灸エビデンス・ライブラリ
灸と自律神経(全2分冊) ② 「自律神経が変わった」と言うために、何をどう測るのか 姉妹巻:灸と自律神経①
Moxibustion & Autonomic Nervous System ② — 測定と解釈編・全16章

灸と自律神経②

自律神経を測るとは、何を測ることなのか。
灸の研究で報告された値は、何を意味し、何を意味しないのか。

第1版 2026年8月 微小神経電図 / 心拍変動 / LF・HF / 発汗の指標 / 対照条件 / 出版バイアス / 安全性

3分で要点だけ

本文で示した報告値のうち、この教材の骨格になる3点。

  1. LF/HF比で交感・副交感バランスは測れない原著は仮説が反証されたと明言している
  2. HFの増加は迷走神経緊張の増加ではない国際的な専門家勧告が取り違えを戒めている
  3. 灸で神経活動を直接測った研究は今回の調査範囲では見出せなかった

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序章

「自律神経が整った」は、何を測った文なのか

①では、自律神経がどんな神経で、体表への熱がどの経路を通って臓器に届きうるのかを見た。本書はその続きとして、「灸で自律神経が変わった」と言うために何をどう測るのかを扱う。灸のヒト研究で報告されている値は、そのほとんどが代理指標である。代理指標には、それが答えられる問いと、答えられない問いがある。本書は、その境界線を引くことを目的とする。

この部を読むと「自律神経が整った」という文が、何を測った文なのかを問い返せるようになる。

00本書の読み方とエビデンスの階層

本書は灸の効果を主張する本でも、否定する本でもない。報告された数値がどこまでのことを言っているかを、測定法の側から検算する本である。数値はすべて原著の報告値であり、編者が計算・推定した値は含まない。

0-1 この教材を貫く三つの問い

  1. 自律神経の活動そのものを測る方法は何で、なぜそれが灸の研究では使われていないのか
  2. 心拍変動という最も普及した指標は、何を反映し、何を反映しないのか
  3. 灸の研究で報告された値から、施術者は何を言ってよく、何を言ってはいけないのか
本書が「示唆」を書くときの規約

本書は原著の報告値だけで構成する。報告値を超えて編者が可能性を述べる箇所は、1冊につき2件までとし、いずれも「考察」等のラベルを付けた囲みの中に置き、成立しない条件を併記する。囲みの外の本文に、報告されていない因果や機序を書かない。ラベルのない断定は、すべて原著の報告値か、原著の著者自身の結論である。

0-2 エビデンスの階層

表 0-1 本書で用いるエビデンス階層
階層デザイン本書での典型例主な弱点
A系統的レビュー/メタ解析灸の高血圧に対する系統的レビュー[10]、鍼のHRVメタ解析[13]、灸の安全性の系統的レビュー[15]統合される個々の試験の質に依存する
B健常者実験(客観指標)間接灸ST36の循環応答[7]、懸垂灸の指尖温[8]、もぐさ煙曝露[11]n が小さい。短時間観察
C動物実験(機序解明)本書では扱わない(①を参照)
D非盲検の臨床試験慢性疲労症候群に対する予備的比較試験[9]盲検化不能。対照群の設定に制約
E実技者の実測報告・症例報告(非査読)本書では数値の引用に用いていない査読なし
階層に入らない記述がある

第I部で述べる測定法の原理・帯域の定義・指標の限界は、個別の臨床試験ではなく測定法の標準文書および方法論の総説に基づく[1][2][3][4][5][6]。これらは階層A〜Eの対象外として扱う。

0-3 読むときに外してほしくない三つの区別

「指標が動いた」と「自律神経の活動が変わった」
代理指標は、測りたいものと相関するが同一ではない。相関の強さと、測定条件による崩れやすさを、指標ごとに知っておく必要がある。
「有意差があった」と「臨床的に意味がある」
統計的有意性は、変化の大きさでも重要性でもない。本書は、原著が報告した p 値と実数の双方を併記する。
「灸群で変わった」と「灸によって変わった」
前者から後者を導くには、対照条件が必要である。何を対照に置いたかは、第12章の主題である。

0-4 姉妹巻および既刊との関係

自律神経の解剖・分類・伝達物質・臓器別作用、および体性-自律神経反射の経路は『灸と自律神経①』に収めた。灸の中枢作用と臨床エビデンス全般は『灸と神経生理学②』にある。本書は、それらで扱った所見を測定法の側から検算することに特化しており、同じ研究を扱う場合も論点を変えている。

第I部

何を測れば自律神経を見たことになるか

この部には灸がほとんど出てこない。出てくるのは、指標そのものの素性である。ここを飛ばして第II部の数値を読むと、報告された変化を実際より大きく受け取ることになる。指標の限界を先に知ることは、研究を疑うためではなく、正しく使うためである。

この部を読むと指標ごとに、それが答えられる問いと答えられない問いの境界を引けるようになる。

01直接測る——微小神経電図

自律神経の活動そのものを、覚醒したヒトで直接記録する方法は存在する。それが灸の研究では使われていないことが、この分野の状況を最もよく表している。

1-1 方法

微小神経電図(microneurography)は、覚醒したヒトの末梢神経に経皮的に微小電極を刺入し、神経内から神経活動を直接記録する手法である[5]。この手法の開発により、筋および皮膚への交感神経出力の制御について多くの知見が得られてきた[5]

筋交感神経活動(MSNA)
骨格筋の血管に向かう交感神経の活動。血圧の拍動ごとの制御に関与する[5]
皮膚交感神経活動(SSNA)
皮膚に向かう交感神経の活動。皮膚血流と体温調節に関与する[5]

定量は主にバースト頻度(bursts/分)バースト発生率(bursts/100心拍)によって行われるが、単一線維記録の開発によって、交感神経系が出力をどのように段階づけているかについて、より詳細な情報が得られるようになっている[5]

