだけ速く熱が流れるか。大きいほど熱を通す。
- 比熱 c(J/kg/K)
- 1 kg の物質を 1 K 温めるのに必要な熱量。大きいほど温まりにくく、冷めにくい。
- 密度 ρ(kg/m³)
- 単位体積あたりの質量。上の二つと組み合わせて、熱の広がりやすさを決める。
2-2 層ごとの報告値
イェとデは、皮膚と皮下組織の熱損傷に関する実験手法と数値モデルを網羅した総説の中で、各層の熱物性の報告値を整理している[1]。
| 層 | ヒト(ex vivo) | ヒト(in vivo) | 豚(in vitro) |
|---|---|---|---|
| 表皮 | 0.21 | — | 0.21 |
| 真皮 | 0.29 | — | 0.37 |
| 皮下脂肪 | 0.20 – 0.22 | 0.21 – 0.37 | 0.16 |
| 層 | 比熱 J/kg/K(豚・ex vivo) | 密度 kg/m³(ヒト) |
|---|---|---|
| 表皮 | 3600 | 1110 – 1190 |
| 真皮 | 3224 | 1116 |
| 皮下脂肪 | 2303 | 971 |
熱伝導率はヒトの値と豚の値、比熱は豚の値のみ、密度はヒトの値のみが示されている[1]。同じ表の中で対象種が混在している。これは、この領域の測定がそもそも困難であることの反映である。
また、いずれも ex vivo(摘出組織)または in vitro の測定が中心であり、生きた皮膚で測った値ではない。生体での測定については第3章で扱う。
2-3 この表から読めること
三層の中で、比熱がもっとも小さいのは皮下脂肪(2303 J/kg/K)である[1]。表皮(3600)と真皮(3224)に比べて明確に小さい[1]。密度も皮下脂肪だけが 1000 kg/m³ を下回る(971)[1]。
熱伝導率については、ヒト ex vivo の値で真皮(0.29)が表皮(0.21)より大きい[1]。ただし豚の値では真皮が 0.37、皮下脂肪が 0.16 と、ヒトの値とは異なる大小関係を示す[1]。
皮膚は熱的に均質な材料ではない。層ごとに熱伝導率も比熱も違う[1]。したがって「皮膚の熱伝導率」という単一の値で灸の熱の伝わり方を計算することはできない。
本シリーズ①で見たとおり、これらの層の厚みは部位によって大きく異なる。部位が変われば、層の構成比が変わり、熱の通り方も変わる。ただし、その違いが実際にどれだけの温度差を生むかを測った研究には、本書の調査範囲では到達できなかった(第14章・空白3)。
03熱物性を生きたヒトで測る
前章の値は、そのほとんどが摘出組織で測られたものだった。生きたヒトの皮膚で熱物性を測ることはできるのか。できるとして、その値は部位によって違うのか。
3-1 皮膚に貼りつける熱センサ
ウェッブらは、極薄で柔軟な熱センサと熱アクチュエータのアレイを皮膚に密着させることで、熱伝導率と熱拡散率を完全に非侵襲で、生体において定量する手法を報告した[2](階層B)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | 健常女性 25名(18〜45歳) |
| 測定部位 | 6部位(頬・前腕背側・前腕掌側・手首掌側・手掌・踵) |
| 測定量 | 熱伝導率 k、熱拡散率 α |
| 最大不確かさ | k で 2%、α で 8% |
| 併用した測定 | 光干渉断層計(OCT)による角層・表皮厚、電気インピーダンスによる水分量 |
3-2 部位によって系統的に違う
同研究は、測定値に系統的な部位差と方向性の異方性があることを報告している[2]。とくに踵は、他の部位より明確に低い熱伝導率を示した[2]。著者らは、これらの特性が OCT で測定した表皮・角層の厚みや、電気インピーダンスで評価した水分量と相関することを示している[2]。
この研究は、部位別の熱伝導率・熱拡散率の分布を箱ひげ図として提示しており、全部位についての平均±SDの表を与えていない。したがって本書は、部位別の具体的な数値を引用しない。示せるのは、部位差と異方性が存在し、それが厚みと水分量に相関するという定性的な結論までである[2]。
皮膚の熱物性は部位によって系統的に違い、方向によっても違う(異方性がある)[2]。しかもそれは、角層の厚みと水分量に関係している[2]。
本シリーズ①で見たとおり、角層の厚みは90分の水和で最大2倍になる。この二つを重ねると、皮膚の熱物性が施術時の皮膚の状態によって変わりうることが示唆される。ただしこれは二つの研究をまたいだ推論であり、施灸時の皮膚の熱物性を直接測った研究ではない。本書は仮説としてのみ提示する。
灸の熱が皮膚に入るところ
ここから灸そのものの話に入る。ただし本書が追うのは灸の温度ではなく、皮膚の側で起きていることである。灸が何℃かは『温度曲線』が扱った。本書が問うのは、その熱が皮膚に入ったあとどうなるかである。
この部を読むと灸の熱が深さごとに何度になるかの報告値を並べ、食い違いを条件の違いに分解できるようになる。
04表面温度は皮膚温ではない
灸の研究で報告される温度は、その多くが皮膚の温度ではない。何の温度なのかを取り違えると、以降のすべての議論が崩れる。本章はその整理から始める。
4-1 同じ「灸の温度」でも測定点が違う
『温度曲線』が示したとおり、灸に関して報告されている温度は、測定点によって桁が違う。透熱灸の米粒大艾炷では、石綿板上で燃焼させたときの底面の最高温度が平均 140〜160℃ と報告されている[9]。これは艾炷の底面の温度であり、皮膚の温度ではない。
松井らは、2種類の台座灸について、ロースハムを15枚重ねた簡易生体モデルを用い、深度 21.6 mm まで 1.8 mm 間隔で熱電対により測定した[6]。報告された最表面の最高温度は試料Aが 26.71℃、試料Bが 27.41℃ である[6]。
140〜160℃[9]と 26.71℃[6]は、同じ量ではない。前者は艾炷の底面、後者は模擬生体モデルの最表面である。灸種も測定系も違う。
松井らの研究の主眼はシミュレーション手法の妥当性検討にあり、ヒトの皮膚温を推定した研究ではない[6]。
4-2 皮膚の内部の温度は、表面から推定できない
本シリーズ①で見たとおり、皮膚は層構造を持ち、層ごとに熱物性が違う(第2章)。したがって、表面で測った温度から内部の温度を単純に外挿することはできない。内部の温度を知るには、内部を測るか、物性値を用いて計算するしかない。
灸の温度に関する報告を読むときは、まず測定点を確認する。「この灸は◯℃」という記述に出会ったら、それが艾の温度なのか、灸と皮膚の界面の温度なのか、模擬モデルの表面の温度なのかを見る。
この確認をしないまま灸種を比較すると、測定条件の違いを灸の性質の違いと取り違える。
05輻射はどこで吸収されるか
『温度曲線』は、灸が赤外線を放射していることを示した。本章はその続きにあたる。放射された赤外線は、皮膚のどこで吸収されるのか。日本の研究が、この問いに数値で答えている。
5-1 灸頭鍼の輻射と皮膚の吸収
大塚と半田は、灸頭鍼から輻射される光の点火位置依存性と、皮膚における吸収特性を検討した[3](日本語一次文献)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 艾球 | 1 g、半径 10 mm |
| 鍼 | 長さ 50 mm、直径 0.25 mm |
| 距離設定 | 30 / 40 / 50 mm |
5-2 深さによって吸収の増え方が違う
同研究は、艾球の下端温度が 500℃ から 700℃ へ上昇したときの吸収量増加率として、真皮で 1.3倍、皮下組織で 4.1倍 という値を報告している[3]。
また、下部点火の場合、煙が消失してから30秒後の累積輻射量が総輻射量の 77% を占めること、相関係数が 0.82 であったことが報告されている[3]。
艾球の下端温度が上がったとき、真皮より皮下組織のほうが吸収量の増え方が大きい(1.3倍に対し4.1倍)[3]。
これは、輻射の熱が浅い層で一様に吸収されるのではなく、温度条件が変わったときに深部での吸収が選択的に増えうることを示す。第1章で見た「輻射を含めないと深部到達が説明できない」という数値モデルの結果[5]と、方向として整合する。
灸頭鍼において、艾球のどこに点火するかが、深部に届く熱量を変えうる[3]。下端温度の違いが、皮下組織での吸収量を大きく変える。
ただし本書は、ここから具体的な点火法の推奨を導かない。この研究が測っているのは輻射の吸収量であり、実際の組織温度でもなければ、臨床効果でもない。また、これは灸頭鍼についての測定であり、他の灸種にそのまま適用できるものではない。
06実測——深さごとに何度か
本書の中心的な問いに、実測の側から近づく。灸をすえたとき、深さごとに温度は何度になるのか。ヒトでの測定は見当たらなかった。したがってここに並ぶのは、動物と模擬モデルの値である。
6-1 家兎での測定
ミョンとリーは、間接灸と電気温熱刺激を比較する目的で、家兎の皮膚表面と皮下の温度を光ファイバセンサで測定した[4](階層C)。
| 測定点 | 間接灸 | 電気温熱刺激 |
|---|---|---|
| 皮膚表面 | 58.41 ± 0.28 ℃ | 39.46 ± 0.29 ℃ |
| 深さ 5 mm | 39.25 ± 0.55 ℃ | 39.24 ± 0.33 ℃ |