原著が明記していること

原著は、この手法が「診断のために意図されたものではない」と明記している[5]。研究手法であって臨床検査ではない。また、この手法を用いた記録は世界的にも限られた施設でしか維持できないと述べられている[5]

臨床への翻訳

「灸で交感神経活動が下がった」と述べるための最も直接的な証拠は、交感神経の発火そのものの記録である。本書はそれを行った灸の研究に到達できなかった(第15章)。したがって、現時点で施術者が言えるのは、「交感神経活動が下がった」ではなく「交感神経活動を反映するとされる指標が、この条件下でこう動いた」までである。この言い換えは慎重すぎるように見えて、実際には研究の現状をそのまま述べているにすぎない。

02代理指標という考え方

直接記録が使えないとき、研究は代理指標(surrogate marker)を使う。代理指標は「測りたいものと関係があるが、測りたいものそのものではない量」である。この当たり前の性質が、しばしば忘れられる。

2-1 代理指標が抱える三つの問い

  1. 何との相関が確かめられているのか。相関の相手が別の代理指標であれば、根拠は一段弱くなる
  2. どの条件で相関が崩れるのか。呼吸・体位・室温・年齢・薬剤は、多くの自律神経指標を動かす
  3. 変化の方向と大きさのどちらが読めるのか。方向は読めても大きさが読めない指標は多い

2-2 灸の研究で使われている代理指標

灸の自律神経研究で報告されている指標は、本書の調査範囲では次に限られていた。

  1. 心拍数、心拍変動(RMSSD・HF・LF・総パワーなど)[7][9][11]
  2. 皮膚温(局所および遠隔部)[7][8]
  3. 血圧[7][10]

すなわちすべてが心血管系と皮膚の指標であり、消化管・膀胱・瞳孔・発汗の指標を用いた灸のヒト研究には、本書は到達できなかった(第15章)。

03心拍変動の定義と帯域

心拍変動(heart rate variability, HRV)は、灸を含む多くの分野で最も広く使われる自律神経指標である。まず定義と帯域を固定する。

3-1 標準文書

HRVの測定・生理学的解釈・臨床応用に関する標準は、1996年に欧州心臓病学会と北米ペーシング電気生理学会の合同タスクフォースによってCirculation誌に公表された[1]。この文書が周波数帯域の定義を与えている。

表 3-1 心拍変動の周波数帯域[1][2]
帯域範囲慣用的な解釈
ULF(超低周波)≤ 0.003 Hz
VLF(極低周波)0.0033〜0.04 Hz
LF(低周波)0.04〜0.15 Hz慣用的に交感神経活動の指標とされてきた(第5章で検討する)
HF(高周波)0.15〜0.40 Hz副交感神経活動を反映するとされる

3-2 HF帯域は呼吸の帯域である

総説は、HF帯域について「HFすなわち呼吸帯域(0.15〜0.40 Hz)は、慣例として最低1分間にわたって記録される。……HF帯域は副交感神経活動を反映し、呼吸周期に関連した心拍の変動に対応することから呼吸帯域と呼ばれる」と記している[2]。この「呼吸帯域」という別名が、次章の論点の出発点になる。

3-3 時間領域の指標

周波数解析を用いない時間領域の指標も広く使われる。灸の研究で報告されているのは主に次である。

RMSSD
連続するRR間隔の差の二乗平均平方根。短時間記録で用いられ、灸の研究でも報告されている[7]
PNN50
隣接するRR間隔の差が50 msを超える割合。もぐさ煙の研究で報告されている[11]
SDNN・総パワー
全体的な変動の大きさを表す指標。慢性疲労症候群の試験で用いられている[9]

04HRVは何を反映し、何を反映しないか

HFの振幅を「迷走神経緊張の大きさ」と読むことは、国際的な専門家勧告によって明確に否定されている。この一点を知らないまま灸の研究を読むと、報告された変化を過大に解釈する。

4-1 呼吸性心拍変動という現象

呼吸に同期した心拍の変動は、空気呼吸をするすべての脊椎動物に存在する生理現象であり、複数の生理学的機序の相互作用から生じるが、主として心臓副交感(迷走)神経活動のリズミックな変化によって媒介される——吸気で心拍数が上がり、呼気で下がる[4]。この振幅は自律神経と心臓の健康の指標であり、慢性心不全や高血圧といった病態では減弱または消失する[4]

4-2 専門家勧告が述べたこと

2025年に公表された国際的なエキスパート・レコメンデーションは、従来「呼吸性洞性不整脈(respiratory sinus arrhythmia, RSA)」と呼ばれてきたこの現象について、次のように述べている[4]

  1. 「RSA」という用語は歴史的に重要だが意味論的に不正確であり、誤解を招く病的な含みを持つため、現象の起源と生理学的重要性の誤解と誤読に寄与している
  2. 代わりに「呼吸性心拍変動(respiratory heart rate variability, RespHRV)」という用語を用いることを提案する
  3. RespHRVは、従来のHRV解析で定義されてきた低周波帯域と高周波帯域の双方に含まれる呼吸関連の心拍変動を包含する
  4. その振幅を迷走神経緊張(vagal tone)の尺度と取り違えてはならない
この勧告が灸の研究に持つ意味

第一に、呼吸に関連する心拍変動はHF帯域だけに現れるのではない[4]。したがってLF帯域の変化を交感神経の変化として読むことにも、呼吸由来の混入という問題がついてまわる。第二に、HFやRMSSDが増えたことは、迷走神経緊張が増えたことを意味しない[4]。施灸中に被験者の呼吸パターンが変われば——たとえば安静と深呼吸によって——同じ迷走神経活動でも指標は動きうる。灸の研究において呼吸が統制または記録されているかどうかは、所見の解釈を左右する。