対象はニュージーランドホワイト種の家兎 5羽(生後18か月、3.6 ± 0.2 kg)、計10部位である[4]。用いられたのは紙の緩衝層を持つ市販の間接灸装置である[4]。深さ 5 mm と 10 mm における両者の温度分布の相関係数は、それぞれ R = 0.95、R = 0.91 と報告されている[4]。
間接灸では皮膚表面が 58.41 ± 0.28℃ であるのに対し、深さ 5 mm ではすでに 39.25 ± 0.55℃ まで下がっている[4]。
一方、電気温熱刺激では表面が 39.46 ± 0.29℃、深さ 5 mm が 39.24 ± 0.33℃ であり、表面と深部の差がほとんどない[4]。
つまりこの二つは、深部では似た温度になるが、皮膚表面に与える熱はまったく違う。研究の主旨は、灸に匹敵する皮下温度を、表面を高温にせずに作れるかを問うものであった。
6-2 模擬生体モデルでの測定
松井らの台座灸の研究では、ロースハム15枚を重ねた簡易生体モデルで深度 21.6 mm まで測定され、深度 12.6 mm までは実測値と推定値の間に統計学的に高い相関性が認められたと報告されている[6]。
ロースハムは生体ではない。血流がない。したがって、このモデルは第III部で扱う「血流による熱の持ち去り」を含まない。実際の生体では、この分だけ深部温度は低くなる方向に働くと考えられる。
著者ら自身も、この研究の主眼をシミュレーション手法の妥当性検討としている[6]。
6-3 MRI による測定
ソロフチュクらは、灸の加熱による三次元の温度上昇を MRI で測定した[5](豚組織、階層C)。報告されている値は次のとおりである[5]。
| 測定点 | 値 |
|---|---|
| 豚肉表面の最大温度 | 約 40 ℃ |
| 豚肉表面近くの空気のピーク温度 | 約 135 ℃(24〜25分) |
| 深さ 2 mm | 実測と予測が良好に一致 |
| 深さ 6 mm | 組織の不均一性による乖離あり |
同研究で用いられた豚筋組織の物性値は、密度 1055 kg/m³、比熱 3200 J/kg·K、熱伝導率 0.51 W/m·K である[5]。そして著者らは、組織は深さ 3 cm まで加熱されうると結論している[5]。
表 6-1 と表 6-2 を並べると、灸の深部到達についてまったく違う像が現れる。家兎では深さ 5 mm ですでに 39℃ 台まで落ちており[4]、豚では 3 cm まで加熱されうるとされる[5]。
この食い違いをどう読むかが、本書のもっとも重要な論点である。次章で扱う。
073 cm と 5 mm——食い違いをどう読むか
本書の中核となる章である。灸の熱がどこまで届くかについて、報告されている値は一致していない。本章は、その食い違いを解消しようとするのではなく、何が違うから食い違うのかを分解する。
7-1 二つの報告を並べる
| 項目 | ミョンとリー[4] | ソロフチュクら[5] |
|---|---|---|
| 結論 | 深さ 5 mm で 39.25 ± 0.55℃ | 深さ 3 cm まで加熱されうる |
| 対象 | 家兎(n = 5、10部位) | 豚組織 |
| 灸の種類 | 紙の緩衝層を持つ間接灸 | 灸(艾)による加熱 |
| 測定法 | 光ファイバセンサ(点計測) | MRI 温度測定(三次元) |
| 表面温度 | 58.41 ± 0.28℃ | 約 40℃ |
| 輻射の扱い | 記載を確認できず | モデルに組み込み(μa = 0.015 m) |
7-2 少なくとも四つの条件が違う
- 動物種が違う。家兎と豚では、皮膚の厚みも皮下脂肪の量もまったく違う。
- 灸の種類が違う。一方は紙の緩衝層を持つ間接灸[4]、他方は艾による加熱[5]である。第1章で見たとおり、灸種によって伝導と輻射の比重が変わる。
- 測定法が違う。点計測と三次元計測では、捉えられる温度分布が異なる。
- 表面温度が違う。58.41℃[4]と約 40℃[5]である。そもそも同じ強さの刺激ではない。
この二つは矛盾していない。異なる条件で異なる量を測った、別々の研究である。
したがって本書は、「灸は深部まで届く」とも「灸は深部まで届かない」とも書かない。どちらの一般化も、これらのデータからは導けない。
言えるのは次のことである。灸の熱がどこまで届くかは、灸種・対象・測定法によって変わり、単一の答えを持たない。
7-3 もっとも重要な事実
ここに挙げた研究は、いずれもヒトを対象としていない。家兎[4]、豚[5]、そしてロースハム[6]である。
ヒトの生体で、灸の熱が皮膚のどの深さでどれだけの温度になるかを測定した査読済み研究には、本書の調査範囲では到達できなかった。
日本には菅田らによる古典的な研究があり、実験動物を用いて皮膚表面・皮下・筋層内の温度を熱電対で測定したと報告されているが[11]、抄録に数値の記載がなく本文PDFに到達できなかったため、本書はこの文献から数値を引用しない。研究の存在と対象は記すが、値は本書には書かれていない。
「お灸は身体の深部まで温める」という説明は、臨床で広く用いられている。本書はこれを否定しない。しかし肯定もできない。
肯定するために必要なのは、ヒトの生体で、灸種を特定し、深さごとの温度を測った研究である。それが存在しない以上、この説明は現時点で経験知として扱うほかない。経験知を経験知として扱うことは、それを生理学的事実として語ることより誠実である。
熱を止めているもの
灸の熱は皮膚のどこかで止まる。止めているのは材料の性質だけではない。血液が熱を運び去っている。ただしそこには、灸にとって無視できない時間の条件がつく。
この部を読むと血流と蒸発という二つの放熱路の働き方を知り、灸の持続時間が持つ意味を言えるようになる。
08血流というヒートシンク
生体の熱伝導が工学材料と決定的に違うのは、内部を血液が流れている点である。血液は熱を持ち去る。この効果を扱うのが生体熱輸送の基本式である。
8-1 血流は熱を運び去る
生体組織の熱輸送を記述する古典的なモデルはペンネスの生体熱輸送方程式であり、血流による熱の移動を熱の吸い込み(ヒートシンク)として扱う。その大きさは、血液の灌流量と、動脈血温と組織温の差に比例する。
本シリーズ①で確認したとおり、皮膚の血管は二つの水平血管叢をなし、浅層が皮膚表面から 400〜500 µm、深層が 1.9 mm の深さにある[10]。熱を持ち去る装置は、この深さに配置されている。
表皮には血管がない。したがって表皮の中では血流による冷却が働かない。ヒートシンクが働き始めるのは、浅層血管叢のある深さ(400〜500 µm)[10]から下である。
8-2 ただし、血流は即座には応答しない
ここに、灸にとって決定的な条件がある。イェとデは、皮膚が血流を増やして反応するまでの時間は約 20秒 であり、したがって短時間の曝露については計算上、血流灌流を無視してよいと記している[1]。
血流によるヒートシンクは、最初から全力で働いているわけではない。加温が始まってから応答するまでに約 20秒 かかる[1]。
透熱灸のように燃焼が短時間で終わる手技では、この応答が立ち上がる前に加温が終わっている可能性がある。逆に、数分にわたって温め続ける手技では、血流の応答が加わった状態で熱が入っていくことになる。
灸の持続時間は、血流というヒートシンクが働くかどうかを分ける変数である[1]。同じ最高温度でも、数秒で終わる刺激と数分続く刺激では、組織が受ける熱の総量も、それを持ち去る仕組みの働き方も違う。
『温度曲線』が「灸種は最高温度ではなく曲線の形で比べるべきだが、そのデータがない」と述べた空白は、ここでも効いてくる。持続時間の情報がなければ、血流の寄与を見積もることもできない。
09温めると「止める力」が増える
加温は血流を増やす。血流が増えれば、熱を持ち去る力も増す。つまり灸は、熱を入れると同時に、熱を出す仕組みを起動している。本章はその大きさを実測値で見る。
9-1 局所加温に対する皮膚血流の応答
マックらは、健常者の皮膚を局所的に加温し、皮膚血管コンダクタンス(CVC)の変化を測定した[7](階層B)。加温は最大血管拡張時を 100% とする相対値(%CVCmax)で評価されている。
| 加温条件 | n | 基線 | 初期ピーク | プラトー |
|---|---|---|---|---|
| 34 → 38℃(ステップ) | 10 | 20.0 ± 6.6 | 48.3 ± 9.6 | 52.9 ± 10.5 |
| 34 → 42℃(ステップ) | 10 | 20.0 ± 6.8 | 80.8 ± 5.4 | 80.7 ± 6.9 |
| 34 → 42℃(パルス) | 9 | — | — | 66.3 ± 12.2 |
加温速度はステップ加温で 0.1 ℃/s、パルス加温で 1.0 ℃/s(毎分1パルス)、いずれも 50分 の観察である[7]。曲線下面積は 34→38℃ で 1196 ± 295 %CVCmax·min、34→42℃ で 2678 ± 458 %CVCmax·min と報告されている[7]。
9-2 表 9-1 から読めること
皮膚温を 34℃ から 42℃ へ上げると、CVC は基線の 20.0 ± 6.8 からプラトーの 80.7 ± 6.9 %CVCmax へ達する[7]。38℃ までの加温では 52.9 ± 10.5 にとどまる[7]。