臨床への翻訳

「お灸でHFが上がったので副交感神経が高まりました」という説明は、国際的な専門家勧告と整合しない[4]。言えるのは「呼吸性の心拍変動を反映する指標が増加した」までである。施術中に患者が深くゆっくり呼吸していたなら、その呼吸自体が指標を動かしている可能性がある。これは灸の効果を否定する話ではなく、灸の効果と呼吸の効果を分けて考えるべきだという話である。臨床で意図的に呼吸を誘導しているなら、なおさら両者は分けて記録するに値する。

05LF/HF——「交感/副交感バランス」と読めない理由

LF/HF比を「交感神経と副交感神経のバランス」と読む慣行について、原著は「仮説は反証された」と明言している。灸の研究でこの比が報告されていたら、その扱いには注意が要る。

5-1 LFは交感神経の純粋な指標ではない

総説は「LFパワーは交感神経系の駆動の純粋な指標ではない。この周波数帯域の変動の半分は副交感神経系によるものであり、より小さい割合が特定されていない要因によって産生される」と記している[2]

より詳細な検討では、次の点が指摘されている[3]

  1. 心拍パワースペクトルのLFピークは、コリン作動性拮抗薬または選択的副交感神経除去によって少なくとも50%減少する。しかも除神経とβ遮断を組み合わせても完全には消失しない[3]
  2. 圧受容器反射の活性化時には、動脈圧の大きな上昇が、既存の交感神経活動を変えないまま副交感神経活動の増加のみを引き起こすことがある。すなわち二つの系は相反的に動くとは限らない[3]
  3. 数理的にも、同じLF/HF値が、分子(LF)の変化だけでも、分母(HF)の変化だけでも、その組み合わせでも得られうる[3]

5-2 原著の結論

原著の結論は次のとおりである[3]

原著の結論

「LF/HFによる交感・迷走神経バランス仮説は反証された。エビデンスの大勢は、LF/HFのデータが、健康時においても疾患時においても、心臓の『交感・迷走神経バランス』を正確に定量できないことを裏づけている」[3]

加えて、LF/HF比については「24時間の値と5分間の値とでは異なる過程が生じているように見え、両者の相関が乏しいため議論がある」とも指摘されている[2]

臨床への翻訳

研究論文でLF/HF比が主要な結果として報告されていたら、その論文の結論は一段割り引いて読む。とくに「LF/HFが下がったので交感神経優位が改善した」という記述は、原著が反証済みとする解釈に依存している[3]。患者への説明でこの比を持ち出すことも避けるべきである。代わりに使える表現は、実際に測られた量——心拍数が何bpm変わったか、RMSSDが何ms変わったか——を、そのまま述べることである。

06皮膚と発汗の指標

皮膚は、灸の施術者が最も近くで観察できる器官である。しかし皮膚の自律神経機能を定量する手法にも、確立した序列と明確な限界がある。

6-1 発汗機能の検査

発汗運動(sudomotor)機能の臨床検査について、総説は次のように整理している[6]

表 6-1 発汗機能検査の位置づけ[6]
手法位置づけ限界
定量的軸索反射性発汗試験(QSART)最も広く用いられる発汗機能検査被験者内・被験者間の変動は小さいが、技術的要求が高い
体温調節性発汗試験(TST)小径線維検査と組み合わせることで節前性と節後性の障害を鑑別できる
交感神経性皮膚反応(SSR)情動刺激に対する感度が高い被験者内・被験者間の測定値の変動が大きい
スプーンテストベッドサイドのスクリーニング定量できない

著者らは「QSARTとTSTが発汗機能評価のゴールドスタンダードであり続けている」と結論している[6]

6-2 皮膚温という指標

皮膚温は非侵襲で連続測定でき、灸の研究でも用いられている[7][8]。ただし皮膚温は皮膚血流の結果であり、皮膚血流は反射性の体温調節制御と局所の温度変化の双方の影響を受ける(①第11章)。したがって施灸部位そのものの皮膚温上昇は、自律神経の指標として使えない。使えるのは、刺激していない部位の皮膚温である。

臨床への翻訳

臨床で観察しやすい発汗の変化を「交感神経が落ち着いた証拠」として扱うことは、検査法の水準では支持されない。交感神経性皮膚反応は測定値の変動が大きいとされており[6]、目視の観察はそれ以下の精度である。皮膚の所見は記録に残す価値があるが、自律神経機能の評価としては最も弱い層に置く。

07指標の早見表——どの問いに答えられるか

第I部の要約として、指標ごとに答えられる問いと答えられない問いを一覧にする。灸の研究を読むときは、この表に照らして結論の射程を測る。

表 7-1 自律神経指標の早見表(本書が引用した出典に基づく)
指標答えられる問い答えられない問い出典
微小神経電図(MSNA・SSNA) 筋または皮膚への交感神経の発火が、いつ、どれだけ生じたか 心臓や消化管への出力。診断としての判定 [5]
心拍数 心臓への正味の自律神経の影響が、どちらに動いたか 交感由来か迷走由来か。血圧変化に対する二次反応かどうか [1][16]
RMSSD・HF 呼吸性の心拍変動が増減したか 迷走神経緊張の絶対量。呼吸パターンが統制されていない場合の解釈 [2][4]
LF 低周波帯域の変動が増減したか 交感神経活動の量(変動の半分は副交感神経由来) [2][3]
LF/HF比 —— 交感・迷走神経バランス(この用法は反証されている) [3]
遠隔部の皮膚温 刺激部位から離れた皮膚血流が、どちらに動いたか 交感神経活動そのもの(直接測定ではない) [8]
施灸部位の皮膚温 加温がどれだけの温度に達したか 自律神経反射が起きたかどうか [7]
QSART・TST 発汗機能の節前性・節後性の障害 短時間の刺激に対する急性反応(臨床検査として設計されている) [6]
交感神経性皮膚反応(SSR) 情動刺激に対する応答の有無 定量的な比較(測定値の変動が大きい) [6]
血圧 循環に対する正味の効果 その変化が心拍変化の原因か結果か(同時測定が必要) [16]
臨床への翻訳