加温の目標温度が 4℃ 違うだけで、血管拡張の到達水準は大きく変わる[7]。
そして同じ 42℃ でも、加温の与え方(ステップかパルスか)で結果が変わる。連続的に上げた場合のプラトーが 80.7 ± 6.9 であるのに対し、毎分1回のパルスでは 66.3 ± 12.2 にとどまる[7]。同じ温度に到達しても、到達のしかたで反応が違う。
ここに逆説がある。灸で皮膚を温めると、熱を持ち去る力が強まる。皮膚温 42℃ で血管コンダクタンスは最大拡張の 8割に達する[7]。深部へ熱を届けようとする操作が、同時に、熱を深部へ行かせない仕組みを起動している。
ただし本書は、この効果が灸において実際にどれだけ深部温度を下げるかを定量できない。灸を対象として、血流応答の有無で深部温度を比較した研究には到達できなかった。また、マックらの研究は灸ではなく制御された局所加温を用いている。灸の温度曲線は、この研究の加温条件とは形が違う。
10汗と蒸発——第二の放熱路
熱を逃がす経路は血流だけではない。皮膚の表面からは常に水が失われており、水が蒸発するとき熱を奪う。灸は皮膚を温める手技であり、加温は発汗を促す方向に働く。
10-1 安静時にも水は失われている
テイラーとマシャード=モレイラの集約研究による経表皮水分蒸散量(TEWL)の報告値を再掲する[8]。
| 対象 | 値 |
|---|---|
| 全身(単位面積あたり) | 0.02 – 0.07 mg·cm⁻²·min⁻¹ |
| 全身(総量) | 26 – 43 g·h⁻¹ |
これは発汗ではなく、角層を受動的に通過して蒸発する水の量である。水の蒸発は気化熱を奪うため、この経路は常時わずかに働く放熱路にあたる。
10-2 発汗はこれとは別に加わる
エクリン汗腺はコリン作動性の交感神経支配を受け、深部体温の変化に応じて発汗する。情動性または温熱性の刺激に応じて、汗腺は1日あたり 500〜750 mL の汗を産生しうると記載されている[12]。
施灸時に、灸をすえた局所でどれだけの発汗が起き、それがどれだけの熱を奪っているかを測った研究には、本書の調査範囲では到達できなかった。本書が示せるのは、蒸発という放熱経路が存在し、その大きさが原理的には測定可能であるという点までである。
この論点は、研究設計に直接影響する。施灸前後で皮膚バリア(TEWL)を測ろうとする場合、加温による発汗が測定値に混入する。本シリーズ①で述べたとおり、TEWL は角層を通った水と汗腺から出た水を分離できない[8]。
灸の研究において、TEWL の変化を「バリアが変化した」と解釈する前に、発汗の寄与を独立に評価する設計が必要である。
11皮膚温と深部温
皮膚の温度と身体の内部の温度は一致しない。この差は異常ではなく、身体が熱を捨て続けている証拠である。灸はこの温度勾配の上に熱を加えている。
11-1 勾配があるのが正常である
身体の内部は外界より温かく、皮膚はその中間にある。深部から皮膚へ、皮膚から外界へと、熱は常に勾配に沿って流れ続けている。皮膚温が深部温より低いのは、放熱が行われているからである。
本シリーズ①と第8章で見たとおり、この放熱を担う主要な装置が皮膚の二つの血管叢である[10]。皮膚血流の増減は、この勾配のうち「皮膚から外界へ」の部分の流れやすさを変えている。
正常な皮膚温・深部温の代表値、および両者の差の定量値については、本書の調査範囲では、測定条件を明示した一次文献の報告値に到達できなかった。皮膚温は測定部位・環境温・気流によって大きく変動する量であり、単一の代表値を挙げることには意味が乏しい。本書は数値を書かない。
11-2 灸はこの勾配の上に熱を加えている
灸をすえるとき、皮膚はすでに定常的な温度勾配の中にある。灸が作るのは、その勾配に重なる局所的で一過性の温度上昇である。灸が終われば、勾配は元の向きに戻る。加えられた熱は、血流と蒸発によって運び去られていく。
灸によって生じる温度変化は、常に定常状態への復帰に向かう過渡現象である。身体は加えられた熱を捨てる方向に働く。
したがって、施灸によって深部温が持続的に上昇し続けることはない。「お灸で身体の芯から温まる」という表現が、深部体温の持続的上昇を意味するのだとすれば、それを支持する測定値に本書は到達していない。患者が感じる温かさが何を反映しているかは、温度受容の問題であり『灸と神経生理学①』が扱う。
届いた熱が組織に何をするか
熱が組織に届いたとき、何が起きるのか。本書はこれを物理と化学の側から扱う。臨床上の判断——どこまでが安全でどこからが有害か——は『お灸の安全性』が扱う。本部はその手前で止まる。
この部を読むと損傷が温度と時間の積分で決まることを知り、最高温度だけで安全性を論じられない理由が分かるようになる。
12温度と時間——損傷は積分である
組織が熱で変わるかどうかは、温度だけでは決まらない。温度と時間の両方で決まる。この関係は積分の形で定式化されている。本章はその式の意味を扱う。
12-1 損傷積分
熱による組織損傷は、アレニウス型の速度式で記述される。イェとデの総説による定式は次のとおりである[1]。
この式が意味するのは、損傷が「ある温度を超えたかどうか」ではなく、「ある温度に、どれだけの時間さらされたか」の積み重ねで決まるということである。温度 T が指数の中に入っているため、温度が上がると損傷の速度は急激に増す。
12-2 Ω の値と損傷の程度
同総説は、Ω の値が 0.53、1.0、10⁴ のとき、それぞれI度・II度・III度の熱傷に対応するという報告を引用している[1]。ヘンリケスによるパラメータとして、活性化エネルギー ΔE = 6.27 × 10⁸ J/kmol、頻度因子 A = 3.1 × 10⁹⁸ /s が示されている[1]。
ΔE と A の値は、著者や温度域によって異なる値が提案されており、同総説の表には複数の出典(ヘンリケス、フュジット、ストール、タカタ、ウー)による値が並べられている[1]。単一の確定値ではない。本書はヘンリケスによる値のみを示す。
12-3 しきい値としての 43℃
イェとデは、熱損傷の臨界温度は約 43℃ であり、それ以下ではどれだけ長く組織を熱源にさらしても損傷は生じないと記している[1]。
この 43℃ という値は、損傷が始まる下限である。それを超えたからといって直ちに損傷するわけではない。前節の式のとおり、超えた温度と時間の積み重ねが Ω を決める[1]。
なお『灸と血流の生理学①』および『灸と神経生理学①』は、温度感受性イオンチャネル TRPV1 の活性化温度を扱っている。その値が本章の値に近いことは注目に値するが、両者はまったく別の現象である。一方は熱によるタンパク質の損傷速度、他方はイオンチャネルの開口である。数値が近いことを因果として語ってはならない。(TRPV1 の活性化温度の報告値は当該教材を参照。本書はその原著に当たっていないため、数値を引用しない。)
「何℃までなら安全か」という問いには、温度だけでは答えられない[1]。同じ温度でも、時間が違えば結果が違う。
この事実は、灸の刺激量を「最高温度」で語ることの限界を示している。『温度曲線』が「灸は最高温度ではなく曲線の形で比べるべきだ」と述べたのは、この物理に対応している。損傷は積分であり、積分には時間軸が要る。
13ここから先は『お灸の安全性』へ
本書は物理としての熱をここまで追った。この先——実際に何度で何が起きるか、熱傷はどう分類されるか、臨床でどう避けるか——は、本ライブラリの別の教材が扱う。本章はその引き継ぎである。
13-1 本書がここで止まる理由
本書の主題は「熱がどこまで届き、何がそれを止めているか」である。届いた熱が臨床的に何を引き起こすかは、別の主題である。両者を一つの教材に詰め込むと、どちらも中途半端になる。
| 知りたいこと | 教材 |
|---|---|
| 熱傷の分類、深達度と知覚の関係、有害事象、臨床上の注意 | 『お灸の安全性』 |
| 微小熱傷後の修復過程、熱ショック応答、灸痕の長期の帰結 | 『灸と組織修復』 |
| 熱が電気信号に変わる仕組み、TRPチャネル、痛みの発生 | 『灸と神経生理学①』『灸と痛みの生理学①』 |
| 加温後の血流の時間経過、二相性の反応 | 『灸と血流の生理学①②』 |
13-2 本書から持っていくべき三点
- 皮膚は熱的に均質ではない。層ごとに熱伝導率も比熱も違う[1]。そして層の厚みは部位によって違う[13]。
- 血流によるヒートシンクは約 20秒 遅れて立ち上がる[1]。短時間の刺激ではこの効果が働く前に加温が終わる。
- 損傷は温度と時間の積分で決まる[1]。最高温度だけでは安全性を論じられない。
『お灸の安全性』を読むとき、本書の三点を持って読むと、同じ記述が違って見える。熱傷の深達度は、皮膚の層構造の上に定義されている。そして、その層の厚みは部位によって違う[13]。
同じ灸を同じ時間すえても、部位が違えば、熱が到達する層が違う可能性がある。ただしその「可能性」を定量した研究に、本書は到達していない。次章でその空白を列挙する。
未解決問題
本書は熱の伝わり方を物理として整理した。しかし、灸の臨床にとってもっとも知りたい問いには、ほとんど答えられていない。空白を、次の研究者が着手できる粒度で列挙する。
この部を読むとこの領域の空白を、次の研究者が明日着手できる粒度で指させるようになる。
14本書が答えられなかったこと