この表の使い方は単純である。研究の結論文を読んだら、その主張に必要な指標が実際に測られているかを表で確かめる。「交感神経活動が低下した」と主張する研究がHRVしか測っていないなら、その主張は指標の射程を超えている。射程を超えた主張は、研究そのものが無価値だという意味ではない。測られた量に結論を戻せば、その研究はなお有用である。

第II部

灸で測られた値を読む

ここからは実際の報告値を扱う。読み方は第I部の表 7-1 に従う。「何が測られ、その指標は何に答えられるのか」を毎回確認しながら進む。なお本部で扱う研究のうち、単回施灸の急性反応については既刊『灸と神経生理学②』第5章でも数値を掲げている。本書は同じ数値を、測定法の側から検算する。

この部を読むと灸で測られた値を、測定条件と対照の側から検算できるようになる。

08単回施灸の急性反応

灸の自律神経応答について、現時点で最も統制された条件で測られたヒトの報告は、健常者15名を対象とした無作為化クロスオーバー実験である[7]。まず設計を確認してから数値を読む。

8-1 設計

対象は健常ボランティア15名(男性11名、女性4名、平均年齢 20.8 ± 0.4 歳)。右下腿の足三里(ST36)に、紙管(高さ10 mm、直径5 mm)に艾を詰め紙パルプの緩衝材(高さ3 mm、直径15 mm)を置いた間接灸を5分間行った。無作為化クロスオーバー設計であり、対照条件が置かれている[7]

表 8-1 間接灸ST36(5分間)による循環応答[7](ヒト、n = 15、平均±SD)
指標対照条件・安静対照条件・施灸相当加温条件・安静加温条件・施灸中
皮膚温29.0 ± 1.7℃29.6 ± 1.4℃29.9 ± 1.4℃45.3 ± 3.3℃p < 0.001
心拍数61.8 ± 8.0 bpm61.8 ± 8.1 bpm63.0 ± 7.8 bpm60.8 ± 7.8 bpmp < 0.05
RMSSD47.1 ± 21.0 ms46.5 ± 17.2 ms52.0 ± 27.1 ms64.3 ± 37.2 msp < 0.05
平均動脈圧76.5 ± 11.4 mmHg77.1 ± 12.9 mmHg79.0 ± 9.6 mmHg81.2 ± 11.4 mmHg(有意差なし)

皮膚温は施灸開始2分後45.3 ± 3.3℃ のピークに達した[7]。皮膚温と心拍数のあいだには有意な負の相関が認められている(r = −0.73p < 0.05[7]。著者らの結論は「間接灸による局所的な熱刺激は徐脈反応を誘発し、それは自律神経系によって調節されていた」である[7]

8-2 この結果から何が言えるか

表 7-1 に照らして検算する。

  1. 心拍数の低下は言える。対照条件が置かれ、同一被験者内で比較されている(p < 0.05
  2. 平均動脈圧に有意な変化がなかったことは重要である。血圧が変わっていないなら、この徐脈が圧受容器反射による二次的な結果である可能性は小さくなる[16]。血圧を同時に測っていない研究では、この検算ができない
  3. RMSSDの増加は「呼吸性の心拍変動が増えた」までである。迷走神経緊張の増加そのものではない[4]。原著もこの点に関わる限界を挙げている(下記)

8-3 原著が挙げた限界

著者らは次の限界を明記している[7]

  1. 標本サイズが小さく(n = 15)、女性の比率が25%である
  2. 月経周期が統制されていない
  3. 刺激時間が短く、臨床実践への一般化に限りがある
  4. 単一の経穴のみを試験しており、刺激時間や刺激部位が結果に影響しうる
  5. 交感神経活動を直接評価しておらず、心拍変動指標から推定しているにとどまる
臨床への翻訳

この研究から施術者が言えるのは、「健常な若年者の下腿に間接灸を5分間行うと、心拍数がおよそ2 bpm低下し、呼吸性の心拍変動の指標が増加したという報告がある(n = 15、階層B)」である。「自律神経が整う」でも「副交感神経が優位になる」でもない。この言い方は控えめに見えるが、実際に測られたことをそのまま述べている。そして、この言い方のほうが患者に対して誠実であり、後から覆されない。

09同じ灸が逆向きに見える理由

前章とは逆に、施灸中に末梢の皮膚温が低下したという報告がある。これは矛盾ではない。測っている出力チャネルが違う(①第5章)。

9-1 遠隔部の皮膚温

健常者36名(男性27名、女性9名、年齢 25 ± 3 歳)を4群に分け、懸垂灸(皮膚から3 cm)を行って赤外線カメラ(サンプリング1 Hz)で指先温を測定した研究では、刺激部位の温度上昇と同時に指先温が低下した[8]。群構成は、曲沢(PC3)群10名、労宮(PC8)群10名、灰を3分ごとに除去する労宮(PC8)群8名、非点火の艾を用いる対照群8名である[8]

表 9-1 施灸中の指尖温低下[8](ヒト、計36名)
低下の開始持続刺激点温度との相関
曲沢(PC3) n = 10施灸開始 21秒後82秒間r = −0.981p < 0.05
労宮(PC8) n = 10施灸開始 26秒後68秒間r = −0.957p < 0.05
労宮(PC8)・灰除去 n = 8施灸開始 16秒 の時点から137秒 まで持続r = −0.938p < 0.05

著者らは「灸は交感神経系を賦活し、微小循環の減少を誘発しうる。それが指先温の低下を伴う」と解釈している[8]ただしこの研究では交感神経活動が直接測定されておらず、温度変化の相関から推論された解釈である。

9-2 三つの軸で整理する

表 9-2 二つの報告の比較
間接灸ST36の研究[7]懸垂灸PC3/PC8の研究[8]
測った出力心臓(心拍数・RMSSD)皮膚微小循環(指尖温)
変化の向き心拍数は低下指尖温は低下
時間窓5分間の施灸中(ピークは2分後)開始16〜26秒後から。持続は68〜137秒
部位下腿 ST36前腕・手掌 PC3 / PC8
対象ヒト n = 15ヒト n = 36
要点

心臓運動ニューロンと皮膚血管収縮ニューロンは、それぞれ独立した機能特異的な出力チャネルである(①第5章)。したがって、心拍が下がることと末梢の皮膚血流が減ることは、生理学的に同時に成立しうる。「灸で交感神経が下がる/副交感が上がる」という単一方向の記述は、この二つの報告のどちらも説明できない。また、時間窓も大きく異なる(数十秒と数分)。同じ「施灸中」という語で括ると、比較にならない。

臨床への翻訳

施灸中に患者が手足の冷えを訴えても、報告されている現象の範囲内である[8]。異常ではないと説明してよい。同時に、「お灸をすれば末梢まで温まる」という説明は、少なくとも施灸開始直後の1〜2分については報告と食い違う。この時間スケールの違いを知っていることが、施術中の観察と説明の精度を上げる。灸と局所血流の時間経過については既刊『灸と血流の生理学①』を参照されたい。

10反復施灸の試験を読む

単回ではなく反復して施灸した場合の自律神経指標については、報告はあるが、本書が数値を引用できる形では示されていなかった。この章は、その事実そのものを教材として扱う。

10-1 試験の設計

慢性疲労症候群の患者を対象に、鍼と灸が自律神経系に与える影響を心拍変動で評価した予備的比較試験がある[9]。設計は次のとおりである[9]

  1. 3群構成(対照群・鍼群・灸群)、各群 n = 15
  2. 灸群は、艾を詰めた灸箱を経穴に固定し、皮膚から1〜2 cm上で15分間燃焼させる間接灸。経穴は足三里(ST36、両側)と関元(CV4)
  3. 隔日で計10回の施術
  4. 主要評価項目は疲労評価尺度(FAI)、心拍変動は副次評価項目
  5. 著者らは「鍼灸の特性上、施術者と慢性疲労症候群の患者を盲検化することはできなかった」と明記している

10-2 報告された結果

心拍変動について原著が述べているのは次である[9]

原著の記述

「平均心拍数は灸群で10回目の施術後に低下した。総HRVとLFは、灸群で4回目または10回目の施術後に有意に増加した(P < 0.05)」[9]

10-3 本書が数値を引用しない理由

本書は、この論文からHRV各指標の平均値と標準偏差(または標準誤差)を抽出できなかった。報告されているのは変化の方向と有意水準であり、実数ではない。本書の編集方針は原著の報告値のみを引用することであるため、ここでは数値を書かない。

これは論文の欠陥か

そうとは限らない。主要評価項目が疲労尺度であり、心拍変動は副次評価項目である[9]。副次項目の記述が簡潔になることは珍しくない。問題は論文の側ではなく、その記述を「灸で総HRVが◯%増加した」と数値化して引用する読み手の側に生じる。原著にない数値は、どこかで誰かが作ったものである。

臨床への翻訳

反復施灸の自律神経効果について、施術者が現時点で言えるのは「10回の反復施灸後に平均心拍数の低下と、総HRV・LFの有意な増加が報告されている(非盲検、各群 n = 15、階層D)」までである。ここでLFの増加を「交感神経の亢進」と読んではならない(第5章)。LFの変動の半分は副交感神経由来である[2]。この試験の所見は、方向としては心拍数の低下と整合する。

11血圧という硬いアウトカム

自律神経指標の代わりに、血圧という臨床アウトカムそのものを測った研究群がある。ここでは指標の解釈問題は生じない。代わりに、試験の質という別の問題が前面に出る。

11-1 系統的レビューの結果

高血圧に対する灸の効果を検討した系統的レビューでは、言語制限なしに15のデータベースを2010年3月まで検索し、4件のランダム化比較試験が採択された[10]。個別の結果は次のとおりである[10]

表 11-1 高血圧に対する灸のRCT[10]
研究介入対照報告された結果
Jin(2008)灸 30分・10日間(n = 30)エナラプリル 10 mg/日(n = 30)血圧の有効率 83% 対 80%、有意差なし
Zhang(2007)間接灸 2時間・週2回・1か月(n = 30)アムロジピン 2.5〜10 mg/日(n = 30)血圧の有効率 70% 対 81%、有意差なし
Deng(2002)化膿灸 単回(n = 30)ニフェジピン 10 mg 1日2回(n = 60)収縮期血圧の低下 13.65 mmHg(30分)/17.4 mmHg(50日)、p < 0.001。拡張期血圧の低下 8.7 mmHg(30分)/13.12 mmHg(50日)、p < 0.001
Kim(2005)灸 単回・2時間に5回(n = 30)無処置(n = 31)収縮期血圧は60・90・120分の時点で有意(5.28〜10.75 mmHg の低下、p < 0.001)。拡張期血圧は有意でない

11-2 バイアスの評価

レビュー著者らのバイアス評価は次のとおりである[10]

  1. 「採択されたRCTのいずれも、順序生成の方法や割付の隠蔽について報告していなかった」
  2. 脱落・中止について報告していたのは1試験のみ
  3. 「採択されたRCTのすべてが、評価者の盲検化について報告していなかった」

著者らの結論は「灸が高血圧に対して有効な治療であることを示すには、エビデンスが不十分である。残された多くの問いに答えるには、厳密に設計された試験が必要である」である[10]

臨床への翻訳

表 11-1 の数値は「灸で血圧が下がった証拠」ではない。割付の隠蔽も評価者の盲検化も報告されていない試験の数値である[10]。血圧測定は評価者の期待に影響されやすいアウトカムであり、評価者盲検の欠如は重い。高血圧の患者に対して灸を降圧目的で提案することは、現時点のエビデンスでは支持されない。降圧薬の調整に関わる助言は、鍼灸師の業務範囲を超える。

第III部

交絡と方法論

指標を正しく選び、正しく読んでも、対照条件が適切でなければ因果は言えない。灸には、鍼にはない固有の盲検化の難しさがある。そして、この分野の文献全体には、無視できない偏りが記録されている。