本書の空白は6件ある。うち3件は、灸の研究の中心にあるべき問いでありながら、測定が行われていない。
ヒトの生体で、灸の熱が皮膚のどの深さで何度になるかを測った研究に到達できなかった。本書が示せた深部温度の実測値は、家兎[4]、豚[5]、およびロースハムによる模擬生体モデル[6]のものである。日本には菅田らによる古典的な動物実験が存在するが[11]、抄録に数値の記載がなく本文に到達できなかったため、本書は数値を引用していない。
灸種ごとの時間-温度曲線が、同一の測定系で比較されていない。第12章で見たとおり損傷は温度と時間の積分で決まる[1]。したがって刺激量を評価するには曲線の形(立ち上がり・ピーク到達時間・しきい値超過時間・裾の長さ)が要る。しかし『温度曲線』が指摘したとおり、複数の灸種についてこれらを同一測定系で数値化した査読済み研究には到達できていない。本書の第8章で述べた「血流応答の 20秒 遅れ」[1]の意味を評価するにも、この曲線が必要である。
部位による層構成の違いが、実際の熱の到達をどれだけ変えるかが分からない。皮膚各層の熱物性[1]と部位別の層の厚み[13]はそれぞれ報告されているが、この二つを組み合わせて部位別に熱の到達を計算・実測した研究には到達できなかった。両方のデータが存在するのに、掛け合わせた研究がない。
灸において、血流によるヒートシンクの寄与が定量されていない。血流応答が約 20秒 遅れて立ち上がること[1]、局所加温で血管コンダクタンスが大きく増すこと[7]はそれぞれ報告されている。しかし、灸を対象として、血流の有無や大小で深部温度がどれだけ変わるかを比較した研究には到達できなかった。第6章で用いた模擬生体モデル[6]には血流がなく、この効果が原理的に含まれていない。
加温が角層の脂質構造に与える影響について、本書は数値を引用できなかった。角層の細胞間脂質が温度によって相転移を起こし、それがバリア機能の変化に対応するという研究は古くから存在する。しかしその原著に本書の調査範囲では到達できず、報告値を確認できなかった。灸の表面温度域とこの相転移温度域が重なるかどうかは、本書には書けない。研究の存在のみを記す。
皮膚の熱物性の値が、対象種と測定条件によってばらついている。第2章の表 2-1・2-2 が示すとおり、熱伝導率はヒトと豚で、比熱は豚のみで、密度はヒトのみで報告されている[1]。同一の対象・同一の条件で全層の熱物性を揃えたデータセットに到達できなかった。生体での測定[2]も、部位別の数値表としては公表されていない。
14-2 この空白の性質について
空白2と空白4は、鍼灸の側から着手できる課題である。灸種ごとの時間-温度曲線の記録は、既存の熱電対と記録装置で実施できる。血流の寄与についても、血流のある生体モデルとない模擬モデルの比較という形で設計しうる。
空白1については、ヒトでの深部温度測定という倫理的・技術的な難しさがある。ただし、MRI 温度測定という手法はすでに灸に対して適用された実績がある[5]。技術的に不可能な課題ではない。
本書を読み終えた読者は、「お灸の熱が深部まで届く」という一文について、それが何によって支持され、何によって支持されていないかを言えるようになっている。
支持しているのは、輻射を含めた数値モデルと豚組織での MRI 測定[5]である。支持していないのは、家兎での実測[4]と、血流を含まない模擬モデル[6]である。そしてヒトのデータは存在しない。
この状態を「分かっていない」と呼ぶ。分かっていないことを分かっていないと言えることが、本書の目的である。
理解度チェック
本書の内容から9問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。すべて本文に明示した記述だけから解けます。
棒灸や灸頭鍼のように皮膚から離して行う灸で、主に働く熱の伝わり方はどれか。
熱の伝わり方は伝導・輻射・対流の三つ。皮膚に接触する台座灸では伝導が働き、離して行う灸では電磁波として飛ぶ輻射が主になる。数値モデルでは、伝導だけでは加熱が深さ約 1 cm までしか及ばず、輻射を組み込んで初めて深部到達が説明された。根拠:第1章/[5]
皮膚の熱物性について正しいのはどれか。
皮膚は均質な材料ではない。表皮・真皮・皮下脂肪では熱伝導率も比熱も違う。さらに層の厚みには部位差がある。したがって「皮膚を何度に温めたか」という一つの数字で、内部で起きていることを表すことはできない。根拠:第2章/[1]
灸の研究で報告されている温度を読むとき、正しい理解はどれか。
透熱灸の 140〜160℃ は石綿板上での艾炷底面の温度、台座灸の 26.71℃ は模擬生体モデル最表面の温度である。測定点が違うものを並べて比較してはならない。また皮膚は層ごとに熱物性が違うため、表面温度から内部温度を単純に外挿することもできない。根拠:第4章