この部を読むと偽灸の妥当性と出版バイアスという二つの交絡を、名指しで指摘できるようになる。

12対照条件——偽灸は成立するか

灸の対照条件には、熱・煙・接触・安静・期待という複数の入力を、どこまで再現し、どこから外すかという設計問題がある。完全な偽灸は原理的に難しい。

12-1 煙だけでも指標は動く

健常な若年成人55名を無作為に実験群28名と対照群27名に分け、実験群をもぐさの煙(2.5 ± 0.5 mg/m³)に25分間、1週間に2回曝露した研究がある[11]。心電図は曝露前・曝露中・曝露後に記録され、対照群は同様の環境で通常の室内空気に曝露された[11]。結果は次のとおりである[11]

  1. 1回目の曝露中および曝露後:すべてのパラメータの変化率または変化量について、群間に有意差は認められなかった
  2. 2回目の曝露中:心拍数の低下率、lnTP・lnHF・lnLF および RMSSD の増加率、PNN50 の増加が、対照群より実験群で有意に大きかった

著者らの結論は「臨床で通常行われる25分間のもぐさ煙曝露に、心拍変動への有意な有害影響は認められなかった。データは、もぐさ煙への短時間曝露がヒトの自律神経機能に良い調節効果を持ちうることを示唆する。この所見の確認にはさらなる研究を要する」というものである[11]

この研究が方法論に持つ意味

熱を加えなくても、煙だけで心拍変動の指標は動きうる[11]。したがって、灸のヒト研究で観察された心拍変動の変化を「温熱刺激の効果」と呼ぶには、煙を統制した対照が要る。第8章で扱った研究は、艾を燃やさない条件を別の日に置いており[7]、この点で設計が優れている。対照が「無処置」や「安静のみ」である研究では、この分離ができない。

12-2 対照条件の設計マトリクス

表 12-1 灸の対照条件が再現できるもの/できないもの
対照条件接触被験者の盲検化
無処置・安静のみ×××不可能
非燃焼の灸(艾を燃やさない)××困難(熱と煙がないため気づかれる)
煙のみの曝露××困難
熱源による加温(灸以外)×困難

この表に「すべて○かつ盲検化可能」の行はない。灸において、被験者が施術を受けたと信じたまま熱刺激だけを外すことは、原理的に難しい。

12-3 偽対照そのものへの疑義

鍼の分野では、広く使われてきた偽鍼(Streitberger型など)についても疑義が提出されている。皮膚の表皮と毛包には機械感受性の求心線維が含まれており、刺入しない接触刺激でもそれらが応答しうるためである[12]。すなわち「偽」の対照が生理学的に不活性であるという前提が、必ずしも成立しない[12]。この論点は灸の接触型対照にも同様に当てはまる。

臨床への翻訳

研究を読むときに最初に確認するのは結論ではなく対照条件である。表 12-1 のどの行に当たるかを見れば、その研究が分離できたものと、できなかったものが分かる。そして臨床の現場では、そもそもこの分離ができない。施術者が記録に残せるのは「この条件下でこの指標がこう動いた」までであり、因果を主張する立場にはない。これは施術の価値の問題ではなく、記録の精度の問題である。

13出版バイアスと国別の偏り

個々の試験の質とは別に、文献の集合そのものが偏っている可能性がある。これは灸に限った話ではないが、灸の文献では特に重い。

13-1 記録されている偏り

1966年から1995年までのMedline収載の抄録を対象に、試験の結論が国によって偏るかを検討した系統的レビューがある[14]。鍼の試験については、1085件の抄録のうち252件が組入基準を満たした[14]。報告された結果は次である[14]

  1. 中国・日本・香港・台湾を起源とする鍼の試験は、すべて陽性であった。ロシア/ソ連で公表されたものも11件中10件が陽性であった
  2. 介入全般では、英国で公表された試験のうち試験治療が優れていたとするものは75%であったのに対し、中国99%、日本89%、ロシア/ソ連97%、台湾95%であった
  3. 中国またはロシア/ソ連で公表された試験で、試験治療が無効であると結論したものは一つもなかった

著者らの結論は、一部の国が異常に高い割合の陽性結果を公表しており、出版バイアスがその説明として考えられるというものである[14]

この所見の扱い方

これは研究者の誠実さの問題として読むべきではない。陰性結果が投稿されない、または受理されないという出版の仕組みの問題である。また調査対象は1966〜1995年の抄録であり、その後の状況をそのまま表すものではない[14]本書がこの文献を引くのは、灸の臨床試験の多数が中国発であるという現状を踏まえ、系統的レビューの結論を読むときに出版バイアスの可能性を計算に入れるためである。

13-2 比較対象としての鍼のメタ解析

参考として、鍼(電気刺激を伴わない手技鍼)と心拍変動についての系統的レビュー・メタ解析では、5つの電子データベースを2020年9月まで検索し、1698件から9件のRCTが採択された[13]。偽鍼群と比較して実鍼群でHFおよびLF/HFに有意な変化が認められ、著者らは「実鍼は偽鍼に対して副交感神経緊張を高める点で優れた効果を持つ」と結論している[13]。ただし著者らは「一次研究の質と異質性の程度から、結果は慎重に解釈すべきである」と明記している[13]

この解析の対象は鍼であり、灸ではない。本書は、灸を対象として自律神経指標を統合したメタ解析に到達できなかった(第15章)。また、この解析がLF/HFを結果指標として用いている点は、第5章で述べた限界と併せて読む必要がある[3]

臨床への翻訳

「鍼で副交感神経が高まるというメタ解析がある」という情報を、そのまま灸の説明に使うことはできない[13]介入が違えば、根拠も別に要る。系統的レビューを引用するときは、①対象の介入が灸を含むか、②何件の試験が統合されたか、③著者自身が確実性についてどう述べているかの三点を確認する。