家兎で間接灸の温度を測った研究では、皮膚表面と深さ 5 mm の温度はどうだったか。
間接灸では皮膚表面 58.41 ± 0.28℃ に対し、深さ 5 mm ではすでに 39.25 ± 0.55℃ まで下がっていた。表面の熱さと深部に届く熱は別の量である。ただしこれは家兎(階層C)の値で、ヒトの生体で深さごとの温度を測った研究には到達できていない。根拠:第6章/[4]
表皮の中では血流による冷却(ヒートシンク)が働かない。その理由はどれか。
表皮には血管がない。熱を持ち去る皮膚血管叢は、浅層が表面から 400〜500 µm、深層が 1.9 mm の深さにある。ヒートシンクが働き始めるのはその深さから下であり、表皮内では熱が運び去られない。根拠:第8章/[10]
加温に対して皮膚血流が増えて反応するまでの時間として報告されているのはどれか。
皮膚が血流を増やして反応するまでの時間は約 20秒であり、短時間の曝露では計算上、血流灌流を無視してよいとされている。透熱灸のように燃焼が短時間で終わる手技では、冷却が立ち上がる前に加温が終わっている可能性がある。根拠:第8章/[1]
皮膚を局所的に加温したとき、皮膚血流はどうなるか。
局所加温で皮膚血管コンダクタンスは基線 20.0 ± 6.6 %CVCmax から、34→38℃ でプラトー 52.9 ± 10.5%、34→42℃ で 80.7 ± 6.9% へ上昇したと報告されている。灸は熱を入れると同時に、熱を出す仕組みを起動している。根拠:第9章/[7]
皮膚温が深部体温より低いことは、何を意味しているか。
身体の内部は外界より温かく、皮膚はその中間にある。皮膚温が深部温より低いのは、放熱が行われている証拠である。灸が作るのは、この定常的な勾配に重なる局所的で一過性の温度上昇であり、施灸が終われば勾配は元の向きに戻る。根拠:第11章
熱による組織損傷は、何によって決まるか。
損傷はアレニウス型の速度式 ∂Ω/∂t = A・exp(−ΔE/RT) で記述され、「ある温度を超えたか」ではなく「ある温度にどれだけの時間さらされたか」の積分で決まる。温度は指数の中にあるため、温度が上がると損傷速度は急激に増す。最高温度だけでは安全性を論じられない。根拠:第12章/[1]
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引用文献
本書の記述はすべて以下の資料に基づく。本文に到達できず数値を引用しなかった文献も、研究の存在を記録するために掲げる。
- Ye H, De S. Thermal injury of skin and subcutaneous tissues: A review of experimental approaches and numerical models. Burns. 2017;43(5):909-932. PMC5459687
- Webb RC, Pielak RM, Bastien P, ほか. Thermal Transport Characteristics of Human Skin Measured In Vivo Using Ultrathin Conformal Arrays of Thermal Sensors and Actuators. PLoS ONE. 2015;10(2):e0118131. PMC4319855
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- Wang Y, Tian M, Guo R, Du F, Qiu L, Tang Y. Quantification of normal skin thickness using very high-frequency ultrasound: a clinical study in Chinese adults. Quantitative Imaging in Medicine and Surgery. 2025;15(6):5218-5231. doi:10.21037/qims-2024-2637
第1版・2026年8月22日発行。本書の数値はすべて原著の報告値であり、編者による計算・推定・丸めを含まない。原著に到達できなかった数値は掲載していない。本書が扱う深部温度の実測値は、いずれも動物または模擬生体モデルによるものであり、ヒトの生体で測定された値ではない。この点は第7章および第14章に明記した。/本シリーズ①『灸と皮膚の生理学①——皮膚とは何か』の続編にあたる。