第IV部

安全性と空白

効果の議論と安全性の議論は、別々の証拠を必要とする。そして最後に、本書が到達できなかった場所を明示する。

この部を読むと安全性の報告と、この分野の空白を具体的に把握できるようになる。

14有害事象

灸の安全性については、症例報告を集めた系統的レビューがある。件数は多くないが、それは「安全である」ことを意味しない。発生率は分かっていない。

14-1 レビューの方法と結果

中国語4データベース(SinoMed・CMCC・CNKI・VIP)と英語3データベース(Medline・EMBASE・Web of Science)を、時期の制限なく2013年11月20日まで検索した系統的レビューでは、6か国(中国・米国・韓国・スペイン・日本・イスラエル)の24論文から64例の有害事象が集められた[15]

表 14-1 灸に関連して報告された有害事象[15](症例報告 64例、24論文)
種類症例数論文数
熱傷436
アレルギー76
感染66
胎児への影響22
悪心・嘔吐21
咳嗽1
基底細胞癌11
眼瞼外反11
死亡11

14-2 著者らが述べた限界

著者らは次の点を述べている[15]

  1. 灸については、鍼に比べて臨床的な安全性調査のデータがはるかに少ない
  2. 症例報告には固有の限界がある
  3. 熱傷を真の有害事象とみなすかどうかには、「医師の意図と患者の受容」を考慮する必要がある。伝統的な化膿灸は意図的に病変を生じさせるためである
  4. 「これらの有害事象の大半について、正確な原因は特定できない」
臨床への翻訳

症例報告の総数が64例であることは、灸の有害事象が稀であることの証拠にはならない。症例報告は分母を持たないため、発生率を計算できない[15]。報告された事象の3分の2が熱傷であることは、施術上の注意がどこに集中すべきかを示している。とくに温度感覚が低下している患者(糖尿病性神経障害・脊髄損傷・意識レベル低下・小児)では、患者の「熱い」という申告に依存した温度管理が成立しない。灸の熱傷リスクと神経障害については既刊『灸と神経生理学②』第9章も参照されたい。

15本書の範囲で見出せなかったこと

以下は、今回の調査範囲(英語・日本語・中国語圏、2026年8月時点)で該当する査読済み研究を見出せなかった項目である。「研究が存在しない」ことの証明ではなく、「本書の調査では到達できなかった」という報告である。

表 15-1 見出せなかった項目と、研究が進みにくい構造的理由
#見出せなかったもの進みにくい理由
1灸の施術中に微小神経電図で交感神経活動を直接記録した研究技術的要求が高く、実施できる施設が世界的に限られる[5]
2灸を対象として自律神経指標を統合した系統的レビュー・メタ解析個々の試験の指標・プロトコル・部位がばらばらで、統合の前提が揃わない
3灸の研究で呼吸を統制または記録したうえでHF・RMSSDを報告した研究呼吸統制は被験者の負担が大きく、施術の自然さを損なう
4灸/非燃焼対照/煙のみ対照を並置した三群比較煙のみの条件で被験者に灸を受けたと信じさせることが難しい
5消化管・膀胱・瞳孔・発汗を指標に用いた灸のヒト研究心血管系以外の自律神経出力は、非侵襲の定量手法が限られる
6自律神経指標を主要評価項目に据えた灸の大規模RCT代理指標を主要評価項目に置く試験は資金を得にくい

15-1 空白が意味すること

①で述べたとおり、自律神経の解剖と反射経路は確立している。本書で見たとおり、測定法の限界も明確に文書化されている。不足しているのは、その二つを結ぶ実測——灸がその経路をどれだけ、どの向きに動かすのかというヒトのデータ——である。

本書が引用できたヒトの定量データは、健常者を対象とした短時間の実験(n = 15、n = 36、n = 55)と、非盲検の臨床試験(各群 n = 15)、そして質の限られた4件のRCTを統合した系統的レビューである。これが2026年8月時点で、灸と自律神経について引用できる実測の全体像である。

この空白をどう受け取るか

データが少ないことは、灸に効果がないことを意味しない。効果があるともないとも、現在の証拠では決められないということである。この状態を「わかっていない」と正確に述べられることが、専門職としての誠実さであり、同時に次に何を測るべきかを見つける唯一の方法でもある。表 15-1 の6項目は、いずれも設計可能な研究である。

演習

理解度チェック

本書の内容から10問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。設問はすべて本文に記載した報告値・記述に対応しており、各問には該当章へのリンクを付けました。自己確認のための演習であり、資格や技能を証明するものではありません。

第I部何を測れば自律神経を見たことになるか4問
Q01 出典:第1章

微小神経電図(microneurography)はどのような手法か。

Q02 出典:第2章

代理指標(surrogate marker)とは何か。

Q03 出典:第3章

心拍変動の HF(高周波)帯域について正しいのはどれか。

Q04 出典:第5章

LF/HF 比について、正しいのはどれか。

第II部灸で測られた値を読む2問
Q05 出典:第8章

健常者の ST36 に間接灸を5分間行った無作為化クロスオーバー実験で報告されたのはどれか。

Q06 出典:第9章

「施灸で心拍数が低下した」という報告と、「施灸中に指尖温が低下した」という報告が併存することを、どう理解すべきか。

第III部交絡と方法論2問
Q07 出典:第12章

灸の対照条件(偽灸)を作ることが難しい理由として、実験で示されているのはどれか。

Q08 出典:第13章

鍼灸の臨床試験について、系統的レビューが記録している国別の偏りはどれか。

第IV部安全性と空白2問
Q09 出典:第14章

灸の有害事象の症例報告を集めた系統的レビューについて、正しいのはどれか。

Q10 出典:第15章

灸の自律神経反応を測った研究のうち、現時点で見出せていないのはどれか。

解答ずみ 0 / 10
付録

引用文献

本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。すべての文献に到達可能なURLを付した。非査読の資料は本文中でその旨を明記した(本書では非査読資料からの数値引用は行っていない)。

  1. Task Force of the European Society of Cardiology and the North American Society of Pacing and Electrophysiology. Heart rate variability: standards of measurement, physiological interpretation and clinical use. Circulation. 1996;93(5):1043-1065. PMID: 8598068
  2. Shaffer F, Ginsberg JP. An overview of heart rate variability metrics and norms. Front Public Health. 2017;5:258. PMC5624990
  3. Billman GE. The LF/HF ratio does not accurately measure cardiac sympatho-vagal balance. Front Physiol. 2013;4:26. PMC3576706
  4. Menuet C, Ben-Tal A, Linossier A, et al. Redefining respiratory sinus arrhythmia as respiratory heart rate variability: an international Expert Recommendation for terminological clarity. Nat Rev Cardiol. 2025;22(12):978-984. PMID: 40328963
  5. Macefield VG. Sympathetic microneurography. Handb Clin Neurol. 2013;117:353-364. PMID: 24095138
  6. Buchmann SJ, Penzlin AI, Kubasch ML, Illigens BM, Siepmann T. Assessment of sudomotor function. Clin Auton Res. 2019;29(1):41-53. PMID: 29737432
  7. Nakahara H, Kawai E, Miyamoto T. Acute effects of regional heat stimulation by indirect moxibustion on cardiovascular responses. J Physiol Sci. 2022;72(1):30. PMC10717983
  8. Li Y, Sun C, Kuang J, Ji C, Wu J. The effect of moxibustion stimulation on local and distal skin temperature in healthy subjects. Evid Based Complement Alternat Med. 2019;2019:3185987. PMC6466964
  9. Shu Q, Wang H, Litscher D, et al. Acupuncture and moxibustion have different effects on fatigue by regulating the autonomic nervous system: a pilot controlled clinical trial. Sci Rep. 2016;6:37846. PMC5122953
  10. Kim JI, Choi JY, Lee H, Lee MS, Ernst E. Moxibustion for hypertension: a systematic review. BMC Cardiovasc Disord. 2010;10:33. PMC2912786
  11. Cui Y, Zhao B, Huang Y, Chen Z, Liu P, Huang J, Lao L. Effects of moxa (Folium Artemisiae argyi) smoke exposure on heart rate and heart rate variability in healthy young adults: a randomized, controlled human study. Evid Based Complement Alternat Med. 2013;2013:510318. PMC3676951
  12. Ma Q. Somato-autonomic reflexes of acupuncture. Med Acupunct. 2020;32(6):362-366. PMC7755849
  13. Hamvas S, Hegyi P, Kiss S, Lohner S, McQueen D, Havasi M. Acupuncture increases parasympathetic tone, modulating HRV — systematic review and meta-analysis. Complement Ther Med. 2023;72:102905. PMID: 36494036
  14. Vickers A, Goyal N, Harland R, Rees R. Do certain countries produce only positive results? A systematic review of controlled trials. Control Clin Trials. 1998;19(2):159-166. PMID: 9551280
  15. Xu J, Deng H, Shen X. Safety of moxibustion: a systematic review of case reports. Evid Based Complement Alternat Med. 2014;2014:783704. PMC4058265
  16. Armstrong M, Moore RA. Physiology, baroreceptors. StatPearls. Treasure Island (FL): StatPearls Publishing; 最終更新 2023年3月6日. NBK538172

灸と自律神経② 第1版 2026年8月19日発行
発行:合同会社YOMOGI BASE(灸エビデンス・ライブラリ)

本書の位置づけ。本書は『灸と自律神経』を読み進めやすい分量に分けた二分冊の②であり、自律神経を測る方法の原理と限界、灸のヒト研究で報告された値の読み方、対照条件と出版バイアス、安全性、空白リストを収める。自律神経系の解剖・分類・伝達物質・臓器別作用と、体表刺激が自律神経に届く経路は①に収めた。

数値の出所方針。本書に記載した数値は、すべて一次文献に記載された報告値をそのまま引用したものである。編者が計算・推定・丸めた値は含まない。平均±SD と 平均±SE は原著の表記どおりに記した。原著が実数を示していない箇所については、本書は数値を記載せず、その旨を本文に明記した(第10章)。

階層の扱い。第I部で述べる測定法の原理・帯域の定義・指標の限界は、個別の臨床試験ではなく測定法の標準文書および方法論の総説に基づき、エビデンス階層A〜Eの対象外として扱った。第II部以降の実験的知見には、対象と n を必ず併記した。

調査範囲。英語・日本語・中国語圏を対象に22クエリの検索を行い、一次・二次資料に到達したうえで本書に必要な16件を採用した(2026年8月19日時点)。到達できなかった数値は記載していない。中国語のみで英文抄録のない文献からは数値を引用していない。

本書の限界。本書が引用できた灸のヒト定量データは、健常者を対象とした短時間の実験(n = 15、n = 36、n = 55)、非盲検の臨床試験(各群 n = 15)、および質の限られた4件のRCTを統合した系統的レビューに限られる。灸を対象として自律神経指標を統合したメタ解析、および灸の施術中に自律神経の遠心性活動を直接記録した研究には到達できなかった。空白リストは第15章に掲げた。

発行と利益相反。本書の発行者は合同会社YOMOGI BASEである。同社はよもぎ・お灸に関連する商品を扱う事業者であり、この利害関係を開示したうえで、本書では特定の商品・サービス・銘柄に一切言及せず、効能をうたわない編集方針を採っている。文献の選定・数値の引用・空白の明示は、事業上の利害と独立して行った。自社および自社関係者による発信は、査読の有無にかかわらず出典として用いない。

ご利用にあたって。本書は教育・研究目的の学術情報であり、個々の患者に対する診断・治療方針を示すものではない。臨床判断は、施術者自身の責任において、患者の状態と関連法規に基づいて行われたい。血圧・降圧薬に関する判断は医師の管轄である。

改版履歴。2026年8月19日 第1版発行